東方交縁稿 ~星を抱いた大鴉と、絆を織る人間~ 作:自由突破
3つ目。今回の投稿はここまで。
引き続き、様子を見つつ投稿します。
※この回は誤字・脱字・カッコの閉じ忘れのチェックに、
最低限AIを使用してあります。
そのため、「AI本文利用」の項目に、
今回から追加でチェックを入れました。
「……つっ、痛てて……」
翌朝、目が覚めて上体を起こそうとした瞬間、
全身に鉛が詰まったような重みと、
節々の鋭い痛みが走った。
筋肉痛だ。
幻想郷に来てから、人間の里と
各所を往復するために長距離を歩くこと、
そして日々の野良仕事には十分身体が慣れていた。
だから、ただの配達疲れが
原因ではないことはすぐに分かった。
あの地獄の奥底から地霊殿まで、片手に新作菓子、
もう片方の腕で抱え続けた空の「第三の足」──
あのバカげた重量の鉄塊を運び去った代償が、
一晩明けて肉体にガタとなって現れたのだ。
あのお菓子屋の店員は「残留放射熱が……」と
本気で心配していたが、幸いにも
俺の身体にそんな異常は一切起きていない。
それもそのはずだ。
あの店員や、地底の有象無象は
勘違いしているようだが、
空の右腕を覆うあの円筒状の物体は、
それ自体が熱や放射能を
撒き散らす兵器ではない。
正確には「制御棒」とも呼ばれる、
彼女の中に宿るあまりにも
強大な神の火の出力を抑え、
暴走を防ぐための「制御装置」なのだ。
だから、エネルギーを宿した空本人が手放してしまえば、
人間が直接触ろうが抱えようが、
それはただの「狂ったように重い金属の塊」でしかない。
生前の知識が、俺の命と健康に
太鼓判を押してくれていた。
(……まぁ、重いことには
変わりなかったけどな)
痛む腰を叩きながら布団から這い出し、
俺はいつものルーティンを開始した。
手早く顔を洗い、朝飯前の
軽食を胃袋に流し込み、
間髪入れずに洗面所で歯を磨く。
過労死まで追い込まれた
前世の社畜時代から身体に染み付いた
効率重視の動きは健在だ。
体調管理のための
スケジュールをスムーズにこなすと、
俺は手袋をはめて表の畑へと足を進めた。
地霊殿への大口の納品を終えたことで、
庭の一角にある畑はちょうど
一区画分が綺麗に片付いていた。
ガランとした黒い土を見つめながら、
俺はまだ青い葉を茂らせている
残りの区画へと視線を移す。
今は新たに植えたトウモロコシとキュウリが
ぐんぐんと育ち、実をつけ始める季節だ。
小一ヶ月、前住民から受け継ぎ、
手塩にかけて育ててきた愛おしい作物たち。
初夏の強い陽射しを浴びて、
ツルや茎が自身の重みで
今にも倒れそうになっている場所が
いくつか見受けられた。
(今のうちに補強しておくか)
俺は用意していた竹の支柱を土に差し込み、
麻紐を使ってキュウリのツルをやさしく、
かつしっかりと誘引していく。
トウモロコシの株元にも土を寄せ、
風で煽られても倒れないように固定した。
一通り全ての株の世話を終え、
仕上げにたっぷりと水をやると、
周囲には瑞々しい土と青葉の香りが立ち込めた。
時計の針の代わりに太陽の位置を見上げると、
ちょうどいい時間だ。
作業の区切りもついたので、
朝食の支度と小休止を兼ねて家に戻ることにした。
家の勝手口に回り、
防犯のためにしっかりとかけておいた「鍵」を外して、
引き戸を開ける。
しかし、一歩足を踏み入れた玄関で、
俺の動きはぴたりと止まった。
(……はぁ)
思わず、心の底から呆れと
諦めの混じった溜め息が口から漏れ出た。
無駄にだだっ広い三和土(たたき)の中央に、
俺のものではない「靴」が、
