十六。
北に移った日の数だ。
誰に頼まれたわけでもない。寝る前に一度だけ周りの音を数える。心臓がいくつ鳴っているかを確かめる。いつの間にかそれが習慣になっていた。
十六。
十六。
十六。
しばらくはその数が続いた。
―――――――――
冬が来た。
服に染み込んだまま抜けない湿気は、寒くなるとそのまま冷たさに変わった。乾かす場所はない。火を焚けば煙が溜まるから、濡れた布を体温で乾かしながら眠るしかなかった。
最初に咳が出たのは小さい方の何人かだった。
名前はあったと思う。誰かが呼んでいたのを聞いた覚えはある。でも僕は憶えていなかった。
その代わり音は憶えていた。
速くて浅い、鳥みたいな心臓。それが二つ、寝床の隅でいつも寄り添って鳴っていた。
咳が始まって四日目。
音が一つ減った。
十五。
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死体の始末は慣れている。
運んで、地上に出して、瓦礫の下に押し込む。
手を合わせる、という考えがまた浮かんで消えた。
前の記憶の残りかすだ。
その小さい体を運びながら、僕は妙なことに気づいていた。
静かだった。
いつも通りに。
冷たくて、静かで、何も求めてこない。
僕が一番落ち着くあの静けさ。
なのに。
落ち着かなかった。
瓦礫の下に押し込んで、寝床に戻って、その夜になってようやく分かった。
僕はこの子の音を憶えていた。
速くて浅い、鳥みたいな心臓。
それが鳴っていたはずの場所で鳴っていない。
知らない死体はただ静かなだけだ。
知っている死体は違う。
穴が開いている。
その穴の形が僕には分かってしまう。
初めて静けさを嫌だと思った。
―――――――――
いつか瓦礫の陰で知らない三人から靴と布を剥いだ時、僕は小さく「ごめんなさい」と言った。
この子には何も言えなかった。
言葉が出てこなかったんじゃない。
何を言えばいいのか分からなかった。
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二日後、隅の音がもう一つ減った。
寄り添っていた片割れだった。
十四。
今度は運んでいる間もずっと落ち着かなかった。
―――――――――
ゴウが死んだのは冬の半ばだ。
あっけなかった。
崩れかけの建物を漁っていて床が抜けた。それだけだ。
拳が硬くなる異能は、落ちていく体を支えてはくれない。
僕はその場にいなかった。行ったのはトキと、他に二人。
戻ってきたトキが「ゴウが死んだ」と言った時、僕は塩の袋を数えていた。
手が止まらなかった。
最後まで数えて、それから「そう」と言った。
それだけだった。
何も感じなかった。
ゴウは僕を「それだけ?」と笑ったし、何度か殴られかけた。アラタに庇われる僕をいつもつまらなそうに見ていた。だから何も感じないのは当然だ、と思おうとした。
でもそういうことじゃなかった。
その夜、寝床の隅で音を数えた。
十三。
数え直した。
十三。
石を割るたびに得意げに跳ねていた、あの音がない。
そこでようやく、ああ、ゴウがいない、と思った。
目で見ても、耳で聞いても、口で言われても駄目で。
音が減ったことでしか人の死が分からない。
自分のそういうところが少し怖かった。
―――――――――
十三。
十三。
十三。
冬の終わりまで、その数は動かなかった。
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春先にユキが連れて行かれた。
その日、僕は寝床に残っていた。
北に移ってから市は遠くなった。僕がついていく意味があるのは大人と話す時だけで、廃墟を漁るだけなら体の大きい連中で足りる。
ユキは漁りに出ていた。狭いところに潜り込める異能は崩れた家の奥を探るのに向いている。本人もそれを分かっていて、最近は自分から行きたがった。
トキと、ハルと、他に一人。四人で出た。
僕は寝床で芋を数えていた。
―遠くで何かが跳ねた。
最初は気のせいだと思った。
ここから地上までは長い坂と、曲がり角が二つある。壁も厚い。
でも北に来てから僕の届く範囲は伸びていた。
それに、知っている音なら遠くからでも拾える。
ユキの心臓は他の子より少しだけ速い。鉄骨の下で歪んだあの日から、ずっと。最近はそれでも、前よりいくらかゆっくり鳴るようになっていた。
その音が今跳ね上がっていた。
跳ねて、跳ねて、跳ね続けて、僕の頭の内側を引っ掻いた。
助けて、という音だった。
言葉じゃない。
ただ、生き物が本気で怖がる時の音。
河原で聞いたのと同じ音だった。
―気がついたら走っていた。
―――――――――
自分でも意味が分からなかった。
僕は戦えない。
行ったところで何もできない。
行けば僕も捕まる。走りながら、僕の頭はずっとそれを考えていた。
やめろ。戻れ。損しかしない。
そう考えているのに足が止まらなかった。
河原ではあれだけ動かなかった足が。
坂を上って、角を曲がって、もう一つ角を曲がって、瓦礫を乗り越えて、排水口の縁に手をかけて。
地上に顔を出した時には、もう遅かった。
―――――――――
黒い車だった。
この街で走っているのを見るのは、これで四度目だ。
車はもう動き出していた。
その中から音がしていた。
ユキの心臓。速い。速すぎる。
それから、他にも二つ。
知らない音だ。うちの子じゃない。どこか別の場所で拾われた別の子供。
大人の音が三つ。
どれも落ち着いていた。
仕事の音だった。
そのうちの一つは、息を吐き終わる時に小さく喉を鳴らす癖があった。
どうでもいいことだ。なのに憶えてしまった。
