嘘には、必ず引っかかりがある。
僕はそう考えるようになっていた。
人が嘘をつく時、体のどこかが必ず一度つまずく。
息がずれる。脈が跳ねる。喉が締まる。
感覚的だが確かに違う。
本人はそれに気づいていない。気づいていたらそもそも隠せている。
だから言葉じゃなくてそっちに全神経を研ぎ澄ませる。
布を裏返して縫い目を探すのと同じだ。表からどれだけ綺麗に見えても、裏には必ず糸の跡がある。
——そう、必ず。
この頃の僕は、本気でそう思っていた。
―――――――――
その子供が現れたのは雨の日だった。
地下水道の入り口、瓦礫で半分埋まった排水口の隙間から、ずぶ濡れの小さいのが転がり込んできた。
僕より一つか二つ下。痩せていて、汚れていて、片方の靴がない。
この時代の子供として、何ひとつ珍しいところのない姿だった。
「たすけて」
そいつはそう言った。
声が震えていた。
肩も震えていた。
そして、心臓が破裂しそうなくらいに速かった。
僕は壁際に座ったまま、動かなかった。
「追われてる」
「誰に」
ゴウが前に出る。拳がもう硬くなっている。
「大人。三人。……たぶん、まだ近くにいる」
子供たちがざわついた。
当然だ。追われている奴を招き入れるということは、追っている連中をここに呼び込むということだ。
「入り口見てこい」
アラタの指示で、二人が走っていった。
それから、アラタは僕を見た。
言葉はなかった。ただ、こっちを見ただけ。
僕の出番ということだ。
―――――――――
僕はそいつの正面にしゃがみ込む。
目線を合わせる。
この距離なら、瞬きの回数も、瞳の揺れも、声の揺れも、全部が手に取るように入ってくる。
「名前は」
「……サト」
つまずいた。
分かりやすく声が震えた。
「本当の名前は」
そいつの目が、大きく開いた。
「え」
「サトじゃないだろ。本当の名前は」
「……なんで」
「いいから」
「…………トウ」
今度はつまずかなかった。
少しだけ体の力を抜いた。
名前くらいは誰だって偽る。それ自体は珍しくない。
問題は、こいつが偽名を使う必要のある立場にいる、ということだ。
「追われてるって言ったな」
「うん」
「大人三人」
「うん」
「そいつらは、お前を殺そうとしてる?」
「……うん」
つまずいた。
はっきりと。
声じゃない。呼吸だ。「うん」と言うより半拍早く、息が止まった。
言葉に迷った音だ。
「————」
少しの間黙っていた。
周りの子供たちが僕の顔を覗き込んでいる。ハルもトキも、僕の言葉を待っている。
厄介だな、と思った。
こいつは本当に怖がっている。
心臓の速さも、指先の震えも、呼吸の浅さも、全部が本物だ。演技じゃない。この子供は今、心の底から怯えている。
その上で嘘をついている。
この二つは矛盾しない。
僕はそれを、この時に初めて知った。
―――――――――
「お前を追ってる大人は」
言葉を選んで慎重に問う。
「お前を殺そうとしてるんじゃない。お前を連れ戻そうとしてる。違うか」
喉が鳴った。ヒュッと。
「お前は、あいつらの言うことを聞かなきゃいけない理由がある」
心臓の鼓動が早くなる。
「ここに何人いるか。どんな異能がいるか。それを聞いてこいって言われてる」
瞳が大きく揺れる。
もう心臓なんてこのままはちきれるんじゃないかってほどの勢いだ。
子供たちの空気が変わったのが背中越しに分かる。
ゴウの拳が硬くなる音。誰かが石を拾う音。トキが息を呑む音。
「殺せ」
誰かが言った。
誰の声かは分からなかった。分かりたくもなかった。
「そいつ、案内役だぞ。ここ、もうバレてる」
「殺すしかねえだろ」
「リツ、そうなんだろ? そう言ってんだろ?」
僕は答えなかった。答えられなかった。
トウは動かなかった。
逃げようともしなかった。
ただ座り込んだまま、僕の顔を見ていた。
その心臓が、さっきよりずっと速くなっている。
——ああ。
こいつは、こうなることを知っていたんだ。
―――――――――
「待て」
アラタの声だった。
ざわめきが止まる。
「律。聞け」
「……何を」
「なんでこいつが、こんなことをやってるのか」
アラタを見上げた。
こいつはいつもこうだ。一番聞かなくていいことを、必ず聞く。
僕はため息をついて、もう一度トウの正面に向き直った。
「なんで引き受けた」
「…………」
「言え。言わなきゃ、たぶんお前は今日ここで死ぬ」
言ったとしても多分変わらないけど。
トウの唇が震えた。
「……妹が」
つまずかなかった。
「妹が、あいつらのとこにいる。俺が戻らないと、妹が」
一切つまずかなかった。
一度も。
僕は目を閉じた。
ゴウが何か言いかけて、口を噤んだのが分かった。
この場にいる全員が、そういう話を知っている。誰かの弱みを握って使う大人がいることも、その弱みが大抵は家族であることも。そして、握られた側に選択肢なんてないことも。
