『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』   作:丹波りん

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第8話 人ならざるモノとの付き合い方

「……アンジェリカについては、だいぶ分かった」

 エルメロイⅡ世は、そう言って一度言葉を切った。

 先ほどまでの話で、智世が身につけている道具の多くが、

 アンジェリカという魔法機構の技師によって作られたものであることは分かった。

 少なくとも、どのような人物がそれを作ったのかという輪郭くらいは見えてきている。

 だが、道具のことが分かれば分かるほど、

 それを扱っている智世自身についても知らなければならないことが増えていく。

 未知の素材。

 未知の技術。

 そして、それらを扱うための知識。

 それらを、この少女はいったい、どの様に教わったのか。

 Ⅱ世はわずかに姿勢を正した。

「では、次は君の師匠について聞こう」

「師匠……ですか?」

 智世が少しだけ首を傾げた。

「ああ。君は先ほど、魔法については師匠から教わったと言っていたな」

「はい」

 智世は素直に頷いた。

「エリアスは、いろんなことを教えてくれました」

 その名前を口にしたとき、智世の表情がほんの少し柔らかくなる。

 師匠について語ることに、特別な抵抗はないらしい。

 Ⅱ世はそれを見ながら、続きを促した。

「具体的には?」

 智世はすぐには答えなかった。

 視線を少し落とし、記憶を辿るように考えている。

 教えられたことが多いのだろう。

 その中から、何を最初に話すべきか選んでいるようだった。

「最初に教わったのは、魔法そのものじゃなかったと思います」

「ほう」

 Ⅱ世の眉がわずかに動いた。

「じゃあ、何を?」

「周りにいるモノたちのことです」

「周りにいるモノ?」

「妖精とか、精霊とか……そういうものです」

 その言葉を聞いた瞬間、Ⅱ世の表情が僅かに変わった。

 ライネスも興味を持ったらしく、智世へ顔を向ける。

 グレイはいつものように静かに話を聞いていたが、その瞳にはわずかな驚きが浮かんでいた。

「妖精や精霊について、最初に教えられたということかい?」

 ライネスが尋ねた。

「はい。どんなものがいて、何に影響するのかとか」

 智世は一つずつ思い出すように言葉を選んだ。

「どういうところにいるのかとか。何を好むのかとか……そういうことを」

「それは、随分と実践的な教育だね」

 ライネスは口元に笑みを浮かべた。

「魔法の使い方より先に、周囲のモノを知ることから始めたわけだ」

「たぶん、そういうことだと思います」

 智世は小さく頷いた。

「それから、どんなものを援けるべきなのか、

 どんなものなら遠ざけたほうがいいのかも教わりました」

 Ⅱ世は、その言葉に反応した。

「援ける?」

「はい」

 智世は頷く。

「困っている妖精や精霊がいたら、どうしたらいいのか。

 逆に、人に悪い影響を与えるものなら、どうやって離れてもらうのか……」

 それは、智世にとってごく自然なことだった。

 特別な技術を語っているわけでもない。

 まして、何か大きな秘密を明かしているという意識すらない。

 ただ、師匠から教わったことを順番に話している。

 しかし、Ⅱ世にとっては、その一つ一つが簡単に聞き流せるものではなかった。

 時計塔で魔術を学んできた者にとって、妖精や精霊という存在は、決して珍しい知識ではない。

 だが、それはあくまで魔術の知識として存在するものだ。

 研究対象として扱われることもある。

 契約や利用の対象になることもある。

 場合によっては、危険な存在として警戒されることもある。

 それを智世は、まるで身近な隣人のように語っている。

 しかも、それらとの関わり方を学ぶことが、魔法を学ぶ以前の教育として位置づけられている。

 Ⅱ世は無意識に腕を組んだ。

「……それは、君の暮らしている場所では普通のことなのか?」

