『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』   作:丹波りん

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第42話 守るための力

 キメラが地面を蹴った。

 巨躯が一気に迫る。それでも、セント=ジョージの双子は退かない。

 むしろ、迫りくる巨体へ向けて二人の足は迷いなく前へ出ていた。

「私は獅子」

 ヴァイオレットが短く告げる。

「なら私は山羊」

 ジャスミンも、それだけを返した。

 それで十分だった。

 二人は互いの動きを知っている。考え方も、脚運びも、呼吸すら。

 長い時間を共にしてきた二人にとって、言葉を重ねる必要などなかった。

 獅子の頭が大きく口を開く。

 牙が迫る寸前、ヴァイオレットの身体が横へ滑った。

 咬みつきを紙一重で躱し、そのまま懐へ潜り込む。

 剣閃が走る。

 瞳を裂くように刃を滑らせたものの、狙いは僅かに外れた。

「ちっ……!」

 舌打ちとともに身を翻し、ヴァイオレットが間合いを取り直す。

 キメラが振り向くより早く、再び踏み込んだ。

 その横合いからジャスミンが回り込む。

 獅子がヴァイオレットへ意識を向けている今なら、山羊頭は無防備に近い。

 巨体の脇腹へ足を掛け、そのまま駆け上がる。宙へ跳んだ身体が翻り、狙いを額へ定めた。

 短剣が振り下ろされようとした、その瞬間。

 蛇の尾が大きくしなった。

 死角から伸びた蛇頭が、ジャスミンへ牙を向ける。

「……!」

 短剣を引き、身体を捻る。

 鋭い牙が衣服を掠めた。

 その勢いを利用して宙返りし、距離を取ったジャスミンが静かにキメラを見据える。

 邪魔が入った。仕切り直しだ。

「……あれが学院の生徒だと」

 Ⅱ世は思わず呟いた。

 訓練の一環として行われているとはいえ、

 目の前で繰り広げられているものは、明らかに実戦だった。

「恐れ知らずだねぇ」

 ライネスも目を細める。

 しかし、二人の動きに無謀さはない。相手の動きを読み、互いの死角を補いながら攻めている。

 

 そうとも、我らセント=ジョージ

 無辜の人々を怪物より護り、戦う一族

 人へ仇なす存在を屠ることが、我らの生業

 ならば、何を恐れることがあろうか

 

 再び、ヴァイオレットとジャスミンがキメラへ向かう。

「……まだまだ経験不足だな」

 ファビオの目は、二人の動きを追っていた。

「狙いが甘いし、キメラを舐めすぎだ」

 厳しい評価だった。

 だが、その視線には、生徒たちの動きを一つも見逃すまいとする講師としての鋭さがある。

 その時、二人の背後で、別の合成獣が身を低くする。

 キメラとの攻防に意識を向けた双子へ、横合いから飛びかかろうとしていた。

 爪が届くより早く、大鎌の刃が閃く。

 次の瞬間には、合成獣が地面へ転がっていた。

 グレイは大鎌を引き戻し、そのまま何事もなかったように次の敵へ向き直る。

「あっちの嬢ちゃん……グレイだっけか」

 ファビオの視線もそちらへ移った。

「即席の連携にもかかわらず、自分の役割をこなしている」

 グレイは迫る合成獣との間合いを測りながら、双子の動きにも注意を払っている。

「普段から誰かを護り、戦うことに慣れてるな。少々拙い点もあるが、十分合格範囲だ」

 感心したような声だった。

「……」

 Ⅱ世は何も答えない。

 ただ、グレイの姿をじっと見つめていた。

 あれだけの怪物を前にしても、自分の役割を見失わない。

 それが、これまで積み重ねてきた経験によるものだということは、Ⅱ世にも分かっていた。

 その一方で、別の場所から怒鳴り声が響く。

 

「あぁもう! しつこい!」

 ルーシーが鉄の棍を横薙ぎに振り抜けば、迫っていた合成獣が弾き飛ばされる。

 だが、その隙を別の一体が見逃さなかった。

 低い姿勢から懐へ潜り込まれたと思った時には、牙が腕へ食い込んでいた。

「…っ!?痛ったいわねぇ!!」

 顔をしかめながらも、ルーシーは慌てない。

 噛みついた合成獣を睨みつけ、静かに言葉を紡ぐ。

 

