灰被りの蜘蛛 作:BNDに脳を焼かれたやつ
「ウェブシューター、試作……何号機めだこれ。まぁいいや、とにかく完成っと」
パソコンに差し込まれたUSBメモリには、元の持ち主の名前が刻まれている。
リチャード・パーカー。私の父で、ベンおじさんの弟にあたる人だ。
父はどうやらあの有名企業で蜘蛛の遺伝子の研究をしていたということが、おじさんの遺品にあったメモリから分かった。
メモリには厳重なロックがかかっていて、これを解析するには時間がかかったが、その労力に見合う成果が得られた。私の力の由来……は、今は関係ないとして、父の遺した研究成果についてだ。私はそこから蜘蛛糸の合成法を確立した。だが、それを射出するウェブシューターの開発には難航している。
射程が短い。容量も小さい。そもそも動力をどうやって賄っているのかさっぱり分からない。電気式? 磁力式? それとも時計みたいにゼンマイ仕掛けなの? あるいは圧力式? もうわけ分かんない。こんなものを高校生の時点で作れるなんて、スパイダーマンの一番の能力は蜘蛛パワーじゃなくてもはや頭脳なんじゃなかろうか。
「私も手首から蜘蛛糸が出せたらなぁ……」
ないものねだりをしても仕方がない。私は早速試作品を腕に取り付け、蜘蛛糸を射出してみた。
壁と壁の間にピンと張った蜘蛛糸を人差し指でつつく。波打つ糸は鋼鉄のワイヤーのようだ。こんなもので人はおろか理論上何トンものトラックを持ち上げられるというのだから驚く他ない。
「射出速度、精度共に良好。蜘蛛糸の調子も良い。システムも問題なさそうかな。今後の課題はカートリッジの小型化と、耐圧性の向上。なんだけど、一番の問題は……」
お金だ。告白するが、私にこの蜘蛛糸を十分な量用意する金銭的余裕はない。なお、ここで言う十分な量とは壁を登ったり、ビルの間をスイングしたり、悪党をぐるぐる巻きにしたりするのに必要な量のことだ。
「私も手首から蜘蛛糸が出せたらなぁ! マジで!」
お陰様で貯めていたお小遣いはすっからかんだ。私の年齢ではまだ自力でお金を稼ぐ手段もない。おばさんには学校の科学クラブで使うためと言っていくらか資金を貰っているが、それでもまだまだ足りない。
私もメイおばさんの名義で勝手にブログを書いて、ささやかながら収入を得てはいるが、所詮は雀の涙ほどである。
……そうは言っても、まさかゴミ捨て場から廃材をかき集めてまで工作するハメになるとは思わなかったが。
まったく、果たしてこんな体たらくでちゃんとスパイダーマンになれるのだろうか。甚だ疑問だ。
でも、誰かがやらねばならないのだろう。どうやらこの世界に他にヒーローはいても、
「ペトラ、いつまで部屋に籠もってるの? もう出るけど」
「はい、メイおばさん。すぐ行く!」
おばさんから呼び出しがかかった。研究に没頭していたが、どうやらもう時間らしい。
今日は休日だ。学生としても、街のトラブルに首を突っ込む不良娘としてもね。なんて言ったってメイおばさんが働いている慈善団体施設にお邪魔しに行く日なんだから。
メイおばさんが働く慈善団体の主な活動は、食料支援や住居の提供だ。毎週決まった日に公園で炊き出しをしたり、駅前で寄付を募ったり、派手さはない地味な活動だけれど、確かに社会のためになる善い行いである。
ベンおじさんがそうだったように、おばさんも自分のできることを精一杯やっているのだ。姪として誇らしくある一方で、私だけがまだ果たすべき責任を果たせていないとも思ってしまう。
「まず、着いたら掃除からね。それからキッチンの準備と、あぁ、その前に買い出しかしら。忙しくなるわよ?」
問題ない。ならず者をのし倒すよりもずっと簡単なことだ。
などと高を括っていたのも束の間。私は施設での仕事に忙殺されることになるのであった。
「ごめんなさい、忙しかったでしょ」
昼休憩になって、疲れ果てた私は机の上に突っ伏していた。そこに私の分の昼食まで確保してくれていたおばさんが姿を現す。
「なんでこんな忙しいわけぇ……?」
「これでも大分マシになった方なのよ。一年前はもっと酷かったわ。みんな混乱してて」
ここには職や家を失った人たちが来る場所だ。その背景は様々で、本当にどうしようもない人間が来ることもあるが、大半の人はそうではない。彼らは、一年前の戦いで何もかもを失ったのだろう。
「まぁ、ある意味忙しくて助かったのかもしれないわね。暇だったらきっと、ベンのことで気を病んでしまっていたでしょうし」