「はい」

 智世は迷うことなく答えた。

「昔から、そういうものだと……」

「そうか」

 Ⅱ世は短く返した。

 だが、その一言のあと、わずかに視線を伏せる。

 ライネスはそんな兄の様子を見逃さなかった。

「兄上?」

「いや」

 Ⅱ世は額へ手を当てるようにして、息を吐いた。

「少し考えていただけだ」

「何を?」

「時計塔の周辺で、妖精や精霊との付き合い方を最初に教える師匠が、

 どれほどいるのかと思ってな」

 ライネスがくすりと笑う。

「少なくとも、私はあまり聞かないね」

「……拙も、そういう話は聞いたことがありません」

 グレイも小さく頷いた。

 智世は三人の顔を順番に見た。

 どうしてそこまで驚くのか、まだよく分かっていないらしい。

「でも、いるモノだから……」

「いるモノ、か」

 Ⅱ世は、その言葉を繰り返した。

 そこには、奇妙な説得力があった。

 智世にとっては、説明するまでもないことなのだ。

 いるモノだから知る。

 知っているから、どう接するべきか考える。

 Ⅱ世が知る魔術師の教育とは、ずいぶんと出発点が違っている。

「他には?」

 Ⅱ世は話を先へ進めた。

「古くから伝わっていることとか……」

「慣わし?」

「はい。変わった慣わしもありました」

 智世は思い出しながら続けた。

「どうしてそうするのか分からないものもあります。

 でも、昔から続いているなら、何か理由があるのかもしれないって」

「師匠がそう教えたのか」

「はい」

 智世は頷いた。

「人間が忘れてしまったことでも、妖精や精霊なら覚えていることがあるからって」

 Ⅱ世は黙った。

 その言葉には、魔術師として聞き流せないものがあった。

 長い時間を生きる存在。

 人間よりも古い記憶を持つもの。

 人間の側では失われた知識を、別の形で保持している存在。

 それ自体は、魔術の世界でも決して珍しい考えではない。

 しかし、智世の語り方には研究対象を語るような距離がなかった。

 彼女にとって、それはもっと身近なものなのだ。

 隣人が昔の出来事を覚えているように。

 村に昔からある慣わしの理由を、近くにいる妖精が知っているかもしれないように。

 それから智世は、ふと思い出したように言葉を続けた。

「それから……薬のことも」

「薬?」

 Ⅱ世が顔を上げる。

「はい。薬にも毒にもなるものについて」

「魔法薬の話か?」

「そうです」

 智世が頷く。

「エリアスは、薬の作り方も教えてくれました」

「……なるほど」

 Ⅱ世は頷いた。

 魔法薬。

 それならば、まだ理解できる。

 魔術師が自分の研究や治療のために薬を調合すること自体は、さほど奇妙ではない。

 問題は、その先だった。

「村の人たちも、エリアスが作った薬を使っています」

「……何?」

 Ⅱ世の声が低くなる。

「村の人たち、ですか?」

 グレイも思わず聞き返した。

「はい」

 智世は頷いた。

「病気になったときとか、怪我をしたときとか。エリアスの薬を使います」

 あまりにも自然な答えだった。

 まるで、村に医者がいて、その医者から薬を買うのと変わらない。

 だからこそ、Ⅱ世には理解するまでに一瞬の間が必要だった。

「待て」

 Ⅱ世が片手を上げる。

「君の言う『村の人たち』というのは?」

「普通の人たちです」

「……魔術師ではない?」

「はい」

「魔術師としての教育を受けた人間でもない?」

「たぶん、そういう人はいないと思います」

 智世は少し考えてから答えた。

「みんな、普通の村の人です」

 沈黙が落ちた。

 ライネスの表情からも、先ほどまでの軽い笑みが消えていた。

 グレイもまた、驚いたように智世を見つめている。

 Ⅱ世は何も言わず、机の上へ視線を落とした。

 魔術師の世界において、神秘は隠される。

 それは単なる礼儀や慣習ではない。

 魔術師社会が成立するための、基本的な前提のひとつだ。

 一般社会から神秘を隔離する。

