灰被りの蜘蛛 作:BNDに脳を焼かれたやつ
「ジェファーソン警部補、ボクです! スパイダーマンです!」
ブルックリンの住宅街にある彼の自宅のドアの前で私は声を上げた。家には明かりがついており、誰かがいるような気配がする。
どうする。もし、もう既に彼が危ない目に遭っていたとして、出てきたのが改造武器を握って血にまみれた男たちだったとしたら?
「お願い、ジェフ。どうか返事を──」
扉を叩き、彼の名を呼ぶ。心臓の鼓動が早まり、呼吸の間隔が狭まっていく。
「ちょっと! そんなにドンドン叩いて非常識だとは……す、スパイダーマン!?」
だけどそんな私の不安を振り払ったのは、扉の向こうから現れた女性の姿と、その後ろでフライパンを掲げるジェフ警部補の姿だった。
「あー、俺の家に何の用かな、スパイダーマン」
「……とりあえず、無事ですか?」
「何のことか分からんが、俺は元気だぞ。今日は一日休暇だったし」
「ちょっとジェフ、どういうこと? あなたがスパイダーマンを呼んだの?」
「いや、呼んでない。彼女が勝手に来ただけ」
「ボクはシグナルに反応があったから来たんですよ! なのにあなたは何をやってたんですか警部補、電話にも出ないで!」
「妻と映画を観てたんだよ! 映画を観るときは携帯の電源は切るもんだろ!?」
「家で見るときは切らないよ普通! はぁ……」
私は彼が無事だったことにほっと胸を撫で下ろすと、目の前にいた女性に挨拶した。
「こんな時間に騒がしくしてすいません。ミセス・デイビス。ボクは」
「知ってるわスパイダーマン。夫から話はいつも聞いてる。だけど一つ訂正させて、私はリオ・モラレス。どうかリオって呼んでちょうだい。ミセスじゃなくてね。ほら、私たち夫婦別姓だから」
「あ、はい。リオさん。ボクも警部補から話はよく聞いてます。あなたのこと」
手を差し出して握手する。気の強そうな女性だ。どうやら警部補は家では尻に敷かれているらしい。かかあ天下ってやつだろうか。
「へぇ、ちなみにどんな話を?」
眉を吊り上げるリオさん。その後ろで警部補が身振り手振りで私に何かを伝えようとしている。静かにしろとか、やめろとかの意味だろうか。
「それは……最近物騒だから、息子と妻は俺が守ってやらねば、みたいなことですよ。ね、警部補?」
「あぁ、そうそう。ほら、最近物騒だろ? この近所でも噂の改造武器が検挙されたしな」
「あぁ、ジェフ。あなたは自慢の夫よ。でもあんまり危ないことはしないでね」
奥さんとハグしたまま、彼は私に向けて親指を立てた。心配しなくても別に変なこと吹き込んだりしないよ。大して奥さんの話も息子の話も聞かされてないのにさ。
「ねぇ、それよりシグナルを回収させてくれないかな。警部補が触ってないのに作動したなら誤作動かも。一度持って帰って修理しなくちゃ」
「シグナルって何のこと?」
リオさんの疑問に、警部補が答える。
「ほら、あれだよ。前に夕食のときに自慢したやつ。ボタンを押せばスパイダーマンと警察に緊急通報が入るポケットライト型デバイス」
家族に自慢してたんだ。ジェフ警部補って家族の前だとかわいいところあるな。
「あぁ、マイルスが触りたいって言ってたあれね。あれ」
「そうそう、マイルスが触りたがってたあれだよ。あれ」
二人が得心がいったように頷くと、今度は突然凍りついたように固まった。
