灰被りの蜘蛛 作:BNDに脳を焼かれたやつ
「もしもーし」
背後から声をかける。彼の姿を見たとき、私は思わずその光景が現実なのか疑いたくなった。
ロングコートとフェルトハットにサングラス、ちょっぴりメタボな体型に加えて、何よりも目を引くのは背中から伸びた四本のマシンアーム。
「もしかして、あなたはドクター・オットー・オクタビアスだったりします?」
ちょっと感激だ。この世界にオクタビアス博士がいることは科学雑誌に掲載された彼の論文から承知していたけれど、まさか記憶のままの姿で彼に会えるなんて。
ここが銀行で、彼が銀行強盗の最中でなければもっと嬉しかったんだけどな。
「……そうだ、私がオットー・オクタビアスで間違いない」
「ああ、やっぱり! 会えて光栄ですオクタビアス博士。あなたの論文は全部読みました。もちろん自伝も」
『知識は授かりものであり、世の中のために使うべきである』とは彼の言葉だ。なんて素晴らしい。『大いなる力には大いなる責任が伴う』の次に私の好きな言葉だ。
「はぁ、そうか」
「あなたは原子物理学の天才な上に、ロボット工学においても華々しい研究成果を残していたと記憶してるんですが、も、もしかしてそれ、神経インターフェースで操作できる義手だったりしますか! 頭の中で考えるだけで動かせる!?」
「その通りだが」
「うっわぁ、すごい! 人間拡張機能の最先端だ、医療分野においても革命的なことですよ! 握手してください!」
私は博士の背中から生えたアームと激しく握手した。博士は怪訝な表情でアームと顔を見合わせている。
「ところで君は誰だね。そのコスプレしかり、私が銀行強盗をしている最中に話しかけてくるところもしかり、少なくともまともな精神をした人間だとは思えないんだが」
「ああ、ごめんなさい自己紹介が遅れて。ボクはスパイダーマン。銀行強盗をしてるあなたを止めに来まし──」
危険を察知し、私は飛び退いた。危ない危ない。もう少しでアームで八つ裂きにされるところだった。両手両足を引き裂かれてリアルに八本足になるのは冗談にもならないよ。
「そうか、よく分かった。だがよく聞き給えスパイ、スパイ……スパイマンだったか?」
「スパイダーマンです、蜘蛛のスパイダー」
「ええい、なんでも良い。とにかくスパイダーマン。君が子どもだろうと私のファンだろうと、私は私の邪魔をする者には容赦しない。命が惜しければ、すぐにこの場を立ち去るんだな」
建物の柱を飛び交いながら、私たちは言葉を交わす。私の軽口に真面目に返事をしてくれるような悪党は少ないので、なんだか新鮮な気分だった。
「ちなみに、あなたの目的って何か聞いても良い? 銀行強盗は手段であって目的じゃないんでしょ?」
「良い質問だ、そしてその通り。私は私の力で、今度こそ太陽の力を手にし、人類に繁栄をもたらすのだ。あの忌々しいエゴイストのスタークとは違ってな」
ああ、やっぱり。想像していた通り、彼は自分の研究のために犯罪に手を染めてしまったらしい。
オットー・オクタビアス。核融合実験の際に事故でアームの制御が利かなくなり、逆にアームに支配された元は善良な科学者。それが私の知識の中にある彼だ。
さて、彼のスポンサーはオズコープだったと記憶していたが、どうにもこの世界では事情が異なるらしい。
「スタークって、あのスターク・インダストリーズ社のトニー・スタークのこと? 億万長者で、アイアンマンの」
「それ以外にスタークが存在するか?」
確かに、20年前ならまだしも現代でスタークと言えばトニー・スタークただ一人のことを指すのは自明だ。
それは良いとして、オクタビアス博士とトニー・スタークに何の繋がりが?