まるで放り出されたかのように
勢いよく脱ぎ捨てられていたのだ。
鮮やかな赤いローファー。
だが、その形状は極めて特殊で、
靴底の中央部分には、
地上の一本下駄に見られるような
頑丈な一本の「歯」があらかじめ作り付けられている。
この幻想郷の住民で、こんなふざけた、
しかし驚異的なバランス感覚を要求される
履物を常用している奴は、一人しか思い当たらなかった。
(またか……)
俺の家の玄関は、元名家というだけあって
造りこそ立派だが、屋根の一部の板がひどく劣化している。
腐っているわけではないのだが、
構造上、外側から少し力を入れてスライドさせると、
まるで天窓の引き戸のように簡単に開閉できてしまうのだ。
普通の人間ならそんな高所から
侵入しようとは思いもしないが、
縦横無尽に空を駆けることができる
「あの不届き者」にとっては、
そこが立派な第二の玄関口になっていた。
上空から音もなく舞い降り、
屋根をスライドさせて勝手に侵入し、
内側から玄関に降りて靴を脱ぐ。
これでは、俺が毎晩どれだけ厳重に
戸締りをしようが、鍵の意味など
最初から無いに等しい。
「やれやれ」と頭を振りながら、
俺は散らかったその赤い靴を拾い上げ、
爪先を綺麗に揃えて壁際に置き直した。
家に上がると案の定、廊下の奥の居間から、
かすかに衣類が擦れるような気配と、
何やら楽しげに紙をめくるような
微かな音が風に乗って聞こえてくる。
我が物顔で居座る
居候気取りの侵入者に向けて、
俺は筋肉痛の身体を引きずりながら、
一歩ずつ静かに歩き出した。
「あやややや、
意外と早いお帰りですね、自由突破さん」
居間の引き戸を開けた瞬間、
鼓膜を震わせたのは、
どこまでも軽妙で陽気な
聞き慣れた声だった。
「これで何度目の不法侵入だよ、文……」
俺は額を押さえ、心底疲れ切った声を絞り出した。
畳の上にうつ伏せでだらしなく寝転がり、
自分の発行している『文々。新聞』の
最新号を熱心にチェックしている烏天狗──
射命丸文が、そこにはいた。
めくれた黒いスカートの奥から、
無防備に晒されたほどよく
引き締まった太ももが覗いているが、
本人は微塵も気にする様子がない。
文と出会い、畑の作物やちょっとした道具の修理、
新聞の相談事で縁ができて以降、
彼女はこの人里の端にある俺のボロ家を
「天敵(河童や上司の目)から
見つかりにくい、最高に丁度いいサボりスポット」と
認識してしまったらしい。
それ以来、まるで自分の第二の家、
あるいは行きつけの隠れ家であるかのように、
こうして勝手に上がり込んでは気ままに寛いでいるのだ。
泥棒よけの無人よりはマシとはいえ、
家に帰るたびに新聞記者が転がっているというのは、
どうにも落ち着かないものがある。
「文、ちゃんと言っただろ。
靴は脱ぎ捨てずに揃えろって」
俺は、言っても言っても片付けをしない
出来の悪い妹を軽く
諭すような口調で話しかけた。
さらに、寝転ぶ彼女の背中に視線を落とす。
「……あと、見えかけてるから、
スカートの裾もちゃんと下ろしなさい。行儀が悪いぞ」
すると、文はパタパタと小気味よく足を揺らしながら、
新聞から顔を上げてニヤニヤと意地悪そうに笑った。
「ほんと、自由さんはお兄ちゃんって感じですねぇ。
……たまになんだから、
堅いこと言わずに見逃してくださいよ〜」
そう言ってあざとくウインクをしてみせたかと思うと、
文はうつ伏せの姿勢のまま、
わざとらしく大股を開いてみせた。
パサ、と生地の擦れる音がして、
太ももがさらに露出面積を増し、
惜しげもなく天井を向く。
