灰被りの蜘蛛 作:BNDに脳を焼かれたやつ
「朝からずっといるの、珍しいね」と、学校で会った知人たちは皆口々にそう言った。そう言われるたび、私は苦笑いしてこう返す。
「うん、まぁ、色々あって改心したっていうか、そんな感じ」
クラスメイトたちは微妙な反応だったけれど、思いの外先生たちは喜んでくれた。テストの成績は良いのに全然出席しないせいで、私を評価しようにもできなかったらしい。
授業は退屈だったけれど、個人的な質問を彼らにぶつけてその答えを得るのは存外楽しかった。普通の学校生活も悪くない。
「なんだか、変な気分だ」
放課後、全ての授業を終えた私はスクールバスに乗って家路につく。この一年間は、ずっと徒歩で行き来してきた。だって、何かトラブルを見つけたとき、バスに乗ってたら手が出せないでしょ。
窓の外では、車が慌ただしく行き交っている。
「あぁ、またこの感覚か」
不意に鳥肌が立ったと思えば、けたたましいサイレンの音とともにパトカーが通り過ぎて行った。
見慣れた光景だ。けれどいつもと違うのは、彼らの行き先に下手に首を突っ込むなんてしないこと。
無視するのは心苦しいけれど、でももう私には無理だ。他人よりも、私にとってメイおばさんとの生活の方が何百倍も重要だから。
「そうだ、帰りにケーキ屋にでも寄って行こうかな。おばさんが好きなやつ、買ってあげよ」
穏やかな午後を想像しつつ、窓辺に体重を預ける。もう荒事は良い。私はそもそも争いごとが肉体的には得意だけど、精神的に苦手なんだ。そういうのはもう全部警察とか、他のヒーローに任せておけば良い。
「……電話だ」
そのまま眠りにでもつこうと思った次の瞬間、ポケットの中にある携帯が震えた。相手は意外なことに、ステイシー警部だった。
「でも今バスの中だしな……」
後でかけ直そうと思い、私は携帯電話をカバンの奥底へと沈めた。私の穏やかな心をアラーム音が乱さないように。
「よう、また会ったなクソガキ」
自宅のドアを開けたとき、私は目を疑った。
そこには男たちがいた。つい昨日、私がぶちのめした男たちだ。
「え、な、なんで家に……っ」
喉を掴まれ、体を持ち上げられる。帰りに買ったケーキの入った紙袋が私の手から零れ落ちた。
大丈夫、ちょっと混乱して、隙を晒してしまっただけだ。こんなやつらすぐに倒せる。そう思ったのも束の間、私の頭から血の気が引いた。
先日捕まえた三人の男たちに混ざって、見覚えのない四人目がいたのだ。そしてその四人目の男が腕に抱えている禍々しい装置が見える。それは、一年前に見たアレに酷似していた。
ニューヨークを侵略してきた宇宙人、チタウリの武器である。
「これが何か分かるか? 見ての通り、こりゃチタウリの武器を改造したもんだ。高かったんだぞ? だからその分を稼がなきゃならんのに、お前が邪魔してくれたせいで俺たちのライフプランがぱぁだ。補填してくれよ」
「うぐ……っ!」
腹を殴られ、私はうめき声を上げた。
「離せ、クズが……!」
「反抗的だな、良いのかそんな態度で。俺の仲間がちょっと指を捻れば、ほら」
チタウリの武器を持った男が引き金を引くと、紫色の光線が瞬き壁を貫いた。まるで蒸発するようにその射線上にあったものが消え、灰だけが残される。
「……わ、分かったよ。何が目的?」
男が嬉しそうに笑うと、大人しくなった私を床に下ろした。地に足はついたけれど、気分は最悪だった。おばさんは無事だろうか。まだ職場にいることを祈ろう。
……?
……待ってくれよ。
留置所で捕まってるはずなのに、なんてことは言わない。四人目が持ってるあの武器で脱走したのは明白だからだ。あの武器なら、警察署の壁に穴をぶち開けることくらい余裕だろう。
故に、問題なのはそう。
こいつら、なんで私の家を知っている?
