『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』 作:丹波りん
歓迎会が終わり、周囲では少しずつ解散の空気が漂い始めていた。
そんな中、智世の目の前には、仁王立ちしたⅡ世の姿があった。
腕を組み、こちらを見下ろすその表情には、明らかな怒気が滲んでいる。
その剣幕を前に、友人たちはそそくさと退散を決め込んでいた。
「それじゃあ、また明日ね」
「う、うん……」
ルーシーたちは智世に声を掛けると、足早にその場を離れていく。
フラットとグレイも、その様子を見ながら苦笑していたが、
さすがに口を挟むつもりはないらしい。
やがて、その場に残ったのは智世とⅡ世、それにライネスたちだけになった。
Ⅱ世が、静かに口を開く。
「……智世、君には私に、何か言う事があるはずだ」
「……はい」
智世は小さく頷いた。
その横では、ライネスが深々と息を吐いていた。
さすがに今日一日で疲れ果てたのか、その表情にはいつもの余裕が薄れている。
「いやはや時計塔の派閥争いなぞ、まるで些事であると言わんばかりの事を、
今日一日で思い知らされるとは……」
皮肉たっぷりの声音とともに、ライネスが智世をねめつけるような視線を向ける。
「兄上をここまで消耗させるとは、なかなか大したものだよ、智世」
「……すみません」
智世はさらに身を縮めた。
「流石にここでは場所が悪い、用意された客室に向かうとしようじゃないか」
そう言うと、ライネスは踵を返した。
智世はそのままⅡ世とライネスに挟まれる形になり、まるで連行されるように客室へ向かう。
しかし、その途中だった。
「チセ?」
聞き慣れた声が響き、智世は顔を上げた。
「エリアス!」
思わず声を上げる。
だが、Ⅱ世がすぐさま牽制するようにエリアスへ視線を向けた。
「エインズワース氏、申し訳ないが、私は智世に非常に伺いたいことがあるので、
今しばらく奥方をお貸しいただけないだろうか?」
エリアスは困惑したように智世を見る。
「……チセ、何か怒られるようなことしたの?」
「……うん」
智世が小さく答える。
エリアスは困ったように考え込んだ。
「せっかくチセが戻ったんだ。今夜は夫婦水入らずで過ごしたかったんだけど……」
「まことに申し訳ないが、こちらの意も汲んで欲しい。必ず今夜中にはお返しするので」
Ⅱ世が頭を下げる。
しばらく悩んでいたエリアスだったが、やがて頷いた。
「うん、わかったよ。……ちゃんと謝らないとダメだよ」
「……うん」
智世が答える。
その隣では、ルツも智世へ声を掛けた。
「じゃあオレも先に戻ってるぞ」
「うん」
エリアスとルツはそのまま二人でその場を離れていく。
智世は泣きそうな目でその背中を見つめていた。
それでも、Ⅱ世とライネスに促されるまま、客室へと足を運ぶのだった。
――――――――――
Ⅱ世は額にグレイが用意した濡れタオルを当てながら、深いため息を吐いた。
「……今日、私が受けた衝撃が、君にはわかるか」
最早怒りよりも疲労が勝っているのか、その言葉にはほとんど力がない。
「ごめんなさい! 伝えようとは思っていたんです!」
智世はすぐさま頭を下げる。
しかし、Ⅱ世はそれを責めるようなことはしなかった。
「……いや、よく考えてもみれば、伝えられたところで、私が信じていた保証はない」
実際、信じたかと問われれば、自分は信じなかっただろう。
智世が初めて時計塔に現れた時に聞かされたとしても、
何かしらの記憶の混乱や、魔術による錯乱を疑ったに違いない。
それどころか、余計に事態を混乱させるだけだったことは容易に想像できる。
では、仮に信じたとしても、その時点で何ができただろうか。
自分自身でさえ、思考の隅へと追いやっていた可能性だったのだ。
智世だけを責めるのも違うだろう。
「……だからと言って」
Ⅱ世はそこで言葉を切った。
そう、だからと言って、何も伝えてくれなかったことに納得できるわけでもない。
それだけのことなのだ。
「まぁ、言われたところでもね」
ライネスも苦笑しながら、複雑そうに肩を竦める。
「……本当にすみません」
智世はすっかり縮こまっている。
Ⅱ世はそんな智世を見て、もう一度ため息を吐いた。
「……それよりも、今後のことだ」
既に【道】は繋がり、学院側もそれを把握している。
我々が報告しなかったとしても、それが明るみに出るのは時間の問題だ。
だからこそ、使者となることを受け入れた以上、
伝えるタイミングだけはこちらで調整しなければならない。
だが、その判断が遅れれば、向こうから使者が来る。
そうなれば、時計塔は割れる。
交流をすべきか、そうでないか。
意見は必ず二つに分かれるだろう。
Ⅱ世は濡れタオルを額から外し、目を閉じた。
では、最初は誰に報告すればいい。
自分たちが勝手に判断していい問題ではない。
しかし、いきなり大勢へ知らせれば、それだけで騒ぎになる。
必要なのは、話を通すべき人物を選び、慎重に順序を決めることだった。