完全に俺をからかって楽しんでいる態度だ。
(はぁ……本当に困ったやつだな)
俺は呆れて首を振る。
すでに文は、俺が生前(向こうの世界で)
従姉妹や年の離れた兄妹の世話をよく焼いていた
「生粋の苦労人お兄ちゃん属性」であることを、
日頃の観察や会話から見抜いている。
そして、俺が彼女のそんな露出に対して
いかがわしい疚しい気持ちや、
不埒な下心を抱かない「安全な男」だと
確信しているからこそ、
こうしてやりたい放題に寛いでいるのだ。
だが、流石に彼女も新聞記者として、
そして妖怪としての
最低限のラインはわきまえている。
ネタになりそうな面白い本や新しい筆記用具など、
自分の物をここに持ち込むことはあっても、
俺の私物を勝手に物色したり、
家財道具を持ち去るような真似は絶対にしない。
だからこそ、俺も最終的には
「まぁ、実害はないし、いいか」と
面倒になって放置しているのが現状だった。
地霊殿往復による筋肉痛と、
大妖怪たちに囲まれた昨日の
精神的な気疲れがどっと押し寄せてくる。
俺は無防備に寝転がって
こちらを上目遣いで見つめてくる文を綺麗にスルーし、
まずは泥を落とすために洗面所へと向かった。
入念に手洗いうがいを済ませ、
台所に立って朝食の準備を始める。
すると、居間からすかさず
文のよく通る声が追いかけてきた。
「あ、自由さん! 私の分もお願いします!
あなたの作る料理はどれも本当に美味しいので、
何でもお任せしちゃいます!
……あ、もちろん、ご飯代はちゃんと払いますので!」
ちゃっかりした要求。
だが、最後の「お金は払う」という
部分だけは相変わらずしっかりしている。
ただ甘えるだけでなく、
天狗としてのプライドなのか、
あるいは彼女なりの『等価交換』のルールなのか、
適度な距離感を保とうとしてくれている。
その図々しくも憎めない配慮に、
俺は心の中で小さく感謝した。
「いいよ、じゃあちゃんと手を洗って、
座って待ってな」
手洗いを終えた俺は、パタパタと嬉しそうに廊下へ向かう
文の足音を背中で聞きながら、
トウモロコシやきゅうりなど、
我が家の畑で採れた新鮮な夏野菜をまな板に並べ、
包丁を握り直すのだった。
朝食の食器を洗い終え、水切り籠に伏せる。
我が家の畑で採れた夏野菜を
ふんだんに使った即興の朝食は、
文にも大好評だったようで、
ちゃぶ台の上には米粒一つ残っていない
綺麗な空の茶碗が並んでいた。
一息つき、ふきんで手を拭きながら
俺は居間に戻る。
「で、今日はどんな取材(サボり)で来たんだ?」
ちゃぶ台を挟んで向かい合わせに座りながら、
俺は単刀直入に切り出した。
このタイミングでの彼女の来訪だ。
ただのサボりにしては間が良すぎるし、
何より昨日の今日である。
俺が昨日体験した奇想天外な出来事の大半を、
彼女がどこかで既に嗅ぎつけているだろうことは
容易に想像がついた。
「いやぁ、スクープですよ! 特大スクープ!!」
案の定、文は待ってましたとばかりに目を輝かせた。
嬉々として食卓である四角いちゃぶ台の向こう側から
勢いよく身を乗り出してくる。
その距離は完全にパーソナルスペースを侵犯しており、
不用心極まる至近距離で彼女の綺麗な顔が迫る。
鼻先が触れ合いそうな距離で、
文は熱弁を振るい始めた。
「文、落ち着いてくれ。唾を飛ばすな」
「おお、失敬失敬」
俺が冷静に片手をかざして注意すると、
彼女は「おーおー」とわざとらしく肩をすくめて
少しだけ上体を引いた。
だが、その瞳に宿るジャーナリスト特有の
鋭い光は一切衰えていない。
「では改めまして!
