誰かのせいにしたいが自分の顔しか浮かばねぇんだ
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
気づけば朝方、俺は一人でソファに座ってメインシステムの正面に座っていた。
音量は絞ってある。
眠っている三人の邪魔にだってならないはずだ。
ソファに寝転べば、僅かに視界が揺れているような気もする。
どれだけ飲んだのかは、特に数えてもいない。
面倒だからな。
明日──いや、今日か。
ダイアリンの準備次第になるが。
あの研究所に向かうのは、早いほうがいいだろう。
タスクを後回しにするのはそんな好きじゃねぇんだよ。
出てきた段階で終わらせるに限る。
そうして、そのまま暫くソファの上で天井を眺めていた。
スピーカーから流れるのは安っぽい音のオルタナ・ロック。
録音の質も悪く、辟易するような音源だ。
ストリーミングとはいえロスレス音源。多少なりまともな音が出てほしいものだが。
今の時代、音源品質なんてこんなもんだ。
リミッターやらで音量だけをかさ増しすれば、音はどんどん壊れていく。
イヤホンやヘッドホンでは録音なんて出てこない。
だったら、一部のマニアのためにあれこれと工数をかけるよりも大量生産できる仕組みを作ったほうがずっと良い。
そもそもロックなんてしょうもない音の代表みたいなものじゃねぇか。
だからこれには何もおかしなところはなく。
どちらかといえば、おかしいのは俺のほうだ。
「……ぅひゃっ!? て、店長さん……?」
素っ頓狂な声が聞こえて、天井から視線を動かす。
見てみれば、南宮さんがそこに立っていた。
何故か顔を隠すように手で覆っているが。
「……うぅ……ちょ、あんまり見ないでください……」
「おっと失礼」
そういや寝起きの顔だもんな。
あんま見るのも失礼だ。
とりあえずソファから起き上がって、洗面所へと駆け込んでいく音を聞きながら、何を考えるでもなく音楽へと意識を向ける。
ややあって、とてとて歩いてきた南宮さんが、俺の隣へと腰掛けた。
「朝早いですね」
「それ店長さんが言います?」
俺のあたりざわりない言葉に、南宮さんはくすりと笑った。
「……店長さんは、この録音も許せませんか?」
「よくわかりましたね」
「だって、そんな顔してるから」
相変わらず、よく見ているものだと思う。
いや、俺がわかりやすいのか。
これでもポーカーフェイスは得意なほうだと思ってたが。
「理解してはいるんですけどね。こんなの、漫画で言えば絵だけ見て内容を見てないようなもんですから」
そんなものの見方で、いったい作品の何がわかるというのだろう。
制作者の魂なんか、そこにはないというのに。
魂──魂、か。
「それじゃあ、イヤホンとかヘッドホンを使えばいいのでは?」
「音楽を聴きたいときはそうしますよ」
メガネの度数を落とすようなものだ。
とはいえ、その前段階として音の評価が入ってくるのも事実であって。
これはもう職業病のような、身に染み付いてどうしようもない習性なのだろう。
「そうですか……」
俺の言葉に、南宮さんは安心したかのように微笑んだ。
「それならちゃんと
「……そうですね」
「だったらいつか、ボクたちのライブで店長さんのことを感激させてみせます。店長さんのお眼鏡に適うくらいのとびっきりのモーソーで!」
そうして、グラスの下。
俺の目を覗き込むように、彼女は俺を見上げた。
なんだ。
バレてたのか。
ダイアリンならまだわかるが、あの距離で彼女が気づくのはもう尋常なレベルではない。
舞台の上からファンの挙動──グラスの奥に隠れた、目に宿る落胆まで見透かせるなんて、それだけでもう世界を席巻できるほどの才能だ。
「できるんじゃないですか?」
「むっ、テキトーな返事……」
「いえいえ、本気で思ってますよ」
彼女はまだ若い。
成長速度だって、俺なんかより余っ程早い。
それは何でも卒なくこなす才能以上に、彼女自身の努力の結晶だ。
いずれはきっと、彼女の意気込みだって現実に変わる。
それを俺は、確信している。
「君ならできる。そうだろ?」
だから俺も。
その時までは、せいぜい生き足掻いてやろうか。
「──……ねぇ、店長さん」
南宮さんは、静かに呟いた。
「……ううん、なんでもないです」
彼女が呑み込んだ言葉が何だったのか。
想像だけならいくらでもできる。
けれどそのどれも的外れなんだろう。
ただ、彼女は笑っていた。
寂しそうに笑っていた。
最後に見た母親のように、ただ笑っていた。