「………………」
「………………」
「わお、まるで時が止まったみたいだ。ところで聞いても良い? マイルスって誰のこと?」
私の質問が耳に届かなかったのか、彼らは私を無視して駆け足で階段を上って行ってしまった。
「マイルス、この馬鹿野郎! 今すぐ部屋から出てこい!」
「あなたまたパパの私物触ったでしょ! この前はバイク、その前はパソコン、今度は何をやらかしたって言うの!」
警部補とリオさんに誘拐されるように、階段の上から現れた少年を見て私は全てを察した。まぁ、どうやらそういうことだったらしい。
「す、スパイダーマン!? 本物だ、ウソでしょ信じらんない。何これサプライズ?」
「まぁ、サプライズなのは間違いないかな。主にボクにとって」
自分のしたことが分かってないのか、出会い頭に目を輝かせて私の手を握る少年。
「あ、僕マイルス・モラレスって言います。めっちゃあなたのファンで、良かったらツーショットとか」
「そういうのは後にしろ! とにかくパパから取ったシグナルを返すんだ、ほら早く!」
「な、なんだよ父さん。ちょっと部屋の壁にライトを照らしてただけじゃんか。そんなに怒る必要──」
そんな彼の言葉を遮るようにサイレンの音が住宅街に響く。どうやら私が呼んだ警察のチームが遅れてこの場所にやってきたらしい。複数のパトカーとわらわら出てくる警官たちにマイルスくんは顔を真っ青にして、私にポケットライトを差し出した。
「……あったみたい。あの、ごめんなさい。僕こんなことになるなんて知らなくて」
「いや、良いんだよ。君たちが無事だったならそれで。でも次からお父さんの私物を触るときはちゃんと許可取ってからにしなよ?」
なんとも言えない気持ちでシグナルを預かると、私はそれを上着のポケットにしまった。警部補には後日また別のシグナルが渡されることだろうが、今日は流石に没収だ。
「許可なんて出さないし、俺のバイクにも二度と乗せてやらないからな。反省しろ」
「そんな! 今度バイクでニュージャージー州まで連れてってくれるって約束したじゃん!」
「は? 何それママは聞いてないんですけど?」
父親に怒られショックを受けている少年と、怒れるリオ・ママンをよそに、私は集まってくれた警官たちに腕を振った。
「みんなー、ごめーん。ジェファーソン警部補は無事でした。何ともなかったよー」
無駄骨で愚痴をこぼす警官や、何事もなくて良かったと安堵する警官たちの帰還を見送る。
「それじゃあ皆さん、ボクはもう消えますね。勘違いで騒がしくて申し訳ありませんでした」
「とんでもない。俺がちゃんとシグナルを管理してないのがいけなかったんだ。むしろありがとうな、すぐ来てくれて。おかげで安心できる」
「本当にごめんなさいスパイダーマン。ほら、あなたももう一度謝ってマイルス」
「分かってるよ母さん。すみませんでした」
「さっきも言ったけど、あなたたちが無事ならそれで良いんです。それじゃあ、良い夜をお過ごし下さいね」
仲睦まじいモラレス家……いやデイビス家か? まぁどっちでも良いが、とにかく仲睦まじい彼ら三人家族の無事を確認して、私はその場を立ち去るのだった。
「はぁ、ここ住宅街だからスイングできそうな建物もないし歩いていくしかないか。ねぇ、カレン。ここからリズ先輩の家までどれくらいかかりそう?」
