『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』   作:丹波りん

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第27話 知らない世界

 来客室へ案内されたⅡ世とライネスは、ライザに勧められた椅子へ腰を下ろした。

 室内は静かだった。木製の家具と本棚が置かれ、壁には古い絵や資料が飾られている。

 建物そのものと同じく、長い年月を経てきたことが感じられる造りだったが、

 決して使われていない場所という印象はない。

 棚に並ぶ本には何度も手に取られた跡があり、

 机の上には最近使われたらしい筆記具も置かれている。

 学院で学ぶ者たちが日々ここを使い、長い時間をかけてこの場所を維持してきたのだろう。

 ライザは二人の向かいへ腰を下ろした。

「さて。先ほどは学院の中を簡単にご案内しただけでしたから、

 改めて学院についてお話ししましょうか」

「お願いします」

 Ⅱ世は頷いた。

 ここへ来るまでにも、学院についていくつもの疑問が生まれていた。

 中庭を囲む古い建物。

 その中を行き交う学生たち。

 人間とは異なる姿をした者たち。

 そして、自分たちが普段知る魔術師の社会とはどこか違う空気。

 学院という名前から想像していたものより、はるかに複雑な場所らしい。

「学院については、まだ分からないことばかりだからね」

 ライネスも興味深そうにライザを見る。

「そうでしょうね」

 ライザは穏やかに微笑んだ。

「この学院は、魔術師たちが互いに助け合うための場所として作られました」

 Ⅱ世は黙って耳を傾けた。

 魔術師が集まる場所という意味では、時計塔も同じだ。

 しかし、ライザの口から語られる学院の在り方は、それとは少し違っていた。

 魔術師といっても、研究する分野も、得意とする術式も、生まれ育った環境も異なる。

 一人では得られない知識を持つ者がいれば、それを必要とする者がいる。

 研究のために協力することもあれば、魔術とは関係のない事情で助けを必要とすることもある。

 学院では、そうした者たちが互いに手を貸すことを基本としているらしい。

「知識を共有し、技術を教え合い、必要であれば生活の面でも支え合う。

 それが、この学院の基本的な考え方です」

 その言葉を聞き、Ⅱ世は先ほど歩いてきた廊下を思い返した。

 そこには、実に様々な者がいた。

 学生たちはそれぞれに本を抱え、教師らしき者と話しながら歩いていた。

 人間とは異なる姿をした者もいたが、誰もそれを特別なものとして扱ってはいなかった。

「教育機関というより、共同体に近いのですね」

「その両方でしょうね」

 ライザは答えた。

「学ぶ場所であり、研究する場所であり、同時にここで生きる者たちの居場所でもあります」

 Ⅱ世は小さく頷いた。

 時計塔とは、やはり違う。

 もちろん時計塔にも、魔術師同士の協力はある。

 だが、あちらでは基本的に、それぞれが自分の研究と目的を持っている。

 学派や家系、研究室、派閥といったものが複雑に絡み合い、

 その中で魔術師たちは自らの立場を築いていく。

 学院は、それよりもずっと生活に近い。

 魔術師が魔術を研究するためだけではなく、魔術師そのものが生きていくために存在している。

「先ほど、廊下で様々な姿の方を見かけました」

 Ⅱ世が口を開く。

「シメオン先生のような方もいました。

 学院では、ああした方々も普通に学び、教えているのですか?」

「ええ」

 ライザは頷いた。

「もちろん、それぞれに事情はあります。

 身体が変わった者もいれば、生まれつき人とは異なる者もいます」

 ライザは、わずかに窓の方へ視線を向けた。

「ですが、その違いだけで、ここにいる資格を決める必要はないでしょう」

 その言葉を聞きながら、Ⅱ世は先ほどの廊下を思い出していた。

 シメオンの姿を見ても、学生たちは特別な反応をしていなかった。

 それは、学院では珍しいことではないのだろう。

 時計塔にも、人間離れした者がいないわけではない。

 しかし、ここではその在り方そのものが違っているように思えた。

「時計塔とは、随分と考え方が違いますね」

「時計塔では、そうではないのですか?」

「いえ。もちろん、時計塔にも助け合いはあります。ただ……」

 Ⅱ世は少し考えてから言葉を選んだ。

「基本的には、魔術を研究するための機関です。

 より優れた術式を求め、根源へ至るために研究を続ける。

 そのために、それぞれの学派や家系が存在する」

 ライザは静かに聞いていた。