「【止めば錆びるぞ 留めば腐るぞ】

  【月よ廻れ 守護者の砂よ】

   【秤より出で かの血を喰らえ】」

 

 呪詛が響いた。

 すると、合成獣の身体が大きく震える。

 苦しげな唸り声とともに口が緩み、拘束が解けた。

 そこへルーシーの蹴りが叩き込まれる。

 吹き飛んだ合成獣との距離を確かめながら、ルーシーは噛まれた腕を軽く振った。

「ルーシー、平気かい?」

 ゾーイが駆け寄る。

「問題ないわ。少し噛まれたところがヒリヒリするだけよ」

 そう答える間にも、ルーシーの手は鉄の棍を握り直していた。

 

「……類感呪術か」

 Ⅱ世が呟く。

「術者の負った痛みや瑕を相手に返す呪術だね」

 ライネスが続けた。

「……術の制御はいいが」

 ファビオは戦場から目を離さない。

「ルーシーの奴は体力不足だな。もう少し基礎練習を増やすか」

「ずいぶん辛辣な評価ではないか」

 ライネスが眉を上げる。

「生徒にしては、よくやっていると思うがね」

 ファビオはすぐには答えなかった。

 視線の先では、ルーシーが再び合成獣へ向かっている。

「……あいつの一族はな」

 やがて、低い声が返ってきた。

「あいつと、疎遠になってる兄貴だけ残して、皆殺しに遭ったんだよ」

 Ⅱ世もライネスも口を閉ざす。

 ルーシー自身も、その惨劇を背負って学院にいる。

 家族を奪われた理由も、その後に何が起きたのかも、彼女は知っている。

 だからこそ、今の戦い方にも、生き残るために身につけてきたものが滲んでいるように見えた。

「……魔術師の世界なんて、どこも同じようなもんだろ?」

 ファビオが続ける。

「相手の研究成果が欲しいだの、単純な恨みだの。

 そんな理由で家系がひとつ絶やされるなんて、珍しくもねぇ」

 Ⅱ世の表情が僅かに険しくなる。

 ライネスも何も言わない。

「……この学院には、そんな事情を持つ生き残りの生徒が在籍している」

 ファビオの視線が、戦場を横切る。

 そこには、目の前の敵と戦う生徒たちの姿があった。

「学院にいる間は、教師どもが護ってやれる」

 普段の粗雑な口調とは違う、重い声だった。

「だが、卒業した後は……自分でどうにかするしかないのさ」

 その言葉の意味を、Ⅱ世は理解していた。

 魔術師の世界では、学院を出たからといって危険から解放されるわけではない。

 むしろ、その先こそ自分自身の力が問われる。

 だからこそ、今ここで生徒たちが身につけているものには意味がある。

 目の前の戦いも、そのための一つなのだろう。

 

