ホロウの中に入ってからしばらく──声の数が少しずつ増えていく。
血の気の多い──では片付けられないほど、妙に増え続けるその声。
明らかに参加者殺しを目的として動いている人間がいる。
確信と同時に、ダイアリンはほんの僅か、眉間に力が籠るのを感じた。
表情が動くことはない。
それでも、気分が悪いのは間違いのないことで。
「盤岳せんせー。ちょっと共有事項が」
『む? 少し待たれよ』
言いつつ、盤岳の拳がエーテリアスへと叩き込まれる。
ただでさえ濃密な質量の拳が、術理に従い突き出され──それは容易くエーテリアスの核を打ち砕いた。
そうして盤丘は、残心のままダイアリンに言葉を促す。
「なーんか、随分きな臭い感じです。『掃除屋』が人を殺しまくってるみたいですけど……これってあの処刑人のことじゃないですよね? 一応とはいえ同じ職場の人間がそんなことしてるとは思いたくないんですけど」
『……仔細は知らぬが、見過ごせぬ。いくら大罪を犯した身であれど、悪戯に命を弄ぶ行為──この盤岳、赦しはせん。ダイアリン殿、其奴は何処に?』
「さぁ? けれどある程度想像はつきますよ。意識的に人を狙うのであれば、人が集まる場所に──つまりポイントの高いターゲット、それか休憩地点の近く。このどちらかに現れるかと」
『であれば、我輩は何れかへ向かおう。ダイアリン殿は如何か』
「んー……」
別行動を提案しようとしたダイアリンの言葉は、頭の中にふと浮かんだ疑問により打ち消される。
もしそんな殺人鬼がいるとして。
あのオーディオショップの店主は、大丈夫なのだろうか。
彼が強いことは理解している。
そんじょそこらのチンピラ程度なら、一蹴してしまえる程度には。
だとしても、あの処刑人と同じ──『掃除屋』を相手にするとなれば話は別だ。
そのレベルまで彼が強いなんて、そんな可能性はどれだけあるのだろうか。
音を利用することによって、一瞬で足の骨を折る。
それがどれだけとんでもないことなのか、というのは理解できる。
けれどそれだけだ。
あの処刑人にはそもそも当たらないだろう。
あくまで制御するのが人間自身である以上、彼女が照準より速く動いてしまえばそれだけで封じられてしまう。
それにあれは武器による攻撃だと思うが──それであれば余計に、である。
武器を破壊すれば封じることができてしまう。
つまり、恐ろしい力であるが、見た目よりは対策のしようがある。
一定ライン以下を容赦なく切り捨てる性能はあるが、圧倒的格上に勝てる性能ではない。
油断しているところなら倒せる可能性はあるが、たった一発の奇襲にどれだけ賭けられるというのか。
「二手に分かれません? 休憩所も高ポイントの対象もどっちもそれなりの数ありますし、そのほうが効率的です」
『……単独行動は危険ではないか? 相手の強さも未知数ゆえ、ここは歩みを合わせるほうが良いと思うが』
「それで動き回る相手を見つけられないまま終わるオチが一番しょうもないでしょう? これが最善ですよ。あたしのほうはなんとかするので大丈夫だし、盤岳先生のほうだってなんとかなるでしょう? だったらそのほうが良いじゃないですか」
『……承知した。くれぐれも、無理はせぬように。シド殿も、そなたの無茶は望まないであろう』
「……ふーん、言いますね、盤岳先生のくせに」
『む? 何か妙であったか?』
「……いえ」
──ふと。
ダイアリンは、青年の武器に対して疑問に思った。
音で攻撃するというなら、それに一番適したものはなんなのだろうか。
それはきっと、音動機。
ダイアリンの音動機を手早く直してしまったことからも、彼がそれに対して造詣の深いことが理解できる。
つまり青年が『音』を武器として扱うとき、最もそれらしいものがあるとすれば音動機であって。
今、ダイアリンが追っている相手である請負人はギリガンの音動機に執心している。
武装としても使っている、という噂があるし、実際に消し飛んだTOPSの研究所にはギリガンの音動機を研究していた痕跡があった。
つまりあの場にギリガンの音動機が存在したことは確実だ。
音動機を作って、売り捌いた者の名はギリガン。
青年がかつてオーディオ機器を作っていたときに使っていたのはギリーズ。
どこか似ているのは、果たして偶然だろうか。
そもそも。
どうして青年は、この大会に参加したのだろうか?
