本気で今回書き直そうか悩みました 俺がつらいから
程よい風が、酒で温まった身体を撫でる。
頭の芯が冷えていくような、それでもどこか浮ついているような感覚。
夜の静寂は、賑やかだった場所と比較して寒々しさすら感じるほどで。
それを、ダイアリンの声がかき消すのだった。
「……どうしましょう? おやつって言ってもそんな食べられますかね?」
「余ったら俺が片付けますよ。なのでまぁ、選べるようにある程度は見繕っておきましょう」
時刻は日付が変わった程度。
思ったよりも早く用意していた食べ物は消え失せ、今は酔い冷ましの散歩がてら買い出しへと出ている。
といっても、南宮さんが出歩いていいような時間でもない。
そういうわけで、彼女はレミエールと留守番中だ。
俺とダイアリンが送り出された形になる。
「シドさんは、楽しめてますか?」
「うん。めっちゃ楽しんでる」
「それなら良かったです」
そう言って、彼女はくすりと笑う。
そして、俺の腕を引いた。
ポケットへと突っ込んでいた手を引っ張り出して、それをダイアリンの手がそっと握る。
ほんのちょっとだけ冷たくて、柔らかで──何より、俺よりも幾分か小さい手だ。
「……俺は」
「……はい」
「こうやって愉快に誰かと遊んだのなんて、いつぶりだったか忘れるくらい、『請負人』として生きてきました」
振り返ってみれば、シーザーのとこにいたときまで遡るかもしれない。
ジャンク弄りの趣味を活かして、『請負人』の裏でまともな人間らしく振る舞おうとしてきても、結局それは続かない。
最終的に『請負人』として育ててきた加害性を隠しきれずに、縁はぷつりと切れてしまう。
「『オーディオショップの店主でいてくれ』なんて言ったのは、アンタくらいです」
南宮さんもそういうだろうか。
いや、そもそもそんな場面見せるシーンが来なければいいか。
「だから、そうだな」
握られた手を、少しだけ解く。
そうして、開いた指の隙間へと、自分の指を滑り込ませた。
「いや、この先の言葉は素面のときに言うか。悪いけどちょっと待っててください」
「……へたれないでくださいよ」
「誠実でありたいんです」
「むぅ」
握った手が、少しだけ強くなる。
かわいらしい抵抗で笑いそうになるのを堪えつつ、ゆっくりと歩を進めた。
「それなら、ねぇ、シドさん」
「ん?」
「あたしと違ってその喋り方、素じゃないでしょう。敬語使うの、やめてください」
「……確かに。今更だな」
もう『請負人』としての素性も知られている。
気を遣うにしたって今更すぎるか。
そのまま、近くのコンビニエンスストアまでゆっくりと歩を進めていく。
夜の静けさは気にならなかった。
特に何か考えるでもなく、恙無く会話がただただ続く。
そんな空間がただ、心地よかった。
「あたし、捨てられた子なんです」
「……そうなのか」
「真実が綺麗なものだけじゃないっていうのは、そういうことで……『声』が聴こえてなければ、あたしあそこで、騙されたまま『あたしでよかった』なんて、自分を慰めて死んじゃってたんでしょうね」
そう言って、ダイアリンは冷笑する。
「そうやって死んだほうが、知りたくないことを知らないままで幸せだったのかも、なんて悩むこともありました。しょうもない感傷ですけど」
「……似たようなことを思ったことはあるよ」
例えば、あの研究所でもっと早く死んでいれば。
母親は、俺なんかに希望を見出すことはなかったのかもしれない。
俺に弟を託すことなんか、なかったのだろう。
そうすればきっと、あの人が死ぬことだってなかった。
「昔の話です。あそこで死んでたら、あたしはあなたに会えてませんから」
「そうか」
思い返すまでもなく、浮かんでくる。
落ちてきた姿を、未だに覚えている。
そうやって、音がして。
赤色があった。
レミエールと同じピンクの髪は、もう赤で染まって見る影もなくなっていた。
そうして散らばった血と、肉を踏みつけて。
『天使になり損なった気分はどうだ?』
だから俺は、赤色が怖い。
『請負人』の象徴として赤を選んだのだって、そんなささやかな威圧のためでしかないのだ。
あの結末を迎えるよりも前に。
俺も、弟妹たちと同じように死んでいたとすれば。
俺は、この手の温もりも知らないままだったんだろう。
「ダイアリン」
「はい」
「俺もこれまで、何度も死に損なってよかったよ」
「……よかったです」
「ああ」
うん。
「そうなんだ」
「……で。天使ちゃんはあの子のことをどう思ってるの?」
「どうって……」
レミエールのその問いに、南宮羽ははっきりと答えられなかった。
「……憧れというか……でもちょっと、お兄ちゃんみたいなところもあって……うーん」
例えば、アリアはどうだろうか。
彼女は間違いなく、歌うたいとしての青年に憧れている。
彼女はいつもそうだ。良いと思った歌い手に対して、常にリスペクトの念を持っている。
……あるいはちょっとオタク的な尊敬がある。
あの青年は、見た目だけでいえば理想の天使のようでもあるし。
それと比較して、羽の青年に対する感情はどうだろうか。
それよりはもっと、言語化しづらい入り組んだ感情があるような気がする。
「お兄ちゃんかぁ。それなら私の子どもがまた一人増えちゃうね、ふふ」