「私のおばさんをどうしたの……?」
男たちはニヤニヤと笑うばかりで、私の質問にはまともに答えてはくれなかった。
「それを話す前に、こっちの要求を聞いてもらおうか。この家にある金目のモン、全部出せ」
私は、その要求に頷くことしかできなかった。
それから家にある高価そうなものは全て差し出した。大してお金になりそうなものはなかったが、唯一私が作ったウェブシューターを目にしたときは嬉しそうにしていた。これは金になるって。
「こんだけか、しけた家だな」
そりゃそうだ。ベンおじさんがいた頃ならともかく、うちに盗めるような財を貯蓄する余裕なんてなかったのだから。私のウェブシューター以外は。
「うお、すっげえ。ほんとに蜘蛛糸みたいなのが出るぜ」
「これがありゃ、チタウリの武器なんていらないんじゃないか?」
「蜘蛛糸飛ばしてるだけじゃ、殺傷能力ゼロだろ。仕事の役には立たんよ」
男たちが寄ってたかって、私のウェブシューターで遊んでいた。一年、一年かけてようやく作った、私のスパイダーマンとしての足跡が犯罪者どもに汚されている。そう思うと反吐が出そうだった。
「もう良いでしょ。これ以上うちにお金になりそうなものなんてないよ。おばさんを返して。そしたら早く出てって」
反撃しようなんて考えない。ともかく、今は平穏が欲しかった。こいつらに、私とおばさんの家を土足で踏み荒らされたくなかった。
「あぁ、すぐに会わせてやるさ。ところで話は変わるんだが、お前って叔父がいたんだろ? そこの写真に写ってる男」
「……そうだけど、それが何?」
多分、最初に私の首を掴んだやつがリーダー格なのだろう。そいつが、壁にかけられた私たちの家族写真を指した。
もう何年も前の写真だ。私と、ベンおじさんと、メイおばさんで撮った写真。丁度私がアイアンマンという未知のヒーローの存在を知り、少しずつ普通に笑えるようになった頃の写真だ。
そんな写真を指して、男が言ったのは。
「いやぁ、マジで驚いたよ。この家に来てみりゃ見覚えのあるおっさんの写真が飾られてたからな。道理でお前に既視感があったわけだ。叔父と姪で似てたってわけか」
「……な、何言ってるの?」
私が知るはずのなかったことをペラペラと語り出した。
「このおっさんも、お前みたいに正義感ぶったやつだったよ。俺が仕事してるときに、そんなことはやめなさい、だの偉そうに」
「……え、な、な、なんて?」
私が今いる状況は現実なのだろうか。分からなくなってきた。
「おじさんを知ってるの?」
「知ってるさ。なにせ命の恩人ってやつだからな」
思考が凍りつく。彼が放った言葉を咀嚼するのに、驚くほど脳のエネルギーを消費した気がする。
「まさか、一年前にベンおじさんが助けた人って、あなたなの……?」
ベンおじさんは、家屋の中に取り残された人を助けようとした。でもまさか、そいつが別に逃げ遅れた人なんかじゃなくて、ただの盗人だったなんて。
「感謝してるよ、あのまま死んでくれたことも含めて」
そして盗人が燃える家のなかでやることなんて一つ、火事場泥棒だけだろう。
あぁ、なんてことだろう。ベンおじさんは困った人を見過ごせない人だった。だから、目に映った人を助けようとしただけなのに。
その相手が不幸にも悪人だったせいで、おじさんは死んじゃったの?
「お、お前! 殺したのか、ベンおじさんを! 火の中に置き去りにして……!?」
「その言い方は語弊がある、殺したわけじゃない。瓦礫の下敷きになったおっさんに手を貸さなかっただけさ。けど、見られちまったんだから仕方ないだろ?」
そして、こいつは一年越しにまた私たち家族と巡り合った。メイおばさんの働く施設でこいつの言う、仕事とやらをするために。私がそれを食い止めたけど、こいつらはチタウリの武器で留置所から脱出。そして多分だけど、おばさんを脅して私の家にやってきた。
「おじさんはお前を助けようとしたんだぞ! なのに、見殺しにするなんて!」
自分たちを捕まえた私に、やり返すために。
「なんで、なんでなんでなんでぇ……!」
なんたる偶然だろうか。叔父が助け、そして叔父を殺したらしい男が、巡り巡って私の前に立っている。
「なんで今、そんなことを私に教えたの……?」
いいや、果たして偶然か。偶然でそんなことが起こりうるのか。
それとも。
やっぱり私が、スパイダーマンになる運命にあるから。
それに叔父と叔母を巻き込んでしまったのか。
「はぁ、お前の家族は馬鹿ばっかりだ、反吐が出る。口を開けば子ども騙しの説教、自分は善良な人間だとでも言いたげじゃないか」
「それの何がいけない!」
「ムカつくんだよ。見下しやがって。環境に恵まれただけの甘ちゃんが」
男は私に向かってペッと唾を吐き捨てた。
「けど、人間ってのは一皮剥けばみんな同じさ。お前の叔母もそうだった。最初はおっさんと同じくこんなことはやめなさいとか説教垂れてたくせに、俺の話を聞いた途端にぎゃあぎゃあ泣き喚いて」
あぁ、どうしよう。怒りたいのに、罵りたいのに。今はどうしてか、言葉が出ない。
どうしてこんなにも、どうしようもない悪人が存在するのか、私の脳が理解を拒んでいる。
「喚、いて……?」
きっと嘘だ、それはおかしい。私が家に来てからずっとずっと、この男たちと私以外の声なんて聞こえてない。
「………………あぁ、そっか」