この大会にしかない何かがあったからか。
例えば。
──ギリガンの音動機とか。
「……」
ダイアリンは、そこまで考えて。
(──それじゃあ、どうしてあのときあたしを助けたんですか)
どうしても、そこが腑に落ちなかった。
『請負人』へと繋がる考察材料は、彼が自分からばら撒いている。
気づかれないと高を括ったのか。
それとも、隠すつもりもないのか。
ダイアリンには、わからない。
醜い内心を隠したようにも見えない。
だったら──どうして。
索敵の最中も、頭の中から疑問が消えてくれない。
「──また一匹、雑魚が来たか」
血飛沫が、舞う。
遠巻きにでも致命傷だとわかるそれを、無感情に浴びる犬のシリオンがこちらを見る。
こちらがババを引いたか、とダイアリンは嘆息したくなる気持ちを押さえて、周囲に倒れている人々の中に知り合いの姿がないかと目をやる。
そして見知った姿がないことに対して僅かに落ち着きを取り戻し、その気持ちを、仮面に隠した良心が突く様を見ないようにした。
「ようこそ、オレの屠殺場へ」
「……それカッコいいと思って言ってるんですか? あんたそれ何回言いました? 三回目くらいから普通に『なにやってんだろ』って気持ちになってきたりしません?」
「……バカにしやがって……殺してやる」
「顔真っ赤で草ですね」
「……苛つく野郎だ!」
踏み込み、そしてまるで飛ぶかのような突進を、咄嗟に回避する。
(……速っ!)
身を翻しつつ、くるりと回したチャクラムを一つ、投げる。
弾かれても問題ない。そのままもう片方のチャクラムへと拳を突き出し──巨大な拳が、今しがた弾かれた方から飛び出した。
「よっと!」
戻ってきたチャクラムを、後方へと飛びながら掴む。
あの速さが手元でも発生するなら、対策は困難だ。
だが一定の距離を保ちながら、遠距離で攻撃すれば。
そうすれば相手が距離を埋めるためには、踏み込みという一挙動が必要になる。
そこさえ見逃さなければ問題なく対処は可能。
ダイアリンのリーチは中距離も対応可能だ。であればそれを活かさない理由はない。
「チマチマと、面倒くせぇ……」
とはいえ、こちら側も攻撃手段を制限されているのは変わりない。
攻撃のバリエーションはどうしても近距離よりも少なくなるし、『掃除屋』からすればそれは対処が容易なものでしかなく。
つまり、今ダイアリンが選んだ戦法とは──戦況が変わるまでの間、時間を稼ぎ続けること。
「……チッ、なら先にこっちだ」
その狙いを悟ったのだろう。
目の前の『掃除屋』は、ダイアリンから目をそらして、新しく姿の見えた参加者へと顔を向ける。
まるで取り合っていられない、と言わんばかりに。
「…………」
ダイアリンは聖人君子ではない。
別に、誰かを救う義理なんて存在しない。
「──ひっ、待て、待て待て待てっ! 嘘だろ!?」
だから、ろくに知りもしない参加者が死のうとどうだっていい──盤岳が到着するまでの時間稼ぎに、むしろちょうどいいくらいだ。
『──ダイアリンさんは、自分が幸せになっちゃいけないと思うことはありますか?』
なら、どうしてこんな言葉を思い出してしまうんだろう。
「……ああもう!」
どうして自分は、今目の前の凶行を止めようとしているのだろうか。
投擲したチャクラムが、そのまま背後から迫る。
ああ、なんて短絡的な行動をしてしまったんだろうか。
これは誘いだ。
それに、ダイアリンは釣られてしまった。
