二回に一回でいい。
アラタにそう言われてから闇市に行く回数を半分に減らした。
減らした分暇になった。
暇というのはこの時代ではあまり良いことじゃない。腹は相変わらずに減るのに、何もしていないとその分だけ誰かの取り分を食っていることになる。
だから僕は別の場所に座ることにした。
―――――――――
人が喋る場所は闇市だけじゃない。
水汲み場の列。炊き出しの順番待ち。崩れた駅舎の軒下。潰れた酒屋の跡。
そういう場所に痩せた子供が一人ぼんやり座っていても、誰も何も思わない。
物乞いだと思われれば追い払われるから僕は何も乞わない。ただ座って、時々あくびをして、退屈そうにしている。
それだけで大人は喋る。
喋りたがりだこの生き物は。
最初、これを暇潰しのつもりでやっていた。
―――――――――
その日、僕は西の外れまで来ていた。
三階建ての建物が二階から上だけ綺麗に無くなっている。一階部分はまだ形が残っていて、天井も落ちていない。
こういう場所はたまに当たりがある。
瓦礫を跨いで奥に入り、床板の隙間に手を突っ込んで錆びた工具を二本引っ張り出した。
悪くない。これなら何かと換えられる。
立ち上がろうとした、その時だった。
―――――――――
音が来た。
外から。
多い。
僕は反射的に床に伏せた。
十。十五。もっといる。二十を超えている。
どれも大人だ。足音が重い。ちゃんと飯を食っている人間の足音。
まっすぐこっちに向かってきている。
逃げ場を探した。
入り口は一つ。裏に窓があったが瓦礫で塞がっている。
僕は奥の壁際まで這って、崩れた棚の裏に潜り込んだ。
膝を抱えて、体を折り畳んで、息を殺した。
小さくてよかった、と初めて思った。
―――――――――
二十三人だった。
入ってきた足音を全部数えた。
全員落ち着いている。
喧嘩をしに来たわけじゃない。
「揃ったか」
誰かが言った。
低い、太い声。年配の男。
「三班と五班がまだだ」
「待たなくていい。始める」
僕は棚の裏で息を止めていた。
―――――――――
「昨夜のデモ隊が、コンビナート方面で衝突した」
男がそう切り出した。
「怪我人が九人。うち二人はたぶん助からん」
ざわめき。
怒りの音だった。
二十三人分の脈が一斉に速くなるのが分かった。
「相手は
キャリア。
保菌者。
僕たちのことだ。
僕は棚の裏で膝を抱えたままその言葉を聞いていた。
初めて聞く言葉じゃなかった。市でも、道端でも、何度も言われてきた。
でも、こんな大人数が、こんなに真面目な顔で使っているのを聞くのは初めてだった。
―――――――――
「今、奴らはコンビナート跡に集まり始めてる」
「何人だ」
「分かってるだけで四十。増えてる。毎日増えてる」
男の声は静かだった。
怒鳴ってはいない。
怒鳴っていないから余計に怖かった。
「あれは、ただ集まってるんじゃない。結集してる」
「……」
「一人一人ならまだどうにでもなった。だが異能持ちが四十人集まって、それが百になったらどうなる。この街で誰があれを止める」
誰も答えなかった。
答えられなかったんだと思う。
「決起する前に叩く」
男は言った。
「それしかない」
―――――――――
僕はその二十三人の音を聞いていた。
誰も跳ねなかった。
嘘がない。
一人も。
この人たちは、心の底からそれが正しいと思っている。
―ああ。
僕はこの時に一つ知った。
憎しみの感情はとてもまっすぐだ。
嘘にはつまずきがある。だから分かる。
でも、本気で憎んでいる人間の言葉はどこにもつまずきが無い。うちのチビ達が喜ぶ時のような純粋で陰りの無い感情。
滑らかで、真っ直ぐで、迷いがない。
僕の異能はこういう相手には何の役にも立たない。
―――――――――
「日取りは」
「六日後の夜だ。ちょうど新月だ」
「人数は」
「五十は集める。西と北から声をかけてる」
「向こうは四十だぞ。異能持ちが四十だ」
「だから夜だ」
男の声が、少しだけ低くなった。
「寝てるところを叩く。順に潰す。目が覚める前に終わらせる」
「……女子供もいるらしいぞ、あそこは」
僕は息を呑んだ。
その一言を言ったのは若い男の声だった。
迷いがある。
この人の脈だけ少しずれていた。
「いる」
年配の男はあっさり認めた。