『そう遠くはありませんよ。10分とかからないかと』
「それって歩きで? それとも走りで?」
『車で』
「は? 車?」
私がカレンと話しながら歩道を歩いていたそのとき、隣にフラッシュライトを焚いた見覚えのある高級車が止まった。
「嘘だろ、本当に本物のスパイダーマンだ。写真撮っとこ」
「わ、私ててててっきりまたフラッシュが適当なこと言ってるだけかと」
「だから言っただろ、あの後ろ姿はスパイダーマンだって。あ、どうも! 俺この前車取り返してもらった──」
「フラッシュ、だよね。覚えてる」
そこにいたのは車を運転するフラッシュと、妙に似合ってる帽子を被ったネッドと、舌を噛みまくってるMJだった。
「マジかよ、スパイダーマンに名前覚えられてるとか感激!」
「俺、ネッド・リーズって言います! フラッシュの親友です!」
「私はミッシェル・ジョーンズです! 友達はみんなMJって呼ぶんだけど、てか私もフラッシュの親友で!」
君たち、都合の良いときだけフラッシュの親友を名乗るのやめてあげてよ。フラッシュが真に受けて感激してるじゃないか。あーあー、可哀想に。この先の未来で梯子外されて目に涙を浮かべるフラッシュの姿が目に浮かぶようだよ。
「どうもネッド、それからMJ。知ってると思うけどボクはスパイダーマン」
「今俺スパイダーマンに名前呼ばれた? やばい、おばあちゃんに報告しなきゃ……!」
ネッド、私が自己紹介してる時にスマホポチポチしないでほしいな。
「ところで今何をしてたの、いや、何をなされてたんでございますでしょうか!」
「そんな丁寧な物言いじゃなくて良いよMJ。友達に話しかけるみたいな感じで気楽にいこ?」
「マジ? なら馴れ馴れしくしちゃうね、だって会った瞬間から他人な気がしなかったから。でもこう見えて結構あがり症だから助かるよ。いつもすかした表情してんのはわざとって言うか、はは、なんてそんなこと聞いてないよね早口キモくてごめん」
「ぷふっ」
目の前でガチガチに緊張してるMJを見て、申し訳ないと思いつつも笑ってしまった。普段私と話すときと違いすぎるよ。
「笑ってごめん。それで、ボクは今……えっと……」
まさかパーティーに行こうとしてる、などと言えるわけもなく口籠ってしまう。
「まさか、この辺に住んでるとか?」
「あー、そうそうフラッシュ。大正解。今から歩いて家に帰るとこ」
「マジか。俺、てっきりスパイダーマンはマンハッタンの街中のビルにでも住んでるのかと思ってました。いつも糸で飛んでるから、帰るときもそれだろうって」
惜しい、君の予想はほとんど正解だ。正確にはビルじゃなくてタワーだが。
「あの、あの、それじゃあこのあとは暇ってことですか。良かったら俺たち今からパーティーなんですけど一緒にどう……」
運転席から身を乗り出して私をナンパしてくるフラッシュの頭をネッドとMJが引っ張った。
「おいなんだよお前ら」
「何言ってるんだよフラッシュ。絶対迷惑だって」
「そうだよ。彼女、きっと悪党との戦いで疲れてる。リズのダサいパーティーに招待するなんて可哀想だよ」
こそこそ話が全力で私の耳に入ってくる。それよりMJ、君は自分がそのダサいパーティーとやらに向かってることを自覚して言ってるんだよね? 新手の自虐ネタか何かなの?
