続きました。
オルフェス皇国は闘争の国だ。
いまから百年ほど前、十の国で争いがあった。その戦いは古く、小競り合いから存亡を賭けた戦いを何百年も続けていたという。三十の国が、あるいは五つの国が、様々に形を変えて戦い続けていた。
その戦いを止めたのが初代オルフェス皇帝。彼は、あるいは彼女は武力によって国を纏め上げた。
上手いのは政治だという評価もある。十の国の王は、王という立場を追われることはなかった。
オルフェス軍に負けても、両軍にどれほど損害が出ようとも、責任を負わされることがなく、国としての体裁を残された。
要は、皇帝は面子を大事にする、良い上司だった、ということだろう。
最後には十の王は一人の皇の前に膝をついた。
見返りは、永い平和とルールの制定。
剣と盾を使った奪い合いから、定規と秤を使った相互依存するような貿易でお互いを監視し合うに至る。
とは言っても、それだけで人の欲望を満足させられるかと言えば難しく、巨大な国は、戦争に加わらなかった小さな周辺諸国を啄み始める。
◇ ◇ ◇ ◇
アストという女の子に生まれ変わって早七年。
突如与えられた第二の生を漠然と享受していたら、まさか私自身が教科書に載っているとは思わなかった。
おまけに魔獣扱いで。
その取り乱し方に、温室育ちの箱入り娘には刺激的すぎたのだという理由で、私だけ教科書が一新され、まるで絵本のようなふわふわな書き方でオルフェス皇国の成り立ちを学ぶことになったのだけれど、それはさておき。
おのれガラ教、死んでからも私を苦しめるのか。
明らかに権威を高めるための創作物であり、リヴァツィのリの字も出てこない。年代的に妹は生きているかもしれないが、復興は諦めたか、別の土地で上手いことやってくれていることを願うのみだ。
「アスト、いま良いかい?」
「お兄さま? ええ、どうぞ」
手に持っていた木の棒を慌てて隠し、次兄──ジークベルトを自室に招き入れる。
「いまなにしてた?」
「……ダンスの練習を」
こう、演武的な。
しかし、兄ながらなんと顔の良いことか。他人として彼を見かけたら、それはそれは全力で求婚していただろう。船酔いで吐く前世の兄とは大違いだ。
「ははは、アストの社交界が楽しみだね」
「どうでしょう、野ウサギを追いかけるほうが楽しいです」
「それは……もうしないって約束できる?」
「ウサギ以外でも良いということでしょうか?」
端正な顔が悲しそうに歪む。
私の家って、貴族の中でもかなりの立ち位置らしい。家名でもわかるが、オルフェスだ。傍流ですらない、歷とした王家の血筋である。
もっと言えば、私の伯父が現皇帝。おじいちゃんが先代皇帝。
兄にも私にも、皇位継承権が与えられていたりする。私は二桁でも下のほうだが、長男なぞは七位とか八位かな? 暗殺や病で皇位を狙える立場だ。ご勘弁願いたい。
まあ、自覚は薄いが、そんな王族のお姫さまなので、対外というものがある。
おてんばな妹ってやつです。
「それはそうと、母さまから話を聞いたんだ。大丈夫かい?」
露骨に話を逸らして、私が一番聞きたくない話題を持ち出した。
「大丈夫です。あのときはあまりにも恐ろしくて……でも、いま思い出せばとても恥ずかしいので、あまり話したくありませんの」
「完璧だと思っていた妹だけれど、ふふふ、まさかあのアスタロトで怯えるなんてね」
「あ?」
「……アスト?」
あ、あ、しまった。つい素が。
「その名前は良くありません。退治されて良かったです!」
「あははは、そうだね。母さまから英雄の話をしてやれと言われているんだが、どうしようか?」
「べつに英雄が知りたいのではないのですが」
「でも、魔物をいっぱい倒してる英雄たちだよ! 僕らのおじいさまもそうだし!」
にこーと笑う兄は本当に顔が良いが、すこし頭が弱そうだ。
親たちの思惑では、魔物に怯える子どもに、魔物よりも強い英雄がいると教えることで、弱い心を克服してほしいのだろうけど。
そもそもその魔物って本当にいるのって話だよね。
ガラ教ってそういうところあるんだよなー。
聖戦とか、異教徒とか。侵略戦争の口実でしかないんじゃないの?
