『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』 作:丹波りん
昼食を終えて部屋へ戻ってきても、Ⅱ世の頭から紙の鳥のことは離れていなかった。
食事の間も、何度となく同じことを考えていた。
紙を媒体としていたこと。
鳥そのものが単なる使い魔なのか、それとも術式の一部なのか。
そして、裏道とエリアスのいる場所との間を、あの紙の鳥がどうやって行き来したのか。
考えれば考えるほど、まだ分からないことが増えていく。
部屋へ戻ってからも、Ⅱ世は窓際へ向かいながら無意識に考えを続けていた。
その背後で、ライネスが小さく息を吐く。
「兄上」
「……なんだ」
「昼食の間もずっと考えていただろう?」
Ⅱ世の足が止まった。
「何のことだ」
「とぼけるんじゃないよ」
ライネスは呆れたように笑った。
「料理を口に運びながら、時々ぼんやりしていたじゃないか。
あれで何も考えていなかったと言うつもりかい?」
Ⅱ世は答えなかった。
図星だった。
反論しようにも、ライネスの言う通りだったからだ。
「……悪かった」
ようやく出てきたのは、それだけだった。
「まったく。兄上は本当に、一度気になることができると周りが見えなくなるね」
「君に言われたくはない」
「おや、今のは反論できるのかい?」
「……」
Ⅱ世は口を閉じた。
ライネスは満足そうに笑った。
グレイはそんな二人のやり取りを見ながら、わずかに困ったような表情を浮かべている。
智世は少し離れた場所で、その様子を眺めていた。
時計塔へ来てから、こういうやり取りを見るのも何度目かになる。
Ⅱ世が何かを考え込むと、ライネスがそれを止める。
二人の間には、長い付き合いがあるからこその気安さがあった。
やがてライネスは表情を改める。
「さて。それよりも、これからの智世のことを決めてしまおう」
Ⅱ世も頷いた。
「そうだな」
紙の鳥について考えることと、智世がここでどう過ごすかは別の問題だ。
少なくとも、戻る方法が見つかるまでの間、
彼女をどういう立場に置くかは決めておく必要がある。
「まず、この部屋はそのまま使っていい」
Ⅱ世が言った。
「君がここで過ごしていることについて、私の客人として扱うことにする」
智世は少し驚いたようにⅡ世を見る。
「客人……ですか?」
「ああ」
Ⅱ世は頷いた。
「君を時計塔の学生や魔術師として登録するつもりはない。
余計な所属を作れば、それだけ君に関心を持つ人間も増えるからな」
それは、智世を隠すためだけの話ではなかった。
時計塔では、所属する学科や家系が、その人間の立場を大きく左右する。
どこに属するのか分からない人間が突然現れれば、それだけで目をつけられる可能性がある。
「そこで、私の客人という形にする。必要な身分証はこちらで用意する」
「偽造、ということですか?」
智世が尋ねる。
Ⅱ世は少しだけ言葉を選んだ。
「正確には、時計塔内で問題なく扱えるように整えた身分だ。
君の本当の素性について、余計な情報を記す必要はない」
ライネスが続ける。
「兄上が責任を持って預かっている客人。そこまで分かれば十分だろう?」
智世は小さく頷いた。
「はい」
「それから、この部屋には関係者以外を入れない」
Ⅱ世は部屋を見回した。
「君がここにいること自体は、必要以上に隠すつもりはない。
だが、誰でも勝手に出入りできる状態にはしない」
ライネスも頷く。
「エルメロイ家と兄上の客人だと分かれば、
無理に手を出そうとする者もそう多くはないだろう。
少なくとも、最初から所属も後ろ盾もない人間として扱われるよりはずっといい」
智世は二人の話を聞きながら、自分がこれから置かれる場所を少しずつ理解していった。
ここにいていい。
けれど、好き勝手に振る舞っていいわけではない。
それは当然のことなのだろう。
「ただし」
Ⅱ世が続ける。
「外出については別だ」
智世が顔を上げる。
「時計塔の中を一人で歩き回るのはやめてもらう」
「……一人では、駄目ですか?」
「駄目というより、避けてもらいたい」
Ⅱ世は淡々と答えた。
「君は時計塔の事情を知らない。
それに、時計塔の魔術師たちは君が思っているほど親切ではない」
ライネスがくすりと笑う。
「兄上、それは少しどころか、かなり控えめな言い方じゃないかい?」
「……余計なことを言うな」
Ⅱ世はため息をついた。
「とにかく、外出や移動をするときはグレイを同行させる」
突然名前を出されたグレイが目を瞬く。
「……拙が、ですか?」
「ああ」
Ⅱ世は頷いた。
「君なら時計塔の中をある程度知っている。
それに、智世に余計な詮索をするような真似もしない」
「ですが……」
グレイは智世を見る。
「拙が一緒にいることで、智世さんが動きにくくなったりは……」
「その心配はいらないよ」
ライネスが口を挟んだ。
