灰被りの蜘蛛 作:BNDに脳を焼かれたやつ
被害者参加制度に基づく意見陳述の場。裁判官の許可を得て、私は用意してきた原稿を手にマイクの前に立っていた。
「私は、あなたが作った改造武器で二人の母親を失いました」
ただ手元にある原稿を読み上げる。今だけは、色も温もりも分からないことに感謝しながら。
「一人目は、私の叔母を。叔母ですが、赤ん坊の私を育ててくれた母親でもありました。二人目は、私がお世話になった施設の人を。彼女は亡き娘を私に重ね、常に私のことを想ってくれていた人でした」
私の心が灰色に染まっていなければ、今頃私は涙で何も語れなかっただろうから。
「二人の命は、もう帰ってきません。あなたは人の命を奪う武器商人だけど、人の命を生み出す神ではないのだから」
傍聴席にリズ先輩の姿は見えなかった。自分の罪を娘には聞かせたくなかったのだろう。それは卑劣さ故か、それとも娘への愛故か。
「それでも、あなたにはまだ返せるものがあります。きちんと罪を償って、リズ先輩と、リズ先輩のお母さんに、善き父と、善き夫を返してあげてください。私の友人の家庭を壊さないであげてください。それだけが、私の望みです」
言葉を紡ぎ終えると、私はマイクの前から下がった。
リズ先輩のお母さんは泣いていた。ヴァルチャー……リズ先輩のお父さんは、どこを見ているのかも分からない視線のまま固まっていた。
それを見て私は、長年にわたり私を苦しめてきた改造武器にまつわる一連の事件が、ようやく終わりを迎えたのだと実感するのだった。
「心に響く、良い意見陳述だった」
法廷を出た私がベンチに座って水を飲んでいると、一人の男の人が話しかけてきた。
「あなたは?」
「マット・マードック、弁護士だ。今回の事件を受け持っているわけじゃないが、傍聴席で君の
名刺を渡される。そこにはネルソン&マードック法律事務所の文字があった。
「はぁ、弁護士さんが私に何の用ですか?」
「フィスクのことだ。やつは執念深く、自らの邪魔をした者を決して許さない。必ず君に報復をしようとしてくることだろう。何か困ったことがあれば、力を貸そう。どうか気をつけてくれ」
「………………」
私はポカーンと口を開けたまま、その謎の弁護士が白杖を鳴らしながら去っていくのを眺めていることしかできなかった。
誰!? 誰なの! なんなのあの人怖いよぉ! 訳知り顔で「気をつけろ」って忠告してくる謎の人物って映画の中にしかいないと思ってたよ!
『マット・マードック。彼はウィルソン・フィスクの悪事を暴き、一度刑務所に送り込んだ張本人です』
「キングピンの因縁の相手ってこと? へぇ、つまりそのフィスクが脱獄して気が気じゃないってわけだ。それはそれとしてなんで私に忠告してきたの? 私って一目見ただけでフィスクの関係者に見えるような風貌してるかな?」
『彼は盲目ですよ、ペトラ』
「……分からないから放置で。少なくとも敵って感じじゃなさそうだしね」
貰った名刺を眺める。そこには盲目の人にも分かるようにか点字が刻まれていた。
「……まさか、これが秘密のメッセージか!?」
『点字の内容は名刺に刻まれている言葉と同じです。秘密の暗号ではありません。映画の見過ぎでは?』
カレン、お願いだから夢を壊さないでくれよ。
「あぁ、おかえりペトラ。裁判はどうだったか、ってこんなこと聞くのは失礼だよな。悪い、忘れてくれ」
「うわ」
「……おい、『うわ』ってなんだ『うわ』って。その反応は僕でも傷つくぞ」
家に帰ると、そこにはソワソワしてるスタークさんがいた。
「すみません、帰ったら女々しい仕草してるおじさんがいきなり目の前に出てきて思わず……」
「なぁペッパー。僕は彼女が雑に接してくれるほど親しくなれたことを喜ぶべきかな。それとも悲しむべきかな」
スタークさんがそう言うと、奥の方からポッツさんがひょっこり顔を出した。以前と変わらず不思議なくらいにご機嫌ムードを纏っている。何か良いことでもあったんだろうか。
「あれは彼女なりにあなたに甘えてるのよ。ふざけても怒られないって理解してるから」
ち、違うもん。そんなんじゃないもん。クネクネしてるスタークさん見て普通にキモいって思っただけだもん。
「なんだそうだったのか。だったらほら、もっと甘えて良いぞ」
「お断りします。それよりどうして二人とも家に? お仕事だったんじゃなかったんですか?」
両手を広げて待機姿勢を取るスタークさんの横をするりと抜けて、私は冷蔵庫から牛乳を取り出した。ベーグルベーグルっと。
「仕事はもう終わったわ。それでついさっきここに帰ってきたところなの。あなたに、話したいことがあって」
「……? なんですか、二人ともクネクネして」
なんだ。今日はクネクネしないといけない日なのか。私も真似してクネクネしてやろうか。
「何か気が付かない?」
体を揺らしたまま、ポッツさんがそう言った。ふむ、とはいえ彼女に何か変わった様子は見られない。まるで見せつけるように両手をお腹の前に置いているが。
「……まさか」
「ええ、そうなの。私たち──」
「おめでたですか!?」
「うん、それはちょっと飛躍しすぎだペトラくん。もうちょっと段階を踏め」
スタークさんの突っ込みに我に返る私。そうだよな。まさか二人の間に赤ちゃんができたわけじゃないよな。
「彼女の手をよく見てみろ。何がついてる?」
「……あ、左手の薬指に指輪がありますね。てことは結婚ですか。おめでとうございます!」
「いや、まだ婚約だ」
そこは結婚と言えよ、と思わなくもない私だった。八年もポッツさんを待たせておいてまだ婚約とか流石に段階を踏みすぎだと思う。口に出しては言わないけど、スタークさんってプレイボーイのくせに奥手なの?