自由突破さん、インタビューをお願いします。
──『旧地獄へ赴き、
さらに地霊殿の主たちと謁見し、
そのさらに奥地にある〝無銘茶屋〟にまで足を伸ばして、
見事五体満足で生還した、おそらく史上初の人間』!
これ、記事にしない手はありませんよね!?」
文の言葉に、俺は改めて昨日自分が歩いたルートの
異常性を突きつけられた気がした。
本来であれば、旧地獄の上層部に
ほんの少し足を踏み入れただけでも、
ただの人間にとってはいつ命を落としても
おかしくないほどの超危険地帯なのだ。
そんな魔境の、さらに奥の奥まで行って、
お土産付きで無事に帰ってきた人間がいるとなれば、
新聞記者にとっては格好のネタ、
売上跳ね上がり確実のビッグニュースというわけだ。
「……まぁ、俺の名前を伏せて
『匿名の人間』にするって言うなら、
取材に応じてもいいけどな」
「話が早くて助かります!
さすが自由さん、話の分かるお兄さんです!」
文は懐からお馴染みの手帳と筆記用具を取り出し、
嬉しそうにペンを走らせ始めた。
実際のところ、彼女の発行する『文々。新聞』は、
人里の人間からすれば「嘘くさい」というか、
背ひれ・尾ひれが大量についている
胡散臭い内容のものが半分以上を占めている。
大げさな見出しで煽るスタイルは現世の週刊誌そっくりだ。
しかし、その一方で、中には新しい里の法改正の通達や、
新しくオープンした店舗の紹介、天候の大きな変化予報
(それこそ天狗のネットワークを活かした精緻なもの)など、
非常に有益で耳寄りな情報も混ざっている。
だからこそ、俺は情報収集の必要経費として、
彼女と月一の購読プランを契約しているのだ。
まぁ、今日みたいに頼んでいなくても
勝手に最新号を持ち込んでくる、プラン外の時もあるのだが。
それにしても、流石は幻想郷最速を自負する
ジャーナリストというべきか。
地霊殿への配達の後に立ち寄った
あの無銘の菓子屋で、俺がお空を落ち着かせたこと、
そして──俺が店の料理長から
「何か貴重な物」を譲り受けたということまで、
全部ではないにしろ、断片的な噂として
既に彼女の耳に入っていたようだ。
(もの凄い情報収集力だな、本当に……)
これだけのネットワークと瞬発力があるのなら、
もっと真面目で真っ当な社会派記事を書けばいいのに、
なぜわざわざゴシップに走るのか。
もったいないな、と俺は彼女と話すたびに
いつも内心で思ってしまう。
「それでそれで? あの偏屈で有名な大妖怪の料理長から、
一体何を貰ったんですか?
