異世界を救ったTS姫様と勇者は、現代に帰還しても男女カップルチャンネルの配信でてぇてぇ営業して生きていく。ダンジョン配信もやるよ 作:vhuphje
「下がれ、イオリ」
リョウが足を止めて、僕に声をかけた。
僕は一歩下がる。
追従ドローンが右へ向いた。
端末には、まだ反応が出ていない。また、リョウの方が先だった。
ありがたいけれど、説明する側としては端末にももう少し頑張ってほしい。
青白い結晶の陰。光を返さない三本の爪先が、コンクリートを擦る。
さっき見た、裂けた金属板の爪痕とほとんど同じ幅だ。
『いた?』
『爪』
『勇者急に声変わった』
『姫様下がるの早』
『さっきの爪痕のやつ?』
「リョウ、距離は?」
「10メートル」
「数は?」
「ひとつ」
答えとほとんど同時に、爪の持ち主が結晶の陰から姿を見せた。
半透明の身体に、背中から脚までを覆う、水晶のような外殻。
大型犬より大きい。
前脚を広げ、飛びかかるために身を伏せている。
青白い結晶へ溶け込んでいた頭が、ゆっくりこちらを向く。
そこで初めて、口の位置が分かった。
開いた顎は、僕の頭を横から挟めるほど大きい。
透き通った歯が、口の奥まで並んでいた。
端末が、遅れて警告を表示した。
【鏡晶狼・成体】
【外殻による魔力反射に注意】
『キタ!』
『狼?』
『透明』
『またリョウの方が先だったな』
『端末いま反応した?』
僕は声を上げた。
「鏡晶狼。正面から魔力を当てるな!」
リョウの手が、剣の柄へ伸びる。
「向こうの晶狼は反射しなかった」
「ここは向こうじゃない!」
異世界の晶狼と似ているが、地球の鏡晶狼は、外殻へ当たった魔力をそのまま撃ち返す。リョウが知らないなら、僕が止める。
鏡晶狼が、さらに身を沈める。
爪が床へ食い込み、古いコンクリートの表面が、パキッ、と白く割れた。
距離10メートルなんて、あれにとって、距離があるとはいえなかった。
「イオリ」
「3秒だけ止めるよ。左から」
「ああ」
3秒あれば、リョウには十分。
それ以上拘束し続けるのは、余計に消耗するだけだった。
最後まで言い終える前に、リョウの重心はもう左へ移っていた。最後まで聞け。
でも、正しく動いている相手へ文句を言う隙がない。
僕は左脚を引いて黒い探索ブーツで床を踏みしめ、左手を突き出した。袖口から伸びた指先へ金色の光が集まる。
その瞬間、鏡晶狼が床を蹴った。
輪郭が消えたと思った次には、開いた口がリョウの肩の高さまで迫っていた。
「拘束!」
鏡晶狼の足元を金色の線が走り、四角い《拘束方陣》が一息に、ぴたりと閉じた。
飛びかかった身体が、空中で止まる。
止まっても、飛びかかった力まで消えたわけではない。
金色の四角が張った弦のように震え、僕の靴底が、ざり、と半歩だけ床を滑った。
右目の奥が熱い。
「3!」
リョウは、もう動いている。
「2!」
リョウは、正面を避けて左側へ回り込んで、剣を抜く。刃へ魔力は流さない。
「1!」
剣の柄の端が、鏡晶狼の外殻の継ぎ目へ落ちた。
ガン、と硬い音が通路を揺らした。
大きな鐘をすぐ耳元で叩かれたように、周囲の結晶が一斉に震え、細かな欠片が、パラパラッ、と床へ降った。
外殻に一本のひびが走る。
外殻が砕け、鏡晶狼の身体が黒い霧へ変わった。
床には小さな魔石と、割れた外殻だけが残る。
「周囲確認」
「ほかにはいない」
端末で周辺反応と退路を確認し、方陣を解除してからコメントへ戻った。
「安全を確保しました。コメントを確認します」
コメントは今日一番盛況だった。
『消えた?』
『〈安全確認〉』
『今リョウの顔まで来てた?』
『姫様の技なかったら当たってた?』
『怖』