「婚約おめでとうございますポッツさん。ようやくですね」
「ええ、ありがとう」
「おいおい、僕には祝いの言葉はなしか?」
「スタークさんもおめでとうございます。これからはもう誰彼構わず美人に声かけるのはやめてくださいね」
「心配しなくても大丈夫よ。そんなところを見たら殺すから」
ポッツさんが幸せそうな笑みを浮かべて言う。一方スタークさんはポッケに手を突っ込んで口笛を吹いていた。スタークさんが死んだら真面目にこの星が危ないんだけどな。明日にでも地球は滅ぶかもしれない。痴話喧嘩が原因で。
「それで、話はまだ終わりじゃない。君にも聞いておきたいことがある」
「なんですか?」
「良ければ、君にも……その……」
やっぱり今日のスタークさんは女々しくて気持ち悪かった。
「えっと、もったいぶらないではっきり言ってほしいんですけど」
「ねぇトニー、良ければ私から」
「いや、良いんだペッパー。僕が言う。よし、言うぞ。ペトラ、もし、君さえ良ければ」
真剣な表情で、スタークさんが私の肩を掴む。
「はい」
「君も、僕の家族になる気はないか?」
「……え?」
そして放たれた言葉が届いたとき、私は思わず耳を疑った。
家族、かぞく、ファミリー。
「つまり、私がスタークさんの家族になる?」
「ああ、だからそう言ってる。君と僕は、後見人と被後見人だ。法的な養護関係にある」
「……はい」
「だから、法的な関係性自体はそこまで変わらないが、いや相続の関係で変更はあったかな。まぁともかく、君に選択肢をあげたい。僕を養父にするか、どうか」
「……それは」
「それに、今ならペッパーママもついてくるぞ。どうだ?」
「そうね。私も、ペトラさんさえ良ければ──」
「それはダメです!!!」
不躾にもポッツさんの声を遮り、私は叫んでいた。
「二人は、家族になるんです。だったら、いつか子どもだって生まれるはず。それなのに、私みたいな部外者が混ざってたら、生まれてくる子は可哀想ですよ」
「そんなことないわ」
「誰もそんな風に思ったりはしないさ」
ない、ないない、ありえない。私は今の関係で十分だ。十分満足だ。それ以上は求めないし、求めてはいけない。その椅子が本来与えられるべき子は別にいる。私が奪ってはいけない。
それに。
私はもう、家族なんて求めないって決めたんだ。
「……すみません。とにかく、私は二人から十分色んなものを貰ってますから。大丈夫ですよ」
なるべく笑顔を保つよう努めて返事をし、私は二人に背を向け自室へと閉じ籠もった。
「なんだ、何を迷ってる? ダメだろそれは」
布団を被り、自問自答をする。
「私は家族を守れない。私は家族を守れなかった。だからもう、家族を求めてないって決めたのに」
気づけばいつの間にか、二人をまるで父と母のように扱ってしまっている。
甘え過ぎた、近づき過ぎた、染まり過ぎた。
「距離を置かないと、だめか」
私は服を脱いで、スーツを着た。ここで作ったハイテクスーツではない、古い手作りのクラシックスーツを。
『ペトラ、どこへ行くのですか?』
「ごめんカレン、あなたは置いていく。しばらくスタークさんとは会わないし、ポッツさんとも話さない」
『どうして?』
「一緒にいると、
その感情はきっと、灰となった私にはもったいないものだ。
「だったら、それを僕らとも分かち合ってくれ」
それから窓を開け、タワーの外へと飛び出そうとしたとき、私の手を掴む人がそこにはいた。
「離してください、スタークさん」
「悪いが、それは断る」
「私はきっとあなたたち家族を危険に晒します! あなたたちまで失えば、私はもう耐えられない!」
「僕は死んだりしないし、消えたりもしない。ペッパーもな」
「嘘だ! そんな確証なんてない!」
スタークさんの手を振り払って逃げようとする。だけど、彼の手はびくともしなかった。
「私はアイアンマンだ」
「……っ」
「証明は、それでは不十分か?」
鋼のように硬い意志を持った瞳が私を射抜いた。
肩の力を抜き、呼吸を整え心を落ち着かせる。
「……すみません。少し、落ち着きました」
「あぁ、僕の方こそ悪かった。話を急ぎ過ぎた。もっとゆっくり、段階を踏むべきだった。だろ?」
そんな冗談に私は微笑みを漏らし、ベッドの上に腰を落とした。
「……少し、考えさせてください。私にはまだ、決められません」
「もちろん、じっくり考えてくれて構わない。僕なんて八年もかかったからな」
「そこまで遅くはならないと思いますけど」
「そうか。じゃあ、僕はしばらくはこの家にいるからな。それと、勝手に部屋に邪魔して悪かった」
私の隣に座っていたスタークさんが腰を上げて部屋を出ようとした。
「待ってください」
そんな彼を呼び止めて、私は彼に抱きついた。何も感じないけれど、確かにそこにあるものを確かめるように。
「……ペッパーも呼ぶか?」
「……うん」
私の返事はすごく小さかったけれど、扉のすぐ外にいたポッツさんにはちゃんと届いたようで。
私は結局その日、二人のハグに圧殺されてしまうのだった。