『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』   作:丹波りん

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第12話 それぞれの結び

時計塔についての話が一段落すると、部屋の中にはしばらく静かな時間が流れた。

Ⅱ世が壁の時計へ目を向ける。

「……そろそろ時間だな」

「講義ですか?」

智世が尋ねると、Ⅱ世は頷いた。

「ああ。今日は外せない」

グレイも立ち上がった。

「拙も、ご一緒します」

「そうしてくれ」

Ⅱ世は机の上を軽く整えると、智世へ視線を向けた。

「何かあればライネスに聞いてくれ。彼女なら、この部屋にいる限り大抵のことには対応できる」

「はい」

智世が答えると、Ⅱ世は小さく頷いた。

「では、行ってくる」

グレイも一礼し、Ⅱ世の後に続いた。

Ⅱ世とグレイが講義へ向かうために部屋を出ていくと、

室内には智世とルツ、そしてライネスの三人が残された。

先ほどまで五人で交わしていた話の余韻が、まだ部屋の中に残っている。

窓から差し込む昼の光が、机や椅子の上に淡い影を落としていた。

智世はそんな静けさの中で、ふと先ほどの二人のやり取りを思い出す。

Ⅱ世が何かを考え込めば、ライネスがそれを見抜く。

そして、何かとからかうような言葉を投げかけながらも、最後には自然とⅡ世のそばにいる。

時計塔へ来てからまだそれほど時間は経っていない智世にも、

二人の間にある距離の近さは分かるようになっていた。

「……お兄さんと、仲が良いんですね」

何気なく口にした智世の言葉に、ライネスが目を細める。

「おや」

少しだけ楽しそうな表情だった。

「そう見えるかい?」

「はい」

智世は素直に頷いた。

「二人とも、すごく気を許しているように見えました」

「なるほどね」

ライネスは小さく笑う。

それから、少しだけ考えるように視線を窓へ向けた。

「でも、兄上と私は血の繋がった兄妹ではないよ」

「そうなんですか?」

「ああ。私と兄上の間に血縁はない」

ライネスはそこで一度言葉を切った。

「少し特殊な事情があってね。兄上は、もともとエルメロイ家の人間ではなかったんだ」

智世は黙って聞いていた。

ライネスの声には、普段のからかうような調子とは少し違うものが混じっていた。

「エルメロイ家には、いろいろと事情があった。私がその家を継ぐ立場になったとき、

 兄上はその家を支える役目を引き受けることになった」

「それが……ロード・エルメロイⅡ世なんですね」

「そういうことだ」

ライネスは頷いた。

「兄上はエルメロイの名を継ぎ、君主――ロードとして時計塔に立つことになった」

智世は、先ほどⅡ世から聞いた話を思い出す。

時計塔の君主。

現代魔術科を治める者。

けれど、その立場が最初から彼に与えられていたものではないことまでは、詳しく知らなかった。

「それで、兄上は私の義兄になった」

「どうしてですか?」

「エルメロイ家の事情と、私自身の立場が関係しているからね」

ライネスは肩をすくめる。

「兄上には、私が正式に家を継ぐまでの間、

 ロードとしてエルメロイ家を支えてもらう必要があった。

 だから家族としての立場も必要になったというわけさ」

そこには、時計塔の家同士の複雑な事情がある。

けれどライネスは、それを一から説明しようとはしなかった。

智世が知る必要のある部分だけを選ぶように、ゆっくりと言葉を続ける。

「もちろん、それだけなら単なる取り決めで終わっていたかもしれない」

「……」

「でも、兄上は私の魔術の師でもあるんだ」

智世が少し目を見開く。

「師匠……」

「ああ」

ライネスは頷いた。

「兄上はロードとしてエルメロイ家を背負いながら、私に魔術を教えてきた。

 家のことだけじゃない。時計塔の中でどう振る舞うか、

 魔術師としてどう考えるか。そういうこともね」

それは、ただ肩書きを交換しただけの関係ではなかった。

Ⅱ世はエルメロイ家を背負う立場になり、

ライネスはその家の次代を担う者として、彼から多くのことを学んできた。

二人の間には、義兄妹という家族としての繋がりと、師弟としての繋がりが重なっている。

「だから、私にとって兄上は兄であり、師でもある」

ライネスはそこで少しだけ笑った。

「まあ、師だからといって、いつも尊敬しているとは限らないけどね」

智世は思わず小さく笑う。

「よく、からかっていましたもんね」

「見ていたのかい?」

「はい」

「それなら話は早い」

ライネスは楽しそうに笑った。

「兄上は、ああいう性格だからね。

 真面目で、何か一つ気になることがあると、そればかり考えてしまう。

 だから少しくらい私が横から邪魔をした方がいいのさ」

「邪魔……」

「もちろん冗談だよ」

そう言いながらも、ライネスはどこか嬉しそうだった。

Ⅱ世が嫌がることを知っていて、あえてからかう。

それでも、本当に困っているときには彼を頼り、Ⅱ世もまたそれを放っておかない。

それが、長い時間をかけて形作られてきた二人の関係なのだろう。

智世には、それが少し不思議で、それと同時にどこか温かく感じられた。

「やっぱり、仲が良いんですね」

「少なくとも、私はそう思っているよ」

ライネスはそう答えた。

その声音には、先ほどまでの冗談めいた響きがなかった。

義兄妹になった経緯がどれほど複雑だったとしても、

