Jukebox Driver 作:Penthouseはいいぞ
ダイアリンが少年と出会ったのは、或る夜の浜辺だった。
死者の声が煩雑で、寝付けそうにない日には、浜辺で波の音でも聴くのが彼女の生活だった。
そうすれば、少しだけ気が紛れるような気がするから。
けれど、その日は普段と違った。
空気を伝って漏れ聞こえてくる微細な音。
特徴のあるリズムを刻んでいるから、それが音楽らしいというのはすぐにわかった。
浜辺の静寂の中にあって、聞こえてくる雑音はやけに響く。
普段ならそんな気にもならないが、あいにく今は死者の声に焦燥している身。
文句でも言ってやろう。そう思って、ダイアリンは、音を頼って歩き始める。
その先に、車が一台止まっていた。
真っ赤なボディのスポーツカーは、どうもよく目立っていた。
どんな文句を言ってやろうか。
ダイアリンは、車の窓をこんこんと叩いて。
その窓が開いた瞬間に、すべての思考が掻き消えた。
その車から流れる音は、まさに芸術だった。
一聴して圧倒されてしまう。まるで生きているかのように艷やかな、女性のボーカル。
低音はあえて切って捨てているのだろうか。美しいその声に、自然と意識を向けることができる。
何より、その音は滑らかであった。
滑らかとしか言いようがない──固さのない優しい音に、嫌味無く次の音が響き出てくるような、その感覚。
窓一枚隔てただけで、影もなくなってしまうような、そんな繊細な音。
スイートスポットではないというのに、ダイアリンは思わずそれに聞き惚れてしまったのだ。
「あー……うるさかったですかね」
車の主らしい、銀髪の青年は気不味そうにそう言った。
銀髪の髪を伸ばした、優しげに見える、けれどどこか冷たさの残る目つきの青年だ。
顔立ちは端正で、着崩したサマージャケットがよく似合っていて。
その頭の上には、光輪が光り輝いている。それこそ彼が何かしらのシリオンのようであることを、証明していた。
「あ……いえ、その」
けれど、そんなことはどうでも良かった。
ダイアリンは、今ここで流れている音に衝撃を受けてしまったのだから。
──音楽に聴き惚れるなんて、そんなこと、これまでの人生でありはしなかったというのに。
そんなダイアリンの反応に気づいたのか。
彼は、助手席を指しながらさらりとこう言った。
「聴いていきますか?」
正直に言うと、迷った。
深夜に、異性の車へと乗る。
そのことが、どういうことなのか。
当然ダイアリンも理解しているから。
それでも、この音は捨てがたい。
眠れない夜に、音楽を聴く──それでうるさい声を忘れられるなら、千載一遇のチャンスだ。
ちらり、と青年を見る。
どことなくプレイボーイのような雰囲気はあるが、それならばダイアリンのようなちんちくりんに興味を示すことはない気もする。
それに──最悪の場合は叩きのめせば良い、と判断して。
「……それじゃ、失礼します」
ダイアリンは、そのまま助手席へと乗り込んだ。
──助手席に揺られていると、初めて出会ったときのことを思い出す。
ちらり、とダイアリンは隣を盗み見た。
運転をする青年は、音に合わせて上機嫌に鼻歌などを口ずさんでいて。
オーバーサイズのダボついた服と、掛けている薄めのサングラスが、どこかチャラついた雰囲気を助長していた。
「初期アストラ・ヤオのLive盤は録音が良いなぁ」
などと言って。
その言葉の中に、音への陶酔以上に羨望が紛れていることに、ダイアリンはどこか悲しくなった。
青年・シドは天才だ。
まごうことなき天才だ。
現在はショップを持たず通販のみで個人的にオーディオ機器の製造販売をしているが──彼は機械にまつわることなら粗方なんでもできてしまう。
特にオーディオへと拘るのは、それが彼自身の好きなものと合致しているからだろう。
それだけの才能がありながら、自分自身の興味はまた別の部分にある。
それを知っているからこそ、ダイアリンはなんだか胸を締め付けられるような気持ちになった。
「つっても、カーオーディオだと録音差は如実には出てこないけどなー」
かつて、ダイアリンが聴き惚れたこの音も、彼に言わせてみればまだまだらしい。
彼の言う『本物』のスピーカーシステムを、ダイアリンが聴いたことはない。
この上があるのだとしたら、どんな音がするのだろうか。
彼からもらったイヤホンは、眠れない夜の無聊を慰めてくれている。
その暖かい音色は、バラードのような曲を聴くには最高と言っても良い。
