徒花の咲く頃   作:あいいろのふとん

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第二話

 死体は静かだ。

 

 これは僕にとってかなり重要な発見だった。

 

 地下水道には常に音が満ちている。

 

 二十人からの子供が身を寄せ合って眠っていれば、そのぶんだけ心臓が鳴り、肺が膨らんで縮み、喉が鳴り、瞼が動く。僕はそれを一晩中浴び続けている。目を閉じても、耳を塞いでも、逃げ場はない。

 

 だから僕は、瓦礫の中で転がっている人たちのそばにいるのが嫌いじゃなかった。

 

 彼らは何も発しない。

 

 息をしていないし、心臓も動かない。指先ひとつ揺れない。あれだけうるさかった世界が、彼らの周りだけぽっかりと静まり返っている。

 

 冷たくて、静かで、何も求めてこない。

 

 ——ここが一番、落ち着く。

 

 そう思っている自分に気づいた時、自分がだいぶまずいところに来ているんだろうな、と他人事のように考えた。

 

 考えただけでやめなかったけれど。

 

 

―――――――――

 

 

「リツ、そっち」

 

 ハルが指を差す。

 

 差した指先がぼんやりと橙色に光っていた。蝋燭よりは明るく、電球には遠く及ばない。それでも崩れたビルの内側を歩くには十分な明かりだ。

 

 ハルは僕より二つ三つ小さい女の子で、この光を出す以外には何もできない。熱くもならないし、眩しくもならない。ただ光るだけ。

 

 でも、この集団の中でハルの序列は下の方じゃない。

 

 明かりは時によってはご飯より価値がある。

 

「待って」

 

 ハルの肩を掴んで止めた。

 

「……いる」

 

「え」

 

「上。二階か三階。たぶん三人」

 

 ハルの指の光がぶるっと震えた。

 

 それを見なかったふりをして耳を澄ませる——というのは、たぶん正確じゃない。耳は関係ない。

 

 壁の向こうに、鼓動がある。

 

 三つ。ひとつは大きくて遅い。大人の……男だ。あとの二つは速い。子供か、怯えている大人か。

 

 どれも生きている。生きていて、動いている。

 

 つまり僕たちと同じことをしている連中で、つまり鉢合わせたら物資を取り合うことになる相手だ。

 

「戻ろう」

 

「でも、まだ何も」

 

「戻ろう」

 

 もう一度言った。

 

 ハルは唇を尖らせたがそれ以上は何も言わなかった。

 

 三ヶ月前なら、こうはいかなかった。

 

 

―――――――――

 

 

 崩れたビルから引き上げて、瓦礫の陰でトキと合流する。

 

 トキは僕より一つ上の男の子で、鼻が異常に利く。血の匂いを風上から嗅ぎ分けられるし、腐り始めた肉が近くにあれば方角まで当てられる。

 

 便利だが本人はこの異能をひどく嫌っている。

 

 当然だと思う。こいつの鼻に一番よく引っかかるのは、いつだって死んだ人間の匂いなんだから。

 

「南に三つ」

 

 トキは鼻の下を擦りながら言った。

 

「まだ新しい。今日か、昨日」

 

「争った跡は」

 

「たぶんない。……病気か、飢えだと思う」

 

 僕は頷いた。

 

 新しい死体は当たりだ。まだ誰にも漁られていない可能性が高いし、身につけている物が濡れて腐ってもいない。

 

 逆に、争って死んだ死体は外れどころか罠になる。殺した側がまだ近くにいることがあるからだ。

 

「行こう」

 

 そう言うと、トキは僕の顔をちらりと見た。

 

「……お前、平気なのか」

 

「何が」

 

「いや」

 

 トキはそれきり黙った。

 

 平気だ、と言おうとしてやめた。

 

 平気どころか好きだ、なんて言ったら、こいつはどんな顔をするだろう。

 

 

―――――――――

 

 

 三つあった。

 

 男が二人と、女が一人。壁にもたれるようにして、並んで座っていた。

 

 誰も何も発していない。

 

 少しだけ息を吐いた。

 

 この静けさが、体の芯まで染みてくる。地下水道の喧騒から離れて、ようやく自分の輪郭が戻ってくるような感覚。

 

 トキが先に手を伸ばして、男の懐を探った。僕もそれに倣う。

 

 乾いた芋が二つ。錆びたナイフ。名前の書かれた紙切れ。それから、女の指に嵌まっていた金属の輪。

 

「ねぇ」

 

