『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』 作:丹波りん
学院の廊下を、一人の少女が苛立った様子で歩いていた。
ルーシー・ウェブスター。
智世のルームメイトであり、学院で親しくしている友人の一人である。
その足取りは普段よりも明らかに速い。向かう先は救護室。
そこには、つい先ほど学院へ帰ってきたばかりの智世がいる。
「帰ってきたっていうのに、顔すら見せないなんて……」
その声音には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。
行方不明になっていた友人が、突然帰ってきた。
それだけでも驚くべきことだというのに、
聞けば別世界の魔術師まで連れて帰ってきたという。
ならば、まず本人の顔を見て、何があったのか問い詰めたい。
そう思うのも無理はなかった。
そんなルーシーの後ろから、苦笑を浮かべた少年が声をかける。
「定期健診なんだから、仕方ないと思うよ。そんなに怒らなくても……」
ゾーイ・アイビーだった。
彼もまた智世の友人である。怒っているルーシーを何とか宥めようと言葉をかけるも、
「うるさい! 怒ってなんかいない!」
即座に返ってきた言葉に、ゾーイは思わず苦笑を深める。
どう見ても怒っている。
だが、これ以上何かを言えば余計に機嫌を損ねそうだった。
「まあ……うん。そういうことにしておくよ」
「何よ、その言い方」
「ほら、また怒ってる」
「だから怒ってないって言ってるでしょ!」
廊下に響く声に、ゾーイは肩をすくめた。
けれど、ルーシーが苛立っている理由は理解している。
そして、その二人の後ろを歩く人物が、別世界の魔術師について思案を巡らせていた。
「異界の魔術師か……」
リアン・スクリムジョー。
七つの魔術の大家であるスクリム=ジョー家、その跡取りである。
彼は歩みを進めながら、以前に学長から受けた報告を思い返していた。
初めて話を聞いた時には、にわかには信じ難い話だと思った。
だが、学院が正式に招き、客人として迎え入れている。
こうして実際に学院へ来ている以上、疑い続けるわけにもいかなかった。
「学長が招いた人物であり、こうして客人として学院に来ているのならば
……信じざるを得ない、か」
リアンはそう呟き、思案するように目を細める。
異界の魔術師が、いったいどのような魔術を使うのか。
そして、その魔術はこの世界の魔術と、どのように異なるのか。
考えるほどに興味は尽きなかった。
「僕としても、興味深いね」
その隣から声が上がる。
アイザック・ファウラーだった。
「智世が世話になったとも言うしね。向こうの世界の魔術についても聞いてみたいな」
未知の魔術。
そして、未知の世界。
魔術師である彼にとって、それは好奇心を刺激するには十分すぎるものだった。
四人が救護室へ向かう理由は、それぞれに違っている。
ルーシーは智世を心配し、ゾーイはそんな彼女を宥めながら同行する。
リアンは異界の魔術師と、その魔術について思考を巡らせ、アイザックは純粋な興味を抱いている。
それでも、四人に共通していることが一つだけあった。
智世が帰ってきた。
ならば、直接その顔を見たい。
「ほら、急ぐわよ」
ルーシーが先を急ぐ。
「そんなに急がなくても、智世は逃げないと思うけど……」
ゾーイが追いかける。
「どのような人物なのか、実際に会って確かめる必要はあるな」
リアンも歩みを速めた。
「うん。話を聞くのが楽しみだ」
アイザックも続く。
こうして四人の学友は、普段よりも少しだけ速い足取りで、救護室へと向かっていった。
***
「問題なさそうね。何処か違和感はあるかしら?」
「はい。大丈夫そうです」
寝台から体を起こした智世は、左腕をゆっくりと回して具合を確かめる。
「それならよかったわ。無事に帰って来てくれて」
アレクサンドラは安堵したように息を吐き、それから智世の左腕へ目を向けた。
「隠蔽の術も、ちゃんと機能しているみたいね」
「はい」
智世の身体には、Ⅱ世たちにはまだ伝えていない秘密がある。