不意に、メイおばさんの背中が随分と縮んだように見えた。前はもう少し若々しいというか、エネルギッシュな感じがしたが、ベンおじさんが死んでからは少し老け込んだ気がする。
「あ、これ美味しい。家でも作ってみようかしら」
前言撤回、おばさんは相変わらずだ。その神経のタフさの何分の一かでも私が持っていればと思ったが、残念ながら私とおばさんは血縁関係で見れば血は繋がっていないので、その可能性はない。
いや、でもおばさんが言う通り本当に美味しいなこのミートローフ。ベーグルに挟んで食べるともっと美味しいだろうに。なんでお米なんだ。
うん、安いからか。
「この前ようやく仕事が見つかった方がお礼に来てくれたのよ。見返りを求めてるわけじゃないけど、やっぱりそういうことがあると嬉しいわね」
「うんうん」
「ここに来る人たちはみんなしっかりしてるのよ。ほんと、どうしてこんな人が家も食も失ってしまったんだろうって思ってしまうくらいにはね。で、話を聞いてみればまぁ、運が悪いとしか言いようがないことも多くて」
「そうなんだ」
「でもね、たまに厄介な人が来ることもあって──」
私たちがいる事務所にまで聞こえるくらいの大きな声が響いた。どうやら表の方で何やらトラブルらしい。
「はぁ、またあいつらが来たわ」
「あいつらって?」
事務所からこっそり顔を覗かせると、そこには三人の男たちが施設の職員に向けて何やら怒鳴っている。どう見ても、彼らは家や職をなくした人間には見えなかった。
「ここはホームレスには飯を出すくせに、俺たちには飯を出せねぇってのか!? あぁ!?」
「ですから、食事を受け取れるのは当事者だけで……」
「だから、家にはお腹を空かせてるガキが大勢いるって言ってんだろ!」
「だとしても、こんな大量には流石に渡せません……」
一触即発の空気だ。彼らの威圧的な態度に皆がおびえている。
「感じ悪いね。あんなヤツもホームレスなの?」
「さぁ? でも帰る家がなさそうなのは確かね。時々来るのよ。本当に必要としている人のためにある食事をああやって必要以上に要求してくる人が。最初は二、三食だったから良かったんだけど、だんだんエスカレートしていって、今じゃあんな恫喝みたいに」
「追い返せないの?」
「ここは警察の巡回地になってるから、警察の人がいるときは対応してもらうんだけど……」
メイおばさんは無念そうに首を振った。こんなに騒いでいるのに登場しないってことは、今はいないってことだ。
「ちょっと行ってくるわ。あなたはここで待ってて」
「ちょ、どこ行くのメイおばさん!?」
「なんとか穏便に帰ってもらうように説得してみるわ」
そう言って事務所を出ていくおばさんの背中を見ながら、私は頭を抱えた。何を考えているんだ、言葉で説得なんて危険すぎる。話が拗れたらどうするんだ。
「どうか落ち着いて、申し訳ないけれど、ここは身寄りのない人たちを支援するために善意で運営されている施設なのよ。あなたたちに渡せる食事はないの」
「そうか、よく分かった」
メイおばさんが場に現れて、一見男たちは矛を収めたように見えた。
「分かってくれたなら嬉し──」
「なら金を寄越せ。持ってるんだろ? こんな無駄飯食らいたちを養えるんだからな?」
そう言うと、三人の男たちは一斉に銃を取り出した。ああ、やっぱりこうなった。もう何となく分かってたよ。だってホームレスを支援するための施設に、わざわざ屈強な男三人が揃ってやってくるなんて、トラブルの種以外の何物でもないし。
周囲の利用者たちがどよめく中、男たち……いや、もう強盗で良いか。強盗はおばさんに銃を突きつけ、金を要求した。
残念だが、ここにあるのは物資だけで、お金なんて置いてない。そもそも団体は色んな人たちの寄付やボランティアで成り立っているものだ。まだその辺の売店にあるATMの方がお金を持ってる。
「ここにお金なんてないわ!」
「嘘つけ、あるに決まってる。それとも隠してんのか?」
あぁ、都合が良いことに三人の男たちはこっちに来るみたいだ。
その時、おばさんと目が合った。彼女は隠れてなさいというふうに唇を震わせたが、私はそれを見なかったことにした。
私は静かに息を潜め、時を待つ。警察はもう呼んだ、後処理は彼らがしてくれることだろう。
丁度ウェブシューターを実戦で使ってみたかったところだし、何より。
「やぁ、どうも。蜘蛛の巣にいらっしゃい。お金はないけど歓迎するよ。じゃあとりあえず」
メイおばさんに銃を向けたやつをぶちのめさずにはいられない。
「このパンチを、食らっていってね……ッ!」
「パーカー」
「ん、やっほ、警部。もう出られるようになった?」