 女の靴を脱がせながら言った。

 

「これ、まだ履ける」

 

「ハルにあげよう。底が抜けかけてるし」

 

「サイズ合わねぇよ」

 

「布詰めればいい」

 

 トキは「それもそうか」と言って、靴を袋に放り込んだ。

 

 僕たちは死んだ三人から、芋二つとナイフと金属の輪と靴、そして血に染まっていない部分の衣服を全て剥ぎ取った。布は貴重だ。いくらあっても足りないくらいだ。

 

 手を合わせる、という発想が一瞬だけ浮かんで、すぐに消えた。

 

 前の記憶の残りかすだ。

 

 そんなことをしている暇があったら、次を探した方がいい。

 

 それでも、全裸で放置するのはなんだか申し訳なくてボソッと

 

「ごめんなさい」

 

 小さく呟いた。

 

 

―――――――――

 

 この時代の異能は、ろくなものじゃない。

 

 僕がそう言うとたぶん前の世界の人間は笑うだろう。超能力だぞ、と。手から炎が出たり、空を飛んだり、そういうやつだろうと。

 

 違う。

 

 ハルは光るだけ。トキは鼻が利くだけ。他の連中も似たようなものだ。爪が少し伸びるとか、指が増えるとか、片目だけ夜目がきくとか。

 

 どれも自分の体が少しおかしくなっている、という程度のものでしかない。

 

 外に干渉できる異能を持っている奴なんて、この集団には一人もいなかった。

 

 ——アラタが目覚めるまでは。

 

 

―――――――――

 

 

「見てろよ」

 

 ゴウが拳を握って、瓦礫の欠片を殴りつけた。

 

 鈍い音がして、石が割れた。

 

 ゴウの拳には傷ひとつついていない。

 

「一昨日より硬くなってる。もっといけるぞ、これ」

 

 周りの子供たちが、おお、と声を上げる。

 

 ゴウは僕より三つ上で、体格もこの集団では上から数えた方が早い。その上で拳が硬くなる異能を持っている。

 

 しかも親も異能を持っていたらしい。

 

 この時代、それは特別な意味を持つ。

 

 異能を持った親から生まれた子供は、大抵は親のどちらかの異能を受け継ぐ。

 

 だが時々、両方が混ざったものが出る。そういう子の異能は、大抵、親のどちらよりも厄介で、強い。

 

 第二世代、と大人たちは呼んでいた。

 

「なあリツ」

 

 ゴウがこっちを向いた。

 

 嫌な予感がした。予感というか、こいつの心臓が今、少しだけ楽しそうに跳ねたのが分かった。

 

「お前、何ができるんだっけ」

 

「……嘘が分かる」

 

「それだけ?」

 

「それだけ」

 

「そんで、俺の拳を止められるのか」

 

 止められない。

 

 言うまでもなかった。

 

 この集団の序列は単純だ。何ができるか。それだけだ。

 

 殴れる奴が上で、殴れない奴が下だ。ハルの明かりや、トキの鼻は「役に立つ」から中間にいられる。

 

 僕は。

 

「律は俺の隣だ」

 

 声がした。

 

 ゴウの背後から、アラタが歩いてくる。

 

 右腕の肘から先が、灰色に変わっていた。石とも金属ともつかない、鈍く光る何かに。

 

 それがすっ、と元の肌の色に戻る。

 

「律の言うことは、俺の言うことだ」

 

「……別に、何もしてねえよ」

 

 ゴウは肩をすくめて離れていった。

 

 その心臓が、ほんの少しだけ速くなったのを感じ取った。

 

 悔しがっている。

 

 当然だ。ゴウは拳しか硬くならない。アラタは腕ごと変わる。同じ第二世代でもその差は歴然としていた。

 

 

―――――――――

 

 

「庇わなくていい」

 

 夜、地下水道に戻ってから言った。

 

「余計に目をつけられる」

 

「知ってる」

 

「じゃあ」

 

「それでも、お前がいなくなったら困る」

 

 アラタはそう言って壁にもたれた。

 

 嘘じゃなかった。

 

 こいつの心臓はいつも通りに落ち着いて鳴っている。この男は、本当にそう思って言っている。

 

 少し困ってしまった。

 

 嘘が分かる、というのは、要するに本当のことも分かってしまうということだ。

 

 誰かが本気で自分のことを心配していると、それが誤魔化しようもなく伝わってくる。

 

 こういう時、どういう表情をしたらいいのか分からなくなる。

 

「……水」

 

