本作もそろそろ終盤です もしよければ最後までお付き合いください
身体を引き裂くナイフの感覚は、何だか懐かしい。
最初は妙に冷たく感じるものだ。
後から、血の熱がこぼれ落ちていって──寒々しさだけが最後に残る。
この程度、『請負人』として活動し始めた頃以前でさえ何度でも経験がある。
だから俺が傷を負うのは良い。
別に、構わない。
既に身体は傷だらけだ。
今更一つ増えようが、何も問題はない。
俺はな。
けたたましい音が、周辺に響く。
ろくでもない音だ。
耳を破壊するような周波数は、人を殺すと考えればむしろ丁度いいだろう。
上品な音で殺すような丁寧さを、俺が持ち合わせているわけもない。
「──!」
直感か。
それとも、知っていたか。
照準を避けるように動き始めた犬野郎は、そのまま撹乱するように走り回る。
まるで逃げ惑うかのような動きで、無様と言う他はない。
そしてその姿を追いかけるように、空間が縮小するように空気が爆ぜる。
「さながらドッグランだな。もう少しまともに踊れねぇのかよ」
「──テッ、メエ──!」
「雑魚狩りしてイキんのは楽しかったか? そんなだからテメーだってしょうもない死に方すんだ」
そこらに散らばっている無数の死体と同じように。
「『請負人』ン……! テメェがそれを言うのか!? 血に酔った■■■■が! 殺しを愉しんでんのはテメェも同じだろッ!」
「いーや? オマエと一緒にすんなよ。殺しなんかつまんねーよ。
例えば、俺に力がなければ。
また別の道を模索していたに違いない。
ただまぁ、できてしまうし。
それが一番手っ取り早いと思ったら──そうするのが正しいものじゃないのか。
「嘘でしょ……あの『ブラックウルフ』を手玉に取ってる……」
「ダイアリン、大丈夫? 怪我はない?」
「……大丈夫、です。一人で立てますよ」
こちらに追いついた二人が、俺の背後へと駆け寄ってくる。
音を
「仰々しい名前だな。今から『
「ふざけんな、■■野郎が……!」
言いながら、目尻を持ち上げる様子が見えた。
「……テメェ、その雑魚が大事なんだろ」
そして。
意識の隙間を縫うように、瞬間的な加速があった。
ま、照準追いついてなかったしな。
当たらねぇと踏んだんだろう。
「テメェの弱点は、速い相手に対応できねぇことだ!」
そうして、俺の横をすり抜けるように、刃が高く振り上げられ。
それを振り下ろすよりも速く、俺は回し蹴りを顔面へ叩き込んだ。
「昔『掃除屋』と引き分けたことがあってな」
あの女は強かった。
音動機を大量に作ったきっかけだってあいつだ。
つっても結局実用性がなくて別の対応を考える羽目になったわけだが。
最終的に、こういう対応するのが一番良いと気づくまでそう時間はかからなかった。
「おかげで速い相手は狙いを絞ったほうが楽ってことに気づいたぜ」
つーか。
初見の手合いは、だいたい能力ばかりを警戒して接近戦に持ち込んでこようとするが。
素の状態なら俺が自分で殴ったほうが強いんだよな。
問題はその出力に、身体のほうがついてこないところ。
普段見せ札のほうを積極的に利用しているのはこれが理由だ。
いちいち近接格闘をしているたびに身体を壊してりゃ勿体ねぇからな。
武器ってのは効率的に敵を殺すためのものだ。有効活用しなくちゃ存在価値がない。
遠距離範囲ですり潰せるのであればそれが一番楽。
掻い潜ってくるのであれば正面戦闘で叩き潰す。
最終手段は範囲爆撃。
これが『請負人』の手札。
脚に纏った音の振動が、削り取るように肉を引き裂き──そのまま、その姿を吹き飛ばす。
勢い良く壁へと激突した犬野郎が、そのまま、ふらついて地面へと手をつけた。
「く、そ──」
「じゃあな野良犬、来世はもうちょいマシなもんに生まれてこいッ──!?」
急に、後ろへと引っ張られる。
庇っていた誰かだろう。
なんだ一体、邪魔しやがって。
