灰被りの蜘蛛 作:BNDに脳を焼かれたやつ
マスコミによってドクター・オクトパスと名前がついたオクタビアス博士について、私はいくらか調査した。
ドクター・オットー・オクタビアス。元スターク・インダストリーズ社の研究員だった。核融合炉に関する研究の第一人者で、同社においてクリーンエネルギーの研究を数十年に亘り牽引していたらしい。
ここで問題になってくるのが、アークリアクターというものだ。アイアンマンことトニー・スタークが小型化に成功したこの革新的動力源も、元は核融合炉と同じ技術ツリーにある。二つともプラズマエネルギーを発生する源だからね。
このアークリアクターは今でこそ新世代のエネルギー源として注目されているけれど、少し前までは見向きもされていなかったものだ。なにせ初出はトニー・スタークの先代ハワード・スタークの頃に作られたもので、何十年も前のものとなる。
以上を踏まえた上で、ドクター・オクトパスが誕生した経緯は以下の通り。
オットー・オクタビアスはスターク・インダストリーズ社の中で見向きもされないクリーンエネルギー分野を数十年間たった一人で支え続けてきた男だった。ところがある日、トニー・スタークがアークリアクターを小型化させてしまったせいで、自分がこれまで積み上げてきた研究の何もかもが奪われてしまったのだ。予算、人員、それから物資も、彼が目指していた核融合炉ではなくアークリアクターの方へと回された。
それだけならば良いと、彼は思った。それが人類全体の進歩につながるならばと。けれど、トニー・スタークはアークリアクターの技術を自分だけの利益にしている。アイアンマンスーツなどは良い例である。自分が核融合炉を正しく実現できていれば、そうはならなかったはずなのに。
数十年もの歳月を無にされ、かつて夢見た人類の革新さえも阻まれた。そうして科学者オットーは、ドクター・オクトパスに成り果てたのである。
自らの研究を完成させ、世界に革新をもたらすために。
以上が、私がオクタビアス博士についての記事を集めた結果、見えてきた流れだ。
「つまり、だいたいトニー・スタークが原因ってこと?」
調べた感想はまさしくそれだった。私にとってトニー・スタークの印象はアイアンマンというヒーローとしての側面が強いけれど、ちょっと彼の昔の経歴を調べると、うーむ……嫌われるのも、残念だが当然と言った具合だろうか。
「そういえば、お父さんもトニー・スタークには近づくなって言ってたっけ」
過去、ウェブシューターを開発するのに参考にした、父のものだと思われるUSBメモリ。厳重なロックがかかったその中にあったのは、私に向けたほんの僅かなメッセージと父が残した研究成果だった。
父、リチャード・パーカーはスターク・インダストリーズ社で遺伝子操作された蜘蛛を研究していた。私に蜘蛛の力があるのは父の研究の副産物で、父はいずれこのデータが私に必要だろうということで、USBメモリを残した。
そしてその中には、先ほど述べた私への忠告も残されていた。わざわざ私宛てにしてるあたり、父は私が大きくなったら渡せみたいなことをベンおじさんに伝えていたのかもしれない。
「お父さんも、トニー・スタークと何かあったのかな」
顔も見たことがない私の父は謎が多い人物だ。私が生まれてすぐに、彼はスターク社のラボで事故にあって亡くなっている。おじさんとおばさんの話では、火事だったらしい。
「って、今はそんなこと考えてる場合じゃないよね」
頭を振って、蜘蛛の巣のようにこんがらがった思考を振り払う。今はオクタビアス博士のことを考えなければ。
最も単純な道は、博士を倒して警察に引き渡してしまうことだ。可能か不可能かでいえば、たぶん可能。
そして最も困難な道は、言葉で説得すること。
けれどピーター・パーカーならともかく、私とオクタビアス博士の接点はゼロだ。説得するのは現実的じゃない。
それから、最後に、こんなことは考えたくないけれど、最も楽な道。
それは。
それは多分、一切の躊躇なく彼を殺してしまうこと。
「……ふーっ、落ち着け私。そんなのダメ、良くないよほんと」
深呼吸すれば、真っ黒に塗りつぶされた思考が、徐々に平静を取り戻していく。
一度超えてしまったハードルは、二度目にはきっと簡単に超えることができてしまう。そして二度目を超えれば、三度目はもっと簡単に。
「私は親愛なる隣人になるって、ちゃんと決めたろ。だったら一度決めたことは貫き通すんだ、ペトラ・パーカー」
覚悟とともに、私はマスクを被った。
「また性懲りもなく私の邪魔をしに来たのか、スパイダーマン!」
「あなたの方こそ、また性懲りもなく銀行強盗だなんてして、少しは真面目に働いて稼いだら? ……あ、ごめん。真面目に働いてたのに解雇されたあなたにそんなこと言うのは変だったよね」
「いちいち癇に障るな貴様は」
アームを相手に戦うのも慣れてきた。私は敵のリーチの長さを逆手に取り、飛びかかったアームに糸を絡ませる。するとアームが伸び縮みする度に糸が絡み、段々と博士の動きが鈍くなってきた。
「それ、絡まったら解くの大変だからね。ボクも昔はよく絡まったし、というか今でもたまーに絡まるんだけど……でも大丈夫! 二時間くらいで勝手に消えてなくなるか、もしくは溶剤かけて溶かせば良い……って」
ギチギチとアームが音を立て、無理やり私と蜘蛛糸を引き千切る。