「で。昨日の今日でホロウに行くの?」
「おう。ダイアリンの準備が良いならだけど」
「あたしのほうも、いつまでも隠し通せるとは思いませんから──ともすれば今日にでも追手が来るかもしれません。だったら早いとこ証拠を集めて突きつけてやったほうが良いでしょう」
食パンと、冷蔵庫にストックしてある加工品を組み合わせて適当な朝食とする。
南宮さんが用意した紅茶を口に含みながら、何か言いたげに視線を彷徨わせているのを一旦見ないふりしながら、今日の予定を確認する。
「……あの。堂々とボクの前で計画立てないでくださいよ。というか追手って……」
「OK、じゃあ最初から説明するね。私の名前はレミエール・ダン! 能力の影響で時間が止まった状態から偶然この時代に目覚めたことで今じゃ(多分)たった一人の初代虚狩り! あとちょっと指名手配されてる」
「えっ」
「朝から元気ですね……」
「オマエもお尋ね者なのかよ」
「えっ、店長さんも?」
「……ねぇ、引き継いでよ。私だけ変にスベったみたいじゃん」
事実スベってんだよ。
「うーん、この口上やってみたかったんだけど意外と難しいね……」
「なんかオマエここ最近ずっといい空気吸ってるよな」
「うん。キミたちの前だと気を張ってなくていいから助かってる」
珍しく、それは彼女の本音なのだろう。
なんとも気楽そうに緩んだ顔は、きっと普段見せはしなかった素の部分。
仲間たちにだけ見せるような、そんな顔。
仕方ねぇな。
「俺も似たようなもんです。だから研究所で人体実験の証拠を見つけて情状酌量を得ようってわけ」
「……なるほど」
「あたしはどっちかといえばこの二人を追う側です。でもまぁ、私情で協力中って感じで」
「なるほどっ?」
南宮さんは、少しだけ頭を抱えて。
「……」
そうして、悩むように、黙り込んだ。
ややあってから、彼女は小さく呟く。
「……ボクもついて行っていいですか?」
その言葉の意図が、俺には理解できなかった。
一体どういうつもりで、彼女はそれを望んだのか。
思考の流れが理解できない。
「……だって店長さん、このまま見送ったら……なんだか、どこかに消えちゃいそうな気がして」
「いいですよ」
ダイアリンが、俺の言葉よりもずっと早く言い切った。
「は?」
「えっ?」
「まぁ、だよね」
レミエールだけがわかったように頷いている。
ということは、何かしら理屈があってそうしているのだろうが。
残念ながら俺にはとんと見当もつかない。
南宮さんも、断られる前提で話していたのだろうか。目を丸くして驚いている。
「というか、むしろこっちから持ちかけるつもりでした」
「どういうことだ?」
「今回の敵はTOPSですから。アルバイトとして関係の深い南宮さんは真っ先に標的になるでしょう」
「……っ!」
「だったら『請負人』および初代虚狩りなんていう特記戦力が集まってるところのほうが安全じゃないですか?」
「……確かにな」
言っている理屈は理解できる。
実際、あの研究所は俺が破壊して廃墟同然のはずだ。
かつあそこのホロウ内部に関しては、俺がいれば安全に抜けられる。
「……仕方ないか」
「ふふ。お義母さん非戦闘員を抱えて戦うのは慣れてるから任せてくれていいよ」
「……まぁ、初代虚狩りなら人を庇いながら戦うことだって多いか」
「ジョイアスくん戦闘はからっきしだったからねぇ」
庇ってんのも初代虚狩りなことある?
「えーと、一応ボク、ある程度は動けるから……足手まといにならないように頑張ります!」
仕方ねぇ。
念には念を入れて、この後装備の用意をしておくか。
そうして、それぞれ準備を終え。
──ついに、ホロウへと出発する時間がきた。
生まれた場所へと戻る感慨は、特にはない。
ただ、気分の悪さだけ。
『──天使になり損なった気分はどうだ?』
振り返るまでもなく。
そいつの声が、いつまでも振り切れないまま残っているから。
「……気持ち、わかりますよ」
助手席の扉へと手を掛けたダイアリンが、何か思い出すように、俺へと語りかける。
「あたしも自分の出身地に行くの、嫌でしたから」
「はは。前に愚痴ってましたね」
一時期、カフェで彼女と話しているときに聞いたことがある。
その理由を、当時は知らないままだったけれど。
過去の話を聞けば、そりゃそうだよな。
けどまぁ、大丈夫だ。
そんな残響なんて、アンタがいりゃ振り切れるから。
だから、アクセルを踏む足に躊躇はない。
自分が思っているよりも、ずっと軽い踏み込みで──俺たちは、ホロウへと進み始めたのだ。