『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』 作:丹波りん
ファビオはナイフをしまった。
鍛錬場には、少しずつ生徒たちの声が戻り始めている。
フラットは、しばらく何も言わなかった。
先ほど首筋に触れた刃の感触を思い返しながら、自分の首元に手を当てる。
怖くなかったと言えば嘘になる。
それでも、先ほどとは違う気持ちが、少しずつ胸の中に湧いていた。
その様子を見て、ファビオが問いかける。
「……それで、今のを聞いたうえで参加するかい?」
フラットは自身の首筋に手を当てたまま、目を閉じる。
そして、一度深く息を吸った。
吐き出した後、ゆっくりと目を開く。
その視線は、先ほどまでとは違っていた。
はっきりとファビオの目を見つめる。
「やります。やらせてください」
その言葉からは、先ほどまでの軽い空気感が消えていた。
「……フラット」
Ⅱ世が思わず名前を呼ぶ。
「いいではないか、兄上。フラットも珍しく真剣そうだ」
ライネスは口元に僅かな笑みを浮かべる。
グレイもまた、静かに前へ出た。
「拙も参加します」
「なら、早速準備してもらおうか。……その前に」
ファビオは生徒たちの方へ顔を向ける。
そして、その中にいたリアンへ声をかけた。
「おい、リアン。《仕事》だ。この坊主の護衛に就け」
「了解しました、ファビオ講師」
リアンは迷うことなくフラットの前まで歩み寄り、手を差し出した。
「スクリムジョーの家名に誓い、この講義中、君を守ることを約束する」
「よろしくお願いします。リアンさん」
フラットもその手を握り返す。
「リアンでいい。……まだ未熟な身だ。
なるべくこちらの指示に従ってほしい。その方が守りやすい」
「わかったよ」
「流石に客人を怪我させるのは問題だしな。リアンが付いていれば大丈夫だろ」
ファビオがそう付け加えると、横からヴァイオレットが口を挟んだ。
「怪我でもさせちゃったら、ボーナス消えますもんね」
「黙ってろ、クソガキ」
「生徒の安全よりボーナスの心配とはね」
そんな二人のやり取りに、ライネスが苦笑する。
ファビオは気にした様子もなく、今度は二人へ視線を向けた。
「お前さんら、武器は何かあるか? 無ければこれを使いな」
そう言って、近くに置かれていた箱へ手を伸ばす。
中から取り出したのは、掌に収まるほどの粘土のような物体だった。
「何ですか、これ?」
フラットが受け取る。
柔らかな土のように見えるが、その中心には魔力を帯びた小さな球体が埋め込まれていた。
「……土の属性に、錬金術かな。形状変化の術式が入っている」
「おっ、よく分かったな。勉強は出来るらしい」
ファビオは少しだけ感心したようだった。
「使い方は簡単だ。そいつに魔力を通して、
自分で扱えそうな武器を思い浮かべてみな。なるべく正確にな」
手本を見せるように、リアンが物体へ魔力を流し込む。
粘土のような物質が柔らかく形を変え、やがて一本の短剣へと姿を変えた。
「へぇ……」
フラットも同じように魔力を通す。
だが、イメージが上手く掴めなかったのか、
変形した物体は持ち手のような部分だけを残した、歪なオブジェへと変わってしまった。
「あ、あれ?」
「……まぁ、普段武器を持ち慣れてないなら、そうもなるか」
ファビオが苦笑する。
「フラットは護衛対象だ。今回は武器がなくても問題ないだろう」
「そうだよねぇ。武器を振り回すのは難しそうだし」
「……下手に振り回して怪我されても困るか」
リアンの言葉に、フラットも苦笑した。
「グレイはどうする?」
リアンが尋ねる。
グレイは頷くと、腰に下げていた鳥籠のような入れ物へ手を伸ばした。
中から取り出したのは、目と口の付いた立方体の匣。
「アッド」
呼びかけに応じ、匣が大きく形を変える。
金属音を響かせながら伸びたそれは、瞬く間に巨大な大鎌の形態へと変化した。
「珍しい魔道具だな。そいつも礼装ってやつか」
ファビオが興味深そうに眺める。
その隣では、実家が鍛冶職でもあるアイザックも大鎌へ視線を向けていた。
「大鎌か。何の素材で出来てるんだ?」
『おい、野郎にじろじろ見られるのは趣味じゃねぇよ』
「うわっ、喋るのか、こいつ」
「アッド!」
グレイが慌てて制する。
「……すいません。口が悪くて」
『へっ』
アッドは不満そうに鼻を鳴らす。
「……まぁいい。お前らも準備は出来てるな?」
ファビオが周囲を見渡す。
生徒たちは、それぞれ武器を手にしていた。
短剣や槍、各々が使い慣れた装備を構え、すでに戦闘へ備えている。
「んじゃ、始めるか」
ファビオが地面へ手を伸ばす。
魔力が流れ込むと、地面から無数の蔦が伸び始めた。
それらは周囲を覆うように絡み合い、やがて鍛錬場全体を包む巨大なドームを形作る。
外部から内部への侵入を阻む結界だった。
「見学のお二人さんはどうする? 中にいてもいいが、流れ弾が飛んでくることもあるぞ」
「できれば内部で見学させてほしい」
Ⅱ世は即答した。
ここまで来て、外から眺めているだけでは意味がない。