「ずいぶんとトニー・スタークのこと嫌ってるけど、喧嘩でもしたの?」
「喧嘩だと? ふん、所詮子どもか。私とアレとの関係は君のような少年が計り知れるような関係ではないのだよ」
「どうかな。話してくれれば案外分かるかも。喧嘩した相手と仲直りするコツとか教えてあげようか? まずプライドを捨てて謝るんだよ」
お金の入った麻袋を投げつけられた。アドバイスしようとしただけなのに。
まぁ、私に喧嘩するような友達はいないから、アドバイスも何もないんだけどね。グウェンは私より年上で大人だから、喧嘩するような関係じゃないし。
「私がヤツに謝罪することなどない! その減らず口を今すぐ閉じろ、さもないと後悔するぞスパイダーマン!」
ああまずい。博士が怒れるタコになったぞ。このまま暴れられたら建物が完全に倒壊してしまう。まだ中に民間人がいるのに。
「ドクター、続きは外でやらない? あなただって無関係の市民を巻き込みたくないでしょう?」
「科学に犠牲は付き物だ。だが、その提案を聞いてやろう。ただし表に行くのは貴様だけだがな」
そう言うと、オクタビアス博士は私をアームで掴んで銀行の外へと投げ飛ばした。
「いったた、暴力反対……ボクが言えた義理じゃないけど……」
「本当にな、スパイダーマン」
はっと顔を上げれば、すぐ側には見知った顔の警察官がいた。ニューヨークで最も私を捕まえ損なっている男、ジェファーソン・デイビス巡査。通称ジェフ巡査である。
彼が手を差し伸べてくれたのでその手を取ると、無情にも私の両手には手錠がカチャリと嵌められた。おい、こんな時にも私を逮捕しようというのか。勘弁してくれ。
「冗談やめてよね、ジェフ巡査。あの八本足の激ヤバ博士が見えない? ここはボクよりあっち優先でしょ」
「ああ、だがこういうのは一石二鳥って言うだろ? あれ、漁夫の利だったか?」
「二兎追うものは何とやらとも言うけどね。無理にことわざなんて使わなくても良いと思うよ」
それから私は手錠をパキンと砕いた。こんなもので私を捕らえられると思ったら大間違いである。
「今度の手錠もダメか。ダメコンのやつら、ハルクでも壊せないとか抜かしてたくせに」
「どう考えても誇大広告だよそれ。ところであの人を止めたいんだけど、何か良い作戦はある?」
銀行の中で、今も黙々とオクタビアス博士が現金をかき集めている。その資金で核融合の実験をやりたいのだろうが、そうはさせない。ニューヨークに太陽なんて作ったらみんな蒸発して死んじゃうよ。
「発砲の許可が下りてるぞ。非殺傷弾だけどな」
「良いね、ちなみに誰に対しての発砲許可?」
「スパイダーマンと謎の機械アーム男の二人に対して」
考えたくなかったけど案の定、私もターゲットに含まれているらしい。テーザー銃の次はゴム弾か。そのうち催涙ガスとか使われそう。
「オッケー、了解。なら博士の相手は任せるね。ボクは銀行の中にいる人たちを全員避難させるから、背中から撃ったりしないでよ!」
「おい、俺たちがあのタコ野郎の相手か!? 役割が逆だろう!?」
「戦いは数って、警察署では教わらなかったの?」
銃を持った複数人の警官とスパイダーマン一人なら、前者の方が制圧力がある。
それから私は警察とオクタビアス博士が戦っている間に、民間人を銀行の外へ放り投げて蜘蛛の巣で受け止めた。怪我人なし、人命救助第一の私としては上々の成果である。
「ミッション完了。警察と共同で作業するってのは今までやったことなかったけど、なかなか悪くないね」
「ああ、そうだな。民間人を守ってくれたことには感謝しておくよスパイダーマン」
「良いよ、ところでアームの素敵な彼の姿が見えないんだけど、もしかしてもう捕まえた?」
「いや、逃げられたよ。アームでビルの上に登られてな。すまん」
