東方交縁稿 ~星を抱いた大鴉と、絆を織る人間~ 作:自由突破
「お空、こんな所でどうしたんだ!?」
周囲の最高戦力たちが一触即発の魔力を練り上げる中、
一番にその正体に気づいた俺は、躊躇うことなく大声を張り上げて
クレーターの底へと声をかけた。
そこにあるのは、おどろおどろしい脅威への警戒ではなく、
ただただ昨日知り合ったばかりの
純粋で不器用な少女への、
まっすぐな心配の感情だけだった。
「あれっ、あんたこいつのこと知ってるの?」
霊夢が意外そうに目を丸くして俺を振り返る。
俺は押し寄せる威圧感に耐えながら、
昨日地底で起きたこと、そして彼女が何者であるかを、
目の前に並ぶ「最高戦力」たちへ極めて簡潔に説明した。
俺が話し終えるか終えないかのその時、
クレーターの中心でうずくまっていた影が
おもむろに立ち上がり、ゆっくりとこちらを向いた。
陽炎が揺れる土煙の向こうから現れたのは、
やはり霊烏路空、空本人だった。
昨日の今日だというのに、
その外見はかなり凄まじいことになっていた。
白を基調とした特徴的な衣服は、
自らが引き起こしたであろう爆発の激しい黒煤にまみれ、
あちこちが大きく破れてしまっている。
しかし、地底の過酷な環境に耐える特殊な素材なのか、
あるいは彼女自身の強固な肉体ゆえか、
致命的な破損には至っていない。
あれだけの家一軒を消し飛ばす爆発の中心にいたというのに、
彼女自身の肌には少し擦り傷がある程度で、
まともな怪我と呼べるような
損傷はほとんど見当たらなかった。
右腕の制御棒も、左足の電子の足も健在だ。
圧倒的な破壊の象徴でありながら、
どこか捨てられた仔犬のような、
ひどくアンバランスな佇まいで彼女はそこに立っていた。
「あの異変」の再来かと、俺以外のメンバー――
霊夢や魔理沙、紫たちは
完全に厳戒態勢を維持していたが、
あたりを見回しても怨霊が湧き出る様子もなければ、
間欠泉が噴き出す予兆もない。
ただただ、一発の巨大な熱量がここで炸裂した、
というだけの局地的な状況だった。
緊迫した沈黙の中、空の大きな赤い瞳が、
クレーターの縁に立つ俺の姿をはっきりと捉えた。
一歩、踏み出す。また一歩。
その歩みは瞬く間に加速し、走りへと変わり、
そして次の瞬間には俺の方向へとまっすぐ猛突進してきた。
「おにいいぃぃさあああぁぁんん!!!」
先ほどの大爆発に匹敵するのではないかというほどの、
鼓膜が震える大音量の泣き叫び声。
昨日、あのお菓子屋でスイートポテトを目がけて
突っ込んできた時を遥かに上回る、
神速の質量兵器さながらの速度。
空は涙と鼻水と煤で顔をぐしゃぐしゃにしながら、
俺の胸へと一直線にダイブしてきた。
いや、これは「抱きつく」なんて可愛い表現では生ぬるい。
完全に「ぶちかまし」だった。
加減を知らない純粋な子供の力というのは、
それだけでも恐ろしいものだ。
ましてや、体内に神の火を宿し、
抜群の体型を持つ空ともなれば、
その突進力は尋常な人間の
耐久値を遥かに超えている。
ドカァン!! と、肉体と肉体が激突したとは
思えない衝撃音が響いた。
俺は肋骨のあたりに凄まじい
衝撃を感じ、息が完全に止まる。
俺の意識は一瞬でブラックアウトした。
派手に後ろへと吹き飛ぶ俺の身体。
「おっと危ない」
その時、緊迫した空気にそぐわない落ち着いた声で、
八雲紫が素早く扇を振るった。
紫は俺と空の弾道と着地点を瞬時に予想し、
その背後の空間に、
怪しく瞳がうごめく「境界」の隙間を生み出したのだ。
俺と空は、固い地面に激突して骨を砕く代わりに、
その空間の狭間へと吸い込まれるようにして
