異世界を救ったTS姫様と勇者は、現代に帰還しても男女カップルチャンネルの配信でてぇてぇ営業して生きていく。ダンジョン配信もやるよ 作:vhuphje
僕は荷造り配信を終了したあと、チャット欄に最後にとどいていたコメントを見つめていた。
『二人とも帰ってきてね』
『おかえりを言わせて』
床には、さっきまで配信で詰めていた二つの遠征鞄が並んでいる。
隣でリョウが言った。
「向こうでも、よく言ってたな」
「何を?」
「おかえり、とか、待ってる、とか」
「……最初は、僕の言葉じゃなかったんだよ」
勇者を送り出した姫君は、お城で帰りを待つ。
帰ってきた勇者へ、おかえりなさいと言う。
そういうものだと、教えられていたはずだ。
「でも、イオリが言った」
「まあ、そうだね」
この長くなった髪を一人で洗うこともできず、自分のために用意された椅子へどう座ればいいのかも分からなかった、向こうの世界の王宮での話だ。
+++++
異世界へ来た日の夕方。
案内された部屋は、僕が一人で使うには広すぎた。
寝室と衣装室、浴室。応接に使える場所と小さな食堂まであり、その奥には侍女たちの控室がある。窓の外には王宮の中庭が見えた。
「こちらが、姫君のお部屋でございます」
案内してくれた女性が、僕へ深く頭を下げた。
セシリア。
東側の塔にいる侍女たちをまとめている人で、今日から僕の身の回りを預かるのだと説明された。
「……僕一人で、ここ全部を使うんですか」
「はい」
「こんなにいりません」
「必要のないお部屋は、お使いにならなくとも構いません」
僕が使わなくても、姫君の部屋として用意されたものは、僕のための場所として残るらしい。
「あの。僕が、ここに来る前は男だったことも聞いていますか」
「はい」
「それでも、姫君なんですか」
「はい。ですが、お呼び方にご希望がございましたら、お申し付けくださいませ」
「……姫君と呼ばれたくないと言ったら?」
「お呼び方は改めます。ですが、姫君を粗末にお扱いすることはできません」
迷わず返された。
「……改めなくて、いいです」
数時間前まで、僕は普通の男子高校生だった。
家族と暮らし、学校へ行き、リョウと同じ教室にいた。
それがいまは、知らない世界の王宮で、昨日まで存在すら知らなかった部屋を自分のものとして与えられている。
身体まで違っていた。
歩くと、腰より長い青墨色の髪が背中を滑る。その内側には、白い毛束が帯のように混じっている。
胸元には今までなかった重さがあり、足の長さも腰の位置も違う。
召喚陣の上で立ち上がろうとした時、その違いを計算できず、僕はその場で思い切りバランスを崩した。
手と膝を床につく寸前で、リョウが腕をつかんでくれた。
完全には支えきれず、結局、片手と片膝は床へついたけれど、大きく倒れずに済んだ。
その直後、リョウは勇者としての力を調べるため、別の部屋へ連れていかれた。
「リョウは?」
自分の身体のことを考えていたはずなのに、先に口から出たのはその名前だった。
「勇者様も、別室で召喚後のお身体とお力の確認を受けておられます」
「会えないんですか」
「本日は確認に時間を要する見込みでございます。明日、あらためてお時間を整えます」
数時間前までなら、話したければ教室内の席に行けばよかっただけなのに。
「姫君のお部屋へお通しする方は、事前にお知らせいたします。こちらでお会いになるかどうかは、姫君がお決めくださいませ」
「僕が決めるんですか」
「ここは、姫君のお部屋でございますから」
会う自由がなくなったわけではない。
むしろ、ここへ誰を入れるのかを僕が決める立場になった。
その違いも、まだうまく飲み込めない。
+++++
王宮医師は女性だった。
触れる前には、何を調べるのかを一つずつ説明された。宮廷術師も必要以上には近づかず、測定具を使って僕の魔力を調べていく。
分かったのは、この身体は安定しているということ。それだけ。
リョウには早くも勇者の力が現れたらしい。
「訓練場の壁を……?」
「一部、損傷されたとのことでございます」
「一部って、どれくらいですか」
「詳しくは、まだ」
剣を持つ訓練へ入る前から、力が漏れたという。
僕には、そういう分かりやすいものはなかった。
「何もできなかったら、僕はどうなるんですか?」
王宮医師がわずかに眉を寄せた。
「姫君は、すでにこちらへお越しくださいました」
「来ただけです」
「お越しくださったことが、まず大切なのでございます」
答えになっているような、なっていないような。
いまは来たばかりだから丁寧に扱われているだけで、役に立たないと分かれば、この扱いも変わるのかもしれない。
そんなことを考えている僕の前へ、診察が終わると温かい飲み物が運ばれた。
部屋も服も食事も、僕が何かできると証明するより先にもう用意されていた。
+++++
お風呂――こちらでは湯浴みというらしい――では、危うく四人に囲まれそうになった。
僕は浴室の入口で止まった。
「身体は、自分で洗えます」
セシリアは、すぐにうなずいた。
「承知いたしました。では、お髪とお背中だけ、お任せいただけますか」
「背中も、手は届くと思います」
「赤みや傷がないか、確認させていただきたいのです」
「……見るだけなら」
「ありがとうございます」
嫌だと言ったことを押し切られなかった。
自分でできるところまでは自分でやらせてもらえて、困るところだけを手伝ってもらえる。
そのことに少し安心して浴槽へ入ろうとした途端、ちゃぷと毛先が湯へ落ち、長い髪が水面へ広がった。
「待って、これ、全部入っちゃう……」
「お持ちいたします」
「……お願いします」
これは、一人では無理だった。