「あ?」

 

「水汲んでくる。喉渇いた」

 

 立ち上がって、逃げるようにその場を離れた。

 

 背中でアラタが小さく笑ったのが音で分かった。

 

 

―――――――――

 

 

 ユキが変わったのは、それから半月ほど経った頃だ。

 

 ユキはハルより小さい女の子で、たしか何もできない側の子供だった。少なくとも、それまでは。

 

 崩れた工場の中を漁っている最中、上から鉄骨が落ちてきた。

 

 僕は反応できなかった。

 

 落ちてくる物は当然だが生き物じゃない。だから僕にはそれが落ちてくることが分からない。

 

 叫んだのはトキだった。

 

 次の瞬間、ユキの体が——ぐにゃりと歪んだ。

 

 水に落とした墨みたいに、輪郭が崩れて、広がって、鉄骨がその中を素通りした。

 

 地面を打つ轟音。

 

 ユキは、無事だった。

 

 ただし、元の形に戻るまでに十秒近くかかった。戻った時、ユキは自分の手を見つめて、それから声を上げて泣き出した。

 

 誰も慰めなかった。

 

 その代わり、その日から、ユキに話しかける子供の数が明らかに増えた。

 

 

―――――――――

 

 

「あいつ、拾われてきたんだ」

 

 その夜、アラタが言った。

 

「どっかの育児部屋から捨てられてたのを、誰かが連れてきたって」

 

「……育児部屋?」

 

「異能持ち同士にガキを産ませて育てる場所があるんだと。強力な異能持ちを増やすために」

 

 初めて聞く話だった。

 

「そこで、異能が出なかったんだろうな。だから捨てられた」

 

 アラタは天井を見上げた。

 

「今なら、拾いに来るのかもな」

 

その言い方が、やけに嫌な感じで耳に残った。

 

「なあ、律」

 

「なに」

 

「こういうの、いつまで続くんだ」

 

 こういうの。

 

 ただ異能を持って生まれただけなのに、まるで家畜のように子供を産ませられたり。

 ただ生きるために、死体漁りを続ける日々に。

 

 僕は、前の世界の記憶を引っ張り出そうとして、失敗した。

 

 金髪の男の笑顔。空を飛ぶ人間。街を守る人たち。そんな断片ばかりが浮かんできて、その手前に何があったのか、どうやってそこに辿り着いたのかは、まるで思い出せない。

 

 僕は途中を知らない。

 

 結末だけを、うっすらと知っている。

 

「……いつか」

 

「みんなが異能を持ってる時代が来ると思う」

 

「みんな?」

 

「うん。ほとんど全員。それが普通になる」

 

 アラタが顔をこっちに向けた。

 

「そうなったら、こういうのは無くなるのか」

 

 こういうの。

 

 死体を漁って、靴を剥ぎ取って、衣服をはぎ取って、それを当たり前だと思っている生活のこと。

 

 僕は少し迷って、それから頷いた。

 

「無くなる。誰かが、なんとかする」

 

「誰かって誰だ」

 

「知らない」

 

「知らないのかよ」

 

 アラタが笑った。

 

 今度は声に出して。

 

 久しぶりに聞く音だった。

 

 

―――――――――

 

 

 その夜、僕は死体のことを考えていた。

 

 冷たくて、静かで、何も求めてこない人たち。

 

 僕が唯一、心から落ち着いていられる場所。

 

 

 もしいつか、僕が言った通りの時代が来るとして。

 

 その時、僕はどこにいるんだろう。

 

 周りには相変わらず二十人分の心臓が鳴っていて、その中で、目を閉じて、静けさのことを考えていた。




オリ主
・名前は律(リツ)
・転生者、ヒロアカは大筋しか知らない。しかもうろ覚え
・前世の記憶はほぼなし
・いろんなものを感じ取ってしまう個性
・チビ、ガリ

アラタ
・孤児集団のまとめ役
・孤児の中ではかなり大きい
・孤児とは思えないほど理知的。めっちゃ面倒見がいい
・個性は肉体の硬化。腕が石とも金属ともつかない何かに変わる

トキ
・律より少し年上の少年
・個性は嗅覚の異常な強化
・孤児集団では一番冷静。言い争いをしない
・常に悪臭が蔓延してるから結構苦労している

ハル
・律より二つ三つ下の少女。
・指先が橙色に光る個性

ゴウ
・律より年上の少年
・拳が固くなる個性


どんな評価でも感想でもモチベになりますのでどうか…


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