「それでは、学院とは目的が少し違うのですね」

「ええ」

 Ⅱ世は頷いた。

「学院は、魔術師そのものを支えることを重視しているように見えます」

「面白いね」

 ライネスが口を挟んだ。

「つまり兄上の言う時計塔は、魔術を中心に魔術師が集まっている。

 一方で、こちらは魔術師が生きていくために魔術師同士が集まっている、

 と考えればいいのかな?」

「大まかには、そういう違いになるでしょう」

 ライザは答えた。

 ただし、それだけで学院の全てが説明できるわけではないらしい。

 学院にも研究施設があり、講義を行う教室があり、資料を集めた図書館がある。

 学ぶことと研究することは、ここでも重要なのだ。

「図書館もありましたね」

 ライネスが思い出したように言った。

「ええ。資料もかなりあります」

「研究施設も?」

「あります。講義を行う場所だけでなく、研究や実験に使う施設も用意されています」

 ライネスの表情が少し明るくなる。

「思っていたより、ずっとしっかりした機関なんだね」

「失礼ながら、私も同じ印象です」

 Ⅱ世は苦笑した。

「ここへ来る前は、もっと小規模な集まりを想像していました」

「それはよく言われます」

 ライザは楽しそうに笑った。

「外から見れば、学院はただの古い建物の集まりに見えるかもしれませんから」

 Ⅱ世は室内を見渡した。

 古い。

 確かに古い。

 だが、その古さは衰えを意味してはいない。

 長い時間をかけて使われ、手を入れられ、次の世代へ渡されてきた古さだった。

「しかし、実際には長い歴史がある」

「はい」

 ライザは頷いた。

「この学院の礎が築かれたのは、戦争の後のことです」

 戦争。

 その言葉に、Ⅱ世はわずかに表情を改めた。

「その頃には、多くの魔術師が失われていました。

 そして、このままでは魔術そのものが途絶えてしまうのではないかと危惧されたのです」

「魔術の存続そのものが、問題になったわけですね」

「はい」

 ライザは静かに頷いた。

「そこで、七つの魔術の大家が手を取り合いました」

「七つの……?」

 ライネスが聞き返す。

「『七つの盾』と呼ばれる家々です」

 その名前を聞いた瞬間、Ⅱ世はわずかに目を細めた。

 七つの魔術の大家。

 それほどの家々が、学院という一つの場所の礎を築いたという。

 それぞれ異なる立場や考えを持ち、中には以前から対立していた者たちもいたらしい。

 それでも、魔術を残すために手を組んだ。

「争いを続ければ、魔術師そのものが減り、受け継ぐ者もいなくなる。

 それでは、これまで積み重ねてきたものまで失われてしまいます」

 ライザの声は静かだった。

「だからこそ、学院を」

「はい」

 ライザは微笑んだ。

「知識を分け合い、学ぶ者を支え、次の世代へ魔術を残していく。

 そのための場所として、この学院は形作られていきました」

 Ⅱ世は黙って考えた。

 長い歴史を持つこと。

 積み重ねられた知識を次の世代へ渡すこと。

 それ自体は、時計塔にも通じる。

 しかし、その出発点は大きく違っていた。

 時計塔は、長い年月の中で様々な学派や家系がそれぞれの研究を積み重ねてきた場所だ。

 一方で学院は、魔術そのものが失われることを恐れた魔術師たちが、

 その存続のために手を取り合ったところから始まっている。

 目的が違えば、同じ魔術師の集まりでも、これほど形が変わるものなのか。

「魔術師同士が助け合うための組織という現在の在り方も、その時から続いているわけですか」

「ええ。もちろん、時代とともに形は変わってきました。

 それでも、根にあるものは変わっていません」

 ライザは部屋の壁に掛けられた古い絵へ目を向けた。

「ここで学んだ者が次の者へ知識を渡す。その者がまた別の誰かへ伝える。

 そうやって積み重なったものが、今の学院です」

「……なるほど」

 Ⅱ世は静かに頷いた。

 そこまで聞けば、この学院が小さな集まりではないことは十分に分かる。

 七つの大家が礎を築き、長い年月をかけて知識を蓄え、多くの魔術師を受け入れてきた。

 ならば――。

 Ⅱ世の中に、一つの疑問が浮かんだ。

 これほどの歴史と規模を持つ魔術師の組織が、本当に時計塔の記録に存在しないのだろうか。

「時計塔にも、長い歴史があります」

 Ⅱ世は言った。

「ただ、あちらはもっと細かく分かれています。

 学部や学科、研究室、そしてそれぞれの家系や派閥。

 学院のように一つの共同体としてまとまっているわけではありません」

「では、時計塔では魔術師同士が常に同じ方向を向いているわけではないのですね」