水を含んだ青墨色の髪は、背中へずしりと重くなる。セシリアたちは毛先を床へ落とさず、湯を含ませ、香草の洗い粉を泡立てていった。
「引っ張ったら言います」
「引かれましたら、でございますね」
「……そうです」
「はい」
少しだけ笑われた気がした。
でも、嫌ではなかった。
僕が男だったことを、みんな知っている。
それでも、変わった身体を面白がるような視線は向けられない。
傷がないか。湯が熱すぎないか。長い髪が絡んでいないか。
身体が変わった僕自身より、この人たちの方が、この身体をどう扱えばいいのか知っていた。
湯から上がると、柔らかな内衣を整えられ、その上から白と淡青の寝衣を着せられた。
「昼間の服、少し重かったです」
「では明日は、姫君のお姿を崩さぬ範囲で、布の重なりを減らしてみましょう」
「……できますか」
「お試しになって、重ければまたお教えくださいませ」
鏡台と食卓には、大輪の花が飾られていた。甘い香りが部屋の中まで満ちている。
「この花も、少しだけ香りが強いです」
「明朝は、香りの淡いものへ替えます」
服を減らしたいと言えば、できる範囲で変えてもらえる。
花の香りが強いと言えば、明日から替えてもらえる。
この人には、嫌だったことを言っていいらしい。
それからセシリアは僕を鏡台の前へ座らせ、乾いた髪へ櫛を入れた。
青墨色の髪が動くたび、その内側から白い毛束が覗く。
「姫君のお髪は、この白いところがとても綺麗でございますね」
「……白いところ?」
「はい。お髪を動かした時によく映えます」
言われて、鏡の中で少しだけ髪を動かしてみる。
濃い色の下から白がちらりと覗き、また隠れた。
ただ色が違うだけだと思っていた。
鏡台へ、いくつかの髪留めが並べられる。
青い石。
真珠。
金の花。
装飾の少ない銀。
「どちらになさいますか」
「……どれでも構いません」
「姫君がお選びになったものを、お使いしたく存じます」
急かされなかった。
僕が「どれでもいい」と言っているのに、セシリアは僕自身が選ぶのを待っている。
しばらく迷って、一番小さな銀の留め具を指した。
「では、それでお願いします」
「かしこまりました」
銀の留め具が、低くまとめられた髪へ、かちりと収まった。
装飾が少ないから選んだだけなのに、白と淡青の寝衣によく馴染んでいた。
鏡の中の僕は、かわいかった。
自分のことをそう思うのは、まだ変な感じがする。
でも、ここに来るまで男だったからこそ、目の前にいる人間がどう見えるのかは分かってしまう。
長い青みがかった黒いきれいな髪。
その下から覗く髪の白い部分。
白い肌と細い肩。寝衣の下でも分かる、昨日まではなかった、くびれのある身体。
知らない女の子がこんな姿で目の前にいたら、たぶん目で追う。
かわいい、抱きたい。
それが、いまは僕の身体だった。
ただ、鏡からすぐには目を逸らせなかった。
「姫君?」
声をかけられ、僕は銀の髪留めへ触れた。
「……何でもありません」
「銀のお色は、お気に召しませんでしたか」
「違います。気に入りました」
言ってから、自分でも少し驚いた。
今日初めて、すきなものを誰かへ伝えた。
いやだったものじゃなくて。
セシリアは大げさに喜ばなかった。
「では、明日もお使いになれますよう、こちらへご用意いたします」
返事は、ただそれだけだった。
僕が気に入ったという事実が、明日にも残るらしい。
+++++
夕食は、一人分とは思えない量だった。
「これ、全部僕のですか」
「はい」
「リョウも、ちゃんと食べていますか」
「勇者様にもお食事をご用意しております」
「……ちゃんと食べるかな」
「厨房へ申し伝えましょうか」
「僕が心配していたとは言わないでください」
「では、温かい物を十分にお出しするよう申し伝えます」
料理はおいしかったけれど、全部は食べられなかった。
多すぎると伝えると、セシリアは明日から一皿の量を減らすと言った。
食事のあとには、夜中に何かあった時のための小さな銀の鈴が、寝台脇へ置かれた。
「夜中に何かございましたら、お鳴らしください」
「呼ぶほどのことがなければ?」
「お休みくださいませ」
「……分かりました」
一人になった。
姫君の寝台は、僕一人で使うには広すぎる。
長い髪は、教えられた通り寝台の片側へ流した。
銀の鈴には触れなかった。
水差しも、温かい飲み物も、必要になりそうなものはすでに手の届く場所へ置かれていたから。
男だったことも、この身体を扱いきれないことも、特別な力が見つからなかったことも、少なくとも今日一日は、僕を粗末に扱う理由にはされなかった。
まだ、それだけで全部を信じることはできない。
でも明日も、嫌だと言ったことは聞いてもらえるのかもしれない。
気に入ったと言った銀の髪留めも、また用意されているのかもしれない。
そして明日は、リョウに会う。
召喚された直後にも顔は合わせている。
けれど、あの時は自分の身体すらよく分からないまま、立とうとして転び、リョウに支えられ、そのまま別々に連れていかれた。
明日は違う。
僕自身が、この姿を少し知ってしまったあとで会う。
リョウは、どんな顔をするのだろう。
昨日までは、そんなことを考えもしなかった。
でも今は、自分がどう見えるのかを知ってしまった。
僕は、自分で選んだ銀の留め具へ触れた。
そのまま、姫君として用意された寝台の中で、異世界へ来て初めて眠った。
20話をお読みいただきありがとうございました。
召喚直後のふたりの回想編をお届けしました。回想編は2話セットになります。
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