真っ逆さまに落ちていった。
「安心なさい、あっちの湖に繋げておいたから、
激突の衝撃はかなり抑えられたはずよ」
紫はふふっと妖しく微笑みながら境界を閉じた。
一瞬にして、現場から自由突破と空の姿が消え去る。
残された霊夢たちは、今しがたの空のあまりにも無邪気で、
かつ壊滅的に頭の悪い大泣き顔を見て、
一気に毒気を抜かれてしまったようだった。
誰もが肩の力を抜き、武器を収め、
中にはその場にへたり込んで溜め息をつく者さえいた。
あの大爆発の正体が悪意ある異変ではなく、
単なる「お兄ちゃんに会いたくて
やらかした大鴉の暴走」だと察したからだ。
「……やれやれ、異変じゃないなら私達の出番はないわね。
原因は私が境界の向こうで探っておくわ。
みんな、今日はお開きにしましょう」
紫が賢者としての的確な指揮を執り、
その場を収める。それを聞いた霊夢たちは
「勝手にして」とばかりに、各々の家へと帰るべく背を向けた。
紫自身も、消えた二人――
否、特大のトラブルを引き起こした空から
事の真相を問い質す(事情聴取する)ため、
自ら開いた境界の隙間へと
滑り込むように姿を消した。
それを合図に、文も魔理沙もにとりたちも、
それぞれの複雑な表情を浮かべながら
その場から立ち去っていった。
初夏の風が、ぽっかりと空いた
巨大なクレーターを通り抜けていく。
さっきまで確かにそこに存在していた、
自由突破のボロ家があった
跡地には、もう誰もいない。
ただ、すべてを焼き尽くした後の、
異常なまでの静寂さだけが、
ぽつねんと人里の端に残されていた。
常に深い霧に包まれた大きな湖。
誰が呼んだか「霧の湖」と呼ばれるその場所は、
今日も視界を遮る白い帳に覆われていた。
その静謐な水面の上を、妖精のチルノと大妖精が、
互いに歓声を上げながら
楽しそうに鬼ごっこをして飛び回っていた。
幻想郷の日常を象徴するような、
他愛のない平和な光景。
――それが、突如として破られる。
二人の目の前の空間が、
まるで布を引き裂くようにベリベリと歪み、
禍々しい「境界」の裂け目が口を開いた。
そこから、激しい勢いを保ったままの
二つの影が飛び出し――。
ドボォォォォォォンッッ!!!
盛大な水飛沫を上げて、
湖へと垂直に叩きつけられた。
「うおっ何だ!? 敵襲か!?
あたいに挑むなんていい度胸じゃないか!」
チルノは驚きに目を見開きながらも、
その場で即座に氷の弾幕を構えて身構えた。
一方の大妖精は、突然の爆音と
水飛沫に小さく悲鳴を上げ、
頭を抱えてその場に蹲ってしまう。
すると、緊迫する妖精たちのすぐ脇の空間に、
さらにもう一つの小さな境界が現れた。
そこから、端正で浮世離れした美貌を持つ
八雲紫が顔を覗かせる。
彼女は手にした扇で口元を隠しながら、
優雅に、しかし有無を言わせぬ
威圧感を漂わせて問いかけた。
「ごめんなさいね。少々取り込み中なのだけれど、
今日はこの場所を私たちの
貸し切りにさせてもらってもいいかしら?」
「お、おお? よく分からんが分かった!
大ちゃん、逃げるぞ!撤退だ!」
最強を自負するチルノだったが、
現れたのが幻想郷のパワーバランスの頂点に君臨する
賢者であると察するや否や、一瞬で異常事態を理解した。
チルノは大妖精の手を引っ張ると、
脱兎のごとくその場を飛び去り、
紫に湖のド真ん中を明け渡した。
「……ぷはっ! げほっ、ごほっ……!」
水面に顔を出し、激しく咳き込みながら、
俺は意識を取り戻した。
肌を刺す水の心地よい冷たさが、
ぶちかましによって完全にシャットダウンしていた
脳の回路を急速に覚醒させていく。
(……助かった、のか……?)