ぜひ見せてください、というか記事にさせてください!」
「あー……まぁ、色々とね。ただのちょっとした記念品だよ」
料理長から貰った『最高ランクの証』のことは、
むやみにひけらかしたくない。
俺は言葉を濁し、上手くはぐらかすことにした。
文は俺のその態度を見て、
すぐに「これ以上は口を割らないな」と察したようだ。
「ふっふっふ、そういう口の堅いところ、
嫌いじゃないですよ♪」
文は手帳で口元を隠しながら、くすくすと笑った。
だが、その目の奥は(いつか絶対に、
油断したところをちゃんと聞き出しちゃいますからね?)と
言わんばかりの、少し意地の悪そうな、
それでいて愉しげな笑みを浮かべている。
俺もその視線の意図を敏感に察知し、
(全く持って油断ならんやつだ……)と心の中で毒づいた。
この手の駆け引きにおいて、
俺は妖怪である文の足元にも及ばないだろう。
だが、前世の泥臭い社会人経験から、
これだけは譲れないという一線が俺にもある。
良き未来、そしてこの幻想郷での
安定した生活はすべて「人との繋がりの先」にある。
せっかく料理長のおっちゃんが俺を信頼してくれたのだ。
その貴重な繋がりを、目先の話題作りのために
安易に晒すほど俺は軽率ではないし、
何より、あの隠れた名店の品格を、
俗世の新聞なんかで下げたくはなかった。
ちゃんと適切な「距離感」を保ってこそ、
妖怪も、人間も、そして神様も、
当たり障りのない平和な共存ができるのだ。
それが、この一ヶ月で俺が行き着いた生存戦略でもあった。
ひとまず取材を終え、
手帳を閉じた文は満足げな表情を浮かべた。
しかし、それも束の間のこと。
彼女はすぐに何かを思い出したように、
再び顔をキラキラと輝かせた。
「あ! 取材はこれくらいにして……本題ですけど!」
「本題?」
「その、おっちゃんの店で買ってきたという
『お土産』は、一体どこにあるんですかっ!?」
またしてもちゃぶ台を乗り越えんばかりの至近距離。
案の定、興奮のあまり今日一番の元気な声と共に、
俺の顔に細かな唾が飛んでくる。
「だから、唾を飛ばすなって」
俺は顔を拭いながら、やれやれと立ち上がった。
「今、奥から持ってくるから、
〝ちゃんと〟お行儀よく待っててくれよな」
どうせ俺が居間を出た瞬間、
また畳の上にだらしなく引っ繰り返るか、
お行儀悪く足をバタバタさせて
待っているんだろう。
それは分かりきっていたが、
それでも染み付いたお節介な兄としての
世話焼き精神は止められなかった。
自由突破は、文に対して
「ほぼ意味のない念押し」をわざわざ残し、
昨日持ち帰った極上の新作菓子を取りに行くため、
苦笑いを浮かべながら居間を後にした。
幻想郷の人里の隅に、
ひっそりと佇む俺のボロ家。
庭の畑に目を向ければ、青々とした
トウモロコシやキュウリの葉が
初夏の風に揺られ、
心地よい擦れ音を立てている。
辺りはまだセミの鳴き声こそ聞こえないものの、
肌を撫でる空気の熱みや草木の匂いは、
確実にすぐそこまで来ている夏の訪れを予感させていた。
そんな情緒ある、絵に描いたような
のどかな田舎の風景を切り裂くように、
我が家の居間から凄まじい大声が響き渡った。
「おおおぉぉーーーっっ!!
こっ、これはああああぁぁぁっっっ!!!?」
それは、幻想郷最速を自負するブン屋の、
心の底からの感動と
興奮が入り混じった絶叫だった。
「これは特ダネです! 自由さん、特ダネですよ!!
私もこの無銘のお店のお菓子は
個人的に大好きでたま~に買うんですが、
この〝新作〟の存在は私も初耳です!
