『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』   作:丹波りん

9 / 12
第9話 届いた手紙

 それからもしばらく、智世とⅡ世たちの話は続いていた。

 妖精や精霊のこと。

 魔法使いの暮らし。

 エリアスから教わったこと。

 魔法と魔術の違い。

 話題は一つ終わるたびに、別の疑問へと繋がっていった。

 Ⅱ世が問い、智世が答える。

 その答えから新たな疑問が生まれ、ライネスやグレイが加わる。

 そうしているうちに、いつの間にか時間は大きく過ぎていた。

 智世にとっては、自分が当たり前だと思っていたことを話しているだけだった。

 一方でⅡ世にとっては、その一つ一つが魔術師としての常識を揺さぶるものだった。

 精霊や妖精が身近にいる。

 魔法使いが普通の村人に薬を作る。

 人ならざるものと共存することを学ぶ。

 それらは個々に見れば理解できる。

 しかし、それらが一つの生活圏の中で当然のように成立しているとなると話は別だった。

 魔術師の社会では、神秘は隠される。

 魔術師が一般人の前で力を振るうことそのものが、問題になり得る。

 ましてや、魔法薬を日常的に配るなどという話になれば、

 秘匿という原則との齟齬は無視できない。

 Ⅱ世はその違和感を頭の片隅に置いたまま、智世の話を聞き続けていた。

 そして――。

 ――ゴーン。

 重い鐘の音が室内へ響き渡った。

 智世が顔を上げる。

 グレイも窓の外へ目を向けた。

 ライネスは壁の時計を確認し、苦笑する。

「……もう昼じゃないか」

 Ⅱ世も時計へ目をやった。

「そのようだな」

「そのようだな、ではないよ、兄上」

 ライネスが呆れたように笑った。

「随分と話し込んだものだね」

「……」

 Ⅱ世は黙った。

 反論する余地はない。

「私も少々、時間を忘れていたようだ」

「少々、ねぇ」

 ライネスは楽しそうに目を細めた。

「まあ、それだけ興味深い話だったということだろうけど」

「否定はしない」

 智世が申し訳なさそうに頭を下げる。

「すみません。私もいろいろ話してしまって」

「君が謝ることじゃないさ」

 ライネスは手を振った。

「むしろ、こちらが礼をするべきだろう」

「礼……ですか?」

「これだけ面白い話を聞かせてもらったんだ。昼食くらいは少し奮発しようじゃないか」

「そんな……」

「遠慮はいらないよ」

 ライネスは立ち上がった。

「どうせ兄上は、まだまだ君に聞きたいことがあるんだろう?」

「それは……」

「ほらね」

 ライネスが笑う。

「では、昼食にしよう。少しくらい豪華なものでも構わないだろう?」

「私は構わないが……」

「なら決まりだ」

 グレイも立ち上がった。

「智世さんも、ご一緒にどうぞ」

「はい。ありがとうございます」

 智世が立ち上がる。

 その隣で、ルツも立ち上がった。

 犬の姿が、ゆっくりと変化していく。

 黒い毛並みが消え、四本の脚が人の手足へと形を変える。

 やがてそこに立っていたのは、黒い服を纏った青年だった。

 Ⅱ世は、その姿を改めて眺めた。

 グレイから話は聞いている。

 ルツが人の姿を取れることも知っている。

 それでも、実際に見るたびに違和感が残る。

「……何度見ても、特殊な使い魔だな」

「そうか?」

 ルツが首を傾げた。

「君は、自分が特殊だという自覚がないのか?」

「オレはオレだ」

 あまりにも素っ気ない返事だった。

 Ⅱ世は小さく息を吐く。

 使い魔という分類そのものは間違っていない。

 魔術師と契約し、その使役を受ける存在。

 時計塔においても珍しいものではない。

 しかし、ルツをそれだけで説明するには無理がある。

 自我があり、人の姿を取り、契約者である智世と自然に言葉を交わす。

 さらに、智世が語った妖精や精霊との関係まで含めれば、

 彼女の周囲にいる人外の存在を単純な「使役対象」として考えるのは適切ではないだろう。