「だから今のうちなんだ」
「―――」
「大きくなるぞ。子供は」
―――――――――
僕は棚の裏で爪が掌に食い込むまで拳を握っていた。
子供を集めて、産ませて、育てる場所がある。アラタがそう言っていた。
この人たちはその逆だ。
大きくなる前に潰せば敵が減る。
―どっちも、同じことを言っている。
片方は子供を欲しがっていて、片方は子供を減らしたがっている。
どちらも子供を子供だとは思っていない。
―――――――――
会合は一刻ほどで終わった。
場所。日取り。人数。集合の手順。誰がどこから入るか。
僕は全部憶えた。
憶えないという選択肢が僕にはなかった。
最後の足音が出て行って、それでも僕はしばらく動けなかった。
やっと棚の裏から這い出た時には、膝が笑って立てなかった。
―――――――――
寝床には帰らなかった。
帰れなかった、というのが正しい。
僕は瓦礫の上に座って、日が傾くまでずっと考えていた。
―――――――――
僕の頭の中にあるのは五十人が四十人を夜襲する、という情報だ。
この情報には価値がつく。
買う人間が確実にいる。
コンビナート跡に集まっているという異能持ちの連中だ。
六日後の夜に五十人が来る、と教えてやればあの人たちは相応のものを払うだろう。
命が助かる情報に人は金を出す。
―じゃあ売らなかったらどうなる。
六日後、四十人が寝ている間に潰される。
女も子供も。
僕はそれを知っていて黙っていたことになる。
―――――――――
じゃあ売ればいいのか。
僕はそこで一度手を止めた。
売れば五十人の方が死ぬ。
待ち伏せされた夜襲は夜襲じゃない。ただの罠だ。
異能持ち四十が、迎え撃つ準備をして待っている場所に、五十人が丸腰同然で入っていくことになる。
その五十人は悪人か。
僕はあの二十三人の音を思い出した。
つまずかなかった。
嘘がなかった。
あの人たちは、自分の街を守るつもりでいる。昨夜、仲間が九人怪我をして、二人はたぶん死ぬ。それに対してできることをしようとしている。
僕がその情報を売れば、あの人たちは死ぬ。
―――――――――
どっちも死ぬ。
僕が何をしても、しなくても。
それをずいぶん長い時間かけて確かめて、それから笑ってしまった。
馬鹿みたいだ。
僕が悩んだところで何かが変わるわけじゃない。
六日後、あそこで人が死ぬ。それはもう決まっている。
僕に決められるのは、どっちが死ぬかだけだ。
―いや。
違う。
僕に決められるのはそこじゃない。
―――――――――
僕が本当に決められるのは一つだけだった。
これを、いくらで売るか。
―――――――――
三日後、僕はコンビナート跡の手前まで行った。
中には入らなかった。入れば戻れない気がした。
見張りに立っていた男にそれだけ言った。
「六日後の夜に、五十人来る。西と北から」
男は僕を見下ろした。
「……なんだお前」
「本当かどうかはそっちで確かめて。」
僕は対価を言わなかった。
言えなかった、というのが正しい。
喉の奥がつかえて言葉が出なかった。
男が僕の腕を掴んだ。
僕は暴れなかった。
―――――――――
中には思ったより人がいた。
四十どころじゃない。五十は超えていた。
三日で増えたんだ………
あの二十三人の情報はもう古くなっていた。
僕はそこで一番偉いらしい男の前に連れて行かれた。
異能は、たぶん指先から何かを放出するもの。ずっとボスッ、ボスッと僕に見せつけるかのように煙を出している。
「同じことを言え」
僕は同じことを言った。
場所。日取り。人数。誰がどこから入るか。
途中から男の脈が変わった。
速くなったんじゃない。
深くなった。
獲物を見つけた獣のような、餌を前に静まる蛇のような、はたまた息を止めて武器を構える武人のような。
「……ガキ。それ、どこで聞いた」
「盗み聞き」
「なんで俺たちに言う」
僕は少し考えた。
考えて、正直に言った。
「売れる、と思ったから」
―――――――――
男はしばらく僕を見ていた。
それから笑った。
周りの連中も笑った。
僕はその笑い声の中で、じっと立っていた。
「気に入った」
男は言った。
「何が欲しい」
「食い物」
「どんくらい」
「……十六人が、一ヶ月保つだけ」
男の眉が動いた。
「一ヶ月?」
「うん」
