『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』 作:丹波りん
届いた荷物が床の上へ並べられてからもしばらく、
Ⅱ世とフラットは箱の前から動かなかった。
先ほどまで生きたカラスにしか見えなかったものが、
機構を露わにし、最後には小さな箱へと姿を変えた。
その一連の変化は、魔術師である二人にとっても簡単に整理できるものではない。
「やっぱり、あのカラスは面白いですね」
フラットが箱を覗き込みながら言った。
「面白い、で済ませるな。少なくとも、私には普通の使い魔とは考えにくい」
「ですよね」
フラットは素直に頷いた。
その目には、叱られたことを気にする様子よりも、
目の前で起きた現象への興味のほうが強く浮かんでいる。
「じゃあ、あの空間の歪みはどうなんでしょう?」
「そちらもまだ分からん」
Ⅱ世は箱から視線を離し、先ほど裂け目が生じた場所へ目を向けた。
「あの鳥が移動したのか、
それとも鳥が通るための経路そのものが一時的に生じたのか。それすら確定していない」
「うーん……」
フラットも歪みのあった場所を見る。
「もう一回見られたら、何か分かるかもしれませんね」
「だからといって、起こそうとするなよ」
「分かってますって」
返事だけは早かった。
しかし、フラットの視線はまだ空間の歪んでいた場所から離れない。
Ⅱ世はそれを見て、小さく息を吐いた。
興味を持つなと言っても無駄なのだろう。
ならば、せめて勝手に触れたり、試したりしないように見張っておくしかない。
そうして二人が話している間に、智世とグレイは届いた荷物の整理を始めていた。
床へ並べられた包みを一つずつ確認し、必要なものをそれぞれの場所へ移していく。
「こちらは、ここでよろしいでしょうか?」
グレイが衣服の入った包みを持ち上げる。
「うん。そこにお願いします」
「はい」
グレイは頷き、指定された場所へそっと置いた。
それからも、二人は同じように荷物を整理していった。
衣服を畳み、置き場所を決める。
届いたものの中には細かな包みもあったが、
智世は必要なものだけを確認すると、順番に片付けていった。
そうして、ある程度整理が進んだところで、
残った包みの中から細長いものが一つ出てきた。
「これは……?」
グレイが手に取る。
細長く、かなり丁寧に布で包まれている。
中身は見えない。
けれど、それが何なのかに気づいた智世の表情が、ほんの少しだけ変わった。
「……杖、かな」
「杖ですか?」
「うん」
智世が頷く。
「開けてみましょう」
グレイが布を解いていく。
何重かに巻かれていた布が外れると、その中から一本の長い木の杖が現れた。
持ち手は鳥の形をしている。
全体は、綺麗な夕日のような色だった。
「……智世さんの杖ですか?」
「うん」
智世は杖を受け取った。
手にした瞬間、その表情が少しだけ和らぐ。
「少しの間、預けていたんです」
「預けていたんですか?」
「エリアスに、少し調整してもらっていました」
「そうだったんですね」
グレイは頷いた。
それ以上詳しく尋ねることはしなかったが、
その杖が智世にとって大切なものなのだということは、その様子から十分に伝わっていた。
智世は杖を布の上へ置き直す。
それから、残っている包みへ目を向けた。
「まだありますね」
「はい」
グレイも頷く。
二人は再び荷物の整理へ戻った。
衣服を片付け、包みを畳み、空いた場所を整える。
やがて、最後に近いところまで荷物が減ってきたときだった。
布に包まれた小さな箱が、一つ残っていた。
ほかの荷物よりも、明らかに丁寧に包まれている。
「これは……?」
グレイが手を伸ばした。
箱を持ち上げた瞬間、智世が振り返る。
「あ……」
その声は、先ほど杖を見つけたときとは違っていた。
少しだけ慌てたような響きが混じっている。
「智世さん?」
「それ……」
智世は箱へ近づいた。
「私が持ちます」
「はい」
グレイは素直に差し出した。
けれど、その視線は箱に残ったままだった。
中身が気になっているのだろう。
智世は箱を受け取ると、しばらくそれを見つめていた。
どうするべきか迷っているようにも見える。
やがて、小さく息を吐いた。
「……開けますね」
蓋を開く。
中に入っていたのは、一つの指輪だった。
透明な水晶で作られた、飾り気のない指輪。
光を受けると、その表面が淡く輝いた。
「指輪……」
グレイが小さく呟く。
智世は指輪を取り出した。
そのまま少しだけ顔を背ける。
頬が赤くなっていた。
そして、左手の薬指へ指輪を嵌める。
その仕草を見たグレイは、目を見開いた。
「……智世さん」
「はい」
「もしかして……ご結婚されているのですか?」
智世は答える前に、少しだけ視線を逸らした。
「……うん」
小さな肯定だった。
グレイは驚いたまま、智世を見る。
智世も何を言えばいいのか迷ったようだったが、
やがてグレイへ少しだけ顔を寄せた。
「……エリアスと、結婚しています」
「えっ……」
グレイの声が、僅かに大きくなる。
その反応に、少し離れたところで話していたⅡ世とフラットが顔を上げた。
