『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』 作:丹波りん
静かな室内に講義の声が朗々と響く。
教壇に立つナルシス教員の前には、初等部の子供たちが並んでいる。
その後方には、学院の授業を見学するために訪れているⅡ世とライネスの姿があった。
「魔術の根本について、魔術とは【知る】ということだ」
子供たちはナルシスの声に耳を傾けている。
まだ幼い者も多いが、授業中に騒ぐ者はいない。
「今繫栄している科学ないし化学、それらは非常に専門的な【知】だ」
ナルシスは教室を見渡しながら話を続ける。
「それぞれが繋がっていると思われているが、
あれらは魔術師の視点では非常に僅かな繋がりでしかない」
前列に座る子供が、何かを考えるように首を傾げた。
隣の子供はノートへ視線を落とし、ナルシスの言葉を書き留めている。
「魔術を修めるということは、統合的な知を修めるということ」
Ⅱ世は腕を組んだまま、ナルシスを見ていた。
「古来、我々の祖先は星を眺め、風向きを読み、炎で占い水を探った」
ナルシスが片手を上げる。
「この世界を巡り、満ち溢れる理を解読し利用し、扱おうとした」
子供たちの視線が、その手の動きを追った。
「魔術は魔法から生まれたという者もいるが、それはいささか端折り過ぎだ」
「魔術は古代に獲物を望む部族の歌から生まれたとも、
冶金技術や医術、錬金術と共に生まれたとも、
また、魔法に疑問を持つ者たちから生まれたとも言う」
教室の一角で、子供が小さく筆を走らせる。
ナルシスはそれを気に留めることなく、言葉を重ねていく。
「しかし共通するのは、世界を【知り】【扱う】ためだ」
Ⅱ世の視線がわずかに動いた。
「世界の全ては密接に関わり合う。それ故に【解答】に至る数式は膨大な数に上り、
解答もまた星の数ほど存在し、なのに一つの解答を辿るのさえ、
砂漠で枯れ木を見つけるより困難極まる」
子供たちは静かに聞いている。
中には意味を完全には理解できていない者もいるのだろう。
それでも、ナルシスの声から目を逸らす者はいなかった。
「そして君たちは解答――ひとつの魔術に至るために脳髄を知識で満たすだけではなく、
ありとあらゆる感覚を研ぎ澄まさなければならない」
ナルシスが教室の中をゆっくりと歩く。
「視野、声や音、内臓の動き、触覚、星の瞬き、風が吹いた後の木々のゆらぎ、
水の流れ大地の構成、光と影のあわい、鉱石を舐める炎、
あらゆるものに関係があると識りたまえ」
窓の外へ目を向ける子供がいた。
つられるように、別の子供も外へ視線を向ける。
ナルシスはそれを咎めず、そのまま続けた。
「あらゆるものを観察し記録し実践し失敗し、かすかな成功を目指したまえ」
「最低限の魔術師の教養というものを私や他の者が教えるが…」
そこでナルシスは一度言葉を切った。
「人には向き不向きがあるものでな」
子供たちの間に、わずかなざわめきが生まれる。
だが、ナルシスはすぐに次の言葉を口にした。
「学院とは、何も知らない航海者に海図の読み方から教える場所だ」
Ⅱ世はその言葉を聞き、ほんの少し目を細めた。
「魔術という深海も様々な分野がある。君たち一人ひとりが好む海域を選び取る手助けもしよう」
ナルシスが子供たち一人ひとりへ視線を向ける。
「柔軟であれ!大胆であれ!不屈であれ!」
声が教室全体へ響き渡った。
子供たちの何人かが背筋を伸ばす。
「自分を磨き、失敗を恐れぬ心を持つ者だけが、知るという楽園に辿り着ける」
ナルシスの声に、子供たちは真剣な表情で聞き入っている。
「ゆえに皆、大いに間違え、大いに失敗し、大いに訪ねて楽しみたまえ」
その言葉に、後ろの方から小さな笑い声が漏れた。
ナルシスも口元を緩める。
「……とまぁ、いきなり語り過ぎたかな?魔術もそうだが、一般教科にも力を入れたまえよ」
子供たちの何人かが顔を見合わせた。
「学院を卒業する全員が、魔術師として生きていくわけではないからね。
常識に乖離があると擬態できずに苦労する事になる」
そこで講義は終わった。
子供たちが一斉にノートを閉じる。
椅子を引く音や、小さな話し声が教室の中へ戻ってきた。
ナルシスは黒板を確認しながら、次の授業へ向けた準備を始める。
Ⅱ世は、すぐには席を立たなかった。
先ほどまでの言葉が頭の中に残っている。
特に引っ掛かったのは、「知る」という言葉そのものだった。
時計塔でも、魔術師は知識を求める。
研究をする以上、知ることは当然必要になる。
だが、ナルシスが語った「知る」と、時計塔で求められる「知る」は、
同じ言葉でありながら、その向かう先が違っているように思えた。
「……統合的な知、か」