「……本当だ」
僕は言う
。
「こいつの話は、全部本当だ」
―――――――――
結局、僕たちはその夜のうちに地下水道を移った。
場所を知られている以上、そうするしかなかった。荷物をまとめて別の排水路まで歩いた。雨の中を、ずっと。
トウは連れて行かなかった。
連れて行けなかった、と言った方が正確かもしれない。
妹を人質に取られている子供を仲間に加えることは、いつでも裏切られる爆弾を抱えて歩くのと同じだ。それをやれるほど僕たちには余裕がない。
アラタもそれは分かっていた。
だから追い出した。
殴りもしなかったし、脅しもしなかった。ただ「行け」と言っただけ。
トウは何も言わずに立ち上がって雨の中に出て行った。
その背中を見送りながら、こいつが今夜どうなるか考えてしまった。
きっと死ぬ。
情報を持ち帰れなかった案内役に、使い道はない。
僕らは使い捨ての駒なのだ。
―――――――――
僕は途中まで追いかけた。
自分でも、なんでそうしたのか分からない。
気がついたら足が動いていて、瓦礫を回り込んで、雨の中でトウの背中に追いついていた。
振り向いたトウは、僕を見て身構えた。
殺しに来たと思ったんだろう。
当然の警戒だ。実際、そういう始末の付け方をする集団の方が多い。
「これ」
乾いた芋をひとつ、押し付けた。
「……なんで」
「知らない」
本当に知らなかった。
「北。この道をまっすぐ行くと、川に出る。橋の下に、ばあさんが一人でいる。あそこは誰も来ない」
「……」
「妹のことは、どうにもできない。ごめん」
言ってから、なんで謝ってるんだろう、と思った。
僕が悪いわけじゃない。
僕はこいつを助ける義理もないし、そもそも僕は、こいつの嘘を暴いた人間だ。
トウは芋を握りしめて、しばらく僕を見ていた。
それから小さく頭を下げて、雨の中に消えていった。
その足音が聞こえなくなるまで、僕はそこに立っていた。
―――――――――
新しい寝床に戻ると、アラタが入り口のところに座っていた。
待たれていたらしい。
「行ってきたのか」
「……水汲んでた」
「そうか」
アラタはそれ以上聞かなかった。
僕の心臓の音が聞こえていたわけでもないだろうに、この男は時々、僕の嘘を見抜いているような顔をする。
隣に座る。
濡れた服が冷たい。
「アラタ」
「なんだ」
「あいつ、殺した方がよかった?」
自分でも驚くくらい平坦な声で聞いていた。
「そうすれば、引っ越さずに済んだ」
アラタはしばらく黙っていた。
それから言った。
「お前は、どう思う」
「僕は」
言いかけて、止まった。
言葉が出てこなかった。
殺した方が合理的だった。それは間違いない。芋をひとつ無駄にしたし、危険な目撃者を野放しにした。損しかしていない。
でも。
「……分かんない」
「そうか」
アラタは笑った。
声には出さず、喉のあたりで空気が一度だけ跳ねる、あの笑い方で。
「分かんねえままでいいんじゃねえの」
―――――――――
その日から、僕の序列が少し上がった。
名乗った名前が嘘だと言い当てた。追われている理由を言い当てた。何をしに来たかを言い当てた。
その全部を、相手が一言も認めないうちに。
子供たちは僕を少し怖がるようになった。
同時に、僕の言うことを疑わなくなった。
「リツが言うなら本当だ」
「リツが駄目って言うならやめとけ」
便利な立場だ、と思った。
戦えない僕が、この集団で生きていくには十分すぎる。
―――――――――
僕は自分の異能に、少しずつ自信を持ち始めていた。
大人の嘘は分かりやすい。
子供の嘘は、もっと分かりやすい。
こいつらはまだ嘘に慣れていないから、すぐつまずくし隠し方も下手だ。
だから僕は、この頃こう考えるようになっていた。
子供に、僕は騙せない。
嘘をつく人間は、必ずどこかでつっかえる。
だってそうだろう。
嘘をついている自覚があるから、つまずくのだ。
じゃあ。
自覚がなかったら、どうなるんだろう。
その考えは、一瞬だけ僕の頭をよぎって、すぐに振り払った。
オリ主
・名前は律(リツ)
・転生者、ヒロアカは大筋しか知らない。しかもうろ覚え
・前世の記憶はほぼなし
・いろんなものを感じ取ってしまう個性
・チビ、ガリ
アラタ
・孤児集団のまとめ役
・孤児の中ではかなり大きい
・孤児とは思えないほど理知的。めっちゃ面倒見がいい
・個性は肉体の硬化。腕が石とも金属ともつかない何かに変わる
トキ
・律より少し年上の少年
・個性は嗅覚の異常な強化
・孤児集団では一番冷静。言い争いをしない
・常に悪臭が蔓延してるから結構苦労している
ハル
・律より二つ三つ下の少女。
・指先が橙色に光る個性
ゴウ
・律より年上の少年
・拳が固くなる個性
どんな評価でも感想でもモチベになりますのでどうか…