灰被りの蜘蛛 作:BNDに脳を焼かれたやつ
数日後、私は華やかなドレスを着て夜の学校にいた。
ホームカミングパーティー。ミッドタウン高校で行われる年に一度のイベントで、学生主体で企画されるナイトパーティーだ。この日だけは、私たちにも夜更かしが許される。
「先輩」
そんな賑やかな会場の隅っこで、一人暗い顔をしたリズ先輩の姿があった。
「……ハイ、ペトラ。こんばんは。今日はいつものサングラスはつけてないのね。そのオレンジ色のドレス、とっても似合ってるわ」
「先輩の方こそ、そのドレス似合ってますよ」
カップに注がれたオレンジジュースを片手に私は曖昧に笑った。今日はスタークさんが作ってくれた遮光グラスならぬ遮光コンタクトを装着している。せっかく可愛い顔をサングラスで隠すなんてもったいないというスタークさんの親切によるものだ。
「浮かない顔、ですね」
「……まぁね。今日でこの学校にいるのも最後かって思うと、寂しくて」
リズ先輩がこの学校にいるのは今日で最後になる。お父さんがヴァルチャーとして捕まったことで、母親の実家がある州へと引っ越すからだ。彼女はせめてホームカミングパーティーまでは友達と一緒にいたいと言って、こうしてニューヨークに残っている。
「元気出してください。遠くへ行っても、また会える日が来ますから」
「……そうね。ありがとペトラ。ちょっと元気が出た」
先輩が笑顔を浮かべるが、私にはそれが強がりにしか見えなかった。
「私、パパが何してたかなんて知らなかった。稼ぎが良いのは知ってたのに、それが犯罪だなんて思ってもみなかったな。知ってたら、パパのこと止められたかもしれないのに。なんでパパの仕事のこと、ずっと知らないままでいちゃったんだろ」
「先輩が親のことまで責任を感じる必要はないですよ」
「でも、私はパパのお金で良い生活をしてきたのよ。もしかしたら、パパのせいで死んじゃった人だっていたかもしれないのに。そんなの……」
「………………」
私はただリズ先輩の手を握って側に立つ。彼女自身に罪はない。誰しも、生まれを選ぶことはできないのだから。
「ほら、向こうで学コンのみんなが待ってますよ。一緒に行きましょう?」
リズ先輩の手を引いて、私はクラブの仲間たちがいるテーブルへと移動した。
MJ、ネッド、フラッシュ、みんなと一緒に先輩との別れを惜しみ、ダンスをして、それから料理に舌鼓を打った。
そうして話題が、先輩がいなくなった後にクラブのリーダーになる人についての話に移り変わった頃。
「はいはい、俺、俺とかどう?」
「フラッシュは論外だよ、黙ってて。私的にはやっぱりペトラを推したいけど、ペトラは嫌って言うだろうから、ここは私とか?」
「MJもフラッシュと同じくらいでしゃばりだと思う」
フラッシュ、MJ、ネッドの話し声の他に、私は外から奇妙な物音を聞いた。
重いブーツを鳴らすような足音だ。それが正面玄関から、いくつも聞こえてくる。
そして足音のする方向へ視線を向けたときに私が見たのは、どう見てもこのパーティーに招かれたとは思えない武装した集団の姿だった。
「みんな、伏せて!」
私の叫び声は銃声にかき消された。マズルフラッシュが瞬くとともに、学校のガラス窓が音を立てて割れていく。会場はすぐにパニックになり、皆が身を屈めて一目散に逃げようとした。
「何、何なの!」
「テロリストが来たんだ、教室に避難しないと!」
生徒たちは我先にと目の前の人を押しのけて走り出す。だが、その先にも銃を持った男がいることに気づくとすぐに足を止めた。
「全員跪け、今すぐにだ!」
天井に向けて銃が乱射されたあと、男の声が会場に響いた。そこにいたのは私が取り逃がした男、片手にショックグローブ、片手にマシンガンを装備したショッカーだった。
「みんな、言う通りにするんだ。目立たないようにね」
私は近くの人にそう声をかけて、ゆっくりと姿勢を下げた。そして密かにスパイダーシグナルを起動し、そのまま周囲を観察する。
