灰被りの蜘蛛 作:BNDに脳を焼かれたやつ
「君はどうしてこう問題ばかり起こすんだ」
机を挟んで反対側、私の目の前で一人の警察官が頭を抱え込んだ。悩みの種はどう考えても私だった。
「問題だなんて大げさな。お婆さんからバッグをひったくった泥棒を捻り上げて拘束してただけじゃん。何も悪いことはしてないよ」
私が警察署にいるのは罪を犯したからではない。むしろその逆だ。善良な市民として目の前で起きた犯罪を抑止した結果、ここにいる。だというのにこの扱いは断固として抗議したい気分だ。
「してるだろう。そもそもなぜ外にいた? 君と同い年の子はみんな授業を受けてる。学校はどうした」
痛いところを突かれた。現在時刻は、放課後と呼ぶにはまだ早い。
「勘弁して、私もうハイスクールまでの学習範囲終わってるんだよ? 今さら授業に出て学ぶことって何さ?」
「……社会性だ」
その答えに思わず笑ったら、真剣な顔で怒られてしまった。
「はいはい、社会性ね。なら大丈夫。泥棒退治は立派な社会貢献だからね。つまり、私は社会性の課外勉強ができてるってこと」
「言い訳は良い。学校についてはまぁ、君の心の複雑な事情を考慮しよう。ひったくり犯を抑えたこともな」
「ありがと警部」
「……だが問題なのは、通報があってから警察官が到着するまでの15分もの間、君がそのひったくり犯を地面に強く抑えつけていたことだ。呼吸困難になるところだったんだぞ」
「ならないよ、人体の仕組みは熟知してる。加減はしたって」
頭が痛いとばかりに警部がため息をつく。私がかけたストレスが彼の毛根にダメージを与えないことを祈ろう。
「君は正義感が強すぎる。やりすぎなんだよ、パーカー。それにな。君が少女ながらに大人顔負けの力があることはこの一年で十分に理解したが、しかし君が少女であることに変わりはない。街で起きる問題は我々警察に任せて、積極的にトラブルに介入しようとするのはやめなさい」
「ごめん、それは無理かな」
目の前の彼の眉間に刻まれた皺がさらに濃くなった。ジロリと私を睨んでくる目に苦笑いで応える。
「はぁ……どうして、無理なんだ?」
「……さぁ? どうしてだろ。自分でもよく分かんない。気がついたときには手が出ちゃってるんだよね。もしかしてそういう病気かも?」
この取調室はもう見慣れた場所だ、目の前の警察官も、同様に見慣れている。主に私が何度もトラブルで補導されているのが原因で。
「ねぇ警部、逆にこう考えることはできない? 問題があるのは私じゃなくて、この街なんだよ」
一年前、ニューヨークに宇宙人が攻めて来てから社会は混乱続きだ。侵略者たちが残していった武器が裏で出回ってるし、戦いの影響で職を失った人たちが犯罪に走るケースも多い。
人々は秩序を見失った。アベンジャーズという目に見える希望のおかげで、ニューヨークの市民がかろうじて心の平穏を保てているが、それは不安定なものだ。
今では皆、誰もがこう思っている。次に宇宙人に侵略されたら、いよいよニューヨークは終わるんじゃないかってね。そんな不安が、今の街の治安に反映されているんだ。
そして悲しいことに、メイおばさんが働いている慈善団体の施設もパンク寸前の大繁盛。まったく、世も末である。
「パーカー、頼むから真面目に聞きなさい」
「真面目に聞いてるよ、学校の授業と同じくらいには。そっちこそ私の話を真面目に聞いてないよね」
警部がうんざりしたように深くため息をついた。彼には私と歳の近い娘がいるらしい。反抗的な娘とのやり取りには飽き飽きしていることだろう。
「ねぇ警部。おかしいのは私じゃなくて、この街だよ。犯罪が多すぎるんだ。ちょっとそこを歩いただけで強盗、暴行、ひったくりに会える。まったく最高だね、ニューヨークって街は」
「……」
「宇宙から怪物が来るってみんなが知ったから、犯罪者は警察を恐れなくなった。少なくとも以前よりはね。だって、宇宙人と比較したら警察は相対的に弱いわけだし?」
「……」
警部が何も言わないので、私はもっと踏み込んだことを言おうとした。
「分かるでしょ、あなたたちが舐められてるから犯罪が──」