ガチャン、と牢の鍵が開けられた。手招きされたので私は椅子代わりのベッドから腰を上げる。
強盗たちをぶちのめした私は、その後やってきた警察に捕らえられて留置所に放り込まれた。
「それじゃあ強盗さん、一足先にお暇するね。もう二度と会わないことを祈ってるよ!」
「ふざけんな! 覚えとけよクソガキ!」
道中、私が再起不能にさせた強盗たちが入った牢の前を通ったので挨拶しておく。廊下に響く負け犬の遠吠えは実に聞くに耐えなかった。
「煽るな、パーカー。報復されても知らんぞ」
「なにそれ、警部はあいつらを外に出すの?」
「……いいや、今調べているが余罪がありそうだからな。多額の保釈金でも支払われない限りはこのまま刑務所に行くことになるだろう」
「なら安心でしょ。強盗するようなやつらが金持ってるとは思えないし」
要するに、彼らと私はもうこれっきりってことだ。他の大多数の犯罪者と同じように。
さて、メイおばさんが待っているのだ。早く帰らねば夕飯を食べ損ねる。
「待て、パーカー」
私が意気揚々と警察署を出ようとしたところで、警部が私の肩に触れた。
「パーカーさん……君のおばさんには、私が家まで送ると伝えてある。送って行こう」
「……はぁ、どうも?」
殊勝なことだ。こんな不良娘一人を家に送り返すために、警部自らがパトカーを出してくれるなんて。
私はここに来るときにも乗ったパトカーに再び乗り込んだ。後部座席は普通犯罪者が乗るところだ、前方の座席の間には格子がある。私がここに座るのはもう何度目か分からないが、何度経験しても格子越しの景色は見慣れない。
過ぎ去っていく夜の街をパトカーの中から眺める。パトカーに乗っていると、心なしか普段よりも周りの運転マナーが良い気がして愉快だ。
「……なぁ、パーカー」
「何?」
外を眺めていると、険しい顔をした警部が話しかけてくる。
「ずいぶんとヘラヘラしているが、お前は自分が何をしているのか分かってるのか」
「分かってるよ。強盗をとっ捕まえた。それも安全にね。やつらは銃を持っていたけど、周りに被害は出さなかった」
「相手が銃を持っていると分かっていたのに、君は手を出したのか?」
「何か問題ある? だって、私の方が強いもん」
「問題大ありだぞ、パーカー!」
警部がハンドルを叩き、クラクションが鳴った。驚きで私の肩が跳ねる。この一年、ステイシー警部が人前で怒るところなんて見たことがなかった。
「正気なのか君は。銃を持った大人の男三人に対して、どうして歯向かおうとする? 警察に通報したところまでは良い。だがその後、君は大人しく警察の到着を待つべきだったんだぞ」
「……あっそ。ご忠告どうも。次から気をつけるよ」
「次からだと……? ああ、まったく、どうして君は大人の言葉に耳を貸さないんだ」
耳を貸さないわけじゃない。けれど、私にも理屈がある。譲れないものがある。それだけだ。
「パーカー、私は君が心配だ。なにせ私にも娘がいる。君のように無鉄砲な子どもだと、親は気が休まらんだろうに」
そう言えば、メイおばさんは今どうしているのだろうか。いつもならおばさんが迎えに来てくれるはずなのに、今日はそうじゃない。
もしかして、怒っているのだろうか。きっとそうだ。なにせ、危ないことはするなって怒られたばっかりなのにこのざまなんだから。
玄関を開けたら、真っ先にメイおばさんに謝ろう。私はそう決心した。
「着いたぞ。帰ったら、きちんとパーカーさんに謝りなさい」
「うん……あのさ、最後に一つ質問して良い? いや、良いですか?」
「なんだ、改まって」
パトカーから降りたあと、私はステイシー警部を呼び止めた。
「警部、あなたは警察を待っているのが正解だって言った。だけどもし、もしそうしていたとして、その結果おばさんが死んだとしたら、どうするんですか」
「……その場合は、警察の責任だ」
「警察の責任ですか。なら警察は、その責任を果たしてくれるんですか。死んだおばさんを蘇らせてくれるとでも言うんですか?」
警部は私の質問には答えなかった。その表情は陰になっていて、よく見えない。
「私が何もしなかったら、おばさんは今日死んでたかもしれないんですよ。そう思うと、何もしないなんて私にはできません。だから、あの場にいなかったあなたに、私の行動をとやかく言われるのはごめんです」
「……そうか」
「それだけです、警部。送ってくれてありがとうございました」
深々とお辞儀をして、パトカーを出すステイシー警部を見送る。
「君が動くことで、君自身が死ぬこともあり得たということを忘れるな、パーカー」