銃を持った男が五人、建物の外にいるのがそれより多い六、七人といったところだ。
いつもなら隙を見て制圧してやるところだが、あいにく今はドレス姿でスパイダースーツを持っていない。私はその事実に歯噛みしながら、シグナルに気づいて誰かが助けに来てくれるのを祈っていた。
「リズ・アランはどいつだ?」
ショッカーがその名前を呼ぶまでは。
「リズ・アランはどいつだって聞いたんだよ! あぁ? てめぇら揃いも揃って難聴持ちか!?」
ショッカーがまた銃のトリガーを引くと、またみんなの悲鳴が響いた。
「先輩、立っちゃだめだ」
それを見て立ち上がろうとした先輩の手を引く。
「よし、分かった。仕方ない。リズ・アランが見つかるまで俺はお前らを一人ずつランダムに殺すことにする。まずは──」
「リズ・アランは私よ」
だが、それでも先輩は立ち上がってしまった。そしてショッカーとみんなの目線が、しゃがみ込む集団の中でただ一人立ち上がった彼女へと向いた。
「……私に何の用?」
「お前の親父は金をどこに隠した? 言え」
「な、何ですって?」
「金は、どこにあるかって、聞いてんだよ!」
先輩の頭に銃が突きつけられる。彼女は両手を挙げて震えながらも言葉を紡いだ。
「知らないわ、パパがお金を隠した場所なんて!」
「知らないわけないだろ、ああ!? それとも何か、自分の親父が武器売って稼いだ金なんて知りませんってか?」
「私は本当に知らないっ!」
「……親父がクズなら娘は卑怯者か」
ショッカーが下卑た笑みを浮かべて、私たちを見下ろした。
「聞けよガキども。お前らは知らないんだろうが、こいつの親父、トゥームスは武器商人だった。つい最近捕まったがな。ヴァルチャーの名前くらいは知ってるだろ?」
「お願い、やめて……」
「こいつの親父は山程武器を作って売り捌き、それで大金を稼いだ。さながらトニー・スタークのようにな。それで悠々自適に暮らしてやがった。知ってるぜ、お前らの中にも、こいつの家で何度かパーティーしたやつがいるんだろ? 良いこと教えてやるよ。そのパーティーはな、武器を売って手に入ったもんなんだよ! 人殺しの道具で食った飯は美味かったか? ああ?」
「本当に知らなかったの!」
「ただの解体業者だった親父が急に大金持ちになったことを疑問に思わなかったのか? いいや、そんなはずない。お前は知ってるはずだ。ボスが稼いだ金の! 隠し! 場所を!」
こめかみに銃を突きつけられ、先輩は涙を流しながらよろめいた。
「……本当に知らねぇのか?」
困惑したようにショッカーが聞くと、先輩は静かに頷いた。それを見て、ショッカーは苛立つように舌打ちして地団駄を踏むと。
「だったら、お前を人質にあいつから直接聞き出すだけだ」
「……! やだ、離して!」
リズ先輩の首に腕を回して、彼女を連れ去ろうとした。
「ちょ、嘘でしょペトラ……!」
MJが小さく声を漏らす。彼女が驚くのも無理はない。なぜなら私は立ち上がって、先輩を連れ去ろうとするショッカーの肩を掴んだのだから。
「その手を離せ」
「……なんだお前?」
「その手を離せと、私は言ったんだ。聞こえなかった? だったら難聴かも。耳鼻科行った方が良いんじゃない?」
「クソガキ──」
リズ先輩を突き放し、グローブを着けた手で私の腕を掴もうとするショッカー。しかし彼の腕は、逆に私に掴まれて捻り上げられた。
ショッカーの顔には驚きが浮かんでいる。まさか小娘に腕を捻られるとは思ってなかったのだろう。
束の間の静寂。誰も何も喋らない。ショッカーも、私も、武装した男たちも、学校の皆もだ。誰もが固唾を飲んで、何かが起こるのを待っていた。
そして。
一人の男が、緊張に耐えきれず私に向けて発砲した。
「──ッ」
時がゆっくりと流れるような感覚。その中で私は大きく息を吸って、動き出した。