「何、兄上も私も自衛くらいは出来るとも。トリムマウもいるしね」
ライネスが手元の水銀へ目を向ける。
トリムマウはすでにライネスの傍らに控えていた。
「そうかい。んじゃ、初めて参加する奴もいることだし、ルールの説明だ」
ファビオは生徒たちを見渡す。
「今から俺が召喚する怪物を撃退するか、時間まで逃げ切るか。方法は自由だが……」
そう言って、リアンとセント=ジョージの双子へ視線を向ける。
「……お前ら、壊し過ぎるなよ。ある程度ダメージを与えれば、合格にしてやるから」
「何が相手かによるけどね」
ヴァイオレットが肩をすくめる。
「相手次第では手加減はできかねますし」
ジャスミンも続く。
「俺は今回は護衛なので、問題はないかと」
リアンはフラットへ視線を向けた。
「……それと、ハトリ。今回は使い魔は禁止だ」
「はい」
智世は素直に頷く。
その隣で、黒い犬が小さく息を吐いた。
「……ルツ。今回は見学だね」
「……無理するなよ」
「うん。Ⅱ世さんたちをお願いね」
「分かった」
ルツは智世から離れ、Ⅱ世たちの方へ向かっていく。
「……俺が心配してるのはお前じゃなくて、お前がやらかすことなんだがな」
ファビオの呟きに、智世は僅かに目を逸らした。
以前の訓練で、戦うことを禁じられていたにもかかわらず、
ファビオが召喚した使い魔を破壊した前科がある。
本人としては、もう十分反省したつもりなのだろう。
だが、ファビオからすれば信用を失うには十分な出来事だったのだろう。
「はぁ……。んじゃ、始めるぞ」
ファビオは懐から一冊の魔術書を取り出す。
表紙へ手を置き、魔力を流し込んだ。
次の瞬間、空間が大きく歪む。
そこから湧き出るように、異形の怪物たちが次々と姿を現した。
「……合成獣か」
Ⅱ世が目を細める。
「ずいぶんと種類がいるね。彼はそっち系統の魔術師なのかもね」
ライネスも周囲を見回す。
現れた合成獣は多種多様だった。
獣の身体に異なる生物の頭部を持つもの。
複数の脚や翼を備えたもの。
それぞれが唸り声を上げながら、結界の中へ散らばっていく。
だが、その最後に現れた存在を見た瞬間、Ⅱ世の表情が変わった。
「……おい」
思わず声が低くなる。
「まさか、そいつを学生たちにぶつけるつもりか?」
そこに現れた怪物は、獅子の頭、山羊の胴、そして蛇の尾を持っていた。
三つの獣を合成した、巨大なキメラ。
その姿を見ただけでも、ただの合成獣ではないことが分かる。
時計塔であれば、執行者が数人がかりで相手取ることさえ想定されるような怪物だった。
「……流石に学生には荷が勝ちすぎるんじゃないかね」
ライネスも僅かに眉を上げる。
「手加減するように命令はしてあるさ。それに――」
ファビオが顎で学生たちを示す。
そこではすでに、生徒たちが集まり、それぞれに作戦を組み立て始めていた。
「フラットは俺の傍を離れないように。ヴァイオレットとジャスミンはデカブツの牽制を頼む」
「了解」
リアンの指示に、ヴァイオレットがキメラを見上げる。
「あの鬼畜、何てもんを出すんだ」
「グレイは私たちの近くに寄ってくる他のを任せていいかな?」
「はい。お二人には近づけさせません」
グレイが大鎌を構える。
フラットは遠くにいるキメラを眺めながら、思わず声を上げた。
「うわぁ……三頭のキメラなんて、図鑑でしか見たことないよ」
「ちゃんと指示に従わないとダメだよ、フラット」
「分かってるって」
智世もまた、周囲の怪物へ視線を向ける。
「なんか毎回、相手する怪物の難易度上がってないか?」
アイザックが呆れたように呟く。
その隣では、ゾーイがルーシーへ視線を向けていた。
「……ルーシー、大丈夫?」
「バカじゃないの、あの講師!? 怪我したら学長に直談判してやるんだから!!」
ルーシーは怒鳴りながらも、手元の武器を確認している。
口では文句を言いつつも、誰も気を抜いてはいない。
それぞれが自分の役割を確認し、周囲の仲間との位置関係を確かめている。
リアンを中心に組まれた連携は、初めて参加するフラットを守ることまで含めて、
すでに一つの形を作っていた。
「わざわざ相手の姿を見せて、対処の準備時間までくれてやるだけ温情ってもんだ」
ファビオは平然とそう言う。
「……始まる前から胃が痛くなってきた」
Ⅱ世は腹部に手を当てた。
「まぁ、お手並み拝見といこうではないか、兄上」
ライネスは楽しそうに笑う。
その傍らで、ルツが智世を見つめていた。
「……智世が怪我でもしてみろ。オレもエリアスも黙ってないぞ」
「おいおい、訓練なんだ。怪我するくらいで大袈裟に騒ぐなよ。
護符もあるし、アレクサンドラも準備してるだろ」
ファビオはそう言って、再び魔術書へ手を添える。
魔術書のページが、ひとりでにめくれていく。
ファビオの指先に魔力が集まる。
生徒たちが身構えた。
誰も言葉を発しない。
先ほどまで聞こえていた小さな話し声も、今は消えている。
怪物たちの唸りだけが、鍛錬場に響いていた。
やがて、ファビオが静かに口を開く。
「――始めるぞ」
その瞬間、キメラが地面を蹴った。