『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』   作:丹波りん

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第25話 夜の愛し仔と隣人たち

 エリアスの本来の姿を目の当たりにしてから、

 しばらくの間、一行はそれぞれに言葉を失っていた。

 目の前にいる存在を、これまで知っていた魔術師の知識だけで測ることは難しい。

 人の形を取っていた時でさえ、その存在にはどこか人間とは異なるものが感じられていた。

 それが今は、隠されていた異形の姿を晒している。

 Ⅱ世は腕を組んだまま、じっとエリアスを見つめていた。

 魔術師として長く生きてきたわけではない。

 それでも、これまで学んできた知識や、

 時計塔で見聞きしてきた数々の神秘と照らし合わせれば、

 目の前の存在が決してありふれたものではないことくらいは分かる。

 ライネスもまた、普段の軽い笑みを僅かに消していた。

 グレイは無意識に息を整えながら、エリアスを見つめている。

 そしてフラットだけは、驚きを隠すことなく、その姿を興味深そうに眺めていた。

 そんな静かな時間の中で――。

「……?」

 グレイが、僅かに眉を動かした。

 膝の上に、何かが触れている。

 最初は気のせいかと思った。

 しかし、確かに重みがある。

 服越しに伝わる小さな体温と、僅かな動き。

 グレイは恐る恐る視線を落とした。

「……え?」

 そこに、一匹の小さな生き物がいた。

 いつからそこにいたのか分からない。

 細い四肢を身体の下に折りたたみ、グレイの膝の上にちょこんと収まっている。

 淡い灰色の毛に覆われた身体は小さく、丸みを帯びている。

 耳のようにも角のようにも見える小さな突起が頭の上にあり、

 黒々とした瞳だけが静かにグレイを見上げていた。

 その姿は獣にも似ている。

 けれど、ただの動物とは明らかに違う。

 そこにいるだけで、どこか現実から僅かに浮いたような気配を漂わせていた。

「……いつの間に」

 グレイが呟く。

 その声に、Ⅱ世たちの視線が集まった。

「どうした、グレイ?」

「いえ……」

 グレイは答えながらも、膝の上から目を離せない。

 Ⅱ世も身を乗り出すようにして、その小さな存在へ視線を向けた。

 すると、今度はそれだけではなかった。

 部屋の隅。

 棚の陰。

 窓際。

 いつからそこにいたのか分からない小さな影が、いくつも動いている。

 先ほどまで、誰の目にも映っていなかったものたちだった。

「……」

 Ⅱ世が目を細める。

 ライネスも周囲を見渡した。

 フラットは、驚きより先に好奇心を滲ませる。

「これは……」

「その子も精霊ですよ」

 智世が微笑んだ。

「精霊……?」

 グレイは改めて膝の上の存在を見る。

 小さな精霊は逃げることもなく、そこが気に入った場所であるかのように落ち着いていた。

「どうして、急に……」

 グレイがそう口にしたところで、エリアスが静かに答えた。

「妖精や精霊は、自分から姿を現そうとしなければ、普通の人には見えないんだ」

 エリアスの言葉に、一行はそれぞれ周囲を見た。

 今では、誰の目にもその姿が映っている。

「魔術師にも?」

 Ⅱ世が尋ねる。

「うん。魔術師だから見える、というわけじゃないよ」

 エリアスは淡々と続けた。

「ボクたち魔法使いは、妖精や精霊との親和性が高いから見ることができる。

 …智世の場合は、少し特殊な事情があるけどね」

 智世は特に否定することもなく、周囲へ視線を向けた。

 小さな光が窓辺を漂い、別の何かが棚の陰から顔を覗かせている。

 それらは一行を警戒しているようにも見えたが、

 すぐに興味を失ったように、それぞれの場所へ戻っていった。

 ただ一匹だけは、グレイの膝から動こうとしない。

 エリアスはその様子を眺め、僅かに目を細めた。

「その子は、君のことが気に入ったんじゃないかな?」

「拙が……」

 グレイは困ったように膝の上を見下ろす。

 小さな精霊は、まるで当然のような顔をしてそこにいる。

 グレイが手を伸ばすと、逃げるどころか僅かに身体を寄せた。

「……かわいいです」

 その様子に、ライネスが小さく笑った。

 だが、それ以上に一行の意識を引きつけていたのは、