そう思ってみれば、俺にもたれかかるように、縋り付くかのように引っ張っていたのは──ダイアリンだ。
「……なんですか」
一々取り繕う必要ももうないだろうが、なんとなく俺は、普段通りにダイアリンへと声をかけた。
「あいつは死ぬべきだ。殺しすぎた野良犬は殺処分しなくちゃいけない」
そんな空々しい言葉を吐いてみる。
俺だって同じ穴にいるというのに、よくもこんな言葉が言えたものだ。
「それとも、アンタは──アンタらは、あいつが死ぬべきではないとでも」
「いえ、別にあの『掃除屋』が死のうとそれはどうでもいいんですが」
だったらどうして邪魔をする。
「
ダイアリンは、言いながらニュアンスが違うと思ったのか。
言い間違いを取り返すかのように、直ぐ様訂正を入れる。
「あたしは、シドさんが人を殺すのを見たくありません」
「……ダイアリンとはちょっと違うけど。私も、あんなやつのためにシドさんが手を汚す必要はないと思うな」
その言葉を、思わず冷笑しそうになるのを抑えた。
「俺だって随分と殺してきた。今更一人殺した程度で変わりません」
「それでも見たくないものは見たくありませんから」
「なんで?」
「私情です」
「なんて野郎だ……」
我慢できずに口から溢れた言葉。
ため息一つ。
「それとも──もう、『オーディオショップの店主』には戻ってくれないんですか?」
「…………」
カラーグラスを着ける。
視界が程よく隠されて、ちょうどいい。
今の俺にゃ、彼女の視線を真っ向から見返すことなんかできはしないから。
「金髪。テメーが捕まえろ」
「ぇ゙っ、あーし!? ちょ、ちょっと荷が重いっつーかぁ……!」
「功績がほしいっつってたろ。くれてやる」
動かねぇうちに、手足をへし折っておく。
別に殺してねぇなら、これで問題ないだろ。
別に、その目に屈したわけじゃない。
ただの気まぐれだ。
『請負人』は好き勝手やるイカれた野郎。
だったら、そこに殺さねぇ自由だってあるだろ。
「ダイアリン」
「なんですか?」
「俺とアンタ、もう会わねぇほうがいいよ」
そう言って、首に回された手を解き、俺は立ち上がった。
彼女に相手がいようと、いなかろうと。
俺と彼女では、生きる世界が違う。
この戦闘だってそうだ。
俺はあの犬野郎を誘うために彼女を利用したわけで。
俺が『請負人』である以上、そういう生き方を今更変えることなんてできやしない。
だから。
「さよならだ」
「……ぇ──」
ダイアリンのほうは、見ない。
その周波数が、聴いたこともないほど弱々しく揺れていたとしても。
「見てんだろ、レミエール。足がねぇから運べ」
「……しょうがないなぁ。ほら、お母さんが運んであげるよー」
飛ぶのに運転もクソもねぇだろ。
ともあれ、姿を現したレミエールに対して手を差し出す。
「……レミエール? それって──」
「待ってくださいよ、ちょっと……」
「うーん、なんかごめんね?」
俺の後ろの二人を見ている彼女は、困ったように眉を寄せて笑っている。
わりとよく見る顔だ。
見慣れてしまうくらいには、慣れ親しんでしまったということだろうか。
そして、俺の身体に羽が触れた。
「は?」
「お母さんね、甘やかすだけが優しさじゃないと思うんだ」
羽。
それは──つまり、レミエールの権能が発動する条件が整ったということであり。
「いくらなんでも今のは最低だよ?」
『時序』の力が、俺の体内時間を停止させる。
「ふざけんな、手羽先女──」
「レディの扱いがなってないなぁ。その傷じゃ無理矢理抜けるのもできないでしょ。大人しく停まっておきなよ」
そうして、レミエールは俺を後ろへと突き放した。
(クソ、身体が動かねぇ──)
耐性があるせいか。
暗闇の中、意識だけがただ途切れずに残っている。
倒れる最中。
俺の身体を、誰かが抱えたような感覚だけが、あるような気がした。