一秒の間にショッカーの腹に掌底打ちを食らわせ、彼の意識を奪う。それから振り向きざまに弾丸を回避し、蜘蛛糸で私を撃った男の銃を奪った。
二秒の間に天井に張り付き、二人の男から銃を奪う。
三秒の間に私に銃を向けた男に飛び膝蹴りをぶつけ、意識を奪う。
四秒の間に銃を持った最後の男が放った弾丸をかわし、蜘蛛糸を飛ばす。そして男の体を引き寄せ、顎に一撃を食らわせてノックダウン。
残ったのは、銃を失った男が三人だけだ。
五秒の間に、ポケットナイフを取り出し生徒の一人を人質にしようとした男を壁に貼り付ける。
六秒の間に、外にいる仲間を呼ぼうとした男の口を塞いで足を縛る。
七秒の間に、腰を抜かして逃げ出した男の背中に糸を飛ばして顔面にパンチを食らわせた。
「………………」
静寂が辺りを包む。それは先ほどまでの恐怖故のものではなく、驚愕故の沈黙だった。
会場の中にいる男たちは無力化した。だがまだ外に武装したやつらがいる。
「全員立って、裏口から逃げろ! さぁ早く!」
私はみんなを避難させるべく、声を荒げて裏口へと誘導した。
「待ってペトラ!」
割れた窓ガラスを乗り越え、次なる戦いへと私が向かおうとしたそのとき、MJの声が私を呼び止めた。
「ペトラが、スパイダーマンだったの……?」
「……」
唇を固く結び、私は振り返る。何と答えたら良いものか、言葉にならなかった。
だけど、今さら誤魔化せるはずもなく。
「黙ってて、ごめんね」
私は友達に背を向けて、銃を構える男たちに向かって走り出すのだった。
学校のみんなに正体がバレた。その代償は、思っていたよりも大きかったみたい。
『スパイダーマンの正体判明! 彼女の名はペトラ・パーカーだ!』
センセーショナルな見出しを載せてニューヨーク中で新聞が舞った。ミッドタウン高校で起きた銃乱射事件、それを解決したのは在籍している生徒の一人であるペトラ・パーカー。そしてそのまたの名はスパイダーマンなのだと、世界中が知った。
ニュースには、ドレス姿でショッカーたちと戦う私の姿が映っていた。誰が映像を撮っていたのか、そんなことはどうでも良い。
問題は、暴露されたのがそれだけではなかったということだ。
『スパイダーマンは人殺し? その隠されたオリジンとは!』
2013年、ニューヨーク決戦から一年が過ぎた頃に起きた事件について報道されていた。
ある民家が改造武器を持った強盗たちに襲われ、そしてその強盗たちは皆死に、一人の少女だけが生き残ったという事件のことを。
「フィスクには気をつけろ……か。まさしくその通りだったみたいだ」
謎の弁護士に言われた言葉を思い出す。
それは見えない意思が、真綿のごとく首を絞めてくるような感覚に似ていた。
マスコミは三年前の事件を取り上げ、憶測を語り、一斉に私という存在を非難した。
私は人殺しだと。証拠隠滅のために自ら家を焼き払ったのだと。当時私の家にやってきた警察官のボディカメラの映像が流出したことで、それは確かな事実だと知らしめられた。
肉片を被って血塗れになった11歳の私が、改造武器を握り、虚ろな目で家から出てくる映像がテレビに映る。
『よせ、パーカーッ!!!』
スピーカーから響く、当時のステイシー警部の声。そして映像が乱れると、私の背後で家が爆破され炎上した。私は自分の命を断とうとしてそうしたんだけど、映像ではまるで私が家に火を放ったみたいだった。
『ペトラ、今君はどこにいるんだ』
守るべき市民から投げつけられたカラーボールの色がびっしりとこびりついたスーツを洗っていると、スタークさんから電話がかかってきた。
「……スタークさん」
『とにかく、早く帰ってくるんだ。後のことは僕に任せろ』
ホームカミングパーティーのあと、私は家に帰らなかった。正確には、帰れなかったというのが正しい。
もし、ペトラ・パーカーがアベンジャーズタワーで暮らしていることが知られたら?
もし、ペトラ・パーカーの後見人がトニー・スタークだと知られたら?