 部屋の中に次々と現れていく存在たちだった。

 壁際の暗がりから、小さな影が姿を見せる。

 窓の外から淡い光が入り込み、それに混じるように別の何かが舞い込んでくる。

 人の姿に近いものもいれば、獣を思わせるものもいる。

 姿形は様々だった。

 けれど、どれも人間ではない。

「……これだけの種類が」

 Ⅱ世の呟きが漏れた。

 フラットはすっかり目を輝かせていた。

「すごい……」

 先ほどまでエリアスの姿に向けていた興味が、今度は部屋にいる妖精たちへと移っている。

 その視線は忙しなく動き、どれを見ればいいのか決められないほどだった。

「フラット」

「はい」

「勝手に触るなよ」

「分かってますって」

 返事だけは素直だった。

 しかし、その目は少しも落ち着いていない。

 Ⅱ世はそんな弟子を横目に見ながら、改めて周囲を観察した。

 これほどの数の妖精や精霊が、一つの家に集まっている。

 しかも、智世たちはそれを特別なこととは考えていない。

 むしろ、そこにいることが日常なのだろう。

 その事実が、Ⅱ世には別の意味で重く感じられた。

 時計塔。

 あの場所の魔術師たちが、この光景を知ればどうなるか。

 希少な神秘。

 人間社会とは異なる法則で存在するものたち。

 それが複数種類、これほど身近な場所で暮らしている。

 研究対象として考える者が出ない方がおかしい。

「……胃が痛くなってきたな」

「何だい、突然」

 ライネスが隣から尋ねる。

「これが時計塔に知られた時のことを考えている」

 Ⅱ世は深く息を吐いた。

「……ああ」

 ライネスも周囲へ視線を巡らせる。

 その意味を理解するまでに、さほど時間は掛からなかった。

「それは確かに、頭が痛くなりそうだ」

 苦笑しながらも、その言葉には否定の色がなかった。

 そんな二人の視線の先で、妖精たちは静かに動いている。

 だが、よく見れば不思議なことに気づく。

 彼らが集まっている場所には偏りがあった。

 窓際にも、棚の上にも、床にもいる。

 けれど、その多くはいつの間にか智世の近くへ寄っていた。

 肩の近くを飛ぶもの。

 足元に座り込むもの。

 少し離れた場所から、じっと智世を見つめているもの。

「……智世さんの周りに、特に多いですね」

 グレイが呟く。

「懐かれているのですか?」

「懐かれるというより……」

 一匹の小さな妖精が肩へと近づいてくる。

 智世は慣れた様子で、それを避けることもしなかった。

「智世の体質に関係しているんだ」

 エリアスが言った。

「体質?」

 Ⅱ世が聞き返す。

 エリアスは智世へ目を向け、それから一行を見る。

夜の愛し仔(スレイ・ベガ)――って言葉を聞いたことがあるかい?」

「……」

 誰も答えなかった。

 Ⅱ世は記憶を探るように眉を寄せる。

 ライネスも知らないらしく、僅かに首を傾げた。

 グレイは静かに智世を見る。

 フラットでさえ、今度ばかりは妖精から視線を外していた。

「知らないな」

 Ⅱ世が答える。

「やっぱり」

 エリアスは納得したように頷いた。

 その言葉に、Ⅱ世は僅かに眉を動かした。

 聞きたいことはいくつも浮かんだ。

 だが、エリアスは話を変える様に窓の外へ目を向ける。

「まだ学院へ行くには少し早いね」

 そして、何事もなかったかのように続けた。

「先に食事を済ませてしまおうか、せっかく来てくれたんだからね」

 エリアスは部屋を見回した。

「ここだと少し手狭だし、庭に出よう」

 そう言って、エリアスが先に歩き出した。

 一行もそれに続く。

 庭へ出ると、室内とは違う空気が流れていた。

 柔らかな風が木々の間を抜け、葉が静かに揺れている。

 草花の間には、先ほどの妖精たちの姿も見えた。

 誰かに命じられたわけでもないのだろう。

 庭の中央には、木製のテーブルと椅子がすでに用意されていた。

「用意してくれたんですね」

 智世が言う。

 その言葉に応えるように、シルキーが静かに姿を現した。

 白銀の髪を揺らしながら、何も言わずに食器を並べていく。

 紅茶が注がれ、パンや料理が置かれていく。

 最後まで余計な音を立てることなく、シルキーは手際よく準備を終えた。

「ありがとう、シルキー」

 智世が笑いかける。

 シルキーは答えない。