 魔術というものが人の世に広く知られることを避ける。

 それが、魔術師として生きるうえで当然のものだ。

 ところが、この村ではどうだ。

 魔法使いが作った薬を、一般の村人が日常的に使っている。

 しかも、それを「魔法使いの薬」と認識している。

 それだけでも、時計塔の常識からすれば異常だった。

「……その薬を、村の人たちは何と呼んでいる?」

「魔法使いの薬、とか」

「魔法使いの薬」

 Ⅱ世は、その言葉を繰り返した。

 一般人が神秘の側にいる者を認識し、その者が作った薬を日常的に使っている。

 恐れて遠ざけるのでもない。

 むしろ、効果を信頼している。

「よく効くって言われます」

 智世が続けた。

「体にも優しいって」

「……」

 Ⅱ世は答えなかった。

 その横で、ライネスが小さく息を吐く。

「兄上」

「何だ」

「これ、時計塔ならどうなる?」

「大騒ぎになるだろうな」

 即答だった。

「だろうね」

 ライネスは苦笑する。

「兄上がそういう顔をするくらいだ」

「冗談ではない」

 Ⅱ世は苦い顔をした。

「一般人が神秘を知っている。それだけでも問題になる。

 まして、魔術師が作ったものを継続的に使っているとなれば……」

 そこで、Ⅱ世は言葉を止めた。

 だが、智世の話はまだ終わっていない。

「私も薬を作ります」

「君自身も?」

「はい」

 智世が頷いた。

「エリアスに教えてもらって、私も作るようになりました」

「そして、それを村の人たちに渡す?」

「売ることもあります」

「……売る」

 Ⅱ世はまた、その言葉を繰り返した。

「はい。必要な人がいたら、持っていきます」

「君が?」

「はい」

 智世は頷く。

「私が届けることもあります」

 グレイが小さく目を見開いた。

「それでは……智世さんは、村の方々のところへ直接、薬を届けに行くんですか?」

「うん。必要なときは」

 グレイは、しばらく言葉を失った。

 その光景を想像すればするほど、魔術師の世界で育った彼女には奇妙に思える。

 しかし、智世にとっては何もおかしくない。

 必要な人がいる。

 薬を持っている。

 だから届ける。

 それだけのことなのだ。

「それと、シルキーが届けてくれることもあります」

「シルキー?」

 ライネスが尋ねた。

「家にいる妖精です」

 智世が説明する。

「普段は家事をしてくれていて

 …掃除とか、洗濯とか。食事の準備を手伝ってくれることもあります」

「妖精が家事を?」

 ライネスが目を瞬かせた。

「はい」

「それはまた……随分と身近な存在なんだね」

「シルキーは、家のことをしてくれるので」

 智世は、それが特別なことだとは思っていないらしい。

「私が薬を届けられないときは、シルキーが代わりに届けてくれることもあります」

「なるほど」

 ライネスは顎に手を添えた。

「家事をする妖精が、そのまま村との用事まで引き受けているわけか」

「はい」

 智世が頷く。

「シルキーは、家にいてくれるので」

 Ⅱ世は黙って二人の会話を聞いていた。

 妖精が家に住み、家事をしている。

 必要があれば村人へ薬を届ける。

 そして、その薬は魔法使いが作ったものであり、一般の村人たちが日常的に使用している。

 ここまでなら、まだ「奇妙な文化」として処理することもできる。

 だが、さらに問題がある。

 智世は、その薬を買いに来る人間についても話した。

「それから、教会の神父さんも買いに来ます」

「……教会?」

 Ⅱ世が顔を上げた。

「はい」

 智世は頷いた。

「サイモンさんっていう神父さんです」

 その瞬間、Ⅱ世の思考が一段深くなる。

 教会。

 神父。

 その単語から、彼の脳裏に浮かんだのは、当然ながら聖堂教会だった。

 魔術師にとって、聖堂教会は決して無視できない存在だ。

 魔術師と宗教者。

 その二つが常に友好的な関係にあるわけではない。

 まして、魔術師が一般人の暮らす場所で神秘を扱い、

 その薬を教会に属する者が購入しているとなれば――。