 魔術師と使い魔。

 主人と従者。

 そうした時計塔の分類だけでは、少しずつ説明しきれなくなっている。

「……まあ、今はいい」

 Ⅱ世は思考を切り上げた。

「兄上」

 ライネスが笑う。

「その顔は、また考え始めているね?」

「考えるくらいはいいだろう」

「もちろんさ。ただし、昼食を忘れない程度にしてくれたまえ」

「分かっている」

「本当かい?」

「……ライネス」

「はいはい。では、行こうか」

 一行が扉へ向かおうとした、その時だった。

 部屋の端で、空気が揺らいだ。

 グレイが足を止める。

 智世も振り返った。

 何もないはずの場所が、水面のように波打っている。

 Ⅱ世の表情から、それまでの緩みが消えた。

「待て」

 低い声が落ちる。

 全員が動きを止めた。

 Ⅱ世は反射的に智世たちの前へ出る。

 ライネスも歪んだ空間を見つめた。

 智世はその光景を見て、息を呑んだ。

「……これ」

 覚えがある。

 裏道で起きた異変。

 道が本来とは違うところへ繋がり、

 自分たちが戻れなくなったときに感じたものと似ていた。

「裏道のときと、似ています」

「そうか」

 Ⅱ世は短く答えた。

 歪みが大きくなる。

 空間そのものが薄く裂けたように見えた。

 そして、その裂け目から一羽の鳥が飛び出してきた。

「鳥……?」

 グレイが呟く。

 しかし、生きた鳥ではない。

 紙でできている。

 紙を折り重ねたような姿でありながら、翼は確かに羽ばたいていた。

 紙の鳥は室内を一度旋回すると、まっすぐ智世のもとへ向かってくる。

「……エリアス」

 智世が呟いた。

 ルツも鳥を見て頷く。

「間違いない。あいつからだ」

 紙の鳥は智世の前まで来ると、静かに翼を畳んだ。

 すると、その身体が突然ほどけ始めた。

 翼を形作っていた紙が一枚ずつ細かな紙片へと崩れていく。

 胴も、頭も、尾も同じように形を失っていった。

 紙片は床へ落ちることなく、空中へふわりと舞い上がる。

 それぞれが風に吹かれたように揺れながら、互いに寄り集まっていく。

 鳥だった形が崩れたと思った次の瞬間には、

 無数の紙片が一つの流れとなって智世の前を巡っていた。

 そして、それらは再び一枚の紙へと戻っていく。

 折り目も、紙の端も、最初から一枚の紙だったかのように整えられていった。

 最後に残った紙が、ふわりと智世の手元へ落ちる。

「……」

 Ⅱ世は黙ってそれを見ていた。

 変化そのものよりも、変化の仕方が気になった。

 紙を鳥の形へ変えたのではない。

 鳥として成立していたものが、いったん細かな紙片へと分解され、

 そこから一枚の紙として再構成された。

 つまり、少なくとも外見上の変形だけを行っているわけではない。

 鳥という形態を一時的に成立させている術式と、

 その術式を解除した際に媒体を本来の状態へ戻す処理がある。

 問題は、その処理がどこに仕込まれているかだった。

 紙そのものか。

 鳥を成立させる術式か。

 あるいは、紙と送り手の間に結ばれた何らかの契約的な関係か。

 Ⅱ世は目の前の一枚の紙を見た。

 魔術的な処理が施されていることは疑いようがない。

 だが、既存の術式を読み解くときのように、

 術式の系統をその場で特定することはできなかった。

 これは単に「紙を鳥に変える魔術」ではない。

 最初から紙と鳥の両方を術式の一部として扱っている。

 そう考えたほうが自然だった。

「手紙です」

 智世が紙を開く。

 エリアスからのものだと確認すると、簡単に目を通した。

 裏道で異変が起きていること。

 エリアスが智世たちを探していること。

 そして、無事なら返事を書いてほしいということ。

「エリアスも、裏道で起きたことを調べているみたいです」

「君たちが巻き込まれたことは、向こうにも伝わっているわけだな」

「はい」

 智世は頷いた。

「私たちが戻れなくなったことも、分かっていると思います」