【夜の愛し仔】と呼ばれる自身の体質。
そして、竜の呪いによって変化した左腕と、
カルタフィルスとの交換によって得ることになった呪われた左目。
二つの異なる呪いは智世の中で干渉し合いながら、皮肉にもその命を繋ぎ止めている。
いつかは、これらのことも伝える時が来るのだろうか。
智世がそんなことを考えていた、その時だった。
廊下から、何やら騒がしい音が聞こえてくる。
次の瞬間、救護室の扉が勢いよく開け放たれた。
「智世!」
ずかずかとこちらへ歩み寄ってくる少女。
久しぶりに顔を見る友人の姿に、智世は思わず嬉しくなる。
しかし、その勢いに押されて、ほんの少しだけ後ずさった。
「帰って来たというのに、報告すらしないなんて、どういうつもり⁉
私がどれだけ心配……別に心配なんてしてないんだけど、
連絡もろくに寄こさないわ、別の世界から魔術師を連れ帰ってくるわ、
全部説明しなさいよね‼」
一気に捲し立てられ、両肩を掴まれて体を揺さぶられる。
頭がぐらぐらする。
「ルーシー、ルーシー、智世が死んじゃうから、そのくらいで!」
慌てて止めに入るゾーイ。
その後ろでは、リアンとアイザックが呆れたような表情を浮かべている。
そこにいたのは、間違いなくいつもの友人たちだった。
「心配かけてごめんなさい。ちゃんと話すから」
再会できた喜びに、智世の目には少しだけ涙が滲んでいた。
それを見たルーシーも、ようやく怒りを収める。
「まったく……」
「病室なんだから、騒ぐなら外でやりなさい」
アレクサンドラが静かに注意すると、五人は救護室を後にした。
***
学院の中庭。
ベンチに腰掛けた五人を前に、智世はこれまでの出来事を説明していた。
行方不明になっていた間のこと。
そして、別世界で出会った人々や、こちらへ戻ってくるまでの経緯。
一通り話し終えると、ルーシーは疑うような目を向けた。
「どうせ何時もみたいに、勝手に厄介事に突っ込んだに違いないわ」
「今回は違うって説明したのに……」
「どうだか」
どうにも信用されていないらしい。
智世は困ったように苦笑する。
「でも、無事に戻ってくれてよかったよ」
ゾーイが穏やかな笑みを浮かべる。
その言葉に、智世も小さく笑った。
「君が世話になったという魔術師たちのことを聞かせてくれないか?」
リアンが興味深そうに尋ねる。
「リアン……少しは空気を読もうよ」
アイザックが呆れたように言う。
しかし、智世は苦笑しながらも、リアンの問いに答えることにした。
世話になったⅡ世たちのこと。
そして、別世界に存在する魔術師たちの学府――時計塔について。
智世の話を聞きながら、四人はそれぞれ興味深そうに耳を傾けていた。
***
「なるほどな。こちらではただの観光名所に過ぎない時計塔が、
そちらでは巨大な魔術師たちの学府なのか」
リアンが感心したように呟く。
「派閥や、組織はこちらでもあるけど、向こうの方がギスギスしてそうね」
ルーシーの言葉に、智世は何とも言えない表情を浮かべる。
「興味深いね。これから交流するって話もあるし、今から楽しみだよ」
アイザックも楽しそうに話す。
そんな一同の会話を聞いていたゾーイが、ふと口を開いた。
「……ねぇ、一つ確認したいんだけど、いいかな?」
「どうしたの、ゾーイ?」
「その人たちは、ここが別の世界だって、知っているの?
智世、ちゃんと説明したのかい?」
その言葉に、智世の動きが止まった。
しばしの沈黙。
「あ」
智世の顔から、すっと血の気が引いていく。
「……あんた、まさか」
ルーシーが何かを察したように目を細める。
「……伝えるの、忘れてた」
一同が呆れた。
「ち、違うんだよ。向こうで話しても信じてくれるか分からないし、
こっちに来てからもバタバタしてて、説明する暇が……」
智世は慌てて言い訳を並べる。
しかし、ルーシーはため息をつくと、きっぱりと言い切った。
「ちゃんと反省して、説明してきなさい」
「……はい」
智世はしょんぼりと頷いた。
こうして、別世界の魔術師たちとの交流を始める前に、
まず説明しなければならないことが一つ増えたのだった。