そんなことになったら、きっと私はスタークさんに迷惑をかける。彼との間には父の件で、マスコミがよだれを垂らして食いつくだろう厄ネタが埋まっているのだから。
「問題は、こっちで対処します。それまではタワーに戻れません。……いや、もう二度と戻らないかも。それでは」
『待つんだ、ペト──』
通話を切って、私は立ち上がった。自分のこれまでにケリをつけるために。
胸ポケットから名刺を取り出し、記された番号に電話をかける。
「もしもし、私です。マードックさんはいらっしゃいますでしょうか?」
私が、人を殺したあの日から、きっとこうなることは定められた運命だったのだ。
「ペトラ……!」
学校にて、自分のロッカーにある荷物をスーツケースに纏めていると、青ざめた表情のMJが廊下の向こうから走ってきた。
「MJ」
「良かった、もう、学校に来ないんじゃないかって……!」
勢いよく飛び込んできたMJを抱き止め、私はやんわりとその手を振り払った。
「その通りだよ、MJ」
「……え?」
「私はもうこの学校には来ない。自主退学したんだ。だからこうして、荷物を纏めてる」
「なんで……!」
「理由は、言わなくても分かるでしょ」
MJは押し黙ると唇を噛み、目に涙を浮かべて言った。
「おかしい。こんなの絶対おかしいよ! ペトラは私たちのこと助けてくれたんじゃん! なのになんで、あんたが追い出されなきゃならないの……?」
「追い出されたんじゃない。自主退学だ」
「同じようなものじゃん! ねぇ、行かないでよ。この学校に残ってよ!」
「それは無理だよ。学校の外を見れば分かるでしょ。マスコミが詰めかけて、スパイダーマンのファンとアンチが喧嘩してる。ここのところ毎日だ。私のせいでこの学校の生徒みんなが困ってる。それは、私の望むところじゃない」
「……いやだ」
「ごめんね。でも、もう決めたことだ。私はもうここには戻ってこない。だけど、みんなのことはいつまでも友達だと思ってるから」
その場に座り込んだMJの手を取り、その手の甲にキスをした。
「友達になってくれてありがとう。ほかのみんなにもよろしくって伝えといて」
そうして私は無情にも、泣き崩れる親友に背を向けたのだった。
「先輩」
「……ペトラ」
学校の裏口に出ると、そこにはリズ先輩がいた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。あなたは何も悪くないのに、何もかも、私とパパのせいなのに……!」
「先輩は悪くないよ。先輩のお父さんのことは……まぁ、恨んでないって言ったら嘘になるけど」
「違うの。あなたのことを喋ったのは私なの!」
両手で顔を覆い、リズ先輩はそう告白した。
「家に……知らない人たちが来たの。それで、スパイダーマンのことを喋れって。喋ったら、パパの裁判で必要なお金は全部建て替えるって。私、私、喋っちゃった。スパイダーマンが学校の生徒で、その子に助けられたって。あなたの名前は出さなかったけど、まさかこんなことになるなんて……!」
「先輩、先輩。どうか、落ち着いて」
泣き崩れる先輩の背中に手を当て、私は言った。
「先輩のせいじゃありません。あなた以外にも他の生徒が喋ってるんです。映像だって撮られてた。だから、あなたが喋ってようと喋ってなかろうと、こうなることは決まってたんです」
「でも、私、あなたに助けてもらったのに、裏切っちゃった」
「……裏切ったなんて、思ってませんよ。それに私も親の稼ぎを失って苦労しましたから。お金が必要なことの辛さは、よく分かります」
「……っ、ごめ……っ、なさ……っ」
「だからどうか泣かないで。綺麗な顔が台無しですから」
グシャグシャになってしまったリズ先輩の顔に触れ、ハンカチで涙を拭う。
「……さよなら、先輩。学力コンテストクラブに私を誘ってくれて、ありがとうございました。それでは、私はこの辺で。これから、マフィアの首領を捕まえに行かないといけないので」
「ぁ……」
縋り付く先輩の手から逃れ、私は蜘蛛糸を飛ばしその場を去った。
ペトラ・パーカーとしての、日常の精算が終わった。次は、スパイダーマンとしてやるべきことをなすとしよう。
ブルックリンにある高層ビル。その最上階で、マフィアと特殊部隊の抗争が続いていた。
「ヴァネッサ、君は先にクインジェットに乗ってくれ」
「ウィルソン、あなたはどうするの」
「私はギリギリまでやつらを足止めする。さぁ、行くんだ!」
愛する女性を送り出し、フィスクは部下たちと共に銃を構える。