 Ⅱ世は頷いた。

 それならば、少なくとも一つの情報は得られた。

 異変は智世たちだけが認識しているものではない。

 エリアスも同じ異常を認識し、その原因を調べている。

 これは重要な観測結果だった。

 もし智世たちの移動が、エリアス自身の意図によって引き起こされたものならば、

 彼が彼女たちを「探している」という状況は不自然になる。

 もちろん、偽装や欺瞞の可能性まで排除できるわけではない。

 しかし、現時点でそこまで疑う理由もない。

 ならばまず、智世たちの移動と紙の鳥による通信を、同一の術式として扱わないほうがいい。

 Ⅱ世はそう判断した。

 裏道で起きた異変と、今ここに現れた紙の鳥。

 両者には明らかに関連がある。

 だが、関連があることと、同じ術式であることは別問題だ。

 未知の現象を扱うとき、そこを混同すると推論は簡単に崩れる。

 まず分ける。

 観測できた現象を、それぞれ別の事実として並べる。

 そのうえで、共通する条件だけを拾う。

 それが、魔術を調べるうえでの基本だった。

 今回、確認できたのは三つ。

 裏道で異常な接続が発生したこと。

 その結果として智世たちが戻れなくなったこと。

 そして今、その異常な接続を通って、エリアスから紙の鳥が送られてきたこと。

 この三つを結びつける何らかの原理がある。

 だが、その原理が何なのかはまだ分からない。

「返事を書いてもいいですか?」

「もちろんだ」

 智世は机へ向かった。

 ペンを取り、短く返事を書き始める。

 Ⅱ世はその間、先ほどの紙の鳥が現れた空間を見つめていた。

 まず考えるべきは、既存の魔術による説明だ。

 使い魔。

 通信術式。

 転移。

 召喚。

 結界。

 どれも候補にはなる。

 しかし、どれか一つに決めつけるには観測された現象が少なすぎた。

 紙の鳥だけならば、術式を仕込んだ使い魔、あるいは自律型の魔術媒体として説明できる。

 むしろ問題なのは、その鳥が通ってきた経路だった。

 Ⅱ世は先ほどの空間の歪みを思い返す。

 そこには、転移術式にありがちな「対象そのものを移動させる」という印象が薄かった。

 空間が一瞬だけ開き、その向こうから鳥が現れた。

 ならば、術式の主体は鳥ではない。

 鳥を運ぶために成立した経路のほうにある。

 これは転移というより、接続に近い。

 もちろん、転移術にも空間的な距離を無視するものはある。

 しかし、そこには通常、移動させる対象と、

 その対象が到達すべき地点を定義する必要がある。

 座標。

 魔力的な標識。

 術者自身の認識。

 あるいは、土地に結びついた何らかの基準。

 何を基準にするかによって、術式の性質は大きく変わる。

 ところが今回、それが見えない。

 エリアスはこの場所の座標を知っていたのか。

 智世との契約や関係を手掛かりにしたのか。

 それとも、紙そのものに接続先を定義する情報が組み込まれていたのか。

 どれも可能性はある。

 だが、決め手がない。

 さらに、もう一つ奇妙な点がある。

 紙の鳥は、こちらへ来るだけでは終わらなかった。

 智世が返事を書くと、今度は逆方向へ戻っていった。

 つまり、この接続は一方通行ではない。

 ここで単純な遠隔通信術式という説明も弱くなる。

 情報だけを送るのであれば、紙そのものを空間的に移動させる必要はない。

 魔力を介して情報を伝達する術式なら、もっと小規模な術式で済む。

 それでもエリアスは、紙そのものを送り込んだ。

 ならば、紙は単なる手紙ではない。

 通信のための媒体であると同時に、接続を成立させるための媒介なのかもしれない。

 Ⅱ世の思考が一段深くなる。

 魔術には、必ず何らかの「基盤」がある。

 術者の魔力だけで成立する現象など、そう多くはない。

 土地。

 神秘。

 触媒。

 術式。

 対象との縁。

 あるいは、それらを組み合わせたもの。