「むしろ、兄上が一人で放っておく方が心配だろう?」
「ライネス」
「冗談だよ」
そう言いながらも、ライネスの表情には本気の心配が混じっていた。
智世は少し考えてから、グレイへ向かって微笑む。
「よろしくお願いします、グレイさん」
「……はい」
グレイは小さく頷いた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ひとまず、智世の今後については決まった。
戻る方法が見つかるまで、この部屋を使う。
時計塔では、ロード・エルメロイⅡ世の客人として扱う。
部屋には関係者以外を入れない。
そして、外へ出る時にはグレイが同行する。
決して自由とは言えない。
けれど、智世にとっては、今のところここが最も安全な形なのだろう。
その話が一段落したところで、智世はふと部屋の窓へ目を向けた。
外には、昼の時計塔が広がっている。
「……あの」
「なんだ?」
Ⅱ世が振り返る。
「時計塔って……どんなところなんですか?」
その質問に、Ⅱ世は少しだけ意外そうな顔をした。
そういえば、智世にはまだ時計塔そのものについてほとんど説明していなかった。
「時計塔は……そうだな」
Ⅱ世は窓の外を見る。
「簡単に言えば、魔術師たちが学び、研究するための場所だ」
智世は静かに耳を傾ける。
「ただし、普通の学校だと思わない方がいい」
「学校とは違うんですか?」
「規模も、成り立ちも違う」
Ⅱ世は言葉を選びながら続けた。
「時計塔は、魔術師たちの総本山だ。非常に長い歴史を持っている。
およそ二千年にわたって、魔術に関する研究や教育が続けられてきた」
智世は目を見開いた。
「二千年……」
「ああ」
Ⅱ世は頷く。
「その間に、多くの魔術師が集まり、研究を積み重ねてきた。
その結果、時計塔は一つの巨大な組織になった」
Ⅱ世は机の上にあった紙を一枚取り、簡単な図を描いた。
「時計塔には複数の学科がある。大きく分ければ十二の学科だ」
全体基礎。
個体基礎。
降霊。
鉱石。
動物。
伝承。
植物。
天体。
創造。
呪詛。
考古学。
そして、現代魔術。
それぞれが異なる分野を研究し、それぞれに学部を治める者がいる。
「その学部を統べる者を、君主――ロードと呼ぶ」
智世はⅡ世を見る。
「それで、エルメロイⅡ世……」
「ああ。私は現代魔術科の君主だ」
そう言ってから、Ⅱ世は少しだけ苦い顔をした。
「もっとも、私の場合は少々事情があるがな」
智世はそれ以上尋ねなかった。
Ⅱ世が自分の立場について、あまり誇らしげに話さないことはすでに分かっていた。
「時計塔の中には、学科だけでなく、それぞれの派閥もある」
Ⅱ世は続ける。
「大きく分けて三つ。貴族主義、民主主義、中立派だ」
「派閥……」
「魔術師は、魔術だけを研究しているわけではないということだ」
Ⅱ世の声に、少しだけ疲れが滲む。
「誰が何を研究するか。誰がどの立場に立つか。
どの家がどの権利を持つか。そういったことまで含めて、時計塔は動いている」
智世は黙って聞いていた。
「だから、時計塔を単純に学校だと思わない方がいい。
ここには研究施設もあれば、講義をする場所もある。学生が暮らす場所もある。
そして、魔術師たちがそれぞれの目的のために動いている」
Ⅱ世はそこで一度言葉を切った。
「私が受け持っている現代魔術科には、エルメロイ教室がある」
「グレイさんも、そこにいるんですか?」
「正確には、私の内弟子という立場だ」
グレイが小さく頭を下げる。
「エルメロイ教室には、様々な生徒がいる。
魔術師としての家柄も、得意とする分野も、それぞれ違う」
時計塔の中で、彼らは学び、競い合い、ときには争う。
その一つ一つが、長い歴史を持つ魔術師社会の一部だった。
智世は窓の外へもう一度目を向けた。
自分が今いる場所が、ようやく少しだけ見えてきた気がした。
けれど、それでも分からないことは多い。
「……大きな場所なんですね」
「そうだな」
Ⅱ世は答えた。
「君がこれまで関わってきた魔法使いとは、かなり違うだろう」
智世は少し考える。
「はい。でも……」
「でも?」
「魔法を学ぶ人たちが、たくさんいるんですね」
その言葉に、Ⅱ世は一瞬だけ黙った。
智世にとっては、それが一番重要な部分なのだろう。
時計塔がどれほど複雑で、派閥がどう動いていて、どれほど長い歴史を持っていたとしても。
彼女が知りたいのは、結局のところ、自分がこれから関わることになる人々のことなのだ。
Ⅱ世は小さく息を吐いた。
「……そうだな」
そして、窓の外へ視線を戻す。
「君がこれから知っていくことも、きっと多いだろう」
時計塔についての話は、そこで一度途切れた。
それでも智世の中には、新しい疑問がいくつも生まれていた。
ここには、どんな魔術師がいるのか。
そして、自分の「魔法」を知ったら、彼らは何を思うのか。
まだ、その答えを知る者はいなかった。