『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』 作:丹波りん
Ⅱ世は眉間を揉みながら、深いため息を吐いた。
時計塔への報告は、この学院のことを詳しく知ってからでなければ、判断しようがない。
幸いなことに、学院側の厚意で、明日は講義を見学できる手筈になっている。
それを見てからでも遅くはないだろう。
「智世、講義の見学の許可は下りているが、君が明日受ける授業の予定を教えて欲しい」
智世は少し考えるように、明日の予定を思い浮かべた。
「明日は、言語学でラテン語、一般科学、ルーン文字、
それからエリアスの初等部向けの魔法講義に助手として参加します。
その後は、調理、お昼休憩を挟んで、防衛術の訓練、数学、世界史と補習がある感じです」
並べられた科目を聞いて、ライネスは少し意外そうな顔をした。
「魔術以外の講義も多いね」
「はい。高等部や院生になると、科目の大半は魔術になりますが、
中等部までは一般教養が多いです」
学院では、年齢や学年に応じて魔術と一般教養の比重が変わる。
さらに智世は聴講生という立場のため、魔術の実習を免除されており、
その分、一般教養での成績が求められていた。
「初等部では魔術の講義は行わないのかい?」
「さわりくらいは教わるみたいですが、技術的にも精神的にもまだ幼いので」
「こちらでは家系の方針はあるだろうが、簡単な訓練や講義を受けるから、そこは違うな」
「そうなんですね」
ライネスは改めて明日の予定に目を向けた。
「ふむ。では気になるのは、ルーン文字の講習や魔法の講義、防衛術の訓練くらいか……」
そこまで聞いたところで、ふと別の科目に気づいたらしい。
「調理もするなんて家庭的ではないか」
「えっと、サバイバル技術も含める調理実習なので、
野草の種類や、調達方法、安全な調理の仕方なんかも教わります。
1年に数回は、自然の中で行うこともありますので」
「……随分と実践的なんだね」
ライネスが感心したように言う。
智世は苦笑しながら、以前の実習を思い出した。
「前回、ウェールズの森林で行った時には、海妖馬に襲われて大変でした……」
「生徒たちだけでは危険ではないでしょうか?」
グレイが困惑するのも無理はない。
学院の実習が想像以上に実践的なのは分かったが、
そこで海妖馬のような存在に襲われるとなれば話は別だった。
「普段の実習では、そんなことにはならないはずだったんだけど…
…私の体質が原因で引き寄せちゃったのかも」
その言葉を聞いて、フラットが何かを思い出したように顔を上げた。
「あっ……確か智世さんは【夜の愛し仔】なんでしたよね。シメオン教授から聞きました」
「そうだったね」
ライネスも思い出したらしい。
「学院に来る前に聞こうとしたが、皆、隣人に夢中だったからね」
呆れたような言葉に、Ⅱ世も思い当たる。
エリアスの本来の姿を目の当たりにし、エインズワース邸では妖精や精霊たちに目を奪われた。
その後、学院へ来てからも、シメオン教授との出会いやライザ学長との会談が続いている。
智世について聞くべきことは、いくつも後回しになっていた。
「それについて、私も聞かせて欲しい」
Ⅱ世の求めに応じ、フラットとグレイがシメオンから聞いた【夜の愛し仔】について説明した。
智世も、自分が妖精や精霊などの隣人たちを引き寄せやすく、
自然の中では普段より多くの存在に気づかれやすいことを補足した。
先ほどの海妖馬の件も、その体質が関係していた可能性があるという。
それ以上の詳しい話まで掘り下げることはなくとも、Ⅱ世にはおおよその事情が理解できた。
これまで目にしてきた、智世の周囲に集まる妖精や精霊たち。
その理由が、ようやく一つの形として繋がった。
「君のことを知られただけでも、時計塔なら封印指定にされるかもね」
ライネスが苦笑する。
智世は返事の代わりに、困ったような笑みを浮かべた。
その様子を見ていたグレイが、何かを尋ねようとして口を開く。
「あの、智世さん……」
しかし、その先を言いよどんだ。
何を聞きたいのか、智世には分かっていた。
「今は……問題なくもないけど、大丈夫だよ」
グレイは少しだけ心配そうな顔をしたものの、それ以上は尋ねなかった。
Ⅱ世もまた、智世の様子からそれ以上の追及を控える。
「君自身についても、聞きたいことはまだあるが、夜も遅い。
エリアス氏との約束もある。今日はここまでとしよう」
Ⅱ世は深く息を吐いた。
「私も今回ばかりは、流石に疲れた……」
「ごめんなさい。伝えるのが遅くなって」
「いや、それについてはもういい」
そう答えて、Ⅱ世は立ち上がった。
ところが、足元がふらつく。
「師匠?」
グレイが気づいた時には、Ⅱ世の身体が大きく傾いていた。
そのまま、ベッドへ倒れ込む。
「師匠!」
グレイが慌てて駆け寄った。
返事はない。
顔を覗き込むと、Ⅱ世は目を閉じたまま、苦しそうに眉を寄せている。
眠っているようだった。
「……うなされています」