 何かを基準として現象を成立させるからこそ、魔術は再現可能な技術として研究できる。

 だからこそ、未知の魔術を目にしたときも、

 まず探すべきものは「何を使って成立させているのか」だった。

 Ⅱ世は紙を見た。

 次に、空間の歪んでいた場所を見る。

 そして智世を見る。

 紙。

 接続点。

 送り手。

 受け手。

 この四つのうち、どれが術式の核なのか。

 あるいは、四つすべてが条件なのか。

 もし智世とエリアスの関係が接続条件ならば、術式は単純な座標指定型ではない。

 もし紙が鍵ならば、あの紙を媒介として特殊な通信網を形成している可能性がある。

 もし裏道そのものが条件ならば、空間の接続は術者の技術だけではなく、

 土地側の性質にも依存していることになる。

 いずれにしても、

 時計塔で一般的に教えられている転移術式へ、そのまま押し込むことはできない。

 しかし、ここで「未知の魔術だ」と結論するのも早い。

 時計塔は広い。

 自分が知らない術式など、それこそいくらでもある。

 自分が専門とする現代魔術の範囲から外れれば、なおさらだ。

 他学科に類似の研究がある可能性。

 古い術式が変形して残っている可能性。

 特定の家系だけが継承している技法である可能性。

 あるいは、複数の既存術式を組み合わせたもの。

 可能性を並べるだけなら、いくらでもできる。

 だが、一つ一つを検証していくなら、まず最も単純な説明から潰していくべきだ。

 紙の鳥は使い魔なのか。

 違うなら、なぜ生物としての構造を持つ必要がある。

 転移術なのか。

 違うなら、なぜ経路そのものが一時的に開いたように見えた。

 通信術なのか。

 違うなら、なぜ媒体そのものを通す必要がある。

 結界なのか。

 違うなら、なぜ特定の相手との間だけで接続が成立する。

 召喚なのか。

 違うなら、何をこちらへ召喚しているのか。

 そうして一つずつ可能性を並べていくと、どの分類にも完全には収まらないことが見えてくる。

 だからこそ、Ⅱ世は焦らなかった。

 分からない。

 それは魔術師にとって、恥ずべきことではない。

 分からないものを分からないままにせず、分からない理由を見つける。

 その積み重ねこそが、未知を研究するということだ。

「……妙だな」

 Ⅱ世が呟いた。

「何がだい?」

 ライネスが尋ねる。

「紙の鳥だけなら説明はつく」

 Ⅱ世は答えた。

「だが、鳥が通ってきた経路については、既存の分類のどれにも綺麗には収まらない」

「転移術では?」

「候補ではある」

 Ⅱ世は即答した。

「だが、まだ採用できない」

「ほう?」

「転移術なら、対象と移動先をどう定義しているのかを考える必要がある。

 今回、それが見えない」

 Ⅱ世は空間の歪んでいた場所を見た。

「それに、こちらからも同じ経路を利用できる」

「返事が戻るからか」

「ああ」

 Ⅱ世は頷いた。

「ならば、少なくとも一方的な転移ではない。

 術者が対象を送り込んで終わる術式ではなく、

 二つの地点の間に一定時間だけ成立する接続と考えたほうが自然だ」

「その接続を成立させているものが分からない、と」

「そういうことだ」

 ライネスは面白そうに目を細めた。

「兄上にしては、随分慎重じゃないか」

「慎重になるのが当然だ」

 Ⅱ世は即座に返した。

「分からないものを、分かったことだと決めつけるほうが危険だからな」

 それ以上、ライネスは何も言わなかった。

 智世のペンが紙の上を走る音だけが、しばらく室内に響いた。

 やがて、その音が止まる。

「書き終わりました」

 智世が振り返った。

 手紙の内容は簡潔だった。

 自分とルツが無事であること。

 今はこちらで保護されていること。

 裏道で何が起きているのかはまだ分からないが、

 エリアスが調べてくれていることを知って安心したこと。

 それだけが短く記されている。

 Ⅱ世は内容を確認すると頷いた。

「これでいいだろう」

