請負人。
プロキシとして活動している以上、リンもまた当然その名を聞いたことがあった。
それは一つの伝説の証。
パエトーンとして裏家業を始めた頃、請負人の名は巷で騒がれ始めたばかりであった。
当時はそのような情報もよく漁っていたから、世間を騒がせているその男は何者なんだと思ったこともある。
だからリンは、請負人を知っていた。
その正体がまさか、知り合いの知り合いだなんて思いもしなかったけれど。
「…………」
(気まずいかも……シーシィアさん、明らかにシドさんに怯えてるし……)
それはきっと、請負人の纏っている空気が原因なのだろう。
背に下げた翼と光輪は、まるで天使のように見える。
けれどその目と、シニカルな笑みが、彼がどういう存在なのかを一目で理解させるのだ。
無感動に、無造作に人を殺してしまえる男なのだ、と。
「ねぇ、シドさん」
「ん? どーした?」
こうしてリンから問いかける分には、普通に人の良さそうな青年の顔にくるりと変わる。
随分と演じ分けが上手いな、とリンは思った。
「その、ダイアリンと、どういう関係なの?」
以前、ダイアリンが贈り物の相談を持ちかけてきたことを思い出す。
その相手はきっと、彼なのだろう。
ダイアリンがあんな風に気の抜けた雰囲気でいるなんて、珍しいことだから。
だからきっと、彼女にとって青年は重要な立ち位置にある人物で。
「……さぁ。なんて言い表すのが正解なんだろうな」
「ぶっちゃけシドさんはダイアリンのこと好き?」
「まぁ、どっちかで言えば好きだが」
「なんか急に恋バナ始まったんですけど……こんな場所でよくそんな話できんねって感じなんですけど……」
『請負人が普通に恋バナしてるの違和感すげぇぜ……』
「そうか? シーザーとはラブコメ漫画の貸し借りしてたぞ」
『……なんつーか、イメージと合わねぇなそりゃあ』
泣く子も黙る請負人がラブコメを読んでいること自体意外性の塊だと思う。
リンもビリーの言葉に黙って同意した。
「というかシーザーと知り合いなんだね。昔郊外にいたって聞いたことがあるけど……」
「アンタ顔広いな。そうそう、昔は郊外を拠点にしてたよ。弟と会いづらかったから引っ越したんだ」
「え! 弟いるんだ……」
「ああ。俺らはいつ死ぬかわからねぇから。こういう家業だし、顔を見に行く頻度は多いほうがいいだろ」
随分とあけすけに話す青年の姿は、請負人ではなくオーディオショップの店主としての顔なのだろうか。
どちらが本当の青年なのか、リンにはわからない。
それでも、請負人という伝説の裏は思ったよりちゃんと生身の人間らしさがあって。
みんなそういうものなんだな、とリンは少し思う。
「そっちの治安官も郊外出身だろ」
「んぇっ!? あ、あーし……? いや、そうですケド……」
「ひょっとして会ったことあるか?」
その言葉に、シーシィアは黙り込んだ。
「名前はともかく、俺の顔知ってるやつはそこまでいねぇはずなんだよ。敵なら大概殺してるしな」
「ひぇっ……」
「あ、やべ。治安官の前で余罪について喋っちまった」
そう言ってケラケラと笑う青年は、実のところ治安官のことをさほど恐れてはいなさそうだった。
それは自分の実力に対する過信か、はたまた。
「さて」
周囲にへたり込んでいる人をちらりと一瞥して、請負人はエレベーターを眺めた。
「この下だろうな。戦闘の準備はいいか?」
「うん、勿論!」
『当然! 正義のために、とっくに準備万端だぜ!』
「あ、あーしはできてないかもぉ……」
「じゃあしろ。いくぞ」
「ゔぇぇぇぇぇ……!」
そうして、エレベーターで下降していけば、そこには見覚えのある影がある。
「あれって……モルス? 何してるんだろう……」
「参加者潰しだろ。ちょっと行ってくる」
そう言って、請負人はエレベーターの途中からとん、と飛び降り。
「え、あ、ちょっと!」
『おい、アンタ! 正気かよ!?』
「誰だ!? ──は?」
そのままの勢いで、モルスを蹴り飛ばす。
そこそこの高さから飛び降りたというのに、まるで気にも留めず足一本で着地した請負人は、ポケットに手を入れながら言いやった。
「よ、元気か? こんな退屈なゲームで初心者狩りなんてよくやるぜ」
「……赤いグラス──まさか、『請負人』!? なんでアンタがこんなとこに……!」
「そりゃ俺も参加してっからだよ。んでこっちからも聞いてやるが、テメーは俺の敵か?」
「……聞いてねぇぞ。アンタがいるなんて、あんな程度じゃ割に合わねぇ……!」
「だから」
ばちん。
一際大きな音を立てて、へたり込んでいるモルスの人差し指が逆方向へとへし折れた。
「ぐぁ──っ!?」
「聞いてることだけ話せ、
「……ち、違う! オレはアンタの敵じゃねぇ!」
「そーかそーか。ちなみにこの大会には俺の身内が参加してるんだが、テメーは知ってるか?」
そう言って、請負人は端末から写真を見せる。
追いついたリンがちらりと見たところ、どうやらダイアリンの写真のようだ。
「……知らない」
「オーケー、なら見逃してやる。授業料は払ってもらうがな」
モルスの両腕から五指に掛けて、わずかに膨らんだかと思えば、歪にへし折れた。
現代の医療なら治るとはいえ──凄惨な光景に、リンは思わず顔を背ける。
「ほら、さっさと消えな。俺の手を煩わせといて、捩じ切らねぇだけ感謝しろよ」
「……あぁ──アンタに会って、この程度で済むなら、安くついた……」
脂汗を浮かべ、苦痛に呻きを零しながらも、モルスは立ち上がり逃げ去っていく。
それを見届けて、『請負人』は何の感慨もなく、呟いた。
「終わったぞ」
まるでこの程度、なんてことないかのように。
そんな様だから、助けられた参加者たちだって身が竦んでしまっている。
「あー……あの……大丈夫?」
だから、リンはまず彼らに声をかけた。
そんな様を、請負人は僅かに一瞥し、すぐに背ける。
一体どういう視線だったのだろう。
彼の仄暗い瞳からは、何も伺えない。
ただでさえわからないというのに、カラーグラスに隠れていては尚更の話だった。
(……ダイアリンは、このことを知ってるのかな……)
リンは、ほんの少し疑問に思う。
オーディオショップの店主。
伝説の請負人。
その顔のどちらも見たリンは、その移り変わりの滑らかさがどうにも恐ろしく見えた。
気の良い青年かと思えば、次の瞬間には殺伐とした顔を覗かせたり。
黒枝の人間とも遜色ない二面性が、青年の内側に隠されることなくある。
きっとダイアリンは、その二面性を知ったとしても、それを許容できるだろう。
そういう
それでも、青年のこの苛烈な部分が、二人の関係を決定的な破綻へと導きかねない、と。
リンは、そう感じていた。