皇国の支配は大陸の大半を手中にし、それでも広がっていく。
それを面白く思わない国も多い。皇国に加わらなかった国や、侵略される集落は当然として──十の国にも、皇国が力を付けることに不満を覚える者がいた。
それは決して正義の思惑ではない。
国の切り分け方の話だ。
皇国兵の道を差し出せば恩賞を。隣国であれは国土を。
しかし、皇国は負けた国から奴隷を取ることはしなかった。そのため、皇国がどれほど力を得ようとも、戦争に関わらなかった国は恩恵を得られなかったのだ。
自分の国の兵を向かわせるという直接的なものもあるが、皇国に膝を付いたあと、ほとんどの国で軍は大きく解体され、皇国兵として再編成・再配備されている。
その上で自身の軍を大きくすることは、皇国に逆らう意志ありと取られかねない。
そのため、十の国は言葉で皇国を操作することにした。
利益のためだけではなく、武力で劣った者ながら、人として対等であるために。
そこでひと役買ったのが、ガライジャという小柄な男だった。
◇ ◇ ◇ ◇
堂々と、家族でもないのに淑女の部屋へ入ってくるオースティン少年。私より年上の、九才の男の子だ。
おまけをつけるとすれば、皇位継承権第一位の、正真正銘の王子さまだ。
従妹の部屋くらい、彼の権威の前では道路と変わらない。
──んわけがないのは、彼が連れて来た執事たちの表情を見ればよくわかる。
ストレスでお腹抑えてる……。可哀想……。
「オースティンさま、お久しぶりです」
「……本当は毎日来たい」
聞き取れないほどに小さいというわけではないが、恥ずかしいが故に大きな声は出せなかったようだ。
思春期にしてはすこし早い気もするが、私が可愛いのでしかたない。へへ。
「魔獣が怖いんだってな!」
「あ……はい」
可愛い、私は可愛い、可愛いったら可愛い、うんこなんてしない。
「だから、守りに来た!」
男らしいのか子どもらしいのか、微妙なところだなぁ。
顔は良い。正直、皇族っていうのが信じられんほど顔が良い。成長すれば、兄や次兄を越える器量良しであることは想像に難くない。
それに可愛いんだよなぁ!
オースティンからは私のこと大好きって空気出てんだよねぇ。餌与えた動物が懐いてくるあの感覚。頭撫でると嫌がるんだー。この、このー。ん、たんこぶがある。
「な、なんだよ、やめろよ!」
「ありがとうございます、オースティンさま」
「ふん!」
鼻を鳴らしてそっぽを向く王子さまは、部屋の端にある椅子へ腰かける。お勉強机なんだよねそれ。日記見る? 真っ白だけど。
ちなみにここは寝室。ソファーなどは隣の私室にあり、応接室を兼ねている。だから、出来るならそこで対応したい。これでも貴族で一、二を争うお姫さまなのもので。
あと、ほら、執事さんがお腹抑えて血を吐き始めたから……。
さすがに皇子の目の前でベッドに座るわけにはいかないから、立ちっぱなしなんですよねー。
「魔獣なんか、俺がやっつけてやる!」
「あ?」
「……アスト?」
あ、あ、しまった。つい素が。
「えっと、皇子が剣を持つことは良くないかと思いますが」
「そんなことない! 剣の練習も始めてるんだ!」
「まあ! 怖くはありませんでしたか?」
もう一度、彼の頭に手を伸ばした。このたんこぶって剣術の練習で作った傷かな?
「いたっ!?」
「あ」
音が出るほど強く手を振り払われた。
驚いたのは私ではなくオースティンくんのほう。咄嗟のことで罪悪感どころか、なにが起こったのかすらわかっていない様子だった。
私に暴力を振るってしまったことを数舜遅れて理解したようだ。
「だ、だから触るなって言って──!」
うんうん、キミに悪いことをしたのは私なのだから、キミは悪くない。大丈夫、わかっているよ。そう伝えたいが、我慢した。だって、彼も我慢しているから。
潤む瞳が私を見ている。
たんこぶに触れぬよう、もう一度頭を撫でた。
子どもって、なんで感情が溢れると泣いちゃうんだろうなぁ。よしよし。
背を向けて涙を拭ったであろうオースティンは、顔を隠して部屋の出口へ歩き出した。
その状態のまま、遊びに来たときと同じような声量で、でも明らかに元気を無くした声色で叫んだ。
「また! 来るから!」
返答を待つことなく、足早に退室する皇子さまと、私に深々と頭を下げてから出て行く執事とメイドたち。
……嵐かな?