「もう良い、分かった。一旦口を閉じていなさい」
怒られたので言われた通りに私は口のチャックを閉じる。すると静寂と何とも言えない雰囲気が部屋に満ちた。私だけがうるさかったみたい。
「確かに、ニューヨークの治安悪化は著しい。警察が舐められているというのも、一因として挙げられるだろうな。現に、君は我々を軽んじているようだし」
「私? 私はちゃんと警察のこと信じてるよ? じゃなきゃひったくり犯を拘束なんてしてない」
警察のことを信用しているから、捕まえた犯罪者を引き渡すんだ。信じてなかったら、ゴミ捨て場か川にでも投げ入れてる。
「君はまだ11歳の子どもなんだぞ。今後はもっと警察を信じて、荒事は控えるように」
残念ながら、警部は私の皮肉には付き合ってくれないらしい。彼は無言で調書か何かに文字を書き込む。
「それから何度も言っているがね、家族を心配させるような真似はよしなさい。良いね?」
「……言われなくても分かってるよ」
家族と言われて、ベンおじさんのことを思い出した。おじさんが今の私を見ればどう思うだろうか。オーマイガー、僕の天使が堕天使に……ってあほくさ。何考えてるんだ私は。
「もう行って良いぞ。君のおばが迎えに来たそうだ」
そして、私にとって耳が痛い忠告を最後に、警部との楽しいお話は幕切れとなった。
「分かった。またねステイシー警部」
「良い加減君の顔は見飽きた。もう来ないでくれよ。切実にな」
私は追い出されるように警察署を後にして、怒り心頭のメイおばさんがハンドルを握る車へと乗り込むのだった。
「本当に信じられない! あなた前回私になんて言った!?」
「もうしませんって言いました」
「そうよ。もうしませんって言ったの。それなのに一週間足らずでまた警察のお世話になるなんて!」
荒い運転につられて私の体が揺れる。シートベルトをきちんと締めていなければ、車外に放り出されていたかもしれない。
「暴力は駄目! 事件に関わるのも駄目! とにかく警察に補導されるような行為は絶対禁止と、何度言わせれば分かるの!?」
「暴力じゃない、泥棒が逃げないように捕まえただけ。それに今回は私からトラブルに関わったわけじゃないよ。トラブルの方が私に関わってきたんだ」
「言い訳はやめなさい! あんまり口答えするなら夕飯は抜きにするから!」
それは困る。成長期の私には大量の栄養が必要なのだ。特に、常人よりもハイスペックの肉体を持つ私は常人よりもエネルギーを必要とする。一食抜いただけでも、次の日は倒れそうになってしまうから。
「信号、青だけど」
「分かってる!」
怒りで視野が狭くなっているようだったので隣から親切に教えてあげたところ、余計に怒りを買ってしまったようだった。
「……ごめんなさい」
「それは何に対する謝罪かしら」
「いつも、おばさんを怒らせちゃって」
責めるようなおばさんの視線が私の方を向く。なんとも肩身が狭くて、私は思わず胸の前でかばんを抱きしめた。
「ペトラ。あなた私が怒ってる理由がちゃんと分かってないでしょ」
「分かってるよ。毎回警察に補導されるからでしょ」
「違う。まったく分かってない。良い? 私が怒ってるのは、あなたが心配だからよ」
「心配なんてそんな。私は強いから、悪党なんかにやられたりしないよ。メイおばさん」
「強いとか弱いとか、そういう問題じゃないのよ」
疲れの籠もった声だ。私という問題児がどれだけメイおばさんの負担になっているかは想像に難くない。
それに加えて、ベンおじさんという大黒柱を失ってからおばさんは仕事を増やしている。慈善団体の仕事以外にも時々夜勤をしてるから、そのせいもあるのだろう。
「ベンがいなくなってから、あなたは変わってしまったわね」
「……」
唐突なその言葉に返事ができなかった。私は変わってしまったのだろうか。おばさんが言うなら、変わってしまったのかもしれない。
「前はもっと大人しくて、優しい子だったでしょう。それが──」
「今では乱暴な不良娘?」
セリフの先を私に奪われて、メイおばさんの言葉が詰まった。