Ⅱ世が小さく呟く。
ライネスが横から顔を向けた。
「気になるところでもあったのかい?」
「ああ」
Ⅱ世はまだ教室の方を見ている。
「時計塔では、魔術師が自分の専門を深めることが重視される。
学科もそのために分かれている。何を研究し、どこまで掘り下げるか。
それぞれの魔術師が進む先は、ある程度決まっている」
「家系もあるね」
「そうだ」
魔術師にとって、家というものは単なる血縁ではない。
受け継がれてきた魔術があり、魔術刻印があり、先代が積み上げてきた研究がある。
それを継承し、さらに先へ進めることが求められる。
「時計塔の教育は、既に存在しているものを土台にすることが多い。
何を受け継ぎ、何を研究し、どう発展させるか。そのために必要な知識を身につける」
Ⅱ世は一度言葉を止めた。
「もちろん、専門外の知識が不要という意味ではない。
私自身、現代魔術論を教える際には、
他分野の知識や既存の魔術を別の角度から見ることを重視している」
それはⅡ世自身が、魔術師たちの固定された見方に疑問を持ってきたからこそだった。
古い魔術をただ古いという理由だけで切り捨てるのではなく、
現代に存在するものと照らし合わせる。
一つの魔術を、それだけで完結したものとして見るのではなく、別の知識と結びつける。
Ⅱ世が教壇に立ってから、生徒たちへ伝えようとしてきたことでもある。
「だが、それは私が必要だと考えて行っていることだ。
時計塔全体が、最初からそれを教育の中心に置いているわけではない」
「対して、この学院では違う」
ライネスが言った。
Ⅱ世は頷く。
「そうだ」
先ほどのナルシスの言葉を思い返す。
「学院とは、何も知らない航海者に海図の読み方から教える場所」
この言葉は、今まで見てきた学院の授業とも繋がっていた。
智世が受けている授業には、魔術だけではなく、
一般科学、言語、数学、歴史、料理、護身まで含まれている。
時計塔の感覚だけで見れば、魔術を学ぶ者に必要なものとしてはあまりにも広い。
だが、ナルシスの講義を聞いた後では、その広さそのものが学院の教育なのだと分かる。
「時計塔では、専門へ進むために知識を積み上げる」
Ⅱ世は静かに言った。
「ここでは、知識そのものを増やし、そこから自分が進む海域を選ばせる」
「最初から海域を決めているか、海図を渡してから選ばせるか」
「……そういう違いだな」
ライネスが面白そうに笑った。
「そして、ナルシスは初等部の子供たちにそれを教えている」
Ⅱ世は教室を見回した。
まだ幼い子供たちが、今の講義を聞いていた。
全員が魔術師になるとは限らない。
専門を決めているわけでもない。
それでも、今の段階から「観察し、記録し、実践し、失敗する」ことを教えている。
「時計塔なら、こういう年齢の子供たちには、
家系の魔術や基礎的な知識が先に来る場合が多いだろう」
「君の言う『受け継ぐもの』だね」
「ああ」
Ⅱ世は答えた。
「こちらは、その前に『自分で見る』ことを教えている」
その違いは大きい。
魔術師として何かを成し遂げるためには、積み重ねられた知識が必要になる。
しかし、その知識をどう扱うのか、その外側に何があるのかを見る力もまた必要になる。
Ⅱ世自身、それを痛感してきた。
だからこそ、自分の授業では既存の魔術を別の視点から捉えようとしてきた。
それを、学院では教育の最初から行っている。
「……面白い」
思わず出た言葉に、ライネスが振り向く。
「何がだい?」
「私が時計塔で必要だと感じてきたことを、ここでは最初から教育の形にしている」
Ⅱ世は少しだけ苦笑した。
「だが、同じものではない。時計塔には時計塔の事情がある。
家系も、魔術刻印も、研究も、秘匿という問題もある。
そう簡単に教育の形だけを変えられるものではない」
「学院には、学院の事情がある」
「そういうことだ」
Ⅱ世は席を立った。
「だから、どちらが正しいという話ではない」
ナルシス教員の講義を思い返す。
「ただ、魔術を教えるという同じ目的を持ちながら、最初に子供たちへ何を渡すのかが違う」
ライネスも立ち上がった。
「時計塔は、積み重ねられたものを受け取り、それを深く掘り下げるための場所」
「そして学院は、まず世界を見るための海図を渡す」
Ⅱ世はそう答えた。
それなら、昨日智世から聞いた授業の多さにも納得できる。
彼女は魔術だけを学んでいるのではない。
世界を知るために、様々なものを学んでいる。
その中に魔法がある。
「……昨日より、学院のことが少し分かった気がするな」
Ⅱ世はそう呟き、教室を出る。
次は、別の授業を見ることになる。
ナルシス教員の講義で得た視点を持ったままなら、昨日までとは違うものが見えるかもしれない。