今のライネスにとってⅡ世が兄であることは変わらない。

そしてⅡ世にとっても、ライネスは単なるエルメロイ家の次期当主ではない。

そのことを、智世は少しだけ理解した。

しばらくして、ライネスはふと視線を下ろした。

その先には、椅子のそばで伏せているルツがいる。

黒い毛並みの中から、赤い目だけが静かにこちらを見ていた。

「……そういう意味では」

ライネスが言う。

「私も、君たちのことを聞いてみたいんだ」

「私たち、ですか?」

「ああ」

ライネスは智世を見る。

「君とルツの関係だよ」

ルツの耳がわずかに動いた。

「時計塔でいうところの使い魔とは、少し違うようだからね」

その言葉に、ルツが顔を上げる。

「……まあな」

短く答えてから、ルツは少しだけ目を細めた。

「オレとチセのことが気になるのか」

「もちろん」

ライネスは悪びれずに頷いた。

「兄上も気にしていたけれど、私はもっと単純に興味があるんだ。

 君たちは、普通の主従には見えないからね」

「主従じゃない」

ルツは即座に否定した。

「そうなのかい?」

「ああ」

ルツは少し黙った。

話す必要があるのか、とでも言いたげな顔だった。

けれど、しばらくしてから小さく息を吐く。

「……世話になってるからな」

ライネスが微笑む。

「それなら聞かせてもらおうか」

智世はルツの横に座り、静かに彼を見た。

ルツは少しだけ視線を逸らしてから、口を開いた。

「オレとチセは、最初からこういう関係だったわけじゃない」

その言葉から始まった話は、

智世がここへ来るまでの間に何度も説明してきたものとは、少し違っていた。

ルツが智世の使い魔になったのは、誰かに命じられたからではない。

ルツ自身が、智世のそばにいることを選んだ。

そして二人の間に結ばれたものを、彼らは「結び」と呼んでいる。

「オレがチセの使い魔になった」

ルツは淡々と話す。

「でも、それだけじゃない」

ライネスは黙って耳を傾けていた。

「感覚も、感情も、力も……時間も、分け合ってる」

「時間まで?」

「ああ」

ルツは頷いた。

「だから、普通の使い魔とは違う」

それ以上のことを、ルツは多く語ろうとはしなかった。

だが、その短い言葉だけでも、ライネスには十分だった。

使い魔というものは、魔術師が何らかの存在と契約を結び、

自分の目的のために使役するものが多い。

動物や精霊のような存在を従わせ、偵察や護衛、伝令などをさせる。

その形は様々だが、基本的には魔術師と使い魔の間に役割の違いがある。

けれど、智世とルツの間には、それだけでは説明できないものがある。

一方が命じ、もう一方が従う。

そんな単純な関係ではない。

「……ずいぶん深い契約なんだね」

ライネスが呟いた。

「契約っていうより……」

智世が言葉を探す。

「結び、です」

「結び」

「はい」

智世は頷いた。

「ルツが自分から私の使い魔になると言ってくれて。

 それから、いろいろなものを分け合うようになりました」

ルツはそれを否定しなかった。

ただ、少しだけ気まずそうに顔を逸らす。

「チセが死ねば、オレも死ぬ」

ライネスの表情が止まった。

「……そこまでなのかい?」

「ああ」

ルツは短く答える。

「逆も同じだ」

智世は静かに頷いた。

二人の間にある「結び」は、どちらか一方だけが力を与えたり、

命令したりするためのものではない。

互いの感覚や感情、力を分け合い、時間さえも共有する。

それは、一般的な使い魔の契約と比べれば、あまりにも深い。

ライネスはしばらく二人を見つめていた。

時計塔で魔術を学んできた彼女にとっても、簡単には理解しきれない関係だった。

「なるほど……」

やがて、ライネスは小さく息を吐いた。

「兄上が気にするのも分かる気がするよ」

「Ⅱ世さんも、同じことを言っていましたか?」

「細かいところまでは聞いていないけれどね」

ライネスは笑う。

「ただ、兄上はこういう未知のものを前にすると、どうしても調べたくなる性格だから」

「……あいつらしいな」

ルツが呆れたように呟く。

智世も思わず笑った。

その様子を見て、ライネスも楽しそうに笑う。

「でも、君たちの話を聞いていると分かるよ」

「何がですか?」

「兄上が、君たちを単なる『使い魔と魔術師』として見ていない理由さ」

ライネスはそう言って、窓の外へ視線を向けた。

時計塔の建物が、昼の光の中に並んでいる。

その場所には、長い歴史の中で積み重ねられてきた魔術師たちの知識がある。

けれど、すべての関係がその知識だけで説明できるわけではない。

それは、智世とルツの「結び」も同じだった。

「魔術師の世界にも、まだまだ知らないものがあるということだね」

ライネスは穏やかにそう言った。

智世はその言葉を聞きながら、ルツを見る。

ルツもまた、静かにこちらを見返していた。

時計塔に来てから、知らないことばかりだった。

魔術師たちの社会。

長い歴史を持つ学科。

それぞれの立場や派閥。

そして、自分とは違う形で魔術を扱う人々。

けれど、その中には自分たちと似たように、

言葉だけでは簡単に説明できない繋がりを持つ者もいるのかもしれない。

そんなことを考えながら、智世は窓の外へ目を向けた。

時計塔という場所が、少しだけ身近に感じられるようになっていた。

 

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