彼女の攻撃を待っていたと言わんばかりに、掴まれたチャクラムが投擲される。
キャッチはしない。勢いを殺すのに回転が必要。
つまり相手から一瞬といえ目を離す時間が生まれる、故の回避。
だがその回避の時間で──『掃除屋』は脚を溜め終わっている。
回避に僅かに動いたダイアリンの、二歩目が踏み出されるよりも速く。
掃除屋の突進は、始まったのだ。
(あーあ、バカなことした)
どうして、こんなミスをしてしまったんだろう。
刹那のような時間の中で、ダイアリンは考える。
(……なーんだ、あたし、カッコつけたかったんだ)
普段なら見捨てるような、そんなものを。
青年の言葉が、頭の中を過ってしまったから。
少しでも、青年に顔向けできる自分でいたいなと、思ってしまった。
とんでもないエゴイズムだ。
そんな理由で人助けなんて、助けられた側に侮蔑されたって仕方がない。
だから罰が当たるのだろう。
──それが、ダイアリンの頭を鈍らせたカッコつけの次第であって。
その甘えは、張り詰めた糸の前では致命的。
そうして、ダイアリンの目の前が真っ暗になった。
「よぉ、犬っころ。雑魚狩りは楽しかったか?」
声が、聞こえる。
聞き慣れた声だ。
もう、耳に馴染んだ声だ。
普段ダイアリンに語りかけるときと違う、どこか小馬鹿にするような、冷笑的な響きだが。
それでも、ダイアリンがその声を聞き間違えることはない。
「その雑魚を守るなんてな。急に博愛主義にでも目覚めたか?」
「強いて言うなら迫害主義だ。駆除してやるよ、野良犬風情が」
ニヒルな言葉選びは、あのときチンピラの前で啖呵を切っていた様と同じだ。
その不遜な態度が、今はとても頼りがいのあるように見える。
──ところで。
どうして、青年の着ていたはずのグレーのカーディガンに、ぶちまけたような赤色がついているのだろうか──。
何故かと目をやれば、青年の肩口から赤色が吹き出していて。
その意味を、ダイアリンは、知っていた。
一方で傷など意に介さぬように、請負人はカラーグラスをゆっくりと外す。
赤色のグラスは、そのまま血に濡れたポケットへと引っ掛けられた。
そうして、青年は吐き捨てるように言う。
「『請負人』の本領を知るといい」
直後、世界にヒビが入るような、金切り音がけたたましく鳴り響いた。
耳がバカになりそうな、そんな轟音。
そんな音で、まさか聞き間違えたのだろうか。
今、青年は何と言った?
──『請負人』と、名乗った?
(なんで)
もう、ダイアリンの頭は現実についてこれなかった。
意味がわからなかった。
優秀なはずの頭ですら回らなくなるくらいの激動で。
理由をどれだけ考えても、ダイアリンの頭が理由を導き出すことはできない。
(シドさんが『請負人』なんだったら)
滴り落ちる赤色は──血、だ。
この床を散々濡らした、そのうちの一つと同じ。
それが青年から流れ出ているのは、なんでだろう。
(なんで、あなたはあたしをたすけてくれるんですか)
彼女の理屈で、彼の行動が何一つ理解できない。
どうしてだろうか。
いつだって彼は、ダイアリンにとって都合の良いタイミングで現れる。
まるで夢を見ているかのように、都合良く。
だから。
過熱した頭は、自分の感情をどう処理すればいいのかさえも、導き出せはしなかった。
裏話 本作のプロット時点ではなんぐーゆーがメインの想定でしたが一話を書いた瞬間にすべて入れ替わりました
つよい