『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』 作:丹波りん
それから、数日が過ぎた。
智世たちが時計塔へ来てから、少しずつ時間が流れていく。
裏道の異変については、まだ大きな進展はなかった。
けれど、だからといって何も起きていないわけでもない。
智世はグレイに時計塔の中を案内してもらったり、
学院から届いた課題を進めたりしながら、忙しなくも穏やかな時間を過ごしていた。
時にはライネスと話をしたり、フラットが顔を出してきたりすることもあった。
Ⅱ世も講義の合間を縫って部屋へ戻ってくる。
そうした日々を繰り返しているうちに、時計塔という場所にも少しずつ慣れてきていた。
もちろん、完全に馴染んだわけではない。
魔術師たちの視線を感じることもある。
知らない人間から声を掛けられることもあった。
それでも、最初の日ほど緊張することはなくなっていた。
智世にとっては、見知らぬ場所でありながら、少しずつ日常になりつつある時間だった。
そんなある日のこと。
Ⅱ世たちが再び部屋へ集まっていた。
智世は机のそばに座り、ルツはその隣で伏せている。
しばらくは他愛のない話をしていたが、やがてⅡ世が智世へ視線を向けた。
「……そういえば」
Ⅱ世が口を開く。
「以前から一つ、確認したいと思っていたことがある」
「何ですか?」
「君の使う『魔法』についてだ」
智世が少しだけ姿勢を正す。
Ⅱ世は続けた。
「これまで君から話を聞いてきたが、
実際にどのようなものなのかは、まだ見せてもらっていない」
「……はい」
「もちろん、君の言うものを魔術だと断定するつもりはない」
Ⅱ世は慎重に言葉を選んだ。
「だが、実際の現象を見れば、もう少し判断材料が増える」
ライネスも頷く。
「私も興味があるね」
フラットは、Ⅱ世の言葉を聞いた瞬間、目を輝かせた。
「僕も見たいです!」
智世は少し考えた。
「でも……ここには、ルツしかいないので、使える魔法は限られますよ?」
「それで十分じゃないか」
Ⅱ世が言う。
「君は以前、妖精や精霊などの力を使うことがあると言っていた。
ならば、ここで使えるものを見せてもらえばいい」
「うーん……」
智世は部屋の中を見回した。
ルツ。
机。
椅子。
窓。
時計塔の一室。
確かに、ここにはルツ以外に妖精や精霊の姿はない。
「そうですね……」
智世は少し考えてから言った。
「それなら、眠りの魔法とか……」
「それは嫌です!」
フラットが勢いよく身を乗り出した。
あまりにも即座の拒否に、智世が目を瞬く。
「……眠りの魔法?」
ライネスが面白そうに尋ねる。
「以前、僕が実際に眠らされたんですよ!」
フラットは必死だった。
「しかも、どういう術式なのか調べようとしても、そのまま意識が落ちちゃったんです!」
「……ああ」
智世は思い出したように苦笑した。
確かに、以前勝手に部屋に侵入していたフラットには、眠りの魔法を使ったことがある。
あのときも、フラットは眠る直前まで魔法の仕組みを理解しようとしていた。
「もう一度眠らされて、何も解析できないのは嫌なんです!」
「ふふ……」
智世は思わず笑ってしまった。
「そんなに嫌なの?」
「嫌です!」
フラットは真剣そのものだった。
その様子に、ライネスも小さく笑う。
「君、相変わらず好奇心の方向が妙だね」
「だって、分からないまま眠るんですよ!?」
「それは確かに、君にとっては不本意だろうね」
ライネスが楽しそうに頷く。
Ⅱ世は小さく息を吐いた。
「……話を戻そう」
そして、智世を見る。
「眠りの魔法は今回はいい。別のものを見せてもらおう」
「それでしたら、鍵を開ける魔法ならできます」
「……鍵開けか」
Ⅱ世が繰り返した。