これは絶対にいい記事になります、間違いありません!」
お土産の包みを開けた瞬間、
文の目が文字通りらんらんと輝き出した。
彼女の視線は、昨日料理長のおっちゃんが
俺の買い物袋の空きスペースに
「これを持っていきな」と詰め込んでくれた、
あの香ばしく洗練された香りを放つ極上の菓子──
まだ世に出回っていないはずの
新作に完全に釘付けになっていた。
「おいおい、ちょっと待て。落ち着けって、文」
文が興奮のあまり、どこからともなく
愛用のカメラを取り出してレンズを構えた瞬間、
俺はすかさずその前に手を伸ばして制止した。
「こういうのは、お店が正式に
リリース(公開&販売)するまで
記事にするのは待った方がいい。
これは新作っていうより、
あくまで料理長が試作段階で
俺に持たせてくれた『試作品』なんだよ」
カメラを下ろして不満げに
頬を膨らませる文の耳元に、
俺は少し声を落として
理由を噛み砕くように耳打ちした。
「いいか? もし今のお前さんの影響力で
『幻の新作!』なんて大々的に記事にした後で、
お店の都合でレシピが変わったり、
最悪、商品化自体が没にでもなってみろ。
読者からはガセネタ扱いされるし、
お店側にも大迷惑がかかる。
記者としての信頼に関わるぞ?」
「……ふむふむ。なるほど、それもそうですね。
先走ってお店の料理長に目を付けられるのは、
流石の私も御免被りたいところです」
文は納得したように真面目な顔で頷くと、
構えていたカメラを引っ込め、
手帳を開いて「試作品・解禁待ち」と
素早く修正のメモを書き加えた。
生前、向こうの世界で一時期、
営業の仕事の一環として、
こういったメディア関連の相談役や
コンサルタントのような真似事をしていた経験が、
ここ幻想郷でも生きていた。
情報の出し時やリスク管理について、
文のような猪突猛進気味の記者にブレーキをかけるのは、
俺にとってはかつての日常の延長線上にある。
はたから見れば、スクープを狙う怪しいジャーナリストと、
それを冷静にコントロールする中堅のアシスタントか
プロデューサーといったところだろう。
なんだかんだ言って、こういう実務的な
やり取りをしている時の俺達は、
驚くほど息がぴったり合うのだった。
「それから、もう一つ忠告だ」
俺はさらに声を低くし、
今度は少し脅すような真似をして
彼女の顔を覗き込んだ。
「昨日、お空があのお店で
スイートポテトを求めて大騒ぎした件。
あれも絶対に記事にするなよ。
隠す理由はないけど、
もしも文が『お空の好物!
限定スイートポテト!』なんて記事を書いたら、
ミーハーな妖怪や人間がお店に殺到するだろ?」
「あやや、それは確かにそうですね」
「そうなったら、お空はさらにあの菓子を購入しづらくなる。
楽しみにしていたお菓子が買えなくなった
地底の太陽神が、一体どうなるか想像がつくか?
最悪、怒りと癇癪のエネルギーで
あの店どころか、この人里まで
丸焦げにされるかもしれないぞ」
「ひっ、肝に銘じます……!
暴走した空さんの火力だけは、
最速の私でも逃げ切れるか怪しいですからね。
その一件は綺麗さっぱり
伏せさせていただきます!」
文は実感を伴った恐怖を感じたのか、
珍しく素直に縮こまって取材ノートの該当部分に
大きくバツ印をつけた。
彼女がこうしてちゃんと
「一線」を守ってくれるからこそ、
俺も安心して情報を共有できる。
怪しい新聞記者とそのアシスタントは、
しばらく楽しそうに取材を続けた。
「……おまたせ。
はい、これが頼まれてたやつな。
幸い、売り切れる前に全部購入できてよかった。」
俺は新作の試作品とは別に、文が以前から
「もしあのお店に行く機会があったら、
私の分も買ってきてください!」と
熱烈にリクエストしていた定番の焼き菓子を、
彼女の持参してきていた清潔なタッパに
綺麗に詰め替えて手渡した。
「うわぁ、ありがとうございます!