彼が長年蓄えてきた警察や政府への影響力は、もはやスパイダーマンとアベンジャーズの活躍によって風前の灯火であった。今度捕まれば、三度目の再起はあり得ない。フィスクにそう感じさせる程には。
「うぉぉぉ──!!!」
銃弾が底を突き、鍛え上げた自らの肉体で特殊部隊の一人をビルから投げ落とす。
「ウィルソン。もう限界よ、早く乗って!」
フィスクが振り返れば、そこにはすでに離陸寸前のクインジェットから手を伸ばすヴァネッサの姿があった。
そしてその後ろに、クインジェットに狙いを向ける戦闘ヘリの姿も。
「まずい……!!」
その戦闘ヘリは、正しく仕事をした。キングピン。公権力に根を巡らせ、悪を成すだけでなく正義を曇らせた男。国の屋台骨を腐らせた、アメリカの犯罪史においても有数の極悪人がもう逃げられぬように。
ヴァネッサが乗るクインジェットを撃ち落としたのだ。
「よせ──ッ!!!」
爆炎を上げ、無惨にも墜落していくクインジェット。その余波で破壊されたビルが大きく揺れ、ついには傾き始める。
屋上で戦闘を繰り広げていた者たちは皆、死を覚悟したことだろう。実際、彼らは本来の崩れ行くビルの屋上から真っ逆さまに落ち、地面に叩きつけられて死ぬはずだった。
私がいなければ、の話だけどね。
「他人を落とすやつは、いずれ落とされる。因果応報ってやつだよ、キングピン」
「なっ、貴様は……!」
「どうも、ボクの正体をバラしたら無力化できると思った? でも残念。少なくとも今日まではスパイダーマン営業中です!」
落下するフィスクを捕まえた私は、ビルの周囲に張り巡らせた蜘蛛の巣に彼を捕らえた。
「そこでじっとしててね、奥さんと一緒にさ!」
「ヴァネッサ……!」
気絶した奥さんの隣に彼を放り投げると、私は落下するビルの瓦礫の下にいる警官たちを救うべくダイブする。
「間に合え……!」
二名、逃げ遅れた警官がいた。負傷して気絶している人と、それを抱える人の二人。
「そこの二人! 今からキャッチするから心の準備してよね!」
瓦礫の粒が弾丸となって私の背中を打つ。だが構うものか。たとえここで死のうとも、私は。
「まだ、親愛なる隣人なんだから……!」
伸ばされた手を掴み、私は全力で蜘蛛糸を引っ張った。落下速度はそのまま上昇速度へと変わり、運動エネルギーから位置エネルギーへの変化が起こる。
「……よし。ビルの倒壊が収まったら君たちを地上に降ろすよ。それまではじっとしててね」
ビルに張り付き、二人の警官の様子を確認する。意識がある方の彼は顔を真っ青にしながらコクコクと頷いた。
「ヴァネッサ……」
土埃が収まり、フィスクの一派は纏めて逮捕された。そして私が蜘蛛の巣に捕まえた悪党たちも特殊部隊の人たちもまとめて地上に下ろし終えて一息ついていると、両手に手錠をかけられたまま、救急搬送される女性を呆然と見送るフィスクの姿がそこにはあった。
「あの人は、あなたの大事な人?」
「……あぁ、私の全てだ」
「そっか、ならもう巻き込んじゃだめだよ。次は救ってあげられるか分かんないからね」
「……お前はなぜ、彼女を助けた。スパイダーマン。見殺しにだってできただろう」
パトカーに乗せられ、連行される直前。フィスクは私に対しそう言った。
そしてそれに対する私の答えは、もう決まっていた。
「それがスパイダーマンだからだよ、ウィルソン・フィスク。あなたがどれだけボクを傷つけ、遠ざけ、貶めようとしても……ボクは人を助ける。……ま、それも今日までかもしれないけど」
「……」
せっかく答えてあげたのに、フィスクは私に返事をすることなく、ただじっと黙ってパトカーに連行されてしまうのだった。
「スパイダーマン」
「やぁ、どうも警部補。数日ぶりの再会だね」
フィスクの終わりを見届け、私が現場を去ろうとしたとき、そこにはジェフ警部補が現れた。
「これだけは言わせてくれ。かつてあんたは、警察から追われる身であっても、それでも街を救ってくれた。だから、たとえ何があっても、俺たち警察はあんたの味方だ」
「……ありがとう」
現場にいた警官たちが、皆口々に私のことを応援してくれた。彼らが私を信じてくれることを嬉しく思うと同時に、彼らの信頼を裏切るような結末になることを心苦しく思う。
「……それじゃあ、最後の締めとしようか」
これで、スパイダーマンとしての仕事が終わった。
ようやく、全てに私はけじめをつけることができる。
それから私は、J.J.J.を通してデイリー・ビューグルにとある記事を投稿した。