「まぁ、無理やり引っ剥がすのも一応解決策の一つではあるね。下手すると皮が剥がれるからメーカー非推奨なんだけど」
「悪いが時間がないのだ。貴様のおしゃべりに付き合っている暇はない」
蜘蛛糸を完全に振り払った博士は、私に背を向け逃げ出した。
「そんな、待ってよドック・オク! 話したいことがたくさんあるんだ、ところでなんで急いでるの? もしかしてこのあと闇の取引で闇のトリチウムを買うとか? 興味があるから、ボクも連れてってよ」
「私に付き纏うな!」と博士は辟易したように叫び、無関係の通行人を掴んでは私に投げ飛ばす。私はそれをキャッチしなければならないので、逃げる博士との距離は中々縮まらなかった。
「ふざけんな!」「さっさとそいつを捕まえろ!」「周りを巻き込むな蜘蛛野郎!」と市民の皆からの厳しいお声を頂く。
「善良なる市民の皆さん、巻き込んでごめんね! ケガだけはさせないって約束するから!」
やがて博士は地上にいては私から逃げられないと悟ったのか、すぐそこにあった地下鉄へと続く階段へと沈んで行った。
「あぁ、まずい。なんだか嫌な予感がするぞ」
通行人の波を押しのけ、強引に改札を突破する博士を追う。一方、私はちゃんとICカードをピッとかざして通り過ぎた。無賃乗車はいけないことなんだぞ。
「駅員さん、今危ないやつが中に入ったからできれば駅を封鎖して欲しいんだけど! それと、警察が来たらボクの代わりに説明しておいてくれないかな!」
改札を通り抜ける博士と私を呆然と見つめていた駅員さんに一言告げて、私は駅のホームを駆け抜ける。余計な仕事を押し付けてしまい大変申し訳ない。駅員さんに特別手当が出ることを祈ろう。
「ドクター、待て!」
発車寸前の電車に張り付いたオクタビアス博士を見つけ、私は糸を伸ばした。
糸は届いたが、電車が動き出したことで私の体は線路に何度も打ち付けられる。そのせいで線路の枕木が何本もお亡くなりになった。南無。
「いったた。枕木硬すぎでしょ、でもメンテナンスが行き届いてる証拠だね。人知れず事故を防いでいるニューヨークメトロの整備士に感謝」
糸を伝って車両の屋根に登る。視線の先には、私を愉快げに見つめるオクタビアス博士の姿があった。
どうやら、私の嫌な予感は当たっていたらしい。
「あー、オクタビアス博士。もしかして列車を暴走させたりなんてしてないよね」
「おお、素晴らしい提案だなスパイダーマン。さっそく実践させて貰おう。……なんと、しまったな。既に暴走した列車を再び暴走させる術を私は知らない」
そう言うと、彼は隣の対向車線を走る電車に飛び乗る。
「さぁ、急がないと君は列車事故を止められなかった大戦犯として新聞に載ることになるぞ!」
それからそんなセリフとともに、博士は地下トンネルの闇の中へと消えていった。
「あぁ、まずいまずいまずい!」
車両の先頭に這い寄り、慌てて運転席に首を突っ込む。そこには無残にも破壊された操作パネルと、顔を真っ青にした運転手の姿があった。
「どうも運転手さん、ちょっと良いかな?」
「だ、誰だ君は!」
「スパイダーマンって言います! ところでこの先って道が途切れてたりしないよね?」
「い、いや、終点は大分先だ」
良かった、線路の終わりに突っ込んでみんな死ぬなんて結末になりそうになくて。
だが安心したのも束の間、私の第六感が警鐘を鳴らす。
「運転手さん、今すぐ運行ダイヤ確認して!」
「な、なんだって?」
「この先に止まってる列車はないかって聞いてるの! どう?」
「……! あぁ、二駅先に止まってる。このままだとぶつかっちまうぞ!」
なんてこった、列車が線路の行き止まりに突っ込むよりももっと酷いじゃないか。列車同士の衝突となると、単純計算で失敗した時の犠牲は列車二つ分。つまりリスク二倍である。
「止められないの!? 何かこう、手動で電源切るとか!」
「やってみるが、間に合うかどうか」
「ならやってちょうだい。足りない時間は、ボクが間に合わせるから……!」
列車の前に張り付き、私は目を閉じた。
今日は厄日だ。ドクター・オクトパスという存在が現れた以上、この展開もあり得てしまうのは分かる。でもそれにしたって、自分がまさか暴走列車を止めることになるなんて。
蜘蛛糸を飛ばし、地面に引っ掛け死ぬ気で引っ張る。すると私をストッパーにして、少しずつ電車のスピードが落ち始めた。
そして次の瞬間、右と左からとんでもない張力が私を襲う。
「ぐ、う……っ!」
まるで体が裂けてしまったかと錯覚するほどに痛い。その耐え難い痛みから逃れるために手を離してしまいたいけれど、私は必死に糸を握り締めた。
耳を澄ませば、列車が線路の上を滑る金属音の中に微かに、中にいる人たちの声が聞こえてくる。
パニックを起こしてる人の声。怒ってる人の声。泣いてる人の声。それから、助けを求める人の声。
誰かが言った。「アイアンマンは来てくれないのか」と。「アベンジャーズは来てくれないのか」と。残念だけど、彼らは世界を守るヒーローだ。ニューヨークだけを守っているわけじゃない。
だから、彼らが留守にしている間は誰かが、この街を守らないといけないんだ。
「……っ、まだ倒れちゃだめだ。私はこの街の、たった一人の
気を失うわけには行かないと、私は腹から声を出して自分を鼓舞する。
そして。
「……あぁ、ヤバい。流石に死ぬかも」
永遠にも思える苦痛の末、列車の先頭で磔にされた私は、そのまま前方に止まっている列車との間でぺしゃんこにされて気を失った。