さすが自由さん、完璧な仕事振りです!」
文は嬉しそうにタッパを受け取ると、
先ほどのだらしなさが嘘のように、
天狗としての義理堅さを発揮して、
懐からぴったり小銭と紙幣を取り出して
その場でお金を支払った。
どれだけ仲良くなろうと、
こういう売買のラインだけはなぁなぁにしない。
これぞまさにビジネス。
お互いに気持ちよく付き合うための、
暗黙のルールだった。
「ふふん、せっかくの極上のお菓子です。
自由さんの淹れてくれるお茶と一緒に、
今ここで一切れいただいていってもいいですか?」
文はすっかり取材モードをオフにして、
嬉しそうにちゃぶ台の前に座り直した。
「はいはい。じゃあお茶を淹れてくるから、
そこで〝ちゃんと〟大人しく待っててくれよな」
どうせ俺が背中を向けた瞬間、
また畳の上でスカートをはためかせながら
行儀悪く転がるのだろうが、
それでもお節介な兄としての小言は止められない。
自由突破はまた「ほぼ意味のない念押し」を文に残し、
急須と湯呑みを準備するために、
どこか充実した笑みを浮かべながら台所へと向かった。
先ほどまで、賑やかな話し声とカメラのシャッター音、
そして大げさな感嘆の声で溢れ返っていた俺の家は、
今は嘘のように水を打ったような静けさに包まれていた。
文にとっては待ちに待った待望の、
そして俺にとっては昨日からの甘い時間の再来──
スーパーお菓子タイムの始まりだ!
実は、文が「ここで食べていってもいいですか?」と
言い出す直前、台所で朝食を用意しながら、
俺はなんとなく「一緒に食べることに
なるかもしれないな」と予感していた。
そのため、自分の作る朝食の量を
あらかじめ少し控えめにしておいたのだが、
これが大正解だった。
ちゃぶ台を挟んだ二人は、
目の前に並んだ極上の甘味に対し、
言葉を交わすのも忘れて
黙々と匙を運び、ただただ舌鼓を打っていた。
──本当に、美味い。
ただそれだけの言葉では到底足りないほどの
感動が口の中に広がる。
文も「やっぱり、この抹茶のショートケーキがなんとも……」と
うっとりとした、とろけそうな顔で
完全に自分の世界に没頭していた。
普段の抜け目のない新聞記者の顔はどこへやら、
完全に一人の無邪気な甘味好きの少女の顔になっている。
俺にとっては、この店の菓子はどれも食べるのが初めてだ。
だからどれを口にしても新鮮に美味しいのだが、
せっかくなら自分の一番のお気に入りが
見つかれば良いなという軽い探求心で、
とりあえず気になった菓子に次々と手を伸ばしてみた。
その結果、瑞々しい果汁が弾ける「いちごのミニタルト」、
生前の向こうの世界にいた頃から大好物だった、
滑らかな喉越しの「水ようかん」、
そして驚くほど濃厚でコクのある
「特濃の杏仁プリン」の3つが、
特に俺の好みの真ん中に刺さった。
どれもこれも、一口食べるたびに
天にも昇るような心地にさせてくれる絶品ばかりだった。
至福の時間はあっという間に過ぎ、
すべてのお菓子を食べ終えた、その時だった。
「自由突破さん」
文が、俺の名前を一言だけ、
低く短く呼んだ。
おもむろに背筋をスッと正し、
それまでのうつ伏せ姿から綺麗な正座へと姿勢を直す。
そこには、先ほどまで畳の上で
だらしなく引っ繰り返り、スカートをはためかせて
大股を開いていた不届きな侵入者の姿は微塵もなかった。
そこにいたのは、生真面目で義理堅い、
妖怪の山の烏天狗としての
本質の顔を見せた射命丸文だった。
文は真っ直ぐに俺の目を見つめると、
深く、深く頭を下げた。
「この度は大変、申し訳ありませんでした…!」
彼女が口にしたのは、
猛烈な謝罪と言い訳のない反省だった。
自分が「地底に行くならお土産があればよろしく」と、
半ば冗談混じりに、かつ間接的とはいえ、
ただの「人間」である自由突破を
あの恐ろしい危険地帯へ向かわせてしまったこと。
彼が人間であることを一瞬でも失念し、
軽率な言葉をかけてしまったことに対する悔恨。
文はあの時から、俺が想像していた以上に
深い罪悪感をその胸に抱え続けていたのだ。
今日、我が家に上がってきた時に見せた、
いつも以上の一段とだらしなく、
露出に対しても無頓着だったあの態度は、
おそらく彼女なりの不器用な照れ隠しであり、
胸の中の重苦しい不安や罪悪感を
少しでも誤魔化そうと必死に作った
「無理な空元気」だったのだろう。
(本当に……本当に、無事で良かった……!)