「はい」

 智世が紙を手に取る。

 その瞬間だった。

 紙が、小さく震えた。

 紙の端がふわりと持ち上がる。

 そして、先ほどと同じように紙そのものがほどけ始めた。

 細かな紙片が空中へ浮かび上がる。

 一枚だった紙が、いくつもの小さな断片へと分かれていく。

 紙片は落下することなく、互いに引き寄せられるように旋回し始めた。

 Ⅱ世は一歩も動かず、その変化を追った。

 発動の瞬間。

 智世が何らかの呪文を唱えたわけではない。

 魔力を流した様子もない。

 ならば、起動条件は彼女の意識的な操作ではない。

 おそらく、手紙そのものに条件が設定されている。

 紙片が次第に一つの形を取っていく。

 翼。

 頭部。

 胴。

 尾。

 先ほどと同じ紙の鳥が、まるで最初からそこに存在していたかのように完成した。

 Ⅱ世は目を細めた。

 やはり同じだ。

 ここでも術者の直接操作は確認できない。

 つまり、少なくとも紙の鳥の形成については、

 自律的に発動する術式が組み込まれている可能性が高い。

 問題は、その次だ。

 紙の鳥は迷うことなく、先ほど空間が歪んだ場所へ向かった。

 空気が波打つ。

 一瞬だけ、裂け目が開く。

 鳥はそこへ飛び込んだ。

 そして消える。

 裂け目も、すぐに閉じた。

「…………」

 Ⅱ世は、その場所を見つめ続けていた。

 今度は先ほどよりも多くの情報がある。

 発動条件。

 媒体。

 接続の方向。

 接続の持続時間。

 そして、術者がその場にいなくても術式が完結していること。

 だが、最も重要なのは別にある。

 同じ紙を使い、同じ経路を往復できた。

 ならば、この術式は「目的地へ送る」のではなく、

 「特定の相手との間に経路を作る」ことを目的としている可能性が高い。

 そうなると、座標だけでは説明がつかない。

 相手を指定する何らかの条件が必要になる。

 名前か。

 契約か。

 魔力的な縁か。

 あるいは、もっと別の何かか。

 Ⅱ世は考える。

 時計塔の魔術において、対象との「縁」を利用する技法そのものは珍しくない。

 召喚には触媒が使われる。

 呪詛には対象との接触が利用される。

 契約には双方を結びつける条件が必要になる。

 ならば、今回の接続にも何らかの縁が使われている可能性はある。

 しかし、何を縁としているのかが分からない。

 智世とエリアスの契約なのか。

 紙そのものなのか。

 裏道という場所なのか。

 それとも、そのすべてなのか。

 ここまで来ると、術式そのものを見ただけでは判断できない。

 次に必要なのは、比較だった。

 別の紙を使えば同じ現象が起こるのか。

 智世以外の人間でも返事を送れるのか。

 エリアス以外からも接続できるのか。

 裏道以外の場所でも成立するのか。

 条件を一つずつ変えれば、術式の核が見えてくる。

 そう考えたところで、Ⅱ世は小さく息を吐いた。

 まだ何も試せない。

 今はただ、一度起きた現象を観測しただけだ。

 それでも、先ほどよりは分かった。

 分かったことが増えた分だけ、分からないことも明確になった。

 それで十分だった。

「兄上」

 ライネスが声を掛ける。

「後にしたまえ」

「しかし――」

「昼食だよ」

 ライネスは笑っている。

 ただし、その声には有無を言わせない響きがあった。

「さっきから兄上は、食事より未知の術式のほうが大事そうじゃないか」

「……そういうわけではない」

「なら、今は忘れたまえ」

 ライネスは扉へ向かった。

「食事をしてから考えればいい。今すぐ結論を出せるものでもないだろう?」

 Ⅱ世はしばらく歪みの消えた場所を見つめていた。

 そして、ようやく息を吐く。

「……分かった」

「よろしい」

 ライネスが満足そうに笑った。

 一行は改めて部屋を出た。

 ただし、時計塔の中を無警戒に歩くわけにはいかない。

 智世は、この場所ではまだ身元のはっきりしない少女だ。