「はい」
「それなら、ちょうどいい」
Ⅱ世は頷いた。
「実際に結果が分かりやすい」
フラットが何か言いかけたが、今度は何も言わなかった。
どうやら、眠らされる可能性がなくなったことに安心したらしい。
智世はそんな彼を見て、もう一度だけ苦笑した。
「フラット君、眠りの魔法はそんなに嫌なんだね」
「嫌です」
「分かったよ」
智世は小さく笑った。
「じゃあ、今回は鍵開けにしよう」
「はい!」
フラットの返事が、妙に元気だった。
「少し待っていろ。準備してくる」
そう言うと、Ⅱ世は部屋を出ていった。
グレイが不思議そうに扉を見る。
「何を持ってくるのでしょうか」
「さあね」
ライネスが笑った。
「兄上のことだから、普通の錠では済ませないだろうけど」
「普通の錠じゃない?」
フラットが首を傾げる。
「せっかく智世に見せてもらうんだ。少しくらい工夫するんじゃないかな」
やがて、扉が開いた。
戻ってきたⅡ世の手には、小さな立方体があった。
金属とも石ともつかない、不思議な質感を持った模型だった。
その表面には、細かな幾何学模様が刻まれている。
さらに、その中心には小さな球体が埋め込まれていた。
球体の周囲にも、細かな線や図形が複雑に組み合わされている。
立方体そのものが、一つの小さな仕掛けになっているようだった。
「……それは?」
智世が尋ねる。
「魔術の基礎訓練に使う模型だ」
Ⅱ世が答えた。
フラットが目を見開いた。
「あっ」
懐かしいものを見つけたように、模型へ視線を向ける。
「これ、知ってます」
フラットは模型を覗き込む。
「最初の頃、こういうのに術式を掛けて、開けたり閉じたりする練習をするんですよね」
「そういうものだ」
Ⅱ世は頷いた。
ライネスは模型を見ながら、少しだけ眉を上げる。
「でも、それって子供だましじゃないのかい?」
「単純なものならな」
Ⅱ世は模型を机の上へ置いた。
「これは、封印を解けば中から菓子が出てくるようになっている。
基礎訓練用だから、仕組み自体は単純だ」
「お菓子……」
智世が球体を見る。
「そういうものですか」
「そういうものだ」
Ⅱ世は頷いた。
「ただし、今回は少し話が違う」
Ⅱ世は模型を見下ろす。
「封じる側が一人なら、基本的な術式でも十分だ。
だが、複数の術者が、それぞれ異なる術式を重ねれば、
解除する側は一つずつ対応しなければならない」
「なるほど」
ライネスが楽しそうに笑う。
「つまり、今回は三人で封じるんだね?」
「ああ」
Ⅱ世が答える。
「私とライネス、それからフラットだ」
フラットが嬉しそうに笑った。
「僕もやっていいんですか?」
「構わない」
Ⅱ世は頷く。
「三人がそれぞれ別の封印術式を掛ける。智世には、それを解除してもらう」
「分かりました」
智世は模型を見つめた。
ライネスが楽しそうに笑う。
「せっかくだから、兄上には基本に忠実な術式をお願いしようか」
「……それは私が決めることだ」
「でも、兄上ならそうするだろう?」
「基礎を疎かにする理由がない」
Ⅱ世は模型へ手を置いた。
その指先から、わずかに魔力が流れ込む。
表面の幾何学模様が淡く輝いた。
中心の球体を囲むように線が繋がり、いくつかの面を跨ぐ術式が組み上がっていく。
無駄のない構造だった。
解除するために必要な箇所も、意図的に一つずつ整理されている。
Ⅱ世は一つ一つの構造を確認しながら、慎重に封印を組み上げていった。
「これで一つ目だ」
Ⅱ世が手を離す。
次にライネスが模型へ近づいた。
「では、私の番だね」
ライネスは模型を眺め、少しだけ口元を上げた。
「兄上の術式は、実に兄上らしいね」
「どういう意味だ」
「正面から、順番に解いていけばいい」
ライネスは指先で模型の表面を軽くなぞった。