頭を下げたまま、文の胸の内には、
過去の記憶と激しい安堵が
濁流のように渦巻いていた。
最初は、この幻想郷にない
珍しい現代の知識を持っていて、
自分の新聞を月一の購読プランで
契約してくれている奇特な顧客。
あるいは、美味しい野菜を作ってくれたり、
壊れた道具を器用に直してくれる便利な人間──
ただの「利害関係のある知人」というだけの
関係だったはずだった。
だが、あの日のことを、私は今でも鮮明に覚えている。
取材の最中、不運にも下駄の歯が派手に折れ、
足を挫いて動けなくなってしまったあの時。
周囲にいた他の人間や妖怪たちが遠巻きに見ている中で、
彼だけが迷わず私のもとへ駆け寄って助けてくれた。
「動いちゃダメだ、今応急処置をしてやるからな」
手際よく自分の農具の紐や端材を使って
下駄をその場で修復すると、
彼は「ほら、捕まれ」と言って、
なんと天狗である私を
自分の背中にひょいと背負い、
人間の里の診療所まで長い道のりを
歩いて連れて行ってくれたのだ。
その道中、背中から伝わる彼の温もりの中で、
彼は何度も優しく私に声をかけてくれた。
「あと少しだからな、大丈夫だぞ」
「よく頑張った。痛かったな、偉いぞ」
あろうことか、自分よりも遥かに年上であり、
何百年も生きている大妖怪の自分を、
まるで小さな「妹」であるかのように扱い、
必死に世話を焼こうとしてくれた。
その時の、天狗としてのプライドが
綺麗に溶けていくような妙な安心感と、
この背中にずっと甘えていたいという気持ち。
それが、私の心の中に密かに芽生えた
小さな変化の始まりだった。
以降、私の中でその気持ちはどんどん大きくなり、
いつの間にか、自由突破のことをビジネスの相手ではなく、
本当の「兄」のように慕うようになっていた。
だからこそ、他の取材や、
たとえ命がけの弾幕戦闘の最中でさえ
絶対に見せることのない
自分のスカートの中や無防備な姿を、
この家でだけは大胆に晒すことができた。
それを「行儀が悪いぞ」と、きちんと叱って、正してくれる。
そんな彼の存在が、いつしか自分にとって、
幻想郷のどこを探しても代わりのいない、
唯一無二の特別な存在となっていたのだった。
張り詰めていた心のダムが、
限界を迎えて一気に崩壊したのだろう。
正座して頭を下げていた文の目から、
大粒の涙がポロポロと畳にこぼれ落ち始めた。
「無事で、よかったです……っ!
本当に……本当に……!」
声を詰まらせ、しゃくり上げながら、
何度も何度も俺の無事を確かめるように涙を流す文。
いつもの飄々とした彼女からは
想像もつかないほど感情を剥き出しにして、
顔をぐしゃぐしゃにしている、
いつもの彼女からは想像もつかない姿に
俺は少し面食らいながらも、そっと苦笑を浮かべた。
「おいおい、だから無事に帰ってきたんだから、
全て良しだよ。ほら、顔を拭きなさい」
俺はちゃぶ台の脇からティッシュの箱を引き寄せ、
数枚抜き取って彼女に差し出した。
生前、向こうの世界で何度も何度も
ファンアートやイラストを描いてきた、
あのプライド高き最速のカメラマン。
そんな彼女に、まさかこんなにも不器用で、
涙もろくて、妹のように
可愛い一面があったなんて。
俺は現世での思い出を少しだけ懐かしく回想しながらも、
目の前で泣きじゃくる文が完全に落ち着きを取り戻すまで、
何も言わず、ただ静かにその傍らに寄り添い続けるのだった。