 ルツも、人の姿を取っているとはいえ、

 事情を知らない魔術師から見れば特殊な使い魔にしか見えない。

 時計塔では、珍しいものほど目につく。

 そして目についたものは、誰かの興味を引く。

 それが派閥や研究に結びつけば、話はさらに面倒になる。

「なるべく人目の少ないところを通るぞ」

 Ⅱ世が言った。

「他の生徒や、別の派閥の連中に見つかれば面倒だ」

「兄上にしては随分と慎重だね」

「当然だ。今の私たちに余計な噂を立てられる余裕はない」

 グレイが先に周囲を確認する。

「こちらなら、人が少ないと思います」

「頼む」

 一行は人の流れを避けながら歩き始めた。

 昼時の時計塔には、学生たちの姿が増えている。

 魔術書を抱えた者。

 講義へ急ぐ者。

 何人かで集まって話している者。

 誰もが、自分たちの研究や生活に追われている。

 その中へ、智世たちが不用意に入り込む必要はなかった。

 やがて、人目の少ない場所まで抜ける。

 そこから外へ出ると、一台の車が待っていた。

「さあ、乗ろうか」

 ライネスが先に乗り込む。

 グレイが続き、智世とルツも後部座席へ入った。

 最後にⅡ世が乗り込む。

 ドアが閉じられ、車がゆっくりと動き始めた。

 時計塔の建物が、窓の向こうへ遠ざかっていく。

 智世は外を眺めた。

 まだ知らない場所。

 まだ知らない人々。

 そして、帰ることのできない自分たちの家。

 それでも、エリアスから手紙が届いた。

 自分たちが無事だと伝えることもできた。

 それだけで、少しだけ心が軽くなっていた。

 一方、Ⅱ世は車窓へ視線を向けていた。

 紙の鳥。

 空間の裂け目。

 裏道。

 そして、エリアス。

 頭の中では、先ほどの観測結果がまだ整理され続けている。

 紙の鳥そのものは、特殊ではあるが説明できる。

 問題は、鳥を通した経路だ。

 転移では説明しきれない。

 通信だけでも説明できない。

 召喚でもない。

 結界として考えるには、接続の仕方が特殊すぎる。

 ならば、複数の術式を組み合わせているのか。

 それとも、最初から時計塔で一般的に使われる分類とは別の切り口で組み立てられているのか。

 まだ判断はできない。

 しかし、少なくとも一つだけ確かなことがある。

 智世の言う「魔法」を、最初から理解不能な奇跡として扱う必要はない。

 未知であることと、原理が存在しないことは同義ではない。

 むしろ、ここまで明確な手順と条件がある以上、何らかの法則に従っている可能性は高い。

 だからこそ、Ⅱ世は興味を持っていた。

 魔術師にとって、未知とは恐怖であると同時に、研究対象でもある。

 分からないなら調べればいい。

 観測し、比較し、仮説を立て、違えば捨てる。

 そうやって少しずつ、未知を既知へ近づけていく。

 今は、それしかない。

 智世の言う「魔法」が何なのか。

 エリアスがどのような術を使うのか。

 裏道で何が起きているのか。

 どれもまだ答えは出ていない。

 だが、先ほどの紙の鳥によって、少なくとも調べるべき項目は増えた。

 それだけでも収穫だった。

「兄上」

 向かいからライネスの声が飛んでくる。

「今は昼食だよ」

「……分かっている」

「なら、そんな難しい顔はやめたまえ」

「難しい顔などしていない」

「しているさ」

 ライネスが楽しそうに笑う。

 Ⅱ世は小さく息を吐いた。

 そして、もう一度だけ窓の外へ視線を向ける。

 車は時計塔を離れ、昼の街へと走り出していた。

 今はまだ、考えるべきことを脇へ置くしかない。

 紙の鳥がどこから来たのか。

 あの空間が何によって繋がったのか。

 そして、裏道で何が起きているのか。

 いずれも、まだ答えは出ていない。

 ただ、その答えを知るための手掛かりが、ようやく一つ手元に届いたのだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。