彼は最後に、私にそう一言残していった。
家に帰ったとき、その静けさに少し寒気がした。
「た、ただいま……?」
リビングから光が漏れている。案の定、そこにはメイおばさんがいた。机の上で頭を抱えている。
「……冷蔵庫に夕飯があるから、チンして食べて」
「……うん」
怒られると思ったが、いつも通りの返事が来た。正直、怒られることよりもこの対応の方がキツイ。見放されたんじゃないかって、不安になる。
「今日は、ごめんなさい。せっかく仕事場に連れて行ってもらったのにさ、それに心配かけるなとも言われたのに、また問題起こしちゃって」
「……」
「お、おばさんが危ないかもって思って、ついカッとなっちゃったんだ。ほんと、ごめん」
チーン、と電子レンジの間の抜けた音がリビングに響く。私はそこからプレートを取り出し、ラップを剥いで夕飯を口にした。施設から持ち帰ったのが、昼食と同じミートローフだった。
「……おばさん?」
おばさんはじっと黙ったまま何も言わない。私の方も見ない。ただ顔に手を当てて、下を向いているだけだ。
「……もう、あなたとは暮らせないかも」
「……ぇ?」
そして、ようやく絞り出したかのような掠れた声を出したかと思ったら、とんでもないことを言い出したのだ。
「え、ど、どういうこと? 私と暮らせないって……」
「貴方を、施設に入れるかどうかって話よ。ペトラ」
メイおばさんの顔が上がる。顔から苦悩の跡が見て取れた。つまり、今のが嘘でも冗談でもないってことだ。
「え、いや、だって、え? え……?」
頭の中が真っ白になって、しどろもどろに同じ言葉を繰り返す。自分の信じていた常識がすべてひっくり返るような気分だった。
「あ、あり得ないよ! 私とおばさんが、離れて暮らすなんて……そんなの……」
メイおばさんは無言で首を振る。
「ど、どうして。私が悪い子だから? おばさんは、私のことが嫌いになったの……?」
「……もう、無理なのよペトラ。私ではあなたのことをちゃんと育てられないの」
「そんなことない! おばさんはちゃんとやってる。ちゃんとできてないのは私の方だ! 私がいつもおばさんを困らせてるから、だから……」
だから、もう一緒に暮らせないと言うのだろうか。
なんだか、変な感じだった。私にとってメイおばさんは唯一無二の家族だ。だけど、おばさんにとって私は家族なのか?
ベンおじさんは、私の父の兄だ。直接血が繋がっていた。けれどメイおばさんは違う。ベンおじさんの配偶者として私の叔母ではあるけれど、メイおばさんは本質的に、私とは何の血の繋がりもない、所詮赤の他人だった。
「そう、だよね」
「……」
「私は、おばさんの子どもじゃ、ないもんね」
ずっとずっと、メイおばさんの好意に甘え過ぎたのかもしれない。両親の顔も知らない私にとってメイおばさんこそ母親だと胸を張って言える。だけど、メイおばさんにとって私は他人の子どもだ。
「そんなことない! あなたは私の子どもよ! 私も本気でそう思ってる!」
「なら、どうして……?」
「……福祉局からね、通知が来たの。私が子どもを育てるには、監督能力が足りないんじゃないかって」
また、頭が真っ白になった。今度は足元から崩れ去るような感覚も一緒に。
おばさんがそっと通知書を差し出したので、それを手に取り目を通した。
私は必要最低限の出席しかしていない。テストで点数さえ取っていれば、問題ないと思っていたから。そして普段から素行不良で、警察のお世話になっている。
そういう諸々が積み重なった結果が、これらしい。
「それにほら、血縁がないのも問題視されてね。後日訪問調査を受けることになったんだけど、もしだめだったら」
「だめ、だったら……?」
「あなたは、施設で暮らすことになる」
私は、ヒーローぶった、とんだ愚か者だったようだ。
「もう、やめる。ヒーローの真似事なんてやめて、良い子にするよ。私にとって一番大切なのはメイおばさんだ、他のことなんてどうでも良い。だから、だから……!」
「ペトラ」
「離れ離れなんて嫌だよ……!」
メイおばさんに抱きしめてもらい、その腕の中で泣いた。たとえ血の繋がりがなかろうとも、メイおばさんは私のお母さんだ。じゃなきゃ、こんなに安心するはずがないのだから。
「やだぁ、嫌だよ……!」
「……そうね。不安にさせてごめんなさい。でも、現実をきちんと認識して欲しくて」
「メイおばさんと離れるなんて嫌だ……!」
「私だって嫌よ。だからペトラ、もう二度と危険な真似はしないって約束できる?」
涙を拭いて、私は大きく頷いた。
ああ、やっぱり、私が