……『世の中には知らないほうが幸せなこともある』
……俺はこの言葉が嫌いだ。
人間は神の言いつけを破り、知恵の実を食べた。
そして、楽園から追放された。
……だから、知らないほうがよかった。
そうすれば、幸せな世界で生きていられた。
どちらが正しいかなんて、俺には分からない。
だけど、知らなきゃならないことから目を背けて生きるなんて、俺は……まっぴらごめんだ。
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―――1979年
この街は〈
この地球に突如現れた巨大構造体、そこから得られる未知の資源〈アルゲン〉により、戦後の日本は急速に立ち直り、発展した。
金になるものがあれば、人は集まるものだ。
企業が建ち、店が並び、仕事を求める人間が押し寄せた。
そして、その最前線で働く者たちがいる。
黄泉の迷宮へと潜り、怪物と戦いながら資源を持ち帰る労働者。
〈
通称、〈アンダーノーツ〉。
俺も、そのひとり。
もっとも、そんな景気のいい時代も長くは続かなかった。
採掘業者は
ウチの会社もいずれ、その運命をたどるはずだったのだが……。
ある日のこと。
我が社、カサンドラ社へ舞い込んできたのが、未開拓の
成果次第で、報酬はいくらでも跳ね上がる好条件。
……どう考えても、うますぎる。
だが、そう思ったのは俺だけだったらしい。
社長は迷うどころか、俺を採掘課長に据えて、現場を任せると言い出した。
しかし問題は、人がいないことだった。
金も看板もない零細企業に、経験豊富な探行士なんて集まらない。
そこで俺たちは、まともな会社なら手を出さない層にまで募集を広げた。
女性。学生。未経験者。フリーランス。
表立って募集できる方法じゃない。
駄菓子屋の奥を借りて、面接したことさえある。
それでも結果だけを見れば、妙に才能のある連中が集まった。
そして、業務開始の日。
その先に待っているのは、黄泉へ通じる唯一のゲート。
未知の行区での事故や死亡率は高い。
最後に俺は部下たちへ、辞退するなら今だと告げる。
全員が黙って、俺を見つめる。
ひとりとして、尻込みする者はいなかった。
そして、俺たちは社長と
未開拓区を掘り当てて、大金を稼ぐ。
仕事が終われば、全員揃って
……俺も、その場の空気にあてられて浮かれていた。
そのときまでは―――。
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【黄泉_第1キャンプ_
ラジオからはノイズ交じりに、無機質な女性ニュースキャスターの音声が流れている。
『続いて、黄泉区から入ったニュースです』
そこで一息ついて、続ける。
『昨日より通信が途絶えている99行区について、黄泉公社は現地作業員が遭難した可能性が高いとして、関係者の一部を発表しました』
キャスターは一人一人、確かめるように名前を告げていく。
『黄泉公社
『株式会社ヨミテン採掘課長の地下探行士、
『有限会社カサンドラ代表取締役、カオリ・サンドラさん』
『同社採掘課長で地下探行士の、
『えー……公表された名前は以上となります』
『このほかにも、採掘作業のため99行区へ入った十数名の地下探行士が、現在も帰還していないということです』
『黄泉公社では引き続き状況の確認を進めています。次のニュースです……』
ひとり、ラジオ放送を聞いていたヘルメットを被った女性が
「課長君……頼んだわよ……」
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【黄泉_99行区_
「オオオオォォォオォォオオッッッ!!」
―――獣じみた
そして、生臭い血の匂いに気づき、目が覚めた。
目の前で繰り広げられているのは、地獄絵図そのものだった。
「……なんなんだ……コイツ……は……あぁあああ!!」
絶叫は、肉を嚙みちぎる音にかき消された。
「イ……イヤだ……死にたくない……死にたくッ……!」
さっきまで自分が『部下』と呼んでいた肉塊を、赤いドレスを着た少女の異形と化した左腕が、貪っている……。
手から、二本の刀が零れ落ちる。
自身もまた、内臓を潰され、息も絶え絶えの状態で転がっていた。
薄れてゆく意識の隙間に、カサンドラ社の冷房が効いた応接室がフラッシュバックする。
『あなたはウチに入って、何を成したい?』
そう問いかけてきた社長の、深い闇の底を
次に脳裏を
『困ったことになったわね』
『まったくだ』
『というわけで、課長君。頼んだわよ』
最後に、部下たちの顔……。
「俺たちが時間を稼ぐ! 早くいけっ!」
「お願い、キャンプの社長に伝えて……。一緒に仕事ができてよかった……って」
「アクラ課長! 逃げてください! 早くっ!!」
「アタシとの約束、忘れないでね……」
「……アイツらのことを、頼む。アンタにしかできないことだ」
その後は、自分の口から発せられる絶叫だけが残った。
「駄目だ! 戻れ!! やめろぉぉぉおおおおお!!」
自分の伸ばした手が空を切って……視界がぐらついてゆく……。
「ぐっ……ゲホッ……うぐっ……はーっ……はーっ……」
突如、現実へと引き戻された。
喉の奥からせり上がったものを吐き出す。
口いっぱいに、鉄の味が広がった。
意識が、
「~~♪~~~~~♪」
返り血によって、より鮮やかな深紅を
周りに転がっている無残な死体はおそらく、ここまで一緒にきた、探行士たちなのだろう……。
どうやら、俺は最後の一人になったようだ……。
力が入らない足を引きずるようにして、腕に
少しずつ、少しずつ……後ずさってゆき……ふいに、背中がドンと、壁にぶつかったのを感じた。
「クソッ……!」
逃げられそうもない……。
すべてを悟った俺は、むせ返るような血の匂いの中で。
薄暗い坑道の天井、その先……。
天から何者かに見下ろされているような錯覚を覚え、虚空を
「どうして……こうなったんだ……。俺の……せいなのか……」
震える唇から、掠れた声が漏れる。
「たべないと……」少女の声が聞こえる。
警察を辞めてまで、ここまで、たったひとりで事件を追ってきた……。
だが、掴みかけた事件の輪郭が今また闇の向こうへ、遠ざかっていくのを感じる……。
「にんげん……たべないと……」
俺は誰に話しかけるでもなく、呟いた。
「黄泉公社について、調べれば……闇に葬られる……。俺も、アイツのように、そうなるって……ことなのか……?」
指先から体温が失われていき、力が抜けていく……。
「俺は……ここで……死ぬ……の……か……?」
……絶望の中、世界から音が……光が……消えた。
すべての歯車が狂い始める、ほんの少し前の時間へと、記憶は遡る―――。
プロローグ 99行区遭難事件 完