「むしろ逆です」

 Ⅱ世は苦笑した。

「それぞれが自分の研究や目的を持っていますから」

 ライザは少し考えるように二人を見た。

「それでも、時計塔という一つの組織ではある」

「ええ」

「不思議ですね。同じ魔術師たちの集まりでも、随分と違う形になるものです」

「魔術師というものは、それぞれ自分の考えを持っていますからね」

 Ⅱ世は答えた。

「そこは学院も同じでしょう」

「ええ。もちろんです」

 ライザは微笑んだ。

「だからこそ、学院という場所が必要なのです」

 Ⅱ世はその言葉を聞き、少しだけ目を細めた。

 時計塔とは違う。

 だが、完全に別物というわけでもない。

 魔術師が集まり、知識を蓄え、次の世代へ渡していく。

 その根本には、確かに共通するものがある。

 だからこそ、なおさら気になった。

 これほどの学院が、時計塔に知られていないということが。

「そう考えると、時計塔との交流という話も理解できます」

 Ⅱ世が言う。

「互いに持っていないものを知ることができる」

「はい」

 ライザは頷いた。

「私も、ぜひ時計塔とは交流を持ちたいと思っています」

「それは、学院としての正式な希望ですか?」

「そう考えていただいて構いません」

 ライザは穏やかに答えた。

「学院にも、外の魔術師たちと交流したい者はいます。

 こちらにはこちらの知識がありますし、時計塔にも私たちの知らない知識があるのでしょう」

 Ⅱ世は頷いた。

「確かに、それなら有意義でしょう」

「私から見ても、学院には興味深いものが多い。

 時計塔の側から見ても、同じように感じる者はいると思います」

「それなら、話は早いですね」

 ライザが微笑む。

「ただ――」

 その一言で、室内の空気がわずかに変わった。

「私は、時計塔という機関を存じません」

「……」

 Ⅱ世の表情が止まった。

「……ご存じない?」

「はい」

 ライザは穏やかに答えた。

「先ほどからお話を伺っていますが、私はそのような機関があることを知りませんでした」

 Ⅱ世は何も言わなかった。

 学院が時計塔を知らない。

 その事実だけなら、まだ説明はできる。

 極端に秘匿された組織なのかもしれない。

 あるいは、学院が独自の魔術体系を持っているため、

 時計塔との交流そのものがなかった可能性もある。

 だが、七つの大家によって礎が築かれ、長い年月を経て現在の規模になった学院だ。

 これほどの組織が時計塔の存在を知らない。

 それは、やはり妙だった。

「学長」

 Ⅱ世は慎重に口を開いた。

「この学院は、どちらにあるのですか?」

「ロンドンです」

「ロンドン……」

「はい」

 ライザは頷いた。

「大英図書館の地下にあります」

 ――地下。

 その言葉が、Ⅱ世の中で引っ掛かった。

 だが、それ以上に問題なのは、その場所だった。

 ロンドン。

 大英図書館。

 自分たちの知るロンドンと、同じ名前だ。

「大英図書館の……地下?」

 ライネスも、今度ばかりは笑わなかった。

「ええ。学院は、そこにあります」

 Ⅱ世は黙った。

 頭の中で、これまで見てきたものが次々と繋がっていく。

 学院。

 人ならざる者たち。

 魔法。

 智世。

 エリアス。

 そして、ここへ来るために通った裏道。

 どれも一つ一つなら、未知の魔術や特殊な術式として考えることができる。

 だが、今はそこにもう一つの事実が加わった。

 同じロンドンにあるはずの学院が、時計塔を知らない。

 そして、時計塔も学院を知らない。

「……おかしい」

 Ⅱ世の口から、低い声が漏れた。

「兄上?」

 ライネスが顔を向ける。

「時計塔が、この学院を知らないはずがない」

 Ⅱ世はライザを見る。

「これほどの規模がある。長い歴史もある。

 研究施設も図書館もあり、多くの魔術師がここで学んでいる」

「ええ」

「しかも、その礎を築いたのは七つの魔術の大家だ。

 そんな組織が、時計塔の記録にも残っていないというのは――」

 そこまで言って、Ⅱ世は口を閉じた。

 言葉にしてしまえば、自分でも認めなければならなくなる。

 これまでとは違う何かを。

「兄上」

 ライネスの声が静かに響く。

「それだけじゃないよ」

 Ⅱ世はライネスを見る。

「こちらが学院を知らないだけなら、まだ分かる。だけど、向こうもこちらを知らない」

 ライネスはライザへ視線を向けた。

「しかも、ここはロンドンなんだろう?」

「はい」

 ライザが答える。

「大英図書館の地下です」

 ライネスはしばらく黙っていた。

