『……んじゃ、二人を頼むぜ請負人。すぐ戻ってくっからよ』
「おう。出番ねぇかもしれねぇけどな」
そう言って、負傷した人々を連れて去っていくビリーのことが、シーシィアには信じられなかった。
いましがた見せつけられた暴力は、ともすればこちらに振りかざされるかもしれないというのに。
けれどリンとビリーは所業に対して思うところがありながらも、彼が裏切らないという部分においては信用しているようで。
そんな二人が理解できなくて。
それでも、リンを一人にするのも不味いだろう、と。
そんななけなしの倫理だけが、今のシーシィアを現場へと縛り付けている。
「アンタも気分が悪いなら出ときゃいい」
そんな気持ちは、請負人にも見え透いてしまっていて。
彼はそう言って笑いもしなかった。
シーシィアをからかうような、ふざけた笑いは一つもなかった。
無関心のような、それとも感心のような。
金色だっていうのに、影が深すぎて真っ黒に見えるような。
そんな暗い瞳が、シーシィアをただ一瞬、射抜いただけ。
ただ、居心地の悪さと、胸の奥の吐き出せない気持ち悪さが、そこにあった。
「……シーシィアさん、大丈夫? 今からでもビリーと一緒に外に出たほうがいいんじゃ」
「……う」
それでも、戦えないはずのリンがそうやって、シーシィアを気遣うのだから。
「…………だいじょぶ。さっきのやつだって瞬殺だったし、請負人がいたらぜーんぶ解決するっしょ。あーしはただそのおこぼれに預かりたいだけ!」
だから彼女は、今目の前の恐怖を押し殺すために強がった。
「……シーシィア」
「それで全部ぱーっと解決できたら、あの大魔王様だってなーんも文句言えないっしょ」
強がる言葉すら、最後の最後には勢いをなくしてしまったが。
どうしてだろうか。
シーシィアは、それでも前へと進むことを選択する。
自分自身でもわからない衝動のままに。
「好きにしろよ。ガキの世話は慣れてるほうだ」
そして、請負人は。
そんなシーシィアを、表情一つも変えずに一瞥して、目を逸した。
シーシィアが、『請負人』と出会ったのは郊外のある日のこと。
ジャンクヤードの更に片隅で、タンブルウィードよりも根無し草な暮らしに甘んじていた頃の話。
その日暮しすらままならない、そういう野良蛇の一匹であったときの、些細な話。
『おなかすいた』
そう言って、ジャンクヤードの片隅に座っている、小さな女の子がいた。
不釣り合いなくらい大きい耳が、シルエットをずっと大きくしてしまっているけれど。
あれは、本当に小さな少女だった。
既に埃を被っている。
けれど、シーシィアを貫いているその目は──その日暮しに困ったことなんてなさそうなくらいに、光を宿していて。
きっと、恵まれた生まれなんだろうなと、そう思った。
『…………』
なんとなく、シーシィアは、彼女に声をかけた。
『アンタみたいなのが、どーしてこんなトコにいんの?』
『お兄ちゃんをまってるんだよ』
『……こんなトコで?』
そう聞き返したら、こくりと少女は頷く。
その仕草で、ああ、と。
きっと彼女は、捨てられたのだ、と。
そうして、そんな事実にすら気づいていないんだろうな、と。
ただ、シーシィアは砂だらけのこの世界の価値観に照らし合わせて、そう理解したのだ。
シーシィアは、その日暮しだってやっとな日々を送っている。
それでもこの野良狐は違うだろう。
きっとそのまま野垂れ死ぬ。
ストリートの流儀なんて、飼い狐が知るわけもないのだから。
だから彼女は、ほんの気まぐれで──郊外の流儀を、少女に教えてやろうと。
きっとすぐに死んでしまうだけなのに。
そう思ってしまったのだ。
『……食べていいよ』
そう言って、ほんの僅かな糧を、少女へと与えてやる。
『いいの?』
『うん。それ食べたら、動くよ。こっちじゃじっと待っててもうまく行かないことばっかなんだから』
『ふぅん。そっか』
言いながら、少女はカビさえ生えかかっているような、瑣末な食事を口にした。
まるで生まれてはじめて美味しいものを食べたと言わんばかりの、眩しい笑顔が、今でもシーシィアは忘れられない。
『ごちそうさま。その蛇さんかわいいね』
彼女は、そう言ってシーシィアにぶら下がっているシロピを見て、にへらと頬を緩める。
まるで危険がわかっていない顔だ。
取り合っていられない、と、シーシィアはただ生返事だけしかできなかった。
『あんがと。……そんじゃ、さっさと──』
『──おおいテメエ、んなとこで何サボってやがる!』