「そこまでは言ってない」
「でもそう思ってる、でしょ?」
返事はなかったけれど、その無言は肯定しているも同然だった。まったくおばさんの言う通りだと私も思う。私は乱暴者の不良だ。とてもじゃないが善良な人間を自称できたものじゃない。
「私が言いたいのは、あまり私に心配かけさせないで欲しいってこと」
「……ごめんなさい」
だってほら、今まさにおばさんを悲しませてるし。
「はぁ……本当に、どうして危ない真似するのよ?」
その疑問への明確な答えを私は持ち合わせていなかった。
何故、私はトラブルに首を突っ込んでしまうのだろうか。警部は私のことを正義感が強すぎると言ったけど、でも本当はそうじゃない。
私を支配しているのは正義感なんかじゃなくて義務感だ。トラブルを目にした次の瞬間には、私の体はいつも勝手に動き出している。
「だって、ベンおじさんなら──」
「なんですって?」
メイおばさんが急ブレーキをかけ、慣性で身が投げ出されそうになる。
「うわっ、びっくりした。メイおばさん、お願いだから安全運転でお願いできる?」
「生憎だけど、私は免許を取ってから事故なんて起こしたことない。それよりも、どうしてそこでベンの名前が出てくるのよ」
「……そ、そりゃあ、おばと姪で会話してるんだから、おじの名前くらい出るんじゃない?」
「ペトラ、ちゃんと説明して」
「……やだ」
「話して」
「嫌」
「ちゃんと、説明しなさい」
「色々と複雑なの。言葉で説明するのは難しいんだ。そうだ、書面でなら詳しく説明できるかもしれないから後でも良い?」
「……ああそう、あなたの態度はよく分かったわ」
不味い、どうやら怒らせてしまったようだ。メイおばさんの冷たい視線と声が私に向けられる。
「話してくれないなら、今日の夕飯は抜きね」
そして私にとって極めて残酷な判定が下された。
「は!? そ、それはずるい! 反則だよおばさん!」
「なんなら朝食も抜きにされたい?」
「私を殺す気!? 二食も抜かれたら私餓死しちゃうよ! ネグレクトだよ訴えてやる!」
「姪の悩みを聞き出さない方がよっぽどネグレクトよ!」
「なにその屁理屈、そうやって私の心を暴こうとしないで! プライバシーの侵害だよ!」
「プライバシー? あのね。言っておくけど、私はベンと一緒にあなたの面倒を十年以上見てきたのよ!? おむつを履いていた頃からね! プライバシーどころか、あなたのことは何でも知ってる!」
「それは嘘! おばさんだって知らないことくらいあるもん!」
私が、生まれついたときから能力を持っていることとか。
「なら試してみる? 例えばそうね、あなたの体のどこにホクロがあるか、今から言ってあげましょうか? なんなら窓から大声で叫んであげましょうか!?」
「勘弁して! そんなことされたら私もう恥ずかしくて街を出歩けなくなっちゃうでしょ!」
などと車内でぎゃあぎゃあ喚いていると、後ろからクラクションの音が聞こえた。
「後ろがつっかえてるみたい。早く車出さないと、渋滞になっちゃうよ」
「まったく」
ため息は反抗的な私に向けてか、それとも親子喧嘩の終わりを待てないせっかちな後ろの車に向けられたものだったか。ともかく私とおばさんを乗せた車は再び動き出した。
息づかいや表情、心臓の鼓動まで、おばさんの感情の波が第六感を通して伝わってきて、私は縮こまった。助手席に座ったまま、運転席に座る保護者と喧嘩するなんて気まずいにも程があるよ。
チラリと顔色を伺う。何か言ってくれれば良いのに、メイおばさんは何も言わない。怒ったおばさんの顔をいつまでも見ていたくはないので、私は窓の外の景色へと目を映した。
窓に映るのは、不貞腐れている自分の顔だ。見た目だけなら、一年前と比べると少し成長したような気がする。だが、残念ながら中身の方はそこまでらしい。
それにしても、面と向かっておばさんと喧嘩したのなんて何年ぶりだろうか。
「……なんでも知ってるって言ったのは、確かに嘘ね。ここ一年の間のあなたのことは、あまり知らないから」
しばらくして、おばさんの方からようやく口を開いてくれた。どうやら私と同じことを考えていたらしい。
