『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』   作:丹波りん

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第17話 この世のチャンネル

 智世がこれまでのことを話し終えると、部屋の中にはしばらく静かな時間が流れた。

 フラットは、何か言いたそうな顔でⅡ世を見ている。

「……師匠」

「なんだ」

「やっぱり、ずるくないですか?」

 Ⅱ世は眉を寄せた。

「何がだ」

「こんなに面白そうなこと、ずっと黙ってたじゃないですか」

「当然だろう」

 Ⅱ世は即答した。

「君に話せば、どうなるか分かりきっている」

「えー」

「『えー』じゃない」

 フラットは不満そうに頬を膨らませた。

 だが、それ以上は言わなかった。

 時計塔の中で、珍しいものがどのように扱われるかを、彼も知らないわけではない。

 智世のように所属も素性も明確でない人間がいれば、興味を持つ者は出てくる。

 そこへ魔法機構や魔法薬、人外との関わりまで加われば、なおさらだ。

 研究対象として見ようとする者もいるだろう。

 別の学科や派閥が接触してくる可能性もある。

 Ⅱ世が智世について余計な情報を広めなかったのは、

 フラットが問題を起こすからというだけではない。

 智世自身を、そうした余計な干渉から遠ざけるためだった。

「……なるほど」

 フラットは少し考えてから頷いた。

「他の人たちに知られたら、いろいろ調べたがる人が出てきますもんね」

「ああ」

「それで、師匠は黙ってたんだ」

「そういうことだ」

 フラットは納得したようだった。

 だが、次の瞬間には別のことへ興味が移っていた。

「それで、裏道っていうのは?」

 Ⅱ世の眉がわずかに動く。

「……裏道?」

「はい」

 フラットは智世を見る。

「智世さんが、そこを通ってここへ来たんですよね?」

「うん」

「しかも、あの紙の鳥も、アンジェリカさんのカラスも、そこに関係してる」

「関係している、というより……」

 智世は少し考えてから言葉を選んだ。

「裏道を通ってきたことは、間違いないと思います」

 Ⅱ世は頷いた。

「君たちが裏道を通ってきたことは知っている」

 そこまでは、すでに聞いている。

 裏道を通った際、番人たちの様子が普段と違っていたこと。

 地面が揺らぐような感覚があったこと。

 そして、本来とは違う場所へ出てしまったこと。

 その結果、二人はⅡ世の私室へ現れた。

 それが、彼の知っている範囲だった。

「ただ、裏道そのものについては、まだ詳しく聞いていない」

 Ⅱ世はそう付け加えた。

「君たちにとって、どういう場所なのかもな」

「そうなんですか?」

「ああ」

 智世は少し驚いたように目を瞬かせた。

 自分たちにとっては当たり前のことだったから、

 どこまで話したのか分からなくなっていたらしい。

「じゃあ……説明します」

「頼む」

 智世は少しだけ考えてから、ゆっくりと口を開いた。

「裏道は、特別な場所にだけある道じゃないんです」

「ほう」

「古い空き家とか、庭の出入り口とか。倒れた樹の下にあることもあります」

 フラットが目を輝かせる。

「木の下にも?」

「うん。根元に洞があるところとか」

 智世は指を折りながら続けた。

「電話ボックスだったり、使われていない小さな橋だったり

 …フットパスの門みたいなところにあることもあります」

「……随分と身近なんだな」

 Ⅱ世が呟いた。

「はい」

 智世は頷いた。

「エリアスに教えてもらったんです。

 裏道は危ないから、ちゃんと覚えておくようにって」

「危険なんです?」

 フラットが尋ねる。

「うん。でも、使えないほど危険というわけじゃないんだよ」

 智世は少し考えてから続けた。

「私たち、普段から使っていましたから」

 Ⅱ世の視線が智世へ向いた。

「普段から?」

「はい。学院へ行くときも、帰るときも使います」

 Ⅱ世は一瞬、言葉を返さなかった。

 それは、これまで聞いていなかった情報だった。

 裏道を通ってここへ来たことは知っている。