びくり、とシーシィアの体が震える。
ああ、面倒くさい。
おそるおそる後ろを振り向けば、そこにはシーシィアを買い叩く「走り屋」の一人が、苛立たしげに彼女を見ている。
肩をいからせて近寄ってくる姿は、先で起こる事態も容易に想像させてくれた。
(……あーあ、何やってんだか)
『──へぇ、こいつぁ良いモン見つけたじゃねぇか』
けれど、男は少女を見て、すぐに得心したような、したり顔に変わっていく。
『テメエ、それ持ってこい。早くしろよ』
その言葉の意味がわからない、と言ったように、少女は首を傾げている。
そんな姿すらもかわいらしいなら──それをほしがる理由なんて、きっと。
『…………』
彼女を見捨てれば、シーシィアはきっと今日どころか、数日くらいはご飯にありつけるだろう。
それだけ、郊外において、彼女は希少な形をしていた。
たしかに彼女はかわいらしい。
でも、誰だって自分が一番かわいい。
たったわずかな同情なんて、そんなものはなんの役にも立たないのだ。
だから、シーシィアは彼女をちらりと一瞥して。
『?』
その無垢な、紫の瞳の中に映る自分を見た。
それは酷く曖昧な顔をしていた。
ただ、酷い顔だと思った。
自分自身だと思いたくないけれど、そうだと確信してしまうような、卑屈に塗れた顔があった。
そして、少女はそんなシーシィアの顔を見て、笑う。
『──────』
なんで、そうやって、屈託もなく。
そんな疑問が、意味のある言葉の像を結ぶよりも早く。
シーシィアは、振り向いていた「走り屋」の股間へと、思いっきり足を振りかぶった。
直後、まるで足を砕かれたかのような激痛。
見てみれば──そんな動きなど、見透かしていたかのように。
「走り屋」は、足でシーシィアの足を防いでいる。
『──バカな蛇だ』
そうして、振りかぶられた拳が、シーシィアへと届く。
その刹那に満たない時間で。
突風が、世界を劈いた。
何が起きたのか、わからなかった。
気づけば彼女は、後ろ向きに倒れていて。
目の前に座っていた「走り屋」の体が、まるで砂に還るように崩れていくのを、ただ呆然と、眺めるだけしかできなかった。
そして、あり得ないほどの速度で、空間が歪み、光が舞い散る。
まるで一直線。
それでも、その間に不規則な光が何十回──何百回以上も、乱反射しながら。
空に咲く花のように、無数の光があっという間に、「走り屋」たちの拠点のほうへと向かっていき。
そのまま、爆発が起きる。
石油が、火を吹き上げて。
「走り屋」たちの権威の象徴が、まるで呆気無く、燃えて──燃え盛って、なくなってしまった。
『お兄ちゃんとあれだけ打ち合えるんだ。「掃除屋」ってすごいねぇ』
まるで場にそぐわない、気の抜けた感想が、シーシィアの耳に聞こえてくる。
その意味を、彼女は理解できない。
今の正体不明の光が、人間の戦いの結果というのも理解できない。
ただ、一つ。
ただ一つわかることは。
きっとシーシィアが生きているのは、彼女が助けてくれたからだということだけ。
『──よっ。お待たせ』
そして、シーシィアの目の前に「死」が立った。
血と硝煙と石油の、濃密な匂い。
吐き出しそうなくらいのそれを身に纏った、紅。
白い髪も、翼も──赤い、その青年の。
まっくらなその目が、疑問とともにシーシィアを一瞥する。
それだけ。
シーシィアは、まるで彼の眼中にない。
血にまみれた手を、血でぐっしょりと濡れたズボンで拭いて、その「死」は少女に差し伸べた。
そして、少女はシーシィアが反応するより早く、青年の体へと飛びついていく。
あっという間に全身赤く染まった少女はそのまま、青年の肩へと飛び乗り。
そうして二人は、歩いて去っていく。
ただ少女だけが、シーシィアへと後ろ手を振って。
まるで真夏の陽炎のように、二人はあっという間に消えてしまった。
後日。
例の「走り屋」が「請負人」に滅ぼされた、という話を伝聞で聞いてから、シーシィアは納得する。
ああ、あれが「請負人」なんだ、と。
たった一人、「掃除屋」に喧嘩を売ってなおつまらなさそうな顔をしている、まるで「死」そのもののような。
そんなものが、「請負人」なのだ。
だからこそ──シーシィアには、リンやビリーが理解できない。
理解できるわけがない。
あの「請負人」に、信用なんてものをおけるなど。
命を握られた距離で、立っていられるなどと。
彼女には、とんと理解できないのだ。
だって彼は、殺す気なんてなくても──病毒のように何気なく、人を殺し尽くせてしまう……そんな鴉なのだから。