私は地面にへたり込み、そして気づいた。この家に入ったときからずっと、私の足元には灰が散らばっていたなって。
「おばさんも、灰になっちゃったんだ」
紫光を放つチタウリの武器が私に向けられている。
「お前の家族は二人とも、最期の言葉は命乞いだった。助けてくれだの、やめてだのな。お前はどうかな?」
男たちは、ニヤニヤと笑っていた。まるで私の反応を楽しむみたいに。
「あ、う、あ、あぁ──」
考えられない。考えたくない。もう、何も見たくない。
そんな願いが現実になったのか、私の視界は真っ暗になった。何も見えなかった。何も聞こえなかった。心の中が空っぽになって、私の体はただ沸き立つ生存本能にのみ突き動かされたのである。
「お、おい。銃が──!」
無意識の中で、私は
音もなく、敵のうちの一人が灰になって死んだ。
「こいつ──ッ!?」
手のひらに広がる生暖かい感触。敵のうち一人が私の平手打ちによって頭蓋が陥没して死んだ。手の平に張り付いてた、剥がれた顔の生皮を投げ捨てる。
「なんだ、どうなって……ッ。む──ッ!? む──ッ!!!」
音のする方へ蜘蛛糸が飛ぶ。敵のうちの一人が、気道に蜘蛛糸が詰まって死んだ。空気を求めて、虫みたいにジタバタと地面を跳ねる様は実に無様だった。
「はは、マジかよ。お前、人間じゃ──」
そして、最後に残った敵の顎が砕けた。逃げようとして、足が折れた。もがこうとして、腕が折れた。助けを呼ぼうとして胸が潰れて、ニヤニヤと不愉快な笑みを浮かべていたその顔も潰れた。
「………………つうほうしなきゃ」
音が消え、静寂に包まれる。私の命を脅かす者は、もう、いなくなった。
「武器を下ろせ、両手を上げて投降しろ!」
あぁ、良かった。警察が来てくれたようだ。私は安堵し、彼らに保護して貰うべく一歩足を踏み出した。
「止まれ! それ以上近づけば撃つぞ!」
「……え?」
足が止まる。何人もの警官たちが、一斉に私に銃口を向けていた。
状況が理解できない。よく分からない。
「パーカー」
「け、警部!」
聞き覚えのある声に、私は浮ついた感覚からようやく現実に引き戻された。
「落ち着け、皆銃を下ろせ。それで、パーカー。何があったんだ?」
「わ、私にもよく分かりません。目の前が真っ暗になって、気がついたら警察に囲まれて、て……」
その惨状を見て、吐き出さなかったことを褒めて欲しい。
私の周りには、地獄が広がっていた。半壊した家屋と、一面の赤。ここがおばさんと私が暮らす家だとはとても思えなかった。
「な、え? し、死んでる? なんでこんな」
ピンク色の肉塊が壁にこびりついている。それがもともと人間だったと分かったのは、地面にまだ人の形の一部だと分かるものが転がっていたからだ。
「な、なんですかこれ! 一体何がどうなってるんですか!」
「パーカー、落ち着いてくれ」
「落ち着いてなんていられませんよ! な、なんで家がこんなことに……!?!? 一体誰がこんな──ッ」
「ペトラ・パーカー!!!」
ビクリと、体が震えた。まるで野生動物のように、私は大声の主の次の言葉を待つしかなかった。
「……君だ」
「……???」
その言葉の意味が、私にはよく分からなかった。
「警察に通報したのは君だと言っているんだ」
「あ、あぁ。そういうことですか。で、でも何も覚えてなくて、す、すいません。それで、あの、何が……?」
周囲にいる警官たちの顔を見渡す。皆険しい顔をしていた。まるで、犯罪者でも相手するかのように。
「良いか、パーカー。よく聞きなさい。君が、我々に通報したんだ。自分が人を殺したと」
警部は、どうやらおかしくなってしまったようだ。
「私が、人を、殺した?」
そんな、あり得ない。だって私は
「あ」
思わず、視線を下に向けた。
「ああ」
どうやらおかしいのは警部ではなく、私の方らしい。
血みどろの私の手には、強盗たちが持っていたであろうチタウリの武器が握られている。
「そうか。警部。分かりました。すみません、直前までの記憶が曖昧で、でももう大丈夫です。私がしたことを今、ちゃんと思い出しました」
そうだ、少しずつ思い出してきた。私はパニックになって、それで、強盗たちを皆殺しにし、しばらく放心状態に陥り、その後警察に通報。
それからこの惨状を見て続々と警察が集まってくる中で、私はステイシー警部が来るのを待ってたんだ。
「警部。私にとって親しい、いや親しいって言うのもあれなんだけど、ともかく私の頼みを聞いてくれそうな大人が、もうあなたしかいなくて」
「パーカー、まずは落ち着いて、それから話そう」
ステイシー警部が腰にあるホルスターに手を当てながら、ゆっくりとこちらに向かってくる。
「あの、落ち着いてます。それで、最後に頼みがあるんですけど」
私は抱え込んだ武器の銃口を自らに向け。
「おばさんの灰はおじさんと同じ墓に。私の灰は、燃えるゴミにでも出しといてください」
今、私が果たすべき責任を全うしようとした。
「よせ、パーカーッ!!!」
つまるところ、私は自分自身に向けて引き金を引いたのである。
そして残念なことに、私が自分を殺すよりも、警部が銃を抜いてチタウリの武器を破壊する方が早かったみたい。
惨劇の跡はすべて、警部の銃弾を受け破壊されたチタウリの武器が、その後爆発したことにより、灰となって消えた。