ガッデム。いや、誰も死ななかっただけ良しとしよう。でも今回逃げられたのもどうせ私のせいにされるんだろうな。それを考えたら憂鬱だ。
「ねぇ巡査、次のデイリー・ビューグルの見出しを予想できたらコーヒーの無料チケットあげる」
「『蜘蛛男、タコ博士と組んで銀行強盗する』……とかじゃないか」
「うわ、正確無比な予想をどうもありがとう。はぁ、せっかく認められてきたと思ったけど、また世間の目が厳しくなるね」
ポケットから取り出したコーヒーの無料チケットを巡査に手渡す。私はカフェインを受け付けない体質なので、この手のものは無用の長物なのである。
「悪いけど巡査、後片付けを任せても良いかな。あいつのことで調べたいことがあってさ」
「あぁ、待ってくれスパイダーマン」
巡査が私を呼び止めた。けれどもう素直に待ってやる私ではない。
「やだよ、またテーザー銃撃つ気でしょ」
「いや、しないって。この前は、騙し討ちして悪かったよ。けどスパイダーマンを捕まえられそうなら色々やってみろって上から言われてるんだ。マニュアルにもそう書いてある」
「ボクを捕まえるためにわざわざマニュアル用意したの? 警察って暇なんだね……ちなみになんだけど、例えばどんなことが書いてあったりするわけ?」
「物で釣っても効果なし、とかな」
そんなのでスパイダーマンが釣られるか! ……あぁ、だから一時期警察の皆が優しかったのか。飴ちゃんあげるよーとか言ってきて、あれよくよく考えたら懐柔だったのね。
「それで、話ってなに」
「お前はどうしたら俺たち警察に捕まってくれるのか、それを聞きたくてな」
「ド直球! けどそのアプローチの仕方は嫌いじゃないな。それもマニュアルに書いてるの?」
巡査は胸ポケットから取り出した、蜘蛛のマークに斜線が引かれた手帳をトントンと指で示した。誰がそんなものを作ったんだ。
……うーん、ステイシー警部の仕業だろうなぁ。
「どうしたら、か。いつの日かニューヨークから犯罪が消えて、スパイダーマンが必要なくなったら、そのときは大人しく警察に出頭するよ」
「そんな日は来るのか?」
「来ると信じたいね、ボクは」
もしそうなったら私はスパイダーマンをやめて……やめてどうしようかな。その先はまだまだ未定だ。飛び級計画は親愛なる隣人としての活動が忙しくておじゃんになったし。
ああでも、もし許されるなら、私は消防士になってみたいかも。
「なぁスパイダーマン」
仮の将来設計を頭の中で組み立てていると、巡査の声が耳に響いた。
「まだ何かあるの?」
「これはマニュアルにはない個人的な質問なんだが」
彼はどこか言葉を選ぶように、私に質問した。
「お前は何故そうも必死になって戦うんだ? 警察も、市民も、マスコミの大多数も君を否定しているんだぞ。それなのにどうして」
そんなの、答えは決まってる。
「ジェファーソン・デイビス巡査。あなたは人に嫌われたからなんて理由で警察の仕事をやめたりできる?」
「……いいや、そんな理由で引退はできないな」
「それと同じことだよ。ボクには、ボクの果たすべき責任がある。それを途中で投げ出すなんて、もうしたくない。たとえ大多数がボクを否定し、非難しようとも、その中に埋もれた少数の助けを求める手を取ることができたなら、ボクはそれで良いんだ」
そうすれば、たとえ道半ばに死んだとしても、おじさんとおばさんに顔向けすることくらいはできるだろうから。
「それじゃあ行くね。追いかけっこも悪くないんだけど、できれば次も今日みたいに協力したいな」
「……そうだな。またなスパイダーマン」
「またね、巡査!」
蜘蛛糸を飛ばし、私は摩天楼の狭間へと消えた。眼下に映る、変わることのない人々の営みを目に焼き付けながら。