「えと、言葉の綾というか……」
「大丈夫、わかってるから。でも意外だったんだよね。お泊り会を提案したのは私だけど、まさかキミが乗ってくるとは思わなかったから」
「…………」
それは。
今日病室で眠る青年の姿を見て、怖くなったからだ。
致命傷になりうるほどの傷だった。
それほど深く、肩口から切り裂かれていたのだから。
骨が見えるくらいにばっさり。
そんな傷じゃ、退院なんて現実的じゃない。
それでも、青年の傷はみるみるうちに治っていき、夜には退院できてしまったのだから──不安になって様子を見たいと思うのも、おかしな話ではないはずだ。
思い返せば、その傷の治りこそ青年が言っていた『人体実験』の証なのかもしれない。
そう思うと、複雑な気持ちになった。
怪我が治って嬉しいが、その事実こそが青年の不幸を証明してしまっているのだから。
「……レミエールさんは、店長のこと、どこまで知ってるんですか?」
「過去のことは詳しく知らないよ。私のクローンから生まれたってことと、あの子のお母さんはもういないってことだけ」
隣に腰掛けたレミエールは、ピンと伸びたその背筋を丸めて、テーブルに両肘をつく。
違和感のない動作に違和感があるくらい、普段から彼女の立ち振る舞いには品があるのだからとんでもない。
「あの子も詳しくは話したくないだろうから、聞かない。必要なのは、今は私があの子のお義母さんっていうことだけ」
「不審者扱いされてましたけど」
「んー、レミレミわかんない!」
それでも、あの青年にはそのくらい押していったほうがいいのだろう。
実際、彼自身嫌がっているようには見えなかった。
だからあれは照れ隠しでしかなくて、そんなこと彼女にはお見通しなのだ。
彼女にとって、青年はもう一人の自分と言えるような人が遺した忘れ形見であり、義理の息子。
ダイアリンにとっては、きっと想い人。
じゃあ、南宮羽にとってあの青年とは?
これまでの日常を、思い返す。
まるで教え、導くように彼は羽へとレッスンの時間と、場所と、機材を貸し出してくれた。
はっきりと明言しないけれど、そうとしか思えなかった。
その優しさを、羽はよく知っている。
日常で、目標で、夢の一つで。
それなら、彼と自分の関係は。
「ボクにとっては──……店長さんは、先生が一番近いかもしれません」
音楽について。
ひいては、音について。
その秘密を知り、そして教え導く先生。
羽にとっての青年の立場は、それが一番近いのだ。
──本当に?
言いつつ、どこか羽はその言葉がずれているような据わりの悪さを感じた。
何か、誤魔化しているかのような。
意図を捉え損ねたような違和感が、ただ残っている。
「自分の中の感情って、上手く言葉にするのは難しいよね」
レミエールは、そんな羽の姿を見て、少しだけ笑う。
彼女は、そんな甘酸っぱい感情を抱えたことはない。
それでも、他人に対する複雑な感情は知っている。
怒りと、殺意と、悲しみと、それでも確かにあった戦友への情と──いつかの時間を振り返って。
かつての仲間に対して彼女が思ったことは、どう言葉にしたって正しくは表せないくらいに、ぐちゃぐちゃな気持ちだったから。
「ねぇ、それでもここには今、キミと私しかいないから──隠さないで、吐き出しちゃいなよ」
「…………」
羽は、ジュースを一口飲んだ。
先生のようだ、とは確かに思っている。
それでも、そこに含まれている気持ちは──きっと、そうやって言葉にするには泥濘んでいる。
「……そっか」
羽の頭は、すぐにその答えを導き出した。
いや、本当は最初から理解していた。
だというのに、直視することを避けて、あえて異なる言葉を探したから──次の答えが出てくるまで時間がかかってしまったのだ。
「ボク、店長さんのことが好きなんだ」
思い返してみれば。
きっと、最初の最初から惹かれてはいたのだ。
そうしてあの夜、路上で歌う青年の姿を見て──みんなに知ってほしいと思ったときに、それは恋心に変わってしまっていた。
店舗を開こうと提案したのだって、もっといろんな人に知ってほしかったからでしかない。
「……あはは……」
それでも。
羽と青年が出会ったときには、もう青年の心の中にダイアリンがいて。
羽の初恋はきっと、生まれた瞬間にもう終わりが見えていた。
「──あははっ、はは──」
店主と客。
──例えば、それだけの関係だったら、傷つくことなんてなかったのだろうか。
羽にはわからない。
ただ。
それでも。
今だけは、一人の少女のように──等身大の、飾らない南宮羽として。
弱さを面に出してもいいはずだ。
だから。
ただ、今は──
「戻ったぞ──……っと」
「おかえり。静かにね」
「……寝ちゃってますね。まぁ、健康的な時間でしょう」
「うん。気疲れしちゃってたみたいで、ちょうど今すとんと寝落ちちゃった」
「……そうか」
「ちょっと布団まで運んでくるね」
「おう、任せる」
そうして、レミエールは少女をそっと抱き上げた。
涙に濡れた顔が見えないように、そっと。
二階へと上がり、女性陣用の寝室へと入り、そっと布団へと少女を降ろす。
「……参ったなぁ」
そうして、レミエールは小さく呟いた。
「どっちも応援したくて困っちゃうよ」