とは思うけれど、それを口に出すのは憚られる。
私の教科書を作ったのもガラ教だし、教育や孤児院など、未来への投資という意味では、ガラ教は皇国をも下している。
私にとっては仇だけれど、国にとって無くてはならない存在なのだ。
なにより──。
「おじいさまが宝剣を握り締めると、眩い光が刀身を包んで! それから! 見てるかアスト!」
「はいはい、見ていますよー」
無邪気にはしゃぐ兄に、そんな無粋な事情を語る必要もないと話の続きを促す。
私も兄も、もっと小さい頃からこの手の冒険奇譚は聞きかじっていた。子ども騙しのものだと思っていたけれど、教科書にまで載っているとなると、常識の一つとして扱われているのだろうか。
海獣アスタロトが常識に? 教育が最低すぎる。
幸い、多少は気を遣える兄上さまはアスタロトの話題には触れず、様々な英雄たちの戦いを私のベッドの上で再現していく。
剣に見立てた枕を振り回して。
そこで寝るのは私だぞ、とは言わずにおいてやった。
あと乙女に語るような内容ではないぞ、とも。
ガラ教の好みなのだろうが、宝具とか魔法の力っていうのだなぁ。そんなものがあるなら是非拝ませていただきたい。
よくもまぁここまで適当を並べたものだと、新たに作ってもらった教科書をぱらぱらとめくる。
聖女だ勇者だと、年頃のジークベルトが楽しむのもわからなくはない。
実際問題、魔獣の実害も年間で見れば笑えない。
教科書に出てくるような海獣アスタロトほどの化け物はいないが、邪神によって生み出された魔獣は存在する。
──とは思っていたけど、それもガラ教の言い分だからなぁ。彼らに殺され、捏造を受けた私からすれば、本当に邪神などいるのかよと聞きたいものだ。
まあ、神さまくらいいてほしいよね。死んだあとくらい救われたいじゃあないか。
……この状況は邪神のせいか?
安直な決めつけは良くないけれど、公爵貴族ともなると、気軽にお出かけもできやしない。
昔話をしよう。
転生してから舌が育つのを待ち、半年くらいで言葉を話せるようになったとき、年号を聞いた。
聞いて、しまった。
メイドは絶叫。
そりゃあそうですよね、生後一年の女児が、
『つかぬことをお伺いいたしますが、いまは聖歴何年でしょうか』
などと語りかけてこようものなら、私なら手を出す。
舌ったらずとか天使のように可愛いとか関係ない。邪神との関係を疑うわ。
そのメイドはそれはそれは取り乱し、私の両親に、自分の両親に報告。様々な大人たちがやってきて私の様子を見に来るという大騒動に繋がる。
私の取った行動は、指を咥えながらケタケタと笑う赤子のフリだ。
ほんっっっと申し訳ないことに哀れメイドは家に戻された。メイドと言っても公爵家の傍流。悪いようにはならなかったと信じたい。
それからひと月ばかりは大人しくしていたけれど、兄と違って──前世の兄と違って、ただでさえ身体を動かすのが好きな人間だ。調べものもしたかったから、人目を盗んで新聞を読んだり本を読んだりとしたものだが、偏った知識しか得られなかった。
年齢にしては関節がしっかりした赤ん坊だったけれど、それだけだった。
加えて前世の知識の偏りもひどかった。とくに貴族社会。
屋敷から出ることですら馬車と護衛が必要なんだよ。すごくない? 本物の貴族って感じ。
一応私、リヴァツィ王の娘だったんですけど? 物心ついたときには船で拳骨くらいながら怒鳴られてたんですけど?
ぐしゃぐしゃによれたベッドを整えながらの現実逃避をしていると、次兄よりもさらに元気な声が聞こえてきた。
「倒れたって聞いた! 会いに来てやった!」
不遜な態度の少年。
従兄のオースティン・セイバー・オルフェス。
まったく、来客が多い一日だ。