Ⅱ世の術式とは別の場所へ、細い魔力の線が伸びていく。
幾何学模様の一部が、わずかに位置を変えた。
解除しようとすれば別の箇所へ意識が向くように、術式の繋がりが少しずつずらされていく。
さらに、ある線を辿れば別の線へ戻されるような構造が組み込まれた。
「……なるほど」
Ⅱ世が眉を寄せる。
「単純に強度を上げるのではなく、解除する側の手順そのものを迷わせるつもりか」
「そういうことさ」
ライネスは楽しそうに笑った。
「せっかく三人でやるんだから、少しくらい意地悪なほうが面白いだろう?」
「君らしいな」
Ⅱ世は呆れたように言った。
最後に、フラットが模型の前へ立った。
「じゃあ、僕の番ですね」
「ああ」
Ⅱ世が頷く。
「君は好きにしていい。ただし、解除不能にするな」
「分かりました!」
フラットは嬉しそうに模型を見つめた。
けれど、今度はすぐに手を伸ばさなかった。
模型そのものだけではなく、そこに重ねられた二人の術式を眺めている。
Ⅱ世が組んだ、整理された術式。
ライネスが加えた、意図的に手順を狂わせる術式。
フラットはそれらをしばらく眺めたあと、突然笑った。
「……じゃあ、こうしようかな」
指先が動く。
最初に一本。
次に二本。
それだけで、模型の上に新しい術式が生まれた。
Ⅱ世やライネスのように、規則正しく線を重ねていくわけではない。
既存の術式の隙間へ入り込み、別の線へ繋がり、さらに別の面へ抜けていく。
一つの封印を強化するのではない。
三つの術式そのものを絡ませ、互いが互いの条件になるように組み替えていく。
「……おい」
Ⅱ世の眉間に皺が寄った。
フラットは気にせず続ける。
一本の線が、別の面へ飛ぶ。
そこからさらに中心の球体へ回り込み、今度はⅡ世の術式へ戻っていく。
ライネスが加えた術式の一部も取り込み、解除の手順そのものを別の場所へ押し流す。
単純に術式を重ねるのではない。
最初に掛けられた二つの封印を理解したうえで、
それぞれの特徴を利用して、新しい一つの構造へ変えている。
「フラット」
Ⅱ世の声が低くなる。
「はい?」
「……少しは手加減しろ」
「してますよ?」
フラットは本気でそう答えた。
その言葉に、Ⅱ世はさらに顔をしかめる。
「それでか」
ライネスが横から覗き込む。
「兄上、これは少し厄介だね」
「少しどころではない」
Ⅱ世は模型を見つめた。
「私と君の術式を理解したうえで、解除する順序そのものを崩している」
「でも、ちゃんと開けられるようにはしてありますよ」
フラットは悪びれずに言う。
「たぶん」
「その『たぶん』が一番信用ならん」
Ⅱ世が即座に返す。
ライネスが楽しそうに笑った。
「フラットらしいじゃないか」
「君まで楽しむな」
やがて、フラットが最後の線を収めた。
三つの封印術式が、一つの小さな立方体の中で複雑に絡み合う。
最初は基礎訓練用の単純な模型だった。
だが今では、三人の性格そのものが表れているような封印になっている。
Ⅱ世の術式は、基礎に忠実で無駄がない。
ライネスの術式は、相手を迷わせるための意地の悪さがある。
そしてフラットの術式は、二人の術式を理解したうえで自由に組み替えた、
複雑で予測しにくいものだった。
Ⅱ世はしばらく模型を見つめ、それから深く息を吐いた。
「……これでいい」
「うん」
ライネスも満足そうに頷く。
「さて」
彼女は智世へ目を向けた。
「これを、君に開けてもらおうか」
智世は立ち上がり、机の上の模型へ近づいた。
立方体の表面に刻まれた幾何学模様。
その中心に埋め込まれた小さな球体。
解除できれば、中から子供向けの菓子が出てくる。
智世は立方体を前にして、少しだけ首を傾げた。
「これを開ければいいんですね」
そう言って、智世は小さく笑った。