さて、これより語られる世界は標本であって標本ではない。
晶海龍クリスタ=リヴァ。
終焉を逃れた世界をその身に宿し、失われた文明を記憶し続ける蒼き龍。
その内には無数の世界が存在する。
滅びた世界。
終わった文明。
叶わなかった可能性。
誰にも知られず消えた神話。
それらは結晶の海に沈み、静かに保存されている。
【標本】、そう呼ぶのが最も正しい。
何故ならそれらは既に終わっているから。
変化せず。
成長せず。
進まず。
戻らず。
ただ在る。
記録として。
歴史として。
記憶として。
だが、例外が存在する。
クリスタ=リヴァ自身ですら、完全には理解していない例外。
本来なら止まる筈だった世界。
終焉を迎えた筈の文明。
保存された筈の歴史。
それらが。未だ動いている、活いている、生きている。
まるで終わりを知らないかのように。
まるで終焉そのものを否定するかのように。
標本として飾られる事を拒み。
記録として閉じられる事を拒み。
過去になる事を拒み。
今なお世界であり続けている。
それは奇跡ではない。
奇跡という言葉では足りない。
執念。
願望。
渇望。
狂気。
理想。
諦念。
希望。
絶望。
世界ごとに理由は違う。
だが結果は同じ。
彼らは終わらなかった。
終わる事を拒んだ。
いや、終焉という概念に「待った」を掛け続けている。
無量大数を超える終末。
数え切れぬ滅び。
ヨルム=ラグナが与えた終焉。
あるいはそれ以外の終わり。
その全てを潜り抜けて。
削られ。
壊れ。
失い。
なお残った。
だからこそ、ここから語られる世界は特別である。
クリスタ=リヴァの体内世界。
その中でも更に異質。
保存される側ではなく、今もなお未来を持つ世界。
終わった筈なのに続いてしまった世界達。
そして現在、新しくその兆候を見せている世界が三つ存在する。
《不変の世界群》
忘れられたくない世界達の叫び。
標本でありながら、
少しずつ互いを観測し始めた世界。
《終末世界》
人類が消えた後も、
百六十八冊の手記を中心に、
未だ何かを語り続ける世界。
《未誕世界》
始まらなかった筈なのに、
少しずつ「もしも」を増やし続ける世界。
彼らはまだ標本だ。
だが。
完全な標本ではない。
いつの日か。
こちら側へ来るかもしれない。
終わった世界から。
生きる世界へ。
そしてこれより語られる世界は、
その先達である。
終焉を拒んだ世界。
記録である事を拒絶した世界。
クリスタ=リヴァの体内ですら、
独立した生命のように脈動する世界。
神話にも似た。
怪物にも似た。
世界そのものが【到達者】となったような存在達。
彼らは滅びない。
いや、滅びる事はある。
何度でも。
だがその度に続く。
続こうとしてしまう。
それがどれほど歪でも。
どれほど美しくても。
どれほど哀しくても。
だからこれは、世界の終わりの物語ではない。
終わった後も続いてしまった世界達の物語である。
さぁ…。
晶海龍の胎内へ潜ろう。
忘却の海を越え。
結晶の空を渡り。
終焉の向こうへ。
無量大数の終焉を拒んだ奇跡達を、今から語ろう。
………………………………
先ずは
逆刻文明《レトログラード》
すべてが新しかった世界。
すべてが完成していた世界。
唯一ヨルム=ラグナが終焉の対象にしなかった世界。
或いは、始まったから終わった世界。
逆刻文明《レトログラード》
すべてが新しかった世界。
すべてが完成していた世界。
そして唯一、終焉の蛇ヨルム=ラグナが終焉の対象としなかった世界。
それは慈悲ではない。
見逃しでもない。
まして敗北でもない。
ただ終わる必要が無かったのだ。
なぜならこの世界は既に終わっていたから。
あるいは終わりから始まっていたから。
始まりの日