「ガキが吹っかけるじゃねえか」
「五十人の命が、十六人の一ヶ月より安いならいいよ。帰る」
男は笑うのをやめた。
「……先に全部喋ったな」
「うん」
「ここで俺がお前を殺して、何もやらねえとは考えなかったのか」
考えた。
ここへ来るまで、ずっとそれを考えていた。
「考えた」
「それで?」
「小出しにしたら、あんたは僕を殴って全部吐かせる。それだけだ」
「……」
「それに、僕を殺したら、次から誰もあんたのところに売りに来ない」
「口止めすりゃ済む話だ」
「無理だよ」
僕は部屋の中を見回す。
「これだけいて、全員を黙らせておけると思う?」
誰かが必ず喋る。酒が入って、自慢したくなって。
そうやって漏れた話は勝手に大きくなる。尾ひれが付きまとう。
「僕があんたの敵なら、その噂を拾って、もっとひどくして流す」
「……」
「情報を持ってきた子供を殺した。金を出し渋って殺した。楽しんで殺した。近所の連中も巻き込んで殺した」
僕は男の顔を見上げた。
「一つも本当じゃなくていい。誰も確かめないから」
誰も噂の真偽なんて確かめようとはしない。
「そのうち、あんたたちに誰も近寄らなくなる。売りにも来ないし、味方にもならない。潰すのは、そのあとでいい」
男の脈が、また変わった。
「……それは、俺たちを脅してんのか」
喉が渇く。
声が震えないように腹に力を入れた。
「そう」
―――――――――
僕はその日、自分の背丈ほどもある袋を二つ、引きずって帰った。
途中で三回休んだ。
寝床に着いた時には日が変わっていた。
―――――――――
「どこで手に入れた」
アラタは袋を見て、それだけ言った。
全部話した。
全部、全部話した。
隠さなかった。
隠したらたぶん、僕は自分が何をしたのか分からなくなる気がした。
アラタは最後まで黙って聞いていた。
それから一言だけ言った。
「お前、それでいいのか」
―――――――――
僕は頷いた。
「うん」
嘘じゃなかった。
自分でも驚くくらい。
正しいことをしたとは思っていない。
でも、間違ったとも思っていない。
六日後に人が死ぬのは僕が決めたことじゃない。
僕はただ、その情報に価値をつけただけだ。
―もし。
もし、あの二十三人の方が高く買ってくれたとしたら。
僕はそっちに売ったかもしれない。
それを考えた時、初めて少し気持ちが悪くなった。
―――――――――
アラタはそれ以上何も言わなかった。
次の日、皆で袋を開けた。
久しぶりに全員の腹が膨れた。
小さいのが二人、食べながら泣いていた。
誰もこの食い物がどこから来たのか聞かなかった。
その光景を隅から見ていた。
十六人分の満腹の音がしていた。
深い呼吸。ゆっくりした心臓。
悪くない音だ。
僕はそれを聞きながら、ずっと、六日後のことを考えていた。
―――――――――
六日後の夜、僕は眠れなかった。
何も聞こえなかった。
コンビナート跡は遠すぎる。僕の異能はそこまでは届かない。
だから、何も知らないまま朝を迎えた。
―――――――――
噂は四日かけて流れてきた。
西の連中が五十人ほど出て、ほとんど帰ってこなかったらしい、と。
待ち伏せされていたらしい、と。
誰かに売られたんだろう、と。
水汲み場の列に並びながら、その話を聞いていた。
いつも通り、退屈そうな顔をして。
誰も僕を見なかった。
だけれど、ずっと誰かが僕を見ているような気がして。
僕の後ろで息をひそめているような気がして。
僕の中で、聞き覚えのない音が鳴っているような気がして。
オリ主
・名前は律(リツ)
・転生者、ヒロアカは大筋しか知らない。しかもうろ覚え
・前世の記憶はほぼなし
・いろんなものを感じ取ってしまう個性
・チビ、ガリ
アラタ
・孤児集団のまとめ役
・孤児の中ではかなり大きい
・孤児とは思えないほど理知的。めっちゃ面倒見がいい
・個性は肉体の硬化。腕が石とも金属ともつかない何かに変わる
トキ
・律より少し年上の少年
・個性は嗅覚の異常な強化
・孤児集団では一番冷静。言い争いをしない
・常に悪臭が蔓延してるから結構苦労している
ハル
・律より二つ三つ下の少女。
・指先が橙色に光る個性
ゴウ
・律より年上の少年
・拳が固くなる個性
どんな評価でも感想でもモチベになりますのでどうか…