「お待たせしました」
「いえいえ、あたしのほうこそ」
助手席の扉を開いて、乗り込んだのを確認してから閉める。
六分街で待ち合わせしても良かったが、車であれば自由に動きやすくもあるからな。
駐車場も問題ない。
どうも俺の作った機材をいたく気に入ったらしく、いつでも停めていいと許可をもらった。
折角の権利だ。
使えるときに使わなければ勿体ないだろう。
「ライブハウス……あたし、行くのははじめてです」
「俺もプライベートではあまり行きませんね」
一時期ギターをいじったりしていた時期もあったが、キャビネットから出てくる音と俺が志向する方向が噛み合わなかったので断念した。
かといってマイルドに作ればそれはもうギターじゃなくて良くないかという話になるしな。
そして最後に、俺に楽器を弾くような創造性はないわけで。
そりゃ触らなくもなる。
一度マイクを通してスピーカーで増幅するというその過程で音は劣化を重ねる。
マイクやアンプを介さずにそれなりの音量が出るオーケストラ編成ならばまだしも、一般的なバンドサウンドなどの場合は結局聴いても不満の論点がズレてしまうから。
「でも楽しい場所なのは間違いないですよ」
「……そうですね。楽しみです」
車を停めて、地下へと向かう。
ドリンクを注文して、どこか不思議そうにしている彼女を先導する。
「ライブハウスは飲食店扱いですから」
「法の穴を突くのが上手いですねぇ……」
その補足ですぐに理解したのか、それとも最初からなんとなく理解はしていたのか。
彼女は呆れたように声をこぼした。
入ってみると、インターバルの間なのだろう。随分とキックの強いBGMが流れている。
ま、ある程度規模のデカい箱になると低域がデカくなるのはわかるが。
時計を見ると、南宮さんの出演時間まではあと少し。
既にある程度人は入っているようで、立ったまま談笑する姿がちらほらと見える。
「フツーの音ですね」
「ここのスピーカーは頑張ってるほうですよ」
設備に金を掛けている方だとは思う。
程々に箱の規模も大きいしな。
それでこの音なら、六分街のような場所にあるにしては充分以上だ。
ぶっちゃけライブハウスとしての収入はほとんど機材に注ぎ込まれているのではないだろうか、とすら思えるほどに。
「シドさんはこういうとき、どのあたりで聴きますか?」
「俺は後ろのほうですね」
ぶっちゃけライブハウスは音量がデカい。
それこそが魅力だと言われればそれまでだが、一般家庭ではできないことをよくもまぁしれっとやってくれるものだ。
「難点があるとすれば、環境次第ではボワついて低音以外まともに聴こえないという事態に陥ることですけど」
「そんなことあるんですか……?」
あるんだなぁ、これが。
「ここは信用してもいいですよ。一応俺も前にチェックしましたから」
「なら大丈夫ですね」
そういうわけで、二人揃って舞台から遠い位置に並んで立つ。
「お、もう始まりそうですね」
BGMの音量が絞られていく。
照明が暗くなっていく最中、翼の中に小さく温もりが収まった。
「……見ないでくださいよ」
「すみません」
言葉に従って、舞台へと視界を戻す。
普段よりも赤く見えたその顔は、カラーグラスのせいだろうか。
こんなことならさっさと除けておけばよかったな。
暗転。
静まった会場の中、高まった期待に応えるようにシンセのフェードインが流れ始める。
期待感を高めるかのように音色が移り変わり、リズムによる区切りの後、スポットの照明が一気に開かれた。
その光の先に、少女たちが立っている。
(──かわいらしい子たちですね)
と、一見して思った。
登場して歌い出すまでの僅かな間でしかないが、彼女たちが舞台の上で煌めいてみえるのはきっと錯覚ではない。
今日のためにレッスンを積み重ねてきたことが伺える入りに、ダイアリンは思わず感心してしまう。
それとは別に、ほんの好奇に突き動かされ、舞台から一瞬だけ視線をズラした。
今、自分を包むかのように身体に添わせてくれている翼の大本に。
例えば、どの子を見ているのか、だなんて。
そう思って見た、青年の瞳は。
──仄暗く淀んでいる。
「──────」
口元はニヒルに歪んでいた。
まるで自嘲するかのように歪んでいた。
その中にある感情が、一体どのようなものなのか──ダイアリンは類推しようとして。
瞬き一回の後に、その色が影も形もなくなっていたために、読み取ることもできず思考が打ち切られた。
彼の目は、さっきの目が嘘のように穏やかだ。
笑みも口角がわずかに下がって、落ち着いた様相に見える。
それでも、見間違いではない。
ダイアリンの頭の中にある虚像なんかじゃ、断じてない。
だって、ダイアリンは──その姿を、今のいままで想像なんかしていなかったから。
(……いえ、今は)
疑問は残る。
けれど、その追及に割く脳のリソースを、ダイアリンは使わないことにした。
『──ボクはあなたと店長さんの仲、応援してますからっ』
初めて会ったとき。
そんなことを耳打ちしてきた少女の本音を──欺瞞で隠さない夢の舞台を、今はちゃんと見てあげたいと思うから。
夢とか、希望とか。
そんな言葉は信じられない。
空々しくて堪らない。
それでも、今舞台の上で歌う少女たちは、それをただの世迷言では終わらせまいとしていて。
そんな幼気な気持ちさえも、嘘だと言い張るつもりはない。
願うことなら、ダイアリンが歩めなかった正道をそのまま真っすぐ進んでいってほしいと思う。
──僅かに、翼に力が籠る。
まるで抱き寄せられるかのように翼に包まれたダイアリンは。
きっと青年も同じ気持ちなのだと、そう思った。
(意外と翼ってモフモフですね……)
そんな詮無いことも、同時に思いながら。
一曲をやり切った少女たちへと、拍手を軽く送るのだ。