「……その神父は、教会の人間なのか?」

 Ⅱ世の声が先ほどより低くなった。

「はい。村の教会の神父さんです」

「聖堂教会の?」

「聖堂……?」

 智世は不思議そうに首を傾げた。

「そこまでは分かりません」

「そうか」

 Ⅱ世は一度、言葉を切った。

 まだ断定できない。

 ただの村の教会かもしれない。

 宗教組織が、自分の知る聖堂教会と同一のものだという保証もない。

 それでも、「神父」という言葉が持つ意味を考えれば、警戒するだけの理由はある。

 ライネスも、兄の表情からその意図を察したようだった。

「兄上、聖堂教会を思い浮かべたね?」

「ああ」

 Ⅱ世は素直に認めた。

「だが、同じ組織だとは限らない。そこは区別するべきだ」

「それでも、気になることは気になる、と」

「そういうことだ」

 ライネスは、智世へ視線を戻した。

「そのサイモンという神父は、君たちのことをどう思っているんだい?」

「サイモンさんは優しい人です」

 智世は少し考えてから答えた。

「でも、エリアスとは仲が悪いです」

「……仲が悪い?」

 グレイが聞き返した。

「はい」

「何か理由があるのですか?」

「詳しくは分からないですけど……」

 智世は少し困ったように眉を寄せた。

「サイモンさんの組織の人が、

 『いつから存在するかわからない魔法使いと、ことを構えたくない』

 って言っているらしいです」

 Ⅱ世は、黙った。

 ライネスもまた、すぐには口を開かなかった。

 グレイだけが、智世の言葉を静かに反芻する。

 いつから存在するかわからない魔法使い。

 ことを構えたくない。

 それは、単純な敵意とは少し違う。

 むしろ、警戒と慎重さだ。

 相手の正体が分からない。

 どれほど古い存在なのかも分からない。

 それならば、こちらから刺激する理由はない。

「……なるほど」

 Ⅱ世がようやく口を開いた。

「それは、随分と現実的な判断だ」

「現実的?」

 智世が尋ねる。

「ああ」

 Ⅱ世は椅子へ身体を預けた。

「相手がどれほどの力を持っているのか分からない。

 どれほど昔から存在しているのかも分からない。

 そんな相手に、こちらから敵対する理由はない」

「でも、エリアスは怖くないですよ」

 智世が言った。

「私には優しいですし」

「それは君にとっては、そうなんだろう」

 Ⅱ世は否定しなかった。

「だが、組織というものは、個人の感情だけで動くとは限らない」

 その言葉に、ライネスが小さく笑った。

「兄上らしいね」

「何がだ」

「君も時計塔という組織の中にいる人間だからね。

 個人としての印象と、組織が相手をどう評価するかが別物だということは、

 よく知っているだろう?」

「……否定はしない」

 Ⅱ世は苦々しく答えた。

 だが、それ以上に気になるのは、その教会側がエリアスを排除しようとしていないことだった。

 神父が魔法使いの薬を買いに来る。

 それだけなら、まだ利益のための妥協とも考えられる。

 しかし、組織の側から「ことを構えたくない」と判断しているのなら話は違う。

 そこには、エリアスという存在に対する一定の評価がある。

 恐れているのか。

 敬意を払っているのか。

 あるいは、単純に手を出すべきではない相手と判断しているのか。

 いずれにせよ、少なくとも敵対関係だけでは説明できない。

「それでも、その神父は薬を買いに来るんだな?」

「はい」

 智世は頷いた。

「サイモンさんは、薬が必要な人にはちゃんと使ってほしいって」

「……なるほど」

 Ⅱ世は目を伏せた。

 それならば、なおさら興味深い。

 彼女の師匠とは仲が悪い。

 その存在を警戒している組織に属している。

 それでも、薬そのものは必要なものとして認めている。

 個人同士の感情と、必要なものを受け取るという現実的な判断。

 その二つが同時に存在している。

 時計塔と聖堂教会の関係を知るⅡ世からすれば、

 それは奇妙でありながら、どこか理解できる構図でもあった。