音楽をさほど知らないダイアリンも、代表例としてアストラのCDを聴いたとき、その歌唱力に思わず浸ってしまったものだ。
「……どうしました?」
思わず、眺めてしまっていたのに気づかれたのだろう。
信号待ちの最中、視線を流すようにこちらへと問いかけられる。
「あ、いえ。どういう服がいいかと思いまして。あたし、これまでオシャレとはとんと無縁だったもので」
「仕事着あるなら気にしなくていいですからね。覚えるのは化粧くらい……なんでそのデザインなんだろう?」
「仕事着に関してはお気になさらず。あたしもよくわかってません」
装備との兼ね合いや動きやすさを重視して用意してもらったものだが、冷静に考えたらたしかに布面積は狭い。
スポーツウェアのようなものだと思ってこれまで気にしたことはなかったが、いざこうして指摘されると気になるものである。
「うーん……ある程度実用性を求めるタイプですよね?」
「まぁ、そうですねぇ。動きやすいほうがいろいろと楽ですから」
「軽い服なら、個人的にはシティ系のファッションが似合うと思うんですけど」
「シティ……えーと」
「今の俺みたいな感じですね」
「なるほど」
たしかに、ある程度カジュアルな感覚だ。
ダボついている部分は少し気になるが、生地も薄めで重そうではない。
出歩くときも、そこまで違和感はなさそうだ。
「じゃあ、そんな感じで」
と、返して思った。
お揃いのスタイルか、と。
「…………」
別にペアルックというわけではない。
そもそもシティファッションなんて街に出ればそこそこ見ることだってできる。
だからそんなに意識するようなものではない。
ない、のだが。
同じ系統の服を選んでもらうだなんてことを考えると、どこか相手の趣味に染められるような心地がして、ダイアリンは妙に落ち着かなかった。
「こ……これでいいですか?」
着替えた彼女の姿を見て、自分の見立てが間違っていなかったことを確信する。
元の素材が良いからか、基本的に何を着ても似合うな。
っぱ美形は得だ。
俺も世間一般的にはそう言われるタイプの顔立ちだから、ある程度着こなしを楽しんだりしているのだが。
だがまぁ、衣食住の割合というのは人によってまちまちであるし。
俺の場合は食生活が壊滅的だしな。
彼女にとってはそれが衣──つまりファッションであったということだろう。
「ちょっと、何か言ってくださいよ」
「あ、すみません。似合ってますよ」
「……そうですか」
購入候補として、とりあえずキープすることにしたようだ。
組み合わせは適当に俺が選んだものだ。
といっても、そこまでややこしくならないようにどれと組み合わせても問題ないようなパーツにしている。
全部を見せてくれる彼女に対して、感想を呟いていく。
とはいえ、どれも似合っているのであたりざわりのない返事しかできない。
さて。
彼女が着替えているうちに、俺もいくつか良さげなものを見繕っていたのだ。
着替えにかかる時間の周期も把握した。今のうちに買っておこう。
「……お待たせしました。ちょっと支払いしてきます」
「ん、了解です」
そう言って、会計へと向かう彼女の後ろをついていく。
「…………さて、買えましたね」
「お疲れ様です」
「ちょっと、子どもじゃないんですから。……というか、試着してるときどこか行ってましたよね? 気づいてるんですよ?」
ありゃ。
まいったな、思ったよりカンが鋭いようだ。
「あー、すみません。ちょっと買い物をですね」
そう言って、俺はさっき買ったポーチを引っ張り出す。
クッション性がなるべく良いものを選んだつもりだ。
サイズ感も問題ない。
自分で作ったものの寸法は一通り頭に入っている。
彼女の懐に入れるのにかさばるサイズでもない。
「プレゼントです。機材持ち歩くならちょうどいいかなと」
そうして、そのまま彼女の手へと渡した。
きょとんとしたような彼女は、少しの後。
「……ふふ、ありがとうございます」
そう言って、
「これでついさっき、雑な返事しかしなかった件や、勝手にどっか行ってたのは許してあげましょう」
彼女は、等身大の笑みを浮かべていた。
「寛大な御心に感謝いたします」
「ええ、そうでしょう?」
その笑顔が、俺は好きだった。
彼女は素直になれない人で、俺によく似ているから。
だからその笑顔が素なのだとわかる。
それを引き出せたのが、作った道具とかではなくて。
俺自身の行動だということに、なぜだか俺は嬉しくなった。