「スパイダーマンが来てくれたらみんな喜ぶって。それにペトラだってそうだろ。あいつスパイダーマンのファンだぞ」
何だとフラッシュ、私そんなこと初めて聞いたぞ。どうして私が自分自身のファンにならなきゃならないんだ。
「ペトラがスパイダーマンのファン? 私そんなこと一言も聞いてないんだけど」
「いやマジだって。あいつああ見えてロッカーの中スパイダーマングッズまみれだぞ」
それは単にグッズの試作品がスターク社のおもちゃ部門の人から送られてくるから仕方なく飾ってるだけだ。最近はもう置く場所がなくて施設の子どもに配ってる。
なお、グッズの売り上げで私の財布が潤うことはない。
「フラッシュの言う通りだ。俺もペトラが限定の1/1スケールのスパイダーマンシグナルライトストラップを持ってるの見た。羨ましい。まるで本物みたいだったよ」
いつのことを言ってるのか知らないけど、私が持ち歩いてたならそれは多分ストラップじゃなくて本物だと思う。
「うわ、なんで親友の私が知らないことそんなに知ってるの? あんたたちペトラのこと見すぎ、そしてキモすぎ」
「ど、どうでも良いだろ。とにかく、スパイダーマンを連れてけば俺は昼の噂の証明ができてハッピー。ペトラはスパイダーマンに会えてハッピー。悪いことないだろ? お前らはスパイダーマンとパーティー行きたくないのかよ」
「行きたい」
「めっちゃ行きたい」
『相変わらず愉快なご友人ですね、ペトラ』
カレンの声はまるで笑いを堪えているような声だった。人工知能なのに。でも三人とも面白いのは同感だ。私は勝手に三馬鹿って呼んでる。カレンもそう呼んで良いよ。
『はい。コードネーム、四馬鹿を登録します』
おい待て、なぜ一人増えた。その四馬鹿の四人目は一体誰なんだ。
「よし、じゃあ誘うぞ。あの、スパイダーマン。良かったら俺たちと一緒に」
「ごめんね、参加したいのは山々だけど、ほんとに帰らないといけないんだ」
私はノータイムでスッパリキッパリ誘いを断った。これからペトラとしてパーティーに参加するのに、どうやってスパイダーマンとしても参加しろというのか。分身の術はスパイダーマンの能力にないよ。
「だから無理だって言っただろフラッシュ」
「あなたってほんと身の程知らずだよねフラッシュ」
そして君たちはフラッシュを弄ぶのをやめてあげなさい。
「それじゃあボクは行くけど。その前に一つ聞いても良いかな。そのペトラって子は、どんな子なのかな。君たちの友達……だよね? 一応確認ね、一応。変な意味じゃなくて」
私は恐る恐る、彼らにそう聞いてみた。他人のふりをしているこんなときくらいじゃなきゃ聞けない質問を。
そしたら彼らは顔を見合わせて、まるで当たり前のことかのようにこう答えてくれた。
「そりゃ、友達ですよ。うちの学校で一番頭が良い、すごいやつ」
「でも絶対そのことを鼻にかけないし、いつも周りを助けてくれる優しい友達だよ」
「でもときどき疲れた顔してて、ちょっと頑張りすぎじゃない? って心配になる感じの親友。あと弁当作るのが上手い」
フラッシュ、ネッド、MJの三者三様の答えを受け、私は少し考えてから頷いた。
「よーし、君たちのペトラさんへの思いはよく分かった。というわけで、特別に。君たちにはその彼女が喜びそうなものを一つ預けましょう!」
「ねぇカレン。あなたは今日のこと、茶番だって笑う?」
パーティーを楽しんで、タワーに帰った私は友達から貰ったスパイダーシグナルを眺めた。
三人にこれを渡したら、私への良いプレゼントが出来たって喜んでたなぁ。
それからマスクを脱いでパーティー会場にやってきた私に、1/1スケールのスパイダーシグナルストラップって言ってこれをプレゼントしてくれた。
実際はこれが私の手元から手元にぐるっと戻ってきただけなのに。
『いいえ、笑いません』
「そう?」
『はい。あなたは彼らを喜ばせようとし、彼らはあなたを喜ばせようとしました。そしてそれは実現しています。実際には何も起きていないにも拘わらず。幸福の感情は、熱力学第一法則を凌駕するようですね』
「良いこと言うじゃん。そのセリフ気に入った」
私はまるでハイタッチするかのようにホログラムディスプレイに触れると、そこに投影されていた一枚の写真を保存した。
マスクを被った私とMJ、ネッドとフラッシュ。四人でほんの少しの間だけドライブをした瞬間の写真を。
『写真を四馬鹿のフォルダーに保存しました』
「ちょっと、私まで馬鹿扱いしないで! あんまりそんなこと言うともう君のメンテナンスしてあげないよ!?」
『おや、もう寝る時間ですよペトラ。私はお先に失礼しますね。おやすみなさい』
「人工知能が寝るかぁ!」