その日。
世界は完成していた。
文明は極まっていた。
技術は限界に達していた。
哲学は答えを見つけていた。
神秘は解明され、物理は統合され、芸術は完成され、戦争は歴史となっていた。
人々は幸福だった。
飢餓は無く、病は無く、争いは無く、未知すら無かった。
全てが在った。
全てが満たされていた。
そして、その瞬間。
世界は産まれた。
時間
この世界の時間は逆に流れる。
だが誤解してはならない。
人々の認識が逆転している訳ではない。
住民達にとって時間は正常に進んでいる。
昨日があり、今日があり、明日がある。
何もおかしくない。
異常なのは世界そのもの。
世界の歴史が逆向きに進んでいる。
未来から過去へ、完成から未完成へ、結果から原因へ、終焉から誕生へ。
失われるもの
この世界では発明が消える。
ある日。
空を飛ぶ船が無くなる。
誰も驚かない、それは歴史だから。
その技術はまだ発見されていないのだ。
またある日。
星間航行が失われる。
さらに後。
魔法理論が消える、神々との対話法が消える。
そして文明は少しずつ若返る。
退化ではない、回帰でもない、歴史を遡っているだけ。
人々
だからこの世界の人々は知っている。
いつか自分達は無知になる。
いつか神秘を恐れる。
いつか火を発見する。
いつか言葉を覚える。
いつか名前を持つ。
そして最後には…まだ生まれていない自分へ辿り着く。
彼らはそれを恐れない。
なぜなら、その全てを既に経験した後だから。
子供達
この世界では老人が減っていく。
歳を取るのではなく、若返る。
百年を生きた賢者は。
九十九歳になり、九十八歳になり、やがて子供になる。
赤子になる。
そして消える。
住民達はそれを死と呼ばない。
帰還と呼ぶ。
神々
神々もまた逆行する。
世界を創った神は徐々に力を失い、神話となり、伝説となり、信仰となり、概念となって…最後にはただの願いへ還る。
ヨルム=ラグナ
ヨルム=ラグナが初めてこの世界を見た時。
終焉を与えようとした。
だが気付いた。
必要が無い事に。
この世界は既に終わっている。
正確には、終焉の向こう側から始まっている。
彼が終わらせるまでもなく既に終末を通過していた。
だからヨルム=ラグナは去った、唯一何もせずに。
あれは終焉を知らない世界ではない。
終焉を記憶している世界だ。
【到達者】
この世界から現れた到達者は存在しない。
少なくとも歴史上は。
なぜなら到達とは前進だから。
この世界に前進は無い。
だが一つだけ、伝説が残っている。
世界の
いや。
ある人物が居たという。
名前も無い、記録も無い、性別も種族も不明。
ただ、世界が
まだ何も無い虚無の中でその者だけが立っていた。
そしてこう言ったとされる。
ああ…ようやく始まる。
クリスタ=リヴァ
クリスタ=リヴァがこの世界を保存した理由。
それは美しかったからではない、強かったからでもない。
ただ、彼の者が初めて見たから。
終焉を恐れない世界を。
終わる事を受け入れた世界を。
始まりへ向かう世界を。
だから今も、逆刻文明《レトログラード》はクリスタ=リヴァの体内で静かに歴史を遡り続けている。
都市は村へ。
村は集落へ。
集落は焚き火へ。
焚き火は火種へ。
火種は雷へ。
雷は空へ。
空は静寂へ。
そしていつの日か、世界そのものが消えるだろう。
だがそれは滅びではない。
この世界にとっての誕生である。
だから逆刻文明の最古の碑文にはたった一文だけ刻まれている。
或いは、始まったから終わった世界。
そしてその下には、誰が書いたのか分からない小さな追記。
いいや、終わったから始まった世界だ。
と…。
………………………………
世界は逆行している
だが、【到達者】だけは逆行していない。
