袋は思ったより早く空になった。
計算では一ヶ月保つはずだった。だが、三週間で底が見えた。
計算を間違えたのか、それとも僕の想定していないことが起きたのか。
どちらでも同じだ。無いものは無い。
だから僕はまた座ることにした。
―――――――――
座り方は前と違う。
暇潰しじゃない。情報を探して座っている。
この人の話す言葉にいくらの値がつくか。誰がこれを欲しがるか。
そういう耳で聞いていると同じ言葉に何度もぶつかることに気がついた。
誰もその場所を名前で呼ばなかった。
あそこ、とか、向こう、とか、そういう言い方しかしない。
あそこは仕入れが多いらしい。
選り分けが厳しいらしい。
はじかれたのはどこかへ売られるらしい。
―――――――――
それから女は高い。倍以上だ。
―――――――――
女が高い理由を三人分の断片から組み立てた。
一人目は闇市の物売りで、酒癖の悪い男だった。種なんぞ一人いりゃ足りる、と。
二人目は水汲み場の婆さんで、小声で喋った。異能持ちの娘は、相手が誰でも異能持ちを産むらしいよ、と。
三人目は名前も知らない誰かで、炊き出しの列でこう言った。両方持ってる親から生まれたガキは混ざるんだとよ。混ざって、より強くなるんだと。
僕は寝床に戻ってから三つを並べた。
色々と繋がった。
優秀な男を何人集めてもそれだけでは何も生まれない。
でも異能持ちの女が一人いれば、相手が誰でも異能持ちが生まれやすい。
その上で異能持ち同士を番わせれば、二つが混ざった子が生まれる。親のどちらよりも強いのが。
だから女は倍する。
―――――――――
―その子は、女の子かい?
あの日の男の声を思い出した。
仕立てのいい上着。汚れていない靴。湖の底みたいに静かな音。
あの人は僕を見ていたんじゃなかった。
僕たちをまとめて数えて、選り分けて、価値を見定めていた。男がいくら、女がいくら、異能がこれならいくら、と。
その途中に確認すべきことが一つあっただけだ。
背中が冷えたのはあの日と同じだった。
ちょっとだけ知らなければよかったと思ってしまった。
―――――――――
月に一度か二度の上納。
迎えが来る。
その言葉を拾ったのは潰れた酒屋の跡だった。言った男は、そこから先を言わなかった。誰も聞かなかった。聞いてはいけない話だと、その場の全員が知っているような沈黙だった。全員が全員、まるで触れてはいけないものに触れたみたいに、一斉に脈を速くした。
僕はそれ以上調べなかった。
調べる気もなかった。
これはよくない情報だ。知っている、それだけで消される類のもの。知っている、それこそがリスクになってしまうもの。
―そのはずだった。
―――――――――
その夜、僕は東の橋の袂にいた。
大した理由は無い。昼に見つけた缶詰の残りを取りに戻っただけだ。隠した場所が悪くて、暗くなってからじゃないと取りに行けなかった。
缶を掘り出して、袋に入れて、立ち上がった時。
音が来た。
―――――――――
橋の下の河原に何人か立っていた。
その後ろに黒いものが停まっていた。
車だ。
この街で走っているのを僕は二度しか見たことがない。どっちも黒くて、どっちも周りの大人が道を空けていた。
三度目がそこにあった。
そこから音がした。
小さい心臓が五つ。
どれも速い。速くて、浅くて、揃っていない。
―子供だ。
僕は缶の袋を抱えたまま、橋桁の陰にしゃがみ込んだ。
帰ればよかった。
反対側へ、音を殺して、いつも通りに。
そうしなかった理由を、僕は今でもうまく言えない。
―――――――――
六人。どれも落ち着いた音。仕事の音。
車が着いて子供が降ろされた。
五人。縄で繋がれてはいない。逃げないと分かっているような扱いだった。実際、誰も逃げなかった。逃げるという発想が残っていない感じだった。
大人たちが子供を一列に並べた。
誰も何も言わない。
待っている。
全員が同じ方向を向いて。
―――――――――
それが来たのがいつだったのか、正確には分からない。
足音を拾えなかったからだ。
気がついたら端に男が一人立っていた。
背が高い。綺麗な背広を着ている。顔はこの距離と暗さでは分からない。
分からなくてよかったと思う。
―――――――――
僕はいつも通りに測ろうとした。
癖みたいなものだ。誰かがいれば音を聞く。速いか、遅いか、浅いか、深いか。怯えているか、苛立っているか、嘘をつこうとしているか。
心臓はあった。
呼吸もあった。
生きている人間の音が全部揃っていた。
なのに。
―読めない。
時計の針みたいだった。