「どうした、グレイ?」
「いえ、その……」
グレイは智世を見る。
智世はもう隠しても仕方がないと判断したらしく、少し恥ずかしそうに笑った。
「私、エリアスと結婚しているんです」
「……そうか」
Ⅱ世の目が僅かに見開かれる。
フラットも目を丸くして智世を見た。
「えっ、結婚してるんですか?」
驚きが、そのまま声に出ていた。
それからフラットは、智世の左手に嵌められた指輪へ目を向ける。
「へえ……」
何かを考えるように少しだけ首を傾げる。
けれど、すぐにまた智世の顔へ視線を戻した。
どうやら、まだ聞きたいことが増えたらしい。
「はい」
智世が小さく頷く。
フラットはしばらく智世を見ていたが、
さすがに今すぐ質問を重ねるのはまずいと思ったのか、口を閉じた。
Ⅱ世にとって、結婚そのものが珍しいわけではない。
魔術師の家系では、家同士の事情から婚約や結婚が決まることもある。
だからこそ驚きはしたものの、それ自体を不可解なものとして受け取ったわけではなかった。
「君が既婚者だったとは、少し意外だったが」
「……そうですよね」
智世は照れたように笑った。
すると、その横からルツが口を挟んだ。
「別に、教えてもいいじゃないか」
「ルツ……」
「本当のことなんだから」
ルツはそう言って、今度はフラットを見る。
「それに、お前」
「はい?」
「昨日、既婚者であるチセが風呂に入るところを覗こうとしてただろ」
「えっ」
フラットの顔が、一瞬で青ざめた。
「ち、違います! 覗こうとしてません!」
「そうか?」
ルツは首を傾げる。
「でも、もしエリアスが知ったら、どうなるだろうな」
「……え」
フラットの顔から、さらに血の気が引いた。
「ちょ、ちょっと待ってください!エリアスさんには言わないでください!」
「オレは何も言ってないぞ」
「でも……!」
フラットは必死に両手を振った。
「僕は本当に覗くつもりなんてなかったんです!ただ、チセさんたちの話を聞きたくて……!」
「それでも、既婚者のチセを覗こうとしたことに変わりはないだろ」
「だから、覗こうとはしてませんって!」
グレイの視線が冷たくなる。
「フラット……」
「グレイまで!」
フラットはすっかり慌てていた。
さっきまでの好奇心に満ちた表情は消え、どうにか誤解を解こうと必死になっている。
その様子を見て、智世は思わず苦笑した。
「ルツ、あんまり揶揄っちゃだめだよ」
「……分かった」
ルツは素直に引き下がった。
フラットは、ほっとしたように大きく息を吐く。
けれど、その顔にはまだ、エリアスの名前を思い出しただけで緊張したような色が残っていた。
Ⅱ世はそんな一連のやり取りを眺めたあと、改めて智世の左手へ視線を向けた。
水晶の指輪が、薬指に嵌められている。
「ともかく、君が既婚者だということは分かった」
「はい……」
智世は小さく頷いた。
その後も、荷物の整理は続いた。
衣服を片付け、残った包みを所定の場所へ収める。
やがて、すべてが片付いた。
けれど、一人だけ落ち着かない様子の者がいた。
フラットである。
何度も智世のほうへ視線を向けては、何か言いたそうにしている。
本人は隠しているつもりなのだろうが、好奇心は隠しきれていなかった。
それでも、先ほどのことで一度は怒られると思ったのか、
以前のように勝手に近づこうとはしない。
ただ、少し離れたところから智世を見ている。
智世も、それに気づいていた。
「……フラット君」
「はい!」
待っていたかのように返事が返ってくる。
「何か聞きたいことがありますか?」
「えっと……」
フラットは少しだけ言葉を探した。
けれど、すぐにいつもの調子へ戻る。
「……いろいろ、気になっていて」
その顔には、隠そうとしても隠せない好奇心が浮かんでいた。
智世は苦笑した。
「そうですよね」
少し考えてから、智世は続けた。
「これまでのこと、話しましょうか」
「いいんですか?」
フラットの表情が、ぱっと明るくなる。
「うん」
「ありがとうございます!」
嬉しそうな声が返ってくる。
その反応はあまりにも素直で、先ほどまでの騒ぎが嘘のようだった。
「チセ」
ルツが呆れたように言った。
「お前は本当にお人よしだな」
「そうかな」
「そうだろう」
それでも智世は笑っていた。
「でも、ちゃんと話したほうがいいと思うから」
Ⅱ世は黙って二人のやり取りを見ていた。
フラットをこのまま放っておけば、また本人の好奇心だけで勝手に動きかねない。
昨夜の件を思えば、それは十分にあり得る。
ならば、本人に直接話してしまったほうがいい。
Ⅱ世は小さく息を吐いた。
「……仕方がないな」
フラットが振り向く。
「君にも話してやろう」
「やった!」
嬉しそうな声が返ってくる。
「ただし、条件がある」
Ⅱ世の声が少し低くなる。
「ここで聞いたことは、他言無用だ。誰かに話すことも、勝手に調べることも許さん」
「もちろんです!」
フラットは即座に頷いた。
「絶対に言いません」
「本当だな?」
「はい!」
その返事に、Ⅱ世はようやく頷いた。
こうして、フラットは初めて、智世がここへ来るまでに何があったのかを知ることになる。