『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』 作:丹波りん
「……あなたが防衛術の講師か」
Ⅱ世は目の前の男を見据えた。
「学院との契約でな。まぁ、教員ってガラでもないがね」
ファビオ・ザッケローニ。
そう名乗った男は、気負った様子もなく鍛錬場に立っていた。
これまで見てきた講師たちとは、纏っている雰囲気が明らかに違っている。
研究者や学者といった印象よりも、実戦を重んじる人物。
そのことは、立ち姿や歩き方からも窺えた。
「遅いですよ。もう皆、準備運動は済ませています」
ヴァイオレットが声をかける。
「準備に手間取ったんだよ。……それと、さっきの陰口も聞こえてたからな」
その言葉に、ヴァイオレットとジャスミンが揃って視線を逸らした。
どうやら、この程度のやり取りは二人にとって珍しいものではないらしい。
ファビオはそんな二人を一瞥すると、Ⅱ世たちへ目を向けた。
「で、あんたらが今回、見学する客人で合ってるかい?」
「あぁ。エルメロイⅡ世だ。本日はよろしく頼む」
Ⅱ世に続き、ライネス、グレイ、フラットもそれぞれ名乗った。
ファビオは四人の顔を順番に眺める。
名前や身分を確認しているというより、立ち方や身体の使い方を見ているようだった。
「ただ見てるってのも暇だろ。何なら参加するかい?」
その言葉に、グレイの表情が僅かに動いた。
ファビオの視線も四人の間を巡り、やがてグレイのところで止まる。
「そこのお嬢ちゃんなら大丈夫そうだろ」
「拙ですか?」
思いがけない指名に、グレイが戸惑う。
「はい! はい! 僕も参加したいです!」
フラットがすぐさま声を上げた。
「……別に参加するのは構わないんだが……お前じゃ死ぬぞ」
あまりにもあっさり告げられた言葉に、Ⅱ世の眉間が深く寄った。
「……それほど危険なので?」
ライネスもファビオを見つめる。
「一応、死なないようにはこっちでも対策は練ってる。だが、心構えの問題だ」
参加を断られたわけではない。
それでも、フラットには納得し難い話だった。
「グレイは参加できるのに……」
「お前はともかく、あんたとそこの妹さんは実戦より観測や探求者ってタイプだろ」
「まぁ、否定はしないね。多少は動けないでもないが」
ライネスはそう言って、腰に下げていた試験管へ手を伸ばした。
中の水銀が地面へ落ちる。
銀色の液体は床の上でゆっくりと広がったかと思うと、
瞬く間に形を変え、一人のメイド姿を形作った。
「ただし、私にも護衛くらいはいるのでね」
トリムマウ。
エルメロイ家が誇る魔術礼装であり、ライネスを守るための存在でもある。
ファビオは目の前で展開された魔術礼装を興味深そうに眺めた。
「へぇ。面白い魔術道具だな。あんたの護衛替わりかい?」
「そうとも。我がエルメロイ家、自慢の魔術礼装だとも」
ライネスは得意そうに答えた。
「なるほどね」
ファビオはそれ以上追及せず、再びグレイへ視線を戻す。
「あの……拙は、なぜ参加してもよろしいのでしょうか?」
「お嬢ちゃんは戦えるだろ。少なくとも、そっちの坊主よりはマシだ」
グレイはまだ納得しきれない様子だったが、
ファビオの目には、すでにその理由が見えているらしい。
普段の立ち姿、重心の置き方、周囲への視線。
戦うことを前提として身につけたものは、本人が意識していなくても身体に残る。
「……」
フラットが不満そうに頬を膨らませた。
グレイだけが認められたことが、どうにも面白くないらしい。
その様子を見たファビオは、小さく息を吐いた。
「はぁ……少し講義してやるか。坊主、これに魔力を通しな」
そう言って、懐から何かを取り出す。
投げ渡されたものを、フラットは慌てて受け取った。
「これは……?」
「この授業じゃ必須の品だ。生徒なら持ってるもんだがな」