デイリー・ビューグルを選んだのは、唯一J.J.J.だけがフィスクから金を受け取っていなかったからだ。他のメディアがスパイダーマンを人殺しと叩く中、J.J.Jだけは事実を正しく報じようと努めていた。彼はマスクを被ったスパイダーマンのアンチだけど、ペトラ・パーカーの敵ではなかった。
『2012年、ニューヨークが襲撃を受けて、救命士だった私の叔父、ベン・パーカーは、良き隣人として、誰かを助けようとして灰になりました』
そして投稿した内容は、私の半生を赤裸々に語るものだ。
生まれながらにして、常人を超えるパワーがあったこと。ベンおじさんとメイおばさんに育てられたこと。ニューヨーク決戦でベンおじさんを亡くしたこと。グレた私は自警団じみた活動を続け、メイおばさんを困らせていたこと。私が安易な行動で犯罪者の恨みを買い、メイおばさんが殺されたこと。私自身も殺されそうになって、頭の中が真っ白になって、そして、人を殺してしまったこと。何もかも、すべてを。
「当時の事件について、マスコミの皆様が語られることは一部事実です。ですが、意図的に事実が歪められていることもあります。また、当時の状況を照らし合わせると、彼女の行為には正当防衛が認められ、従って彼女に殺人の罪はなく、刑事的責任の一切は発生しておりません。以上を踏まえ、ペトラ・パーカーに対する誹謗文書を掲載した新聞各社及びその他誹謗中傷に加担した全ての報道機関、個人に対し、我々は刑事訴訟を行うことを宣言します」
それから私の代理人として、マット・マードックさんが法的に戦ってくれることを宣言してくれた。私だって、言われっぱなしは嫌だからね。
「ここで私から、依頼人であるペトラ・パーカーからの声明を代理で発表させていただきます」
会見の席で、マットさんが手紙を開く。私の書いた手紙、そこには、私が点字で刻んだ言葉がある。
「『私、ペトラ・パーカーは。今日この日を以て宣言します』」
世論は真っ二つに割れていた。スパイダーマンを信用するか、否かで。今までの功績を見て私を信じてくれる人もいるけど、S.H.I.E.L.D.が実際にはヒドラの傀儡だったことを長年隠してきたように、実際はスパイダーマンは悪人なのだと思う人もいる。ウルトロンに操られてヴィランたちを殺したのは嘘で、あれが私の本性なのだと声高々に叫ぶ人もいるんだ。
私は、私のせいで本来の手を取り合うべきニューヨークの皆がいがみ合うような姿は、見たくなかった。
「『親愛なる隣人、スパイダーマンとしての──』」
だから、これで終わりにしよう。
私の名前はペトラ・パーカー。クイーンズ生まれの15歳。そして別の世界から来た異邦の魂を持つ、蜘蛛の力を持ったスーパーガール。
そして三年半もの間、ベンおじさんやメイおばさんの意思を継いで街を守ってきた、この世界でただ一人のスパイダーマン。
「『引退を』」
……だったよ。
スパイダーマンがニューヨークから消えた。誰も、予期せぬ形で。
ある人は言う、ウィルソン・フィスクが全て仕組んだせいだと。
ある人は言う、スパイダーマンことペトラ・パーカーがしたことの因果応報だと。
ある人が言う、15歳の少女に重い責任を背負わせてきた、ニューヨーク市民全員の責任だと。
ニューヨーク郊外にある廃墟にて、私は荷物をスーツケースに纏めながら、テレビに映る有象無象たちの声を聞いていた。
やるべきことは、もうやった。残っているのはもう何もない。だからもう私は街から去るつもりだった。
守ってきた人たちから向けられる疑いの目、応えることのできない無垢なる信頼の言葉、巻き込みたくない友人、もう二度と失いたくない家族。
その全てが、今はただ私を苦しめていた。
都会で暮らすには、私の心は弱すぎる。街に起きる事件を見て見ぬふりができない私は、きっと田舎の方でひっそりと暮らす方が性に合ってたのだろう。何も見なければ、何も苦しまなくて済むのだから。
だから、世界が私を忘れるまで、私は姿を隠すことにした。スパイダーマンという存在が、長い歴史に滲んだ一滴の染みとなるまで。
鉄道の切符を確かめ、ポケットに仕舞う。そしてスーツケースを持って、私は廃墟を去ろうとした。けどその前に。
「……って忘れてた、テレビは消しとかないとね」
私はリモコンを取って、テレビの電源を消そうとする。
だけど、数日眠っていないせいか疲れで手元が狂い、私は電源ボタンと間違えて、テレビのチャンネルを切り替えてしまった。
パッ、とテレビの映像が切り替わり、記者会見の様子が映し出される。
「あっ」
それはまるで、八年前のあの日。私が、その人を見つけたときのようだった。
『ペトラ・パーカーは私の娘だ』
……ああ、やっぱり。あなたは私のヒーローだ。