「ねぇペトラ。ベンが亡くなってからこの一年、いろいろなことがあったわ。
「まぁ、そうかもね。コミュニケーションとかが足りてないかも」
忙しかった、それもある。だけどそれ以上にベンおじさんが亡くなった悲しみを思い出さないように、おばさんは私をそっとしておいてくれた。
「それからスキンシップも」
「……も、もう私キスするような年齢じゃないもん。それは要らない」
だが、今私たち二人の関係がギクシャクしているのを鑑みるに、その配慮は逆効果だったのかもしれない。
「どんなことでも、話してくれて良いのよ」
「……ならまぁ、話すけどさ」
大きく息を吸って、私は言葉を捻り出した。
「ベンおじさんはさ、すごい人だったよね。街のヒーローで、誰かの命を助けるために、自らの命を差し出せる凄い人だった」
ベン・パーカーは皆から愛された人だった。葬式にはたくさんの人たちが来た。私どころか、メイおばさんの知らない人までも。
そんな善良だった彼は死んでしまった。知らない誰かを助けようとして、私たちのところには帰ってこなかった。その人は燃えてしまって、後に残ったのは灰だけだ。
神様はいつだって、良い人ばっかり連れて行ってしまう。
「私だって、普通に生きたいよ。でも無理なんだ。街で何かトラブルとか、事件とか、事故とか、そういうものに巡り合うたびにおじさんの顔が頭に浮かぶんだよ。で、頭の中のおじさんが言うんだ、自分にできることをしろって」
大いなる力には大いなる責任が伴う。その言葉はおじさんにとって、自分自身を戒めるためのものだったのだと思う。けど私にとって、その言葉は、おじさんから受け継いだ崇高な理念なのだ。
「無視できると思う? できるわけないでしょ? だって無視したらきっと、私の中のおじさんは死んじゃう。灰の中に残ったおじさんの遺志すら消してしまうなんて、私にはできないよ」
「……そうだったの」
赤信号で車が止まった。車内に響くのはぐすん、と私が啜り泣く音だけ。感情的になってしまって思わず涙が出てしまった。おばさんの前で泣くなんて恥ずかしいので顔を逸らす。窓に映る私の顔はそれはもう酷かった。
「理屈は分かったわ、それでもねペトラ。あなたがベンの生き方を真似する必要はないの。だってあなたはまだ子どもよ。あなたに責任があるとすれば、それは保護者である私が背負うべきもの。善い行いをしようとするのは素晴らしいと思うけれど、あなたにはまだその生き方は早いわ」
そうだろうか。おばさんはもう十分に責任を果たしている。家なき人々に衣食住を与えているのだ。その上私の分の責任まで背負うとなれば、それはもうスパイダーマン以上の超人にしか無理だ。
「生き急がないでね。無理をすれば、いつかきっとしっぺ返しを食らうことになるわよ」
「死ぬってこと?」
おじさんみたいに、とはあえて言わなかった。言わずとも伝わっているだろうから。
「ねぇ、そんなに何かしたいなら次の休みの日、うちの施設に顔出してみる? ちょっと人手が足りなくて、よければ手伝って欲しいんだけど」
施設って言うのは、きっとおばさんが働いている慈善団体が運営している施設のことだろう。
善き隣人としてありたいなら、何も拳を振るうだけじゃないってことかな。
「うん。良いよ、手伝う。力仕事とか得意だし……でもその前におばさん、一旦ブレーキ踏んで貰って良い? そこの交差点に入る前に」
「はぁ? 何言ってるのよ青信号よ?」
「良いから、ブレーキ踏んで」
怪訝な表情のままに、メイおばさんは私の言うとおりに従った。そして次の瞬間、目の前を信号無視した暴走車が通り過ぎ、そしてそれを追うパトカーの群れが通り過ぎる。
「サイレンの音聞こえなかった?」
「……てっきり、もっと遠くかと思ったのよ」
見慣れた光景にうんざりしつつも、おばさんにハンドサインで行ってよしと合図する。
「ほんと、ニューヨークって最高の街ね」
「言えてる」
この街で私とおばさんが安心して暮らせるようになるには、たぶんアベンジャーズがもう一ダースくらい必要な気がしてきた。