 いつもの軽い笑みは、もう浮かんでいない。

「なら、兄上の知っているロンドンと、学長の知っているロンドンは……同じなのかな?」

「……」

 Ⅱ世は答えなかった。

 その疑問は、自分の中にもすでに生まれている。

 しかし、認めるにはまだ早い。

「大英図書館の地下ということは……」

 ライネスが呟く。

「時計塔と同じロンドンにあるということになるね」

「そうだ」

 Ⅱ世は短く答えた。

「だから、おかしい」

 Ⅱ世の思考が急速に回り始める。

 学院が極端に秘匿されている。

 時計塔が意図的に情報を遮断している。

 両者の活動範囲が完全に分かれている。

 いくつもの可能性が浮かんでは消えていく。

 だが、どれも決定的な説明にはならない。

 それでも、Ⅱ世は一つの考えを意識的に遠ざけていた。

 世界そのものが違う。

 そんなものは、あまりにも荒唐無稽だった。

 魔術師として未知を疑うことはある。

 自分の知らない術式も、知らない組織も、知らない文化も存在するだろう。

 だが、それと世界そのものが違うという話は別だ。

 簡単に認められるものではない。

「兄上」

「分かっている」

 ライネスの声に、Ⅱ世は答えた。

「時計塔は、この街に長く存在している。魔術師たちが活動している場所も把握している。

 少なくとも、これほどの規模の組織を知らないなんてことは――」

 そこで、Ⅱ世は再び言葉を止めた。

 ライザは何も言わない。

 ただ穏やかな表情で二人を見ている。

 その沈黙が、かえってⅡ世の思考を促した。

 ここへ来るまでにも、不可解なことはいくつもあった。

 妖精。

 精霊。

 魔法。

 人ならざる者たち。

 そして、学院へ続いていた裏道。

 これまでなら、それらを一つずつ未知のものとして処理することもできた。

 だが、今は違う。

 それら全てが、この学院という場所に繋がっている。

「……学長」

 Ⅱ世が慎重に口を開いた。

「一つ、確認してもよろしいでしょうか」

「もちろんです」

「学院は、どれくらい前からここに?」

「私が知る限りでも、長い年月になります」

「それほどの期間、時計塔と接触したことは?」

「ありません」

「時計塔から学院へ来た者も?」

「聞いたことはありません」

 短い答えが返ってくるたびに、逃げ道が一つずつ消えていく。

 ライネスも、それを感じているのだろう。

「……そうか」

 小さく息を吐いた。

「兄上」

「何だ?」

「私は、さっきまで単に知らない場所へ来たのだと思っていたよ」

 ライネスは静かに言った。

「でも、今の話を聞くと……それだけでは済まない気がする」

「……ああ」

 Ⅱ世も否定しなかった。

 それでも、まだ結論には届かない。

 いや、届いているのかもしれない。

 ただ、認めることができないだけなのだ。

「こちらから見ても、時計塔というものは知られていません」

 ライザが静かに言った。

「そして、あなた方から見ても、学院は知られていない」

 Ⅱ世はライザを見る。

「同じロンドンにあるというのに」

 その言葉が、決定的だった。

 同じロンドン。

 同じ大英図書館。

 それなのに、互いの存在を知らない。

 長い歴史を持つ二つの魔術師の組織が、

 まるで最初から交わることなどなかったかのように、それぞれの世界に存在している。

「……」

 Ⅱ世は目を閉じた。

 可能性としてなら、考えたことはあった。

 智世やエリアスの話を聞いた時も、何度か頭をよぎった。

 自分たちの知らない魔術体系なのではないか。

 時計塔とは異なる文化圏なのではないか。

 あるいは、もっと単純に、自分が知らないだけなのではないか。

 これまでなら、それで十分だった。

 しかし今は、そのどれもが決定的な説明にはならない。

 学院そのものが時計塔を知らない。

 しかも、同じロンドンにあるという。

 それでも、世界そのものが違うという結論には、すぐには辿り着けなかった。

 そんなものは、あまりにも荒唐無稽だった。

「兄上」

 ライネスの声が聞こえる。

「……ああ」

 Ⅱ世は目を開けた。

 ライネスもまた、同じことを考えているのだろう。

 だが、まだ口には出さない。

「どうかしましたか?」

 ライザが尋ねる。

「いえ……」

 ライネスが答えようとした。

 だが、その前にライザが静かに続けた。

「これまでのお話を聞いて、ようやく分かりました」

「……何がですか?」

 ライネスが尋ねる。

「あなた方が、なぜ学院についてこれほど驚かれているのか」