「……しかし」

 Ⅱ世は静かに呟いた。

「その環境で、君たちは本当に何の問題もなく暮らしているのか?」

「はい」

 智世は頷く。

「みんな、普通に暮らしています」

「妖精が家にいて」

「はい」

「魔法使いが薬を作り」

「はい」

「一般の村人がそれを使い」

「はい」

「神父まで買いに来る」

「……はい」

 智世は少し不思議そうに頷いた。

「何か、おかしいですか?」

 Ⅱ世は答えなかった。

 おかしい。

 確かにおかしい。

 しかし、それは智世の暮らしが間違っているという意味ではない。

 むしろ、そこではそれが成立している。

 一般人と神秘の側にいる者が共存し、妖精が家の中で暮らし、

 魔法使いが薬を作り、それを村人も教会の神父も使う。

 そして、教会側もまた、相手の素性を完全には知らないまま、敵対することを避けている。

 それは、Ⅱ世が知る魔術師社会の常識から見れば、あまりにも奇妙な光景だった。

 だが同時に、ひとつの社会としては不思議なほど自然に成り立っている。

「兄上」

 ライネスが静かに口を開いた。

「ひとつ、分かったことがあるんじゃないかい?」

「何だ」

「この村では、神秘を隠すことよりも、神秘とどう付き合うかのほうが重要なのかもしれない」

 Ⅱ世は黙った。

 その言葉を否定できなかった。

 智世が最初に教わったこと。

 妖精や精霊を知ること。

 何を援け、何を遠ざけるのかを知ること。

 古くから続く慣わしを知ること。

 薬を作ること。

 そして、人間だけではなく、妖精や魔法使い、

 教会の人間まで含めて、その土地で暮らしていくこと。

 全てが一本の線で繋がっているように思える。

「……そうかもしれないな」

 Ⅱ世はようやく答えた。

 智世は、そんな二人を静かに見ていた。

「エリアスは、そういうことを教えてくれました」

 その言葉に、Ⅱ世は智世へ視線を戻す。

「具体的には、何と教えられた?」

「えっと……」

 智世は少し考えた。

 そして、師匠から教わった言葉を思い出すように口にする。

「『君が魔法を習い、術に則り、薬を作れば、それは妙薬となる』って」

 Ⅱ世は、その言葉を黙って聞いた。

 魔法。

 術。

 薬。

 その三つが、智世の中では何の矛盾もなく繋がっている。

 魔術師ならば、そこに理論を求める。

 どのような術式なのか。

 どのような原理なのか。

 何を代価としているのか。

 どこまでが術者の技量で、どこからが素材そのものの性質なのか。

 だが、智世の語る「魔法」には、そうした分類そのものが存在しないようだった。

「……なるほど」

 Ⅱ世は低く呟いた。

「それで、村人たちは普通にその薬を使っているわけか」

「はい」

「誰も不思議に思わない?」

「どうしてですか?」

 智世が逆に尋ねた。

 Ⅱ世は一瞬、言葉を失った。

 それが答えだった。

 智世にとっては、何も不思議ではない。

 薬が効く。

 病気が治る。

 体に負担が少ない。

 だから使う。

 それだけなのだ。

 神秘を隠すべきだという発想そのものが、彼女の日常には存在していない。

 ライネスも、そこまで考えたらしい。

「なるほどね」

 彼女は頬杖をついた。

「つまり、その村では『魔法使い』というものが、少なくとも隠された存在ではないわけだ」

「そうですね」

 智世は頷いた。

「エリアスのことを知っている人もいます」

「……それは、なかなか興味深い」

 ライネスの目が細くなる。

「兄上が今まで聞いてきた話の中でも、かなり大きな違いじゃないかい?」

「ああ」

 Ⅱ世は認めた。

「薬そのものより、そちらのほうが重要かもしれない」

「薬より?」

 智世が聞き返す。

「そうだ」

 Ⅱ世は智世を見る。

「薬がどれほど優れたものかは、まだ分からない。

 だが、君たちがそれをどのような環境で使っているのかは、もっと重要だ」

 Ⅱ世は一度言葉を止めた。

 そして、慎重に続ける。

「私の知る魔術師社会では、神秘を扱う者と一般社会との間には、