「周りに気を取られ過ぎだな」

 ファビオの声に、Ⅱ世は我に返った。

 その直後だった。

 ルーシーの背後で、景色が僅かに揺らいだ。

 陽炎のような歪みの向こうから、何かが浮かび上がってくる。

 爬虫類を思わせる頭部に、人の形を残した身体。

 その腕から伸びるのは、巨大な蟷螂の鎌、姿を隠していた合成獣だ。

 ルーシーもゾーイも、まだ気づいていない。

「……っ!?」

 Ⅱ世が声を上げかけた、その肩へファビオの手が伸びた。

「これも経験だ。邪魔はしないで貰おう」

 制するような声だった。

 次の瞬間、ルーシーが振り返った。

 何かを感じ取ったのか、咄嗟にゾーイへ手を伸ばす。

「……っ!? ゾーイ!!」

「……ぇ?」

 振り向いたゾーイの身体を、ルーシーが突き飛ばした。

 入れ替わるようにその背へ、合成獣の鎌が振り下ろされる。

「ルーシー!!」

 ゾーイの悲鳴が響いた。

 だが、ルーシーから返事はない。

 倒れた彼女を見つめたまま、ゾーイの表情が凍りつく。

 その間にも、合成獣は再び鎌を振り上げていた。

 今度こそ、止めを刺すつもりなのだろう。

 ゾーイが息を呑む。

 そして――耳元で、乾いた音が弾けた。

 ぱきん、と。

 イヤーマフが砕け散る。

 露わになった耳元から、髪がゆっくりと蠢き始めた。

 一本、また一本と細長い身体へ姿を変え、やがて無数の蛇が鎌首をもたげる。

 ゾーイ自身も、その変化に気づいていないかのようだった。

 ただ、倒れたルーシーを見つめている。

 やがて顔を上げると、その瞳孔が縦に裂けた。

『彼女から離れろ!!』

 その視線が合成獣を捉えた瞬間、異形の身体が硬直する。

 振り下ろされようとしていた鎌も、そのまま空中で止まった。

 何かに縫い留められたように、微動だにしない。

 次いで、身体の表面に異変が生じた。

 皮膚の色が失われ、灰色へと変わっていく。

 それは腕から肩へ、肩から胸へと広がり、瞬く間に全身を覆った。

 肉体そのものが、石へと変わっていく。

 

 

「石化の魔眼だと!?」

 Ⅱ世の声が響いた。

 蛇の髪、縦に裂けた瞳孔。

 そして、視線を受けただけで異形を石へ変える邪眼。

 その姿を目にした瞬間、Ⅱ世の脳裏に一つの名が浮かんだ。

 ――ゴルゴーン。

 ギリシャ神話に語られる怪物。

 その中でも名を知られているのが、ステンノ、エウリュアレ、そしてメドゥーサの三姉妹だ。

 毒蛇へと変じた髪。

 その眼差しを受けた者を石へ変える邪眼。

 かつては女神アテナの神殿を穢したことで、

 その怒りを買い、怪物へと変えられたとも伝えられている。

 そして最後には、英雄ペルセウスによってメドゥーサの首が討ち取られた。

 魔術を知らぬ者でさえ、神話や物語として一度は耳にしたことがあるだろう。

 だが、目の前にいるのは神話の中の怪物ではない。

 学院の生徒として他の者たちと共に学び、日常を過ごしている少年だ。

 それなのに、その髪は蛇へと変わり、その瞳には神話そのものを思わせる力が宿っている。

「バカな……」

 ライネスも目を見開いていた。

「宝石級の魔眼なんて、まるで……」

 その先を口にすることなく、ライネスはゾーイを見つめる。

 だが、二人の驚きをよそに、ファビオだけは石化していく合成獣を冷静に見つめていた。

「……制御が感情に追いついてないな」

 短く呟き、それから石像へ目を向ける。

「……あの合成獣、造るのに手間かかってんだぞ。石像なんぞにしやがって」

 呆れたような溜息が漏れた、その時だった。

 石像の表面に亀裂が走る。

 細いひびは見る間に広がり、ばきん、と乾いた音を立てて全身を覆った。

 次の瞬間、石となった合成獣が崩れ落ちる。

 砕けた石片が地面へ散らばり、その向こうにゾーイが立っていた。

 

 