時折、何かに魘されるように身体が僅かに動く。
グレイは慌てた様子を抑えながら、Ⅱ世の姿勢を整えた。
「師匠、失礼します」
身体をゆっくりとベッドへ横たえ、掛け布を整える。
Ⅱ世はそれでも目を覚まさなかった。
グレイはそのまま傍らに残り、しばらく様子を見守る。
その様子を眺めながら、ライネスは小さく苦笑した。
「今日は、本当に色々ありすぎたからね」
「そうですね……」
智世も申し訳なさそうにⅡ世を見る。
一方のフラットは、そんな二人とは少し違った表情を浮かべていた。
「時計塔への報告については悩ましいですが、明日の講義は楽しみにしています」
こんな状況でも、学院で学べることへの興味は失われていないらしい。
「フラット……」
ライネスが呆れたように呟く。
「だって、せっかく学院に来たんですよ?」
フラットは笑って答えた。
ライネスは小さく息を吐いたが、それ以上は何も言わなかった。
やがて、智世が席を立つ。
「それでは、今日は帰ります」
「うん。明日、また会うとしよう」
ライネスが答える。
グレイもⅡ世の傍らから顔を上げた。
「お気をつけて、智世さん」
「ありがとうございます、グレイ」
フラットも笑顔で手を振る。
「また明日、智世さん」
「はい。また明日」
智世は三人へ頭を下げた。
「今日は、本当にありがとうございました」
そうして智世は、来客室を後にし、帰路についた。
***
エインズワース邸へ戻ると、エリアスたちが智世を出迎えた。
学院での一日を終えた智世は、ようやく気を抜くことができた。
落ち着いたところで、智世はこれまで世話になっていたⅡ世たちのことや、
時計塔の魔術学府である学院について話した。学院側が時計塔との交流を望んでいること。
そして、その話を聞いたⅡ世が、どう対応するべきか苦悩していることも伝える。
「それでね、ルツ。伝えるのを忘れてたのを教えてくれてもよかったのに」
智世が少し不満そうに言うと、ルツは鼻を鳴らした。
「智世が言うタイミングに合わせていたんだ」
「そうだったの?」
「そうだ」
ルツの返答に、智世は少しだけ納得できないような顔をする。
その様子を眺めていたエリアスは、少し考え込むように口を開いた。
「ボクとしては、チセが無事に帰ってきてくれただけで十分さ。
学院の交流については、口を出すつもりはないよ」
「でも、Ⅱ世さん、結構悩んでるみたいだったよ。
学院の講義を見てから判断するって言ってたけど」
「どうするかは、彼らが決めることさ。それに……」
エリアスが言葉を止めたことで、智世は顔を向ける。
「今回、裏道が繋がったでしょ。学院側も猟犬たちとの交渉に成功していた。
だから、一つの入口を閉じたとしても、
別のところから向こうに繋がっていてもおかしくないしね」
智世も考え込む。
「Ⅱ世さんが、断ったとしても止められないってことかな」
「そうだね。あのⅡ世って人が、時計塔の運営を決めているわけじゃないんだろう?
なら、別の人や向こうの派閥に声をかけるだけなんじゃないかな」
智世自身としては、せっかく出会うことができたのだから、
これからもⅡ世たちと交流していきたいと思っている。
けれど、今日のⅡ世の様子を思い返すと、
それを素直に喜んでいいのかという気がかりも残っていた。
「チセが気にすることじゃないさ」
エリアスが穏やかに言う。
ルツも呆れたように智世を見る。
「また自分から問題に突っ込んでいくなよ」
「……分かってるよ」
智世は苦笑した。
「さぁ、もう遅いし寝るとしようか。明日から授業も再開するんだし」
「うん。おやすみ、エリアス」
「おやすみ、チセ」
智世はシルキーにも挨拶をすると、ルツと一緒に自室へ向かった。
***
夜が更け、邸内が静まり返った頃。
智世はゆっくりとベッドを抜け出した。
隣で眠るルツを起こさないよう、足音を立てずに部屋を出ていく。
ルツは目を開けることなく、ただ気づかないふりをしていた。
智世はそのままエリアスの部屋へ向かう。
扉を開けると、エリアスはすぐに気づいた。
智世は何も言わず、そのままベッドへ近づいていく。
「……チセ? どうしたの」
呼びかけられ、智世は少し顔を赤らめた。
「今夜は……一緒に寝てもいいですか」
思いがけない申し出に、エリアスは少し驚いたようだった。
「チセからなんて珍しいね」
けれど、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。
「……しばらく会えなかったからね。もちろん、一緒に寝ようか」
そう言って、エリアスは智世を招き入れた。
智世はその胸に身を寄せる。
久しぶりに感じる温もりに、張り詰めていたものが少しずつ解けていく。
「おやすみ、チセ。いい夢を」
「おやすみなさい、エリアス」
エリアスに身を預けたまま、智世は静かに目を閉じた。
その夜、智世は久しぶりの安心感に包まれながら、眠りについた。
そして翌朝。
ルツとシルキーから、微笑ましいものを見るような
目を向けられることになったのは、言うまでもなかった。