 明確な境界がある。それが、君の話ではほとんど存在しない」

「……そうなんですね」

 智世は少し困ったように笑った。

「私は、そういうものだと思っていたので」

「だろうね」

 Ⅱ世も苦笑する。

 その反応を見て、グレイが静かに口を開いた。

「でも……智世さんが、そういうことを普通だと思える環境だったからこそ、

 師匠から教わったことも、今のように繋がっているのかもしれません」

「グレイ?」

「妖精や精霊のことを知ることも、

 古い慣わしを覚えることも、薬を作ることも

 …全部、別々のことではなかったのではないでしょうか」

 Ⅱ世はグレイを見る。

 確かに、その通りなのかもしれない。

 智世の師匠が最初に教えたのは、魔法そのものではなかった。

 周囲にいるものを知ること。

 何を援け、何を遠ざけるのかを知ること。

 人間だけではなく、人間の外側にいるものたちとも関わること。

 古くから続く慣わしを知り、その理由を考えること。

 そして、薬を作ること。

 さらには、神父でさえその薬を買いに来る。

 そこには、単純な魔術師と一般人という二分では収まらない関係がある。

 Ⅱ世は、椅子の背へ身体を預けた。

「……君の師匠が、どういう人物なのか。少し分かってきた気がする」

「本当ですか?」

「ああ」

 Ⅱ世は頷いた。

「少なくとも、魔法を教える前に、

 魔法を使う者が周囲とどう関わるべきなのかを教えた人間だったんだろう」

「はい」

 智世の表情が、少しだけ柔らかくなる。

「エリアスは、そういう人でした」

 その言葉を聞きながら、Ⅱ世は再び考え込んだ。

 智世の「魔法」。

 これまで聞いた限りでは、確かに未知の術体系として考えたほうが理解しやすい。

 道具の作り方。

 薬の調合。

 妖精や精霊との関わり。

 そして、それらを教える師匠。

 現象だけを見れば、魔術として説明できる部分もある。

 ならば、彼女の言う「魔法」とは、

 時計塔のどこにも記録されていない、未知の魔術なのではないか。

 そう考えれば、いくつかのことは整理できる。

 だが――。

 一般の村人たちが、その「魔法使い」の薬を当たり前のように使っていること。

 妖精が家に住み、家事をし、必要なら薬まで届けていること。

 神父までもが、その薬を買いに来ること。

 そして、教会側もまた、エリアスという存在を警戒しながら、

 ことを構えることを避けていること。

 そこだけは、どうしても時計塔の常識では説明できない。

 むしろ、その奇妙な社会の在り方こそが、智世の「魔法」を理解するための鍵なのではないか。

 そんな考えが、Ⅱ世の中に残った。

 彼は、向かいに座る智世を見た。

 彼女は自分が何を話したのかを、まだ特別なことだとは思っていないらしい。

 そのことが、かえってⅡ世には印象的だった。

 彼女にとっては、それが日常なのだ。

 魔法も。

 妖精も。

 薬も。

 教会も。

 そして、それらと共に暮らす人々も。

 Ⅱ世は小さく息を吐いた。

「……まだ、分からないな」

「何がですか?」

「君の言う『魔法』が、何なのかだよ」

 智世は黙ってⅡ世を見る。

「私には、君が知らない魔術を使っているようにも見える。

 だが、そう決めつけるには、まだ分からないことが多すぎる」

「……はい」

「だから、もう少し聞かせてもらいたい」

 Ⅱ世はそう言って、椅子に座り直した。

 まだ、知るべきことは残っている。

 そして、話を聞けば聞くほど、智世の「魔法」は技術だけではなく、

 彼女が生きてきた環境そのものと結びついているように思えた。

 それが何なのか。

 Ⅱ世には、まだ答えが出せない。

 ただひとつ分かっているのは――。

 目の前にいる少女が語る「魔法」は、

 彼がこれまで知ってきた魔術師の世界とは、あまりにも違うということだった。

 

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