今の季節が、本格的な夏の手前で本当に良かった。
もしこれが冬の霧の湖だったら、
凍傷か低体温症で命を落としていただろう。
ゆっくりと手足を動かしてみる。
空に正面から衝突された胸のあたりには、
まだ鈍い痛みが残っていたが、
紫が機転を利かせて着地点を
水面に変えてくれたおかげで、
背中から地面に激突して
骨を折るような事態は避けられていた。
打ち身や打撲の心配もなく、
ただの「痛み」だけで済んだのは、
まさに不幸中の幸いだった。
「ひっく……う、うう……
おにぃさん……ごめんなざぃ……っ」
俺のすぐ隣では、空が水面にぷかぷかと浮かびながら、
未だに子供のように激しく泣きじゃくっていた。
怪我がないのは何よりだが、
先ほどの大爆発であちこちが破れていた
空の衣服は、霧の湖の水をたっぷりと吸い込んで、
体にぴったりと張り付いてしまっている。
俺は痛む胸を押さえながらも、
どこに視線をやっていいのか分からず、
ただただ困惑するしかなかった。
空の泣き声が少しずつ小さくなり、
波立つ呼吸が落ち着いてきたのを見計らい、
紫が水面の上を音もなく
滑るようにして近づいてきた。
その瞳は、すべてを見透かすような
深い光を湛えている。
「さて。あなた、地霊殿の『空』よね?
……何があったのか、お姉さんに
少し説明してもらってもいいかしら?」
紫の声は、驚くほどそっと、優しく響いた。
ここで「何であんな破壊行為をしたの?」と、
空が最初から『悪意や意図を持って
やらかした』という前提で決めつけない。
まずは彼女の言い分を聞き、
事実に耳を傾ける。
これこそが、幻想郷のバランスを何百年も保ち続けてきた
「賢者」の、圧倒的な落ち着きと貫禄なのだろう。
(……これが本物の八雲紫か……)
俺が五感のすべてを使って
そのカリスマ性に感心しているのを尻目に、
霧の湖のド真ん中、白い霧に包まれた静寂の中で、
地底の太陽神に対する「静かなる尋問」が静かに開始された。
「う、うぅうううっ……。私は、ただ……」
空は水面に浮かんだまま、煤と涙で汚れた顔を
両手で覆い、身体を震わせた。
彼女が小さく呼吸を阻むたびに、
霧の湖の静かな水面を小さく揺らす。
「ただね? おにぃさんに……昨日のお礼と、
さとり様から預かったお仕事を……ちゃんとやりたくて、
お家に会いに行ったの……」
「お礼と、仕事?」
俺は痛む胸を片手で押さえながら、
水中でなんとか身体を安定させて問いかけた。
「うん……。あのお天狗(文)が
上から入っていくのが見えたから、
私も真似して、屋根のパカパカするところから入ろうとしたの」
お空の話を聞きながら、俺の脳裏には最悪の
連鎖からくりが思い浮かんでいた。
文は身軽な大天狗であり、風を操る。
だから音もなく屋根の隙間を抜けて侵入できた。
だが、空は違う。
彼女は歩く質量兵器であり、
その体には核融合の巨万のエネルギーが宿っている。
「……そしたらね、私の背中の羽が
パカパカのところから出た釘に引っかかっちゃって……。
抜けなくなって…痛くて暴れたら柱に羽を挟まれちゃって……」
空は少しずつ絞り出すように状況説明を続け、
また大粒の涙をこぼした。
要するに、空は文のマネをして
あの狭い隙間から家に入ろうとしたが、
無理をしたために羽が釘に引っかかり、
レーザーで切って脱出しようとしたが
パニックのあまり、
核熱エネルギーの制御ができず、
俺の家を一瞬で跡形もなく
吹き飛ばしてしまった、ということらしい。
悪意は微塵もない。
ただただ、彼女の規格外の不器用さが
引き起こした純粋な事故だった。
「そう……。悪気はなかったのね。よく分かったわ」
紫は扇で口元を隠し、深く納得したように頷いた。
「うううぅぅ……おにぃさん、
お家を壊しちゃって、本当にごめんなさいぃ……っ!」
再び顔をくしゃくしゃにして泣き出す空を見つめながら、
俺はふっとため息をついた。
家が消し飛んだショックはデカいが、
この純粋な推しキャラの涙を見てしまっては、
お兄ちゃんとして怒る気なんて最初から起きやしない。
「いいよ、お空。
怪我がなかったなら、それで全て良しだ。
……ただ、次からは普通に玄関から入ってくれよな。
あの天狗は悪いお手本だから、真似しちゃダメだぞ?」
俺は水面を泳いで彼女に近づき、
その煤けた頭を優しく、ぽんぽんと撫でてやるのだった。