その言葉に、周囲の生徒たちがそれぞれ首元へ手をやった。
誰も驚いてはいない。
ファビオの講習を何度も受けている彼らにとって、この護符は特別なものではないのだろう。
防衛術の授業が始まる前に身につける、いつもの装備。
その程度の認識なのだ。
フラットだけが、物珍しそうに護符を眺めていた。
「なるほど……」
言われた通り魔力を通し、そのまま首から掛ける。
「これで僕も参加――」
言葉が最後まで続くことはなかった。
ファビオが一歩踏み込んだ。
次の瞬間、手にしたナイフが閃く。
「フラット⁉」
Ⅱ世の声が鍛錬場に響く。
フラットは尻餅をつき、首元へ手を伸ばした。
出血はない。それでも、首筋には薄く刃物が触れた跡が残っている。
「……え?」
青ざめた顔から冷汗が流れ落ちる。
何が起きたのか。
理解するまでに、ほんの数秒を要した。
グレイとライネスがすぐにフラットのもとへ向かう。
無事であることを確かめたⅡ世の中に、抑えきれない怒りが込み上げた。
「いったい何の真似だ!」
「無事なんだから、そうカッカするなって」
ファビオはナイフを弄びながら、平然としている。
その態度が、かえってⅡ世の怒りを煽った。
「……これが、心構えがあるかどうかの違いだ」
ファビオの言葉に、Ⅱ世はフラットの首元へ目を向ける。
先ほど渡された護符が、確かに効果を発揮していた。
刃は届いていた。それでも、傷は残っていない。
「……」
ライネスも護符を見つめていた。
「……これが、いつもの講習というわけかね?」
普段の柔らかな声音とは違う、厳しい響きが混じる。
「そうだとも」
ファビオはあっさり答えた。
「そっちのお嬢ちゃんなら、俺が振り抜く前には反応できただろうさ」
視線がグレイへ向く。
グレイは答えなかった。
ファビオがナイフを抜いた瞬間、すでに彼女の身体は反応していた。
わずかに重心が落ちている。
いつでも動けるように、身体が戦うための形へ移っていた。
けれど、助けるには間に合わなかった。
その事実を、グレイ自身が誰よりも理解しているようだった。
「……俺たち魔術師が狙われるってことはな」
ファビオの声が、鍛錬場に響く。
「相手は命を奪おうとしてくる場合がほとんどだ」
先ほどまでの軽い調子は消えていた。
「事前に襲撃がわかっていて、備えられるってんなら、
俺たち魔術師は凶刃だろうが銃弾だろうが防げるだろうさ」
ファビオはナイフを下ろす。
「相手が武器でくるか、魔術でくるか。魔術師だろうが、そうでなかろうが関係ない」
Ⅱ世は黙って耳を傾けていた。
「どっちにしろ、普段からよほど気を付けてるか、そのお嬢ちゃんのような礼装…だったか?
そういったものを常時発動できる魔力が使い放題でない限り、身を守るなんてことはできない」
「魔術で反撃、とはいかないのかね?」
ライネスが問いかける。
「反射なり呪詛返しなり、色々あるだろう。訓練ではどうやら武器が主体のように見えるからね」
「ははっ。遅い遅い」
ファビオは肩をすくめる。
「集中だの制御だの、すぐ対処できるのは余程の魔術師くらいさ」
魔術師が襲われたなら、魔術で対処する。
それは、Ⅱ世にとってあまりにも馴染み深い考え方だった。
だが、ファビオはそこからさらに踏み込んでくる。
「何でセント=ジョージみたいな魔術の大家が、武器やら格闘やらを鍛錬すると思う?」
Ⅱ世は、先ほどリアンやヴァイオレットたちから聞いた話を思い返した。
セント=ジョージ家は、かつて竜や怪物と戦ってきた一族。
純粋な魔術師の家系というよりも、人ならざるものと戦い、
その力と共生することで歴史を築いてきた一族だという。
しかし、それだけで武器や格闘技を鍛える理由になるわけではない。
「答えは簡単さ」
ファビオの声が低くなる。
「その方が《早い》からだ」
刺す、殴る、撃つ。
そのどれも、魔術を行使するより早く相手へ届く場合がある。