『右目光ってたぞw演出か?』
『さっき髪結んでた二人だよな?』
『魔法使わなかったの反射するから?』
『急に本職になっててびびった』
「『魔法使わなかったの』。そうです。外殻へ直接魔力を当てると反射されるので、僕が動きを拘束して、リョウが外殻の継ぎ目を物理的に割りました」
同時視聴者数が、また少し増えている。
『目力が強い』
『3秒しか止めないの?』
『勇者の運用責任者』
「勇者の運用責任者ではありません」
「違うのか?」
リョウが、本気で不思議そうに振り返った。
「違う。僕は現代の手順を調べて、必要な情報を伝えているだけ」
「装備の期限も見てる」
「リョウが、確認しないからね」
「食事も」
「同居してるから!」
「睡眠時間も」
「夜中に剣を研ぎ始めるやつが悪いよ!」
『同居』
『急にやらしいこと言い始めた』
『昨日も研いだ?』
『何時に寝た勇者』
「2時」
リョウが、何の前置きもなく答えた。
「何時に起きた?」
「6時」
「4時間しか寝てないじゃないか!」
『終わりだよ勇者』
『4時間w』
『〈圧〉』
『うらやましい俺も姫様に管理されたい』
『いおりん怒ってる』
「『俺も姫様に管理』……管理なんてしてないですからね! リョウが自分の管理をしないだけ!」
「イオリも昨日遅かった」
「僕は配信資料を作ってたんだよ」
「1時まで」
「どうして知ってるの」
「水を飲みに起きた」
『夜中の過ごし方の話してるのえっちだ』
『両方寝て』
『責任者が二人』
『まず睡眠から点検しろ』
『カップルチャンネルならパジャマでお互いの点検配信しろ』
「僕たちの生活を点検する配信ではありません!」
どうして魔物を倒した直後に、睡眠時間を全世界へ公開しているのか。
リョウが余計なことを言うからで、僕のせいではない。
このまま拾っていたら、生活雑談で終わってしまう。そろそろ仕事へ戻そう。
僕は床に残った外殻へ視線を戻した。
探索好きからもコメントは来ていた。
『それ売れる?』
『点検代とは別?』
「今回の点検報酬とは別です。ただし、いま値段が分かるわけではありません。魔石と外殻は回収して、登録と鑑定に回します。討伐記録も残します」
腰のポーチから回収袋を出す。
僕が外殻へ手を伸ばすより先に、リョウがしゃがんだ。
「触るな。端が鋭い」
「手袋してるよ?」
「俺の方が厚い」
僕の髪を結び終えてからはめたリョウの革手袋は厚く、僕のは端末操作用の薄手だ。リョウの理屈は正しかった。
「だからって全部やろうとしないで。僕が袋を持つよ」
「ああ」
僕が袋の口を広げ、リョウが外殻を入れ、僕が識別札を貼る。
異世界で何度も繰り返した作業が、現代の素材回収へ形を変えて残っている。
『連携いいのすき』
『袋係姫様』
『魔石も拾うの?』
『討伐記録って何書く?』
「魔石も回収します。時刻、座標、個体の大きさ、使用した術式と武器、素材の破損状況を記録します」
「鏡の狼。一体」
「報告書へそれを書いたら、僕が直すからね」
++++++++++
リョウはまた僕より半歩前を歩き始めた。
青白い結晶と黒い根の間を、黄色い誘導線が奥へ続いている。
床を持ち上げる黒い根を越える時、僕が二歩目を着くまで、リョウは次の一歩を出さない。
振り返らないくせに見えている。助かるので、ちょっと腹立たしい。
『落ち着いたか』
『なにこれ』
『姫様と世界観ぴったりの美麗空間』
『姫とダンジョン、コラボ中だった?』
『きれい』
「『きれい』だよねえ。魔物がおとなしければもっといいんだけど」
僕は顔を上げたまま、左腕の端末表示を確認する。
魔力濃度、正常域。通信状態、良好。後方の退路に新しい反応なし。