 だが、それが智世たちにとって日常的な移動手段だったとは聞いていない。

「……君たちにとっては、日常的な道だったわけか」

「そうです」

 智世は頷いた。

「エリアスも使っていましたし。私も一緒に使っていました」

 ルツも補足するように言った。

「何度も使ってる。今まで、こんなことはなかった」

 Ⅱ世はその言葉を聞き、静かに頷いた。

 今回の異変が一度限りのものなのか、それとも以前から兆候があったのか。

 その判断に関わる情報だった。

 智世は続ける。

「裏道は、この世の中に重なっている別の道みたいなものなんです」

「別の道?」

「はい」

 智世は少し考えながら言葉を選ぶ。

「この世のチャンネルの一部……って、エリアスは言っていました」

 Ⅱ世の目がわずかに細くなる。

「チャンネル、か」

「はい」

「それは、通常の空間とは違うのか?」

「たぶん……少し違います」

 智世は頷いた。

「裏道の中では、時間や座標が普通とは違うらしいです」

「時間と座標が?」

「はい」

「どういう意味だ?」

 智世は少し迷ってから答えた。

「同じ距離を歩いているはずなのに、外ではずっと遠い場所へ出たりするんです」

 フラットが首を傾げた。

「それって、道が短くなるってことですか?」

「そうです」

 智世は頷いた。

「入口と出口の間を、大きく短くできるんです」

 Ⅱ世は黙って聞いていた。

 空間的な距離そのものを縮めるというより、二つの地点の関係を別の形で扱っている。

「中は、どんな場所なんですか?」

 グレイが尋ねた。

「暗いです」

 智世は答えた。

「洞窟みたいな感じです。壁があるように見えるけど、

 その先がどこまで続いているのかは分からなくて……」

 フラットが興味深そうに聞いている。

「じゃあ、普通の道とは全然違うんですね」

「そうですね」

 智世は小さく頷いた。

「でも、ちゃんと決まりがあります」

「決まり?」

 Ⅱ世が尋ねる。

「はい」

 智世の声が少しだけ慎重になる。

「裏道には、門番がいるんです」

「門番……」

「名前はありません」

 智世は続ける。

「顔のない犬みたいな姿をしていて、裏道を使う人たちは『猟犬』って呼んでいます」

 Ⅱ世はそこで一度だけ頷いた。

 猟犬。

 その言葉は、すでに聞いている。

 智世たちが通ったとき、普段とは違う動きをしていたという報告も受けていた。

 だからこそ、今回の異変と無関係ではない可能性がある。

 智世は、そのまま説明を続けた。

「猟犬に、通るための対価を渡します」

「対価?」

「はい」

「それは……」

 フラットが口を挟みかけたが、智世が続ける。

「それを渡して、決められた区画から出なければ、普段は何もしません」

「区画から外れるとどうなるのでしょう?」

 グレイが尋ねる。

「追いかけてきます」

 智世は静かに答えた。

「…どこまでも」

 ルツが短く付け加える。

「だから、余計なことはしないほうがいい」

 フラットは少しだけ真顔になった。

「なるほど……」

 今度は、からかう様子もなかった。

 智世は少し息をついてから、話をまとめるように言った。

「だから、危険ではあるけど、ちゃんと使い方を守れば普段は問題ありません」

「それで、君たちは何度も使っていた」

 Ⅱ世が確認する。

「はい」

「そして、今までは問題が起きなかった」

「そうです」

「だが、今回は違った」

「はい」

 智世は頷いた。

「いつもの道を使ったはずなのに、いつもの場所へ出ませんでした」

 Ⅱ世は目を伏せた。

 猟犬の異常な行動。

 地面が揺らぐような感覚。

 そして、予想もしない場所へ出たこと。

 今聞いたのは、その異変が起きた「道」が普段どのようなものだったのかということだ。

 裏道は、智世たちにとって特別な冒険のための場所ではない。

 学院への行き帰りにも使う、日常の経路だった。

 だからこそ、今回の変化は単純に「危険な場所へ迷い込んだ」という話ではない。

 普段から使えていた道そのものが、いつもと違う働きをした。

 Ⅱ世は、そこで先ほど聞いた「時間」や「座標」という言葉を思い返した。