トキとハルたちの音は、少し離れた瓦礫の陰で三つ固まって震えていた。
僕は排水口の縁にしがみついたまま動けなかった。
息が上がって、心臓がうるさくて、それが自分のものなのか車の中のものなのか、一瞬分からなくなった。
―――――――――
黒い車がどこへ行くのか僕は知っている。
河原だ。
一列に並べられて、あの男が前を歩く。
―いや。
ユキは女の子だ。
異能持ちの女の子は貴重だ。
すぐに河原へは行かないのかもしれない。飯を食わせてもらえる。寝床ももらえる。大きくなるまで。
大きくなったら。
番わされて、混ざった子を。
その子もいつか並べられて。
それとも、ユキ自身が先に並べられて、頭に手が―
―――――――――
僕はそこで考えるのをやめた。
―――――――――
車が角を曲がって見えなくなった。
音は少しずつ遠ざかっていった。
伸びたはずの僕の届く範囲のずっと先まで。
最後までユキの心臓は速いままだった。
―――――――――
トキたちが寝床に戻ってきたのはそれからしばらくしてからだった。
ハルは泣いていなかった。泣いて泣いて、枯れ果てて。
トキが話した。
崩れた家の奥を漁っていたら車が来た。大人が降りてきて、真っ直ぐユキのところに来た。探していたみたいだった。
「ユキ、一回はすり抜けたんだ」
トキは言った。
「ぐにゃってなって、あいつの手が抜けて。それで逃げかけて」
そこで止まった。
続きは聞かなくても分かった。
戻るのに十秒かかる。
二度目はない。
あの半グレの連中はそれを知らなかった。
でも黒い車の大人たちはたぶん知っていた。一度すり抜けさせて、戻るのを待ってから掴めばいいことを。
探していた、とトキは言った。
体がぐにゃっとなるガキがいる。
あの日半グレの男が言っていた噂だ。
噂はもっと上まで届いていた。
―――――――――
誰かが泣いた。
誰かが黙った。
それから、誰かが言った。
「……なんで」
小さい声だった。
マチだった。
熱を出して、僕が井戸から盗んだ水を飲んだ子。喋らない子。僕はこの子の声をほとんど聞いたことがない。
ユキといつも一緒に寝ていた。
「リツ、わかるんでしょ」
マチは僕の服の裾を掴んでいた。
「うそとか、ぜんぶ、わかるんでしょ」
「……うん」
「じゃあ、なんで」
その先は言葉にならなかった。
なんでユキが連れていかれるのは分からなかったの。
なんで間に合わなかったの。
僕は答えなかった。
分かった。走った。間に合わなかった。それだけだ。
でもそれを言えば、この子はきっと考えてしまう。リツがもっと早く走っていれば、と。
そう思わせたくなかった。
だから黙っていた。
マチは裾を掴んだまま座り込んで、それきり何も言わなかった。
―――――――――
夜、アラタが隣に来た。
「地上まで出たんだってな」
「……うん」
「一人で」
「うん」
アラタはしばらく黙っていた。
怒られると思った。
「なんで行った」
口を開いて閉じた。
得はない。むしろ損しかない。僕はそういう考えができるし、しない奴を馬鹿だと思っている。
なのに体が先に動いた。
「……分かんない」
「……」
「音がして、そしたら走ってた」
言ってから河原のことを思い出した。
あの夜は四つの音がしてそれでも僕は動けなかった。
今日は一つの音で走った。
どっちが本当の僕なのか分からない。
アラタが小さく笑った。
喉のあたりで空気が一度だけ跳ねる、あの笑い方で。
「お前、そういうとこあるよな」
「……ないよ」
「あるよ」
「ない」
「あるって」
馬鹿みたいなやり取りだった。
少しだけ腹が立って、それからなぜか喉の奥が詰まった。
―――――――――
「なあ、律」
アラタが天井を見上げた。
手を伸ばせば届く天井を。
「もし俺が連れてかれたら、追ってくんなよ」
「……なんで」
「お前が来てもどうにもならねえだろ」
「……」
「それに、お前が来たら俺は諦めがつかなくなる」
返事をしなかった。
アラタの心臓はいつも通り落ち着いていた。
嘘じゃない。本気で言っている。
それが嫌だった。
この男はいつも本気だ。庇う時も、損をする時も、自分がいなくなる時の話をする時も。
だから僕はいつも言い返せなくなる。
「……知らない」
そう言って背中を向けた。
アラタは何も言わなかった。
少ししてから僕の背中に自分の背中を預けてきた。
それだけで寒さがいくらか薄まった。
―――――――――
その夜、僕は数を数えた。
十二。
それから一人ずつ音の形を憶え直した。
全部憶えた。
憶えておけば、次に減った時それが誰か分かる。
―なんて意味のないことをしているんだろう。
分かったところで何もできないのに。
十二の音を順番に確かめて。それからここではもう鳴っていない音を数えた。
鳥みたいな心臓が二つ。
石を割るたびに得意げに跳ねた音が一つ。
河原の四つ。
それから、ユキ。
十二と、八。
目を閉じても、どちらの数も減らなかった。
オリ主
・名前は律(リツ)
・転生者、ヒロアカは大筋しか知らない。しかもうろ覚え
・前世の記憶はほぼなし
・いろんなものを感じ取ってしまう個性
・チビ、ガリ
アラタ
・孤児集団のまとめ役
・孤児の中ではかなり大きい
・孤児とは思えないほど理知的。めっちゃ面倒見がいい
・個性は肉体の硬化。腕が石とも金属ともつかない何かに変わる
トキ
・律より少し年上の少年
・個性は嗅覚の異常な強化
・孤児集団では一番冷静。言い争いをしない
・常に悪臭が蔓延してるから結構苦労している
ハル
・律より二つ三つ下の少女。
・指先が橙色に光る個性
ゴウ
・律より年上の少年
・拳が固くなる個性
どんな評価でも感想でもモチベになりますのでどうか…