 ただ、僅かに頭を動かすと、そのまま庭の片隅へ戻っていった。

 席についた後も、フラットは落ち着かなかった。

 すぐ近くを飛んでいる妖精を目で追い、

 その動きが止まるたびに、今度は別の存在へ視線を向けている。

 一方のⅡ世も、食事を前にしながら、時折庭へ目を向けていた。

 先ほど見た精霊の姿を頭の中で整理しているのだろう。

 どのような存在なのか。

 どういう法則で姿を見せるのか。

 そして、なぜこれほどの存在が一ヶ所に集まっているのか。

 考え始めればきりがない。

「兄上」

 ライネスが紅茶を口に運びながら声を掛けた。

「何だ」

「食事の時くらいは、少し休んだらどうだい?」

「……」

 Ⅱ世は一瞬黙った。

 視線が庭へ向いていたことには気づいていたらしい。

「フラットもだよ」

「はい」

 返事だけはいい。

 その直後には、また妖精へ視線を向けている。

「まったく」

 ライネスは呆れたように笑った。

 智世もその様子を見て、困ったように笑う。

「気になるのは分かりますけど……」

「分かっているなら、君からも言ってくれ」

 Ⅱ世が言う。

「…拙も少し気になります」

「……」

 Ⅱ世は何も言えなくなった。

 結局、食事の間も完全に気を抜くことはできなかった。

 それでも穏やかな時間は過ぎていく。

 妖精たちの気配が周囲にあり、時折、木々の間から小さな姿が覗く。

 グレイの膝に乗っていた精霊も、いつの間にか庭までついてきていた。

 食事が終わる頃には、その存在もすっかり馴染んでいる。

「そろそろ行こうか」

 エリアスが立ち上がった。

「学院へ?」

 ライネスが尋ねる。

「うん」

 フラットが名残惜しそうに庭を見回した。

「もう行くんですか?」

「また来ればいいよ」

 エリアスが言う。

「今度、遊びにくればいい」

「本当ですか?」

「うん」

 フラットの顔が一気に明るくなる。

「じゃあ、また来ます!」

「……お前は」

 Ⅱ世が呆れたように息を吐く。

 しかし、それ以上は何も言わなかった。

 エリアスはそんな二人を見て、少しだけ笑う。

「それじゃあ、行こうか」

 庭を離れる前に、エリアスが振り返った。

「裏道を使ってもいいんだけど、歩くのは少し面倒だからね」

 その言葉と共に、エリアスの周囲に僅かな気配が集まり始める。

「魔法で移動しよう」

 Ⅱ世の表情が変わった。

 フラットもすぐにエリアスへ意識を向ける。

 何をするのか。

 どのような術式なのか。

 その興味は、先ほどまでの妖精たちへのものとはまた違っていた。

 エリアスは智世を見る。

「チセ」

「はい?」

「だいぶ溜まってるみたいだから、使うよ」

 智世は僅かに目を伏せた。

 自分の中にあるものを確かめるようにしてから、静かに頷く。

「お願いします」

「うん」

 エリアスは一行を見渡した。

「みんな、ボクの近くに来て」

 言われるまま、Ⅱ世たちはエリアスを中心に集まった。

 グレイが距離を詰め、ライネスもその隣へ移動する。

 フラットは期待に満ちた顔でエリアスを見ていた。

 Ⅱ世は周囲を注意深く見回す。

 何らかの術式が組まれている。

 だが、その構造が明確に見えているわけではない。

 エリアスが静かに言葉を紡ぐ。

「【影にイラクサ ヒイラギの輪 十重に二十重に 蜘蛛の巣糸を かの枝へ紡げ】」

 詠唱が終わる。

 その瞬間、空気が変わった。

「――」

 Ⅱ世は反射的に術式を読み取ろうとした。

 フラットも同じだった。

 だが。

 一瞬だった。

 庭の景色が、音もなく崩れる。

 木々が消えた。

 空が消えた。

 足元の感触さえ変わったように感じる。

 そして――。

「……え?」

 フラットの声が漏れた。

 目の前に広がっていたのは、先ほどまでの庭ではない。

 Ⅱ世は周囲を見回した。

 濃密な魔力の気配。

 見覚えのない建物。

 そして、魔術師たちが行き交う場所。

「……学院か」

 エリアスが振り返る。

「うん」

 その言葉を聞いた瞬間、Ⅱ世は改めて周囲を見渡した。

 ほんの一瞬前まで、彼らは智世の暮らす家の庭にいた。

 それが今は――。

 智世の通う学院、その内側に立っていた。

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