「刺すだの殴るだの撃つだののほうが、よっぽど楽に《殺せる》んだぜ。
魔術師も、ただの人間も、そこは同じだ」
鍛錬場の空気が静まる。
生徒たちにとっては、何度も聞いてきた話なのだろう。
それでも、目の前で実際にフラットが襲われた直後だけに、
その言葉にはいつもとは違う重みがあった。
「……魔術ってのは便利なように見えて不便だ」
ファビオはナイフを見下ろした。
「あらかじめ弾を逸らしたり、当たらないようにすることもできる。
爆発の破片も、予期しない凶刃も避けられる。呪詛返しも、邪眼返しもできる」
そこで一度、言葉を切る。
「だがな。そんなのを二十四時間、三百六十五日、フルタイムで維持できるか?」
誰も答えない。
「自分がそれをできるタチか? 自分の力量がわかってるか?」
問いかけは、生徒たち一人ひとりへ向けられているようだった。
「……何かあった時に、どうにかするのは自分だ」
魔術師だからといって、常に魔術を使える状況にあるとは限らない。
不意を突かれれば、術式を組み立てる時間すら与えられない。
ファビオが伝えようとしているのは、そういう単純な現実だった。
「魔術を使おうが、武器を使おうが、逃げるのでも反撃するのでも、
どう《生き残る》かを考えさせる」
ファビオは静かに言葉を続けた。
「……そして、絶対に《躊躇わないこと》を覚えさせる。それが、この講習の目的だ」
フラットは黙ったまま、自分の首に触れている。
グレイもファビオを見つめたまま、何も言わない。
Ⅱ世もまた、すぐには言葉を返せなかった。
ようやく、先ほどから感じていた違和感の正体が見えてきた。
時計塔であれば、魔術師が身を守るという話になった時、まず魔術そのものが中心に置かれる。
結界を張る。使い魔を置く。魔術礼装を備える。
あるいは、自らの魔術を磨き、より強力な術式によって相手を制する。
それらは魔術師として当然の備えであり、魔術を学ぶ者ならば、まずそこから考える。
だが、この学院が教えているのは、それだけではない。
魔術が間に合わないなら武器を使う。
武器が使えないなら逃げる。
逃げることもできないなら、別の手段を探す。
魔術師であることに拘らず、その場で使えるものを使って生き残る。
それは、魔術師としての戦い方というより、
一人の人間として危機を切り抜けるための考え方だった。
Ⅱ世は、これまで見てきた学院の授業を思い返す。
魔法の講義では、力を借りる相手を知ることを教えていた。
ルーンの講義では、与えられた知識を覚えるだけでなく、
自ら解釈し、何をするべきかを考えさせていた。
そして今、防衛術では、自分が持っている力だけに頼らず、
その場で生き残るために何を選ぶのかを問われている。
根底にあるものは、やはり同じなのかもしれない。
知識や力を与えるだけでは終わらない。
それを自分自身で理解し、状況に応じて使い分ける。
時計塔が魔術そのものを深く掘り下げ、その体系や技術を継承していく場所だとすれば、
この学院は、得た知識や力を現実の中でどう扱うかまでを教育の中に含めている。
Ⅱ世は、ファビオの荒っぽい講習の奥に、そんな学院の方針を見た気がした。
単に武器を扱わせたいのではない。
魔術師だからこそ魔術に頼りすぎることの危うさを知り、
その上で、自分自身の判断によって生き残る。
それを身体に覚えさせることこそが、この講習の目的なのだろう。
ファビオはナイフをしまった。
鍛錬場には、少しずつ生徒たちの声が戻り始めている。
何度も繰り返してきた訓練だからこそ、彼らにとっては日常の一部なのだろう。
その光景を眺めながら、Ⅱ世は先ほどフラットの首元へ迫った刃を思い返していた。
魔術師としてではなく、一人の人間として生き残る。
その考え方は、時計塔ではあまり聞くことのないものだった。
だからこそ、Ⅱ世の中に強く残った。