 ライザは二人を見つめた。

「そして、なぜ私たちも時計塔というものを知らないのか」

 Ⅱ世は何も言わなかった。

 ライザの表情は変わらない。

 穏やかなままだった。

 そして――。

「やはり――」

 一拍の間。

「あなた方は、【異なる世界の魔術師】なのですね」

「――――」

 Ⅱ世は絶句した。

 ライネスも、言葉を失う。

 その言葉だけが、静かな来客室に残った。

 自分たちが口にすることを避けていた可能性を、

 ライザはあまりにも簡単に言葉にしてしまった。

「……学長」

 ようやくライネスが口を開いた。

「それは……」

 笑おうとした。

 冗談なのだろう。

 そう考えればいい。

 そうでなければ、今までの話をどう受け止めればいいのか分からない。

「まさか、冗談を言っているわけではないよね?」

「いいえ」

 ライザは微笑んだまま答えた。

「冗談ではありませんよ」

 ライネスの笑みが消えた。

 隣を見る。

 Ⅱ世の顔から、徐々に血の気が引いていく。

「兄上……」

「……馬鹿な」

 Ⅱ世が呟いた。

「そんなことが……」

 言葉が続かない。

 自分でも分かっていた。

 考えたことはあった。

 だが、あまりにも荒唐無稽だからこそ、思考の外へ追いやっていた。

 それが今、目の前にある。

 ライザはそんなⅡ世を責めることも、急かすこともしなかった。

「信じられないのも無理はありません」

 静かな声だった。

「私も、逆の立場でしたら同じでしょう」

 Ⅱ世は何も答えられなかった。

 まだ、頭の中では否定するための理由を探している。

 だが、先ほどから積み重なった事実は、それを一つずつ崩していた。

「ですから」

 ライザは続ける。

「一度、地上へ出てみてはいかがですか?」

「地上へ?」

「はい」

 ライザは頷いた。

「ご自分たちの目で確かめてみるのが、一番でしょう」

 Ⅱ世は黙ったままライザを見る。

「ここが本当に大英図書館の地下なのか。外へ出れば、すぐに分かります」

 その言葉は単純だった。

 だからこそ、Ⅱ世にも理解できた。

 自分の目で確かめればいい。

 魔術師としていくら考えても答えが出ないのなら、現実を見ればいい。

「信じられないのなら、確かめればいいのです」

 ライザの声は、最後まで穏やかだった。

「それで納得がいきましたら――」

 ライザは微笑む。

「時計塔へ、学院から交流をお願いしていることをお伝えいただけませんか?」

「……交流を」

 Ⅱ世はようやく口を開いた。

「しかし、それは私の一存で決められることではありません」

「ええ。承知しています」

 ライザは頷いた。

「決定をお願いしているわけではありません。

 ただ、学院が時計塔との交流を望んでいる。そのことを伝えていただければ十分です」

 Ⅱ世はしばらく黙っていた。

 ここへ来る前は、魔法について調べる程度のつもりだった。

 智世が何を学んでいるのか。

 エリアスが使う力が何なのか。

 学院がどのような場所なのか。

 それを知るだけのはずだった。

 それが、いつの間にか、自分の知る世界そのものを揺るがす話になっている。

「……あまりにも、大きな話になってしまったな」

 Ⅱ世が小さく呟く。

「兄上」

 ライネスも珍しく真剣な表情をしていた。

「私も、そう思うよ」

 だが、ライザの態度には焦りがない。

「まずは確かめてください」

 そう言って、ライザはゆっくりと立ち上がった。

「それから、考えればよいのです」

 Ⅱ世とライネスも席を立つ。

「出口へご案内します」

「お願いします」

 Ⅱ世はそう答えた。

 その声には、まだ戸惑いが残っていた。

「では、こちらへ」

 ライザが扉を開く。

 三人は来客室を出た。

 先ほど歩いてきた廊下を、今度は逆へ進んでいく。

 学生たちが行き交う。

 誰かが友人と話し、別の場所では教師らしき人物が生徒に声をかけている。

 先ほどまでと何も変わらない学院の日常だった。

 だが、Ⅱ世にはもう、その光景がまったく違って見えていた。

 この場所が自分の知る世界に存在するのか。

 それとも――。

 廊下の先に見える出口へ目を向ける。

 外へ出れば、その答えが分かる。

 それだけが、今のⅡ世にとって確かなことだった。

 頭の中にあるのは、ただ一つ。

 ――異なる世界。

 それが、本当に存在するのか。

 その答えを確かめるために、二人はライザの後を追って歩いていった。

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