 時間と座標が通常と異なる。

 入口と出口の間の距離を、大きく短絡できる。

 空間そのものの扱いが、通常の地理的な位置関係とは違う。

 その特徴を聞いて、Ⅱ世の中に一つの魔術が浮かんだ。

 ――虚数魔術。

 時計塔でも扱われている、通常の空間とは異なる領域を利用する魔術。

 時間や空間を、現実の座標だけでは捉えない。

 そういう意味では、今聞いた裏道の性質と似ている部分がある。

「……似てはいる」

 Ⅱ世が小さく呟いた。

「何がですか?」

 智世が尋ねる。

「いや」

 Ⅱ世は少し考えてから答えた。

「君の話を聞いていて、虚数魔術を連想しただけだ」

「虚数魔術?」

 智世が反応する。

「ああ」

 Ⅱ世は頷いた。

「時計塔にも、通常の空間とは異なる領域を扱う魔術はある。

 時間や座標を、単純な現実空間のものとして扱わない場合もある」

 フラットは興味深そうに聞いていた。

「じゃあ、裏道は虚数魔術なんですか?」

「そうとは言っていない」

 Ⅱ世は即座に否定した。

「似ている部分があるというだけだ」

 Ⅱ世は、もう一度考える。

 虚数魔術なら、術式によって特殊な空間を成立させるという説明ができる。

 だが、智世の話を聞く限り、裏道は誰かが術式を組んで作った場所という印象とは違う。

 古い空き家や庭の出入り口、倒木の根元、電話ボックス。

 そうした場所に自然に存在し、昔から利用されている。

 しかも、そこには猟犬がいて、独自の決まりがある。

 単純に「特殊な空間を作る魔術」と考えるだけでは、説明できない部分が多い。

「むしろ」

 Ⅱ世は静かに続けた。

「似ているのは、空間の扱い方だけだ。

 裏道そのものが虚数魔術で作られているとは、今の情報だけでは判断できない」

「なるほど」

 フラットは素直に頷いた。

「じゃあ、別のものかもしれないんですね」

「可能性は高い」

 Ⅱ世は答えた。

「少なくとも、今の段階で同じ原理だと決めつける理由はない」

 グレイが、静かに智世を見る。

「では……先ほどの紙の鳥も、同じように考えたほうがいいのでしょうか」

「それも分からない」

 Ⅱ世は首を横に振った。

「紙の鳥は、裏道を通ってきたように見える。

 だが、裏道そのものと同じ原理で動いているとは限らない」

 紙の鳥。

 裏道。

 そして、時計塔。

 それぞれに空間の隔たりを越える現象がある。

 しかし、似ているからといって同じものだとは限らない。

 Ⅱ世は、その点だけは慎重に考えていた。

 今分かっているのは、裏道が普段から使われていた経路だったこと。

 今回、その経路に異常が起きたこと。

 そして、その異常と前後して、紙の鳥による接続が成立していること。

 そこから先は、まだ何も決まっていない。

「……分からないな」

 Ⅱ世は小さく息を吐いた。

「だが、少なくとも一つだけ言える」

「何を?」

 フラットが尋ねる。

「君たちが迷い込んだのは、単に危険な道だったからではない」

 Ⅱ世は智世を見る。

「普段から使えていた道で、今回は結果だけが変わった。

 しかも、その途中で猟犬の様子まで変わっている」

「はい」

 智世は頷いた。

「だから、原因を考える必要がある」

 フラットの目が、また少し輝いた。

「面白そうですね」

「君はそう言うと思った」

 Ⅱ世は呆れたように言った。

「だが、面白がるだけで終わらせるな。

 調べるなら、まず分かっていることと分からないことを分ける」

「はい、師匠」

 フラットは素直に返事をした。

 Ⅱ世は窓の外へ目を向ける。

 時計塔の外には、いつもの街がある。

 そのどこかに、智世たちが普段使っていた「裏道」がある。

 そして今、その道で何が起きているのかは、まだ誰にも分からない。

 ただ、少なくとも一つだけ確かなことがある。

 智世たちは、偶然知らない場所へ迷い込んだのではない。

 いつも使っていた道が、いつもとは違う道になっていた。

 その違いが何を意味するのか。

 Ⅱ世は、まだ答えを出せずにいた。

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