ふぅと息を吐いて、ガチャリと鍵を閉めた。
幸いなことにこの日はメイド以外だれも部屋に入ってくることはなかった。
その心の緩みを狙い澄ますかのように、数日後の早朝べつの嵐がやってきた。
「またあなたですのアストさま! わたくしのオースティンさまを傷つけたのは!」
嵐でないとするならば、ブルッセル・ワンダー・セロと呼ぼう。
いや、ノックも無しに寝室の扉を開けるのだから、嵐という現象で良いのかもしれない。
「おはようございます。ブルッセルさま」
たんこぶが青タンに? ちゃんと冷やさなかったのかな。
というか、そんな理由で他人の家に押し掛けるとは、貴族の自覚があまりにも足りない。
そんなことを八歳の女児に告げたところでどうにかなる問題ではないのだけれど、彼女の両親や執事、メイド、教育係はなにをしていたのだろうか。
ブルッセルちゃんはセロ侯爵家の長女だ。彼女自身は皇位継承権そこ私より下だけど、セロ家は貴族内でもかなりの金持ち。金脈を二つ所有しているから、食いっぱぐれることはない。
「ふわぁ」
ベッドの上で上半身を反らしながら欠伸をする。
「か──かわ」
「かわ?」
ブルッセルちゃんは顔を真っ赤にして私を睨みつけている。
「オースティンさまを誑かそうとしたってダメんなんだから!! オースティンさまは! わたくしの婚約者なのよ!!」
「決定いたしましたの?」
「くっ!! 余裕ぶって!」
余裕? え、いや、素朴な疑問だったんだけど。オースティンと結婚するということは、オルフェスの皇妃になる確率が非常に高い。気にならないわけがない。
皇妃が公の場で発言できるかは知らないけれど、下手な将軍や王よりも影響力はあるよね。
だれが婚約者でも一大ニュースだもの。
あと、私が皇妃になる可能性はないと思うんだよねー。
公爵家ってのは立場が強い。その上で私が皇妃になれば、それはそれは、長いオルフェスの歴史のなかでも一番か二番の権力を持つことになる。
あまりにも強すぎる力だ。
反感も大きければ、公爵家としても危険視することも十分に考えられる。
なにより、私が嫌。
公爵家として恥じない生き方はしたい。でも、この国に尽くす気などない。他国に、というかどこかの王家に嫁ぐくらいで十分な義理は果たせる。
自分でも複雑だとは思うけど……そもそも前世の記憶持ってるってのが奇想天外なことだからしかたない。
前世の私も、だれかの記憶がどこかにあったのかな。
なら、是非とも海の生き物であってほしい。
雄大な海に抱かれて眠る、赤子のような生き物であって欲しい。
そう、ぐう、思う。
「ぐう、じゃありませんわ!」
「はっ!?」
「年長が話しているのに眠るなんてなんて失礼な子なの!」
公爵家の邸宅の寝起きの令嬢の寝室に押し入るなんてなんて失礼な子なのでしょう。
そんな文句を言うのも淑女ではない気がして話の続きを促すと、どうやら何日か前にやってきたオースティンが、私の家から帰って元気がないのだという。
思いつめた表情で剣を振るうその姿に心を打たれ、原因である私に文句を言いに来たのだそう。
朝食すら食べずに来たそうなのでしかたなく一緒に食べた。
静かに食べている姿はお人形さんみたいでとても可愛い。こういう子が妹だったらなぁと思わなくもないけれど、いまは私のほうが年下だし貴族階級で言えばこっちのほうが断然上だからな!
朝食を済ませたあと、文句の続きを聞いてもいいけれど、今日の私にはもう一つべつにしなければいけないことがあった。
今日は、ガラ教の聖女が婦人会に参加する日なのだ。