僕が今まで聞いてきた音は、全部理由があった。怖いからとか、怒っているからとか。
この音には理由がない。
最初からそう決まっていて、これからもそう鳴り続ける。ただそれだけの音。
―ああ。
この人は何も起きないと思っている。
自分の前で、自分の望まないことは何一つ起きない。
備える必要がない。怯える必要も、身構える必要も、期待する必要すらない。
河原に並んだ六人の大人も、並んでいる五人の子供も、全部、そのために揃っている。
差し出されるものが勝手に差し出されに来る。
この人にとってそれが世界の形なんだ。
―――――――――
男が列の前を歩く。
一人目の前で、止まらなかった。
二人目でも、止まらなかった。
三人目の前で、止まった。
何かを言った。
声は低すぎて、言葉までは届かない。
三人目の子供の心臓が跳ね上がる。
手を伸ばす。
子供の頭に、触れた。
―――――――――
その瞬間のことをどう言えばいいのか、僕は今でも分からない。
音が抜けた。
三人目の子供の中から、何かが引き抜かれる音がした。心臓の音じゃない。呼吸でもない。もっと深いところで鳴っていた、その子がその子であるための音が、根ごと抜けた。
悲鳴はなかった。
子供は立ったままだった。
立ったまま空っぽの音になった。
―――――――――
男は手を離す。
それから、まるで興味を失ったように指先だけを軽く振った。
乾いた音がした。
五つあった小さい心臓が四つになった。
―――――――――
誰も動かなかった。
大人たちは、最初から最後まで落ち着いた音のままだった。
残りの四人の子供の心臓が一斉に跳ね上がった。
本物の恐怖が四つ。
それが僕の中に一度に流れ込んできた。
―助けて。
言葉じゃない。言葉なんてどこにもない。ただ、生き物が本気で怯える時の音が四つ重なって、僕の頭の内側を引っ掻いた。
足が動きかけた。
膝が浮いて、重心が前に出て―
出なかった。
四つの恐怖と、僕自身の恐怖と、あの読めない音とが一度に膨れ上がって、僕の中で飽和した。
目の前が白くなった。
音の洪水の中で僕は橋桁に爪を立てて、ただ、しゃがんでいた。
体が動かなかったから僕は生きている。
―――――――――
こちらを向いた。
―気がした。気がしただけ。
実際にどうだったのかは分からない。目は見えない距離だったし、僕は物陰に隠れていた。
ただ、あの時計みたいな音が、一瞬だけ僕のいる方角で止まった。
心臓が口から出るかと思った。
河原の石を踏む音もなく、来た時と同じようにいつの間にかいなくなっていた。
大人たちが車を返して、四つの心臓が運ばれていって、河原には止まった一つだけが残った。
―――――――――
どうやって寝床まで帰ったのか憶えていない。
缶の袋はちゃんと抱えていた。こういう時でも手放さないのが我ながら嫌になる。
入り口でアラタに会った。
「遅かったな」
「……うん」
「顔、白いぞ」
「……缶、取ってきた」
僕は袋を押し付けて奥に入った。
アラタはそれ以上聞かなかった。
聞かれても言えなかったと思う。
―――――――――
寝床の隅で膝を抱えた。
周りでは子供たちの心臓が鳴っている。
思い返す。
女は高値で買われる。
番わされて混ざった子が生まれる。
選り分けられて、月に一度貢がれる。
そして、その先で。
全部あの一瞬のためにある。
頭に触れて、抜いて、終わり。
―――――――――
前世の記憶の底で何かが引っかかっていた。
力を集める男。奪って、束ねて、悪虐の限りを尽くす男。
名前が出てこない。
―知らないままでいい。
そう思った瞬間に自分が何をしているのか分かった。
逃げている。
あの酒屋の跡で、全員が一斉に脈を速くして、それきり誰も口を開かなかった。
僕は今、あの大人たちと同じことをしている。
膝に顔を埋めて、目を閉じた。
オリ主
・名前は律(リツ)
・転生者、ヒロアカは大筋しか知らない。しかもうろ覚え
・前世の記憶はほぼなし
・いろんなものを感じ取ってしまう個性
・チビ、ガリ
アラタ
・孤児集団のまとめ役
・孤児の中ではかなり大きい
・孤児とは思えないほど理知的。めっちゃ面倒見がいい
・個性は肉体の硬化。腕が石とも金属ともつかない何かに変わる
トキ
・律より少し年上の少年
・個性は嗅覚の異常な強化
・孤児集団では一番冷静。言い争いをしない
・常に悪臭が蔓延してるから結構苦労している
ハル
・律より二つ三つ下の少女。
・指先が橙色に光る個性
ゴウ
・律より年上の少年
・拳が固くなる個性
どんな評価でも感想でもモチベになりますのでどうか…