「……彼はいったい」

 Ⅱ世が、ようやく言葉を絞り出す。

「亜人を見るのは初めてか?」

 ファビオは、さほど驚いた様子もない。

「ゾーイは蛇髪族の出だ。ゴルゴーンの三姉妹くらい、教師なら知ってるだろ」

 その言葉に、Ⅱ世はゾーイへ視線を戻した。

「蛇髪族……?」

「ああ。ゴルゴーンの血筋を継いでる種族だ」

 ファビオは淡々と続ける。

「あいつの一族は、その血を今まで繋いできた正当な種族だ。

 ……まぁ、邪眼の力は薄まって、今じゃ金縛りが精々だがな」

 そこで、ファビオの視線がゾーイへ向く。

「だが、あいつは違う」

「……先祖返り、ということか」

「そういうことだ」

 Ⅱ世は、改めてゾーイを見る。

 先ほどまでの異形の姿は、すでに薄れ始めている。

 それでも、その目に宿った力だけは忘れられない。

 失われたはずの邪眼。

 それが、いま目の前で確かに蘇った。

「今でこそ人類と同じ扱いだがな」

 ファビオの声が続く。

「昔は、あいつらを狩る連中もいた。肉や体液を欲しがる奴もいれば、邪眼を欲しがる奴もいた」

 その言葉に、Ⅱ世の表情が僅かに強張る。

「……珍しい血筋ってのは、それだけで厄介なんだよ」

 ファビオは吐き捨てるように言った。

 その意味を、Ⅱ世は理解していた。

 魔術師にとって、希少な血統や特殊な能力は、それだけで研究対象になり得る。

 ましてや、神話にまで名を残すゴルゴーンの血を引き、

 その失われた石化の邪眼まで取り戻した先祖返り。

 もし時計塔がこの事実を知れば、

 ゾーイが学院でただの生徒として過ごし続けられる保証などない。

 Ⅱ世の胃が、きり、と痛んだ。

「……報告すべきか否かの判断材料が、また増えたね」

 ライネスの声も、さすがに慎重だった。

「……いまは何も言うな」

 Ⅱ世は腹部を押さえる。

「既に私の胃は限界に近い」

 

 

 そんな二人をよそに、ファビオはゾーイへ声を飛ばした。

「おい、ゾーイ! ちゃんと制御しろ。周り全部石にするつもりか!」

 ゾーイは肩で息をしながら、ゆっくりと瞼を下ろした。

 蛇へ変わっていた髪が、少しずつ元の姿へ戻っていく。

 だが、その身体にはもう力が残っていなかった。

 膝から力が抜け、そのままルーシーへ覆い被さるように倒れ込む。

 意識を失ってなお、ルーシーを庇うような姿勢だった。

「……気絶しやがったか」

 ファビオが小さく舌打ちする。

「おい、リアン!」

「はい、ファビオ講師」

 呼ばれたリアンが振り向いた。

「この二人を結界の外まで運んでおけ」

 リアンの視線が、倒れたルーシーとゾーイへ向かう。

 そして、そのすぐ傍にいるフラットへ移った。

「……しかし、俺は今、《仕事》の任務中です」

「だが、放っておいたら他の合成獣が襲うぞ?」

 ファビオの言葉に、リアンの表情が僅かに強張った。

「どうするんだ、【守護のスクリムジョー】」

 焚きつけるような声音だった。

 リアンは答えに詰まる。

 護衛対象であるフラットを離れるわけにはいかない。

 しかし、目の前には負傷した二人がいる。

 どちらを選んでも、もう一方を危険に晒すことになる。

 その迷いを断ち切ったのは、当のフラットだった。

「僕は大丈夫です。リアンは二人を安全な場所までお願いします」

「……しかし」

「逃げるくらいなら、僕だけでも大丈夫ですよ」

 フラットはいつもの調子を崩さない。

「早く行ってあげて下さい」

 リアンはしばし黙り込み、それから小さく息を吐いた。

「……すまない。二人を届けたらすぐ戻る」

 視線をアイザックへ向ける。

「アイザック、それまでフラットを頼む」

「了解した」

 アイザックは頷いた。

「だが俺は本業じゃないから、あまり長くは持たないぞ」

「分かっている」

 リアンはそれだけ返すと、フラットをアイザックへ託し、倒れた二人のもとへ駆けていく。

 その背中を見送りながら、ファビオは深いため息を吐いた。

「……やれやれ、まだまだ未熟だな」

 先ほどまでの軽さは、その声から消えていた。

「全員を助けられるなんて思い上がってるなんてな」

 ファビオが魔導書へ手を伸ばす。

 開かれた頁へ魔力が流れ込み、刻まれた術式が淡い光を帯びた。

 次の瞬間、新たな合成獣が姿を現す。

 その姿を見つめ、ファビオは口の端を吊り上げた。

 全てを救う。

 誰一人として取りこぼさない。

 ――そんな傲慢を叩き潰すために。

「さて、第二ラウンドだ」

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