そしてここから先のこの世界の物語は、 逆刻文明そのものではなく、たった一人だけ未来へ進み続けた異常者の物語だ。
逆刻文明《レトログラード》
第二名称
正刻世界《クロノ=オリジン》
………………………………
過去へ向かう世界。
終わりから始まりへ向かう世界。
完成から未完成へ至る世界。
間違いではない。
だが、正しくもない。
なぜなら彼らは最も重要な事実を知らない。
逆刻文明は終焉の先にある。
それは真実。
しかし終焉を迎えた訳ではない。
ヨルム=ラグナが訪れた訳でもない。
世界を壊す怪物が現れた訳でもない。
滅びた訳でもない。
世界はただ、最初からそうだった。
時間が逆に流れていた。
いや、もっと正確に言うなら我々が時間と呼ぶものが、この世界では逆向きだった。
最後の言葉
逆刻文明には神話がある。
文明最初の日。
世界最後の日。
そのどちらとも呼ばれる瞬間、誰も存在しない筈の場所でたった一言だけが現れた。
声の主はいない。
記録も無い。
ただ言葉だけ。
―――ああ…ようやく始まる。
その言葉だけが、原因も無く、理由も無く…原点から現れた。
そして世界は動き始めた。
【到達者】
だが、ここからが異常だった。
世界は逆行する。
文明も逆行する。
神々も逆行する。
歴史も逆行する。
全てが過去へ向かう。
だが、一人だけ違った。
たった一人、未来へ進む者がいた。
異常者
彼は学者だった。
あるいは哲学者。
あるいは発明家。
あるいはただの狂人。
記録によって異なる。
だが共通する事が一つ。
彼は未来を見ていた。
世界中の誰もが昨日を知り、更なる昨日を知ろうとする中で…彼だけは明日を考えた。
存在しない筈の明日を。
まだ来ていない筈の未来を。
大天才
最初は誰も理解出来なかった。
何を言っているのか。
何を見ているのか。
何を研究しているのか。
だが彼の理論だけは、何故か正しかった。
世界が
【まだ】失っていない知識。
【まだ】存在している技術。
【まだ】完成している文明。
それらが消える前に。
彼はその喪失を予言した。
そして全て当てた。
理由
後世の研究者達は結論した。
彼は未来予知者だった?
違う。
彼は時間操作能力者だった?
違う。
真実はもっと単純。
彼だけが、【私たちから見て】正常だった。
世界だけが逆向きだった。
だから。
彼は
ただ【明日】を見ていただけ。
世界の敗北
逆刻文明はあらゆるものを逆行させた。
文明。
神話。
歴史。
生命。
法則。
だが【到達者】には届かなかった。
世界そのものが彼を逆行させる事が出来なかった。
それは初めての敗北だった。
世界という概念の敗北。
クロノ=オリジン
だから後世。
クリスタ=リヴァの体内文明では。
逆刻文明の真の名を《クロノ=オリジン》
正刻世界。
そう呼ぶ。
世界は逆だった。
だが、唯一正常だった者が居た。
だからあの世界は逆刻文明ではない。
たった一人の到達者から見れば。
最初から最後までごく普通に時間が流れていた世界なのだから。
そして逆刻文明を語る時。
研究者達は必ず世界そのものではなく、まず彼の名から語り始める。
世界が過去へ向かう中、たった一人だけ未来へ歩いた男。
《明日観測者(ネクスト=シーカー)》
逆刻文明最大の到達者。
-世界よりも先に未来へ到達してしまった大天才である。
余談、クリスタ=リヴァの性別は現在はあって無い様な者だが、あえて言うなら彼女。
彼女は世界そのものの結晶として誕生したが、その核と成り世界を変貌させたのは、ただ一人の人間の女王だった。
ただの人から世界を越える【何か】に成ったのだ。
故に、正しく彼女の記号を表すのならばこう呼ぶ。
頂上到達級【到達者】晶海龍、クリスタ=リヴァ。