『黒い根っこ動いてない?』
『観測器って何するの?』
『勇者が真剣だ』
最初の髪結いから、戦闘を経て、いまではコメントは少し落ち着いている。
でも、現在の同時接続数は、配信開始時よりも増えたままだった。
流れるコメントの量と視聴者数は、必ずしも比例しない。
「黒い根は成長しています。ただ、いま動いて見えたのは、内部を魔力が流れただけです」
近くの根を指す。
黒い表面の下を、淡い青色の光がゆっくり走っていた。
「根そのものが急に動き始めたら異常なので、その場合は点検を中止して戻ります」
『はえ~』
『〈なるほど〉』
『動いてるわけではないのか』
『光が流れてる』
『急に動いたら帰る』
端末を抱えた小さい僕が頷く〈なるほど〉は、探索中に流れる定番スタンプ。
「今日点検する観測器は、魔力濃度、空間歪曲値、温度、振動を記録しています。異常が起きる前から、変化を残しておくための機械です」
「銀色の杭みたいなやつ」
前を歩くリョウが付け加えた。
「見た目の説明だけは合ってるけど……」
「銀色のやつで通じる」
「それじゃ僕にしか通じないよ!」
『またわからんことをいってる』
『銀色の杭』
『姫には通じるらしい』
『勇者の覚え方が雑』
『観測器まだ遠い?』
「残りは――」
「80メートル」
「なんでそこだけ正確なの」
「歩いたから」
「じゃあ魔物の名前も歩けば覚える?」
「鏡の狼」
「覚えてないじゃないか!」
++++++++++
観測器は崩れた壁の前、黒い根の間に残っていた。
リョウの言った通り、見た目は銀色の杭だった。
上部に青い表示灯。壁には退避方向を示す反射標識がある。
「外見上の破損なし。周囲2メートル以内に、新しい根の侵入も、なし」
僕は観測器の前へしゃがんだ。
胸元カメラが太腿で隠れないよう、片膝を立てる。
リョウは僕の右後方に立ち、通路の奥を見ている。
「まずはデータを回収します。点検中は、周囲警戒のほうはリョウに任せます」
『本業ハジマタ』
『銀色の杭』
『本当に杭だった』
『手元見せて』
ドローンが高度を下げ、僕の手元を映す。
端末を接続し、記録を読み込む。
「記録欠損なし。時刻のずれ、0.3秒。許容範囲。電池残量は41パーセントですが、次回点検まで持たないので交換しますね」
『手袋かわいい』
『地味だけど好き』
『こういう仕事してるんだ』
『41でも交換?』
『次まで持たないからか』
『戦闘だけじゃないのいいな』
「そう。いま動いているから残す、ではなく、次の点検まで正常に動くかで判断します」
電池を交換して再起動すると、表示灯が青へ戻った。
「通信再開。データ送信、正常。点検完了」
「帰るか」
「まだ外周の撮影と、座標確認がある」
「そうか」
「いい加減最後まで覚えてね!」
『また怒られたw』
『草』
『怒られるのも楽しんでるでしょこれ』
『仕事おぼえて』
『点検完了って言ったから仕方ないね』
「次は覚える」
「それ前回も言ったよね?」
側面写真と位置情報を記録し、周囲の反射標識まで確認する。
これで、主要業務は完了。
++++++++++
「よし。管理ゲートへ戻って、帰還報告――」
リョウに声をかけながら、膝を伸ばしたところで、
――リョウが動かなかった。
「リョウ?」
返事がない。
視線だけが、観測器の向こうへ向いている。
「何かいる?」
「分からない」
その返事が一番嫌だった。
魔物なら、いると言う。物音なら、物音だと言う。
――分からない。
リョウがそう言うものは少ない。僕もそちらを見る。
黒い根と、崩れた壁、青白い結晶。
一見すると、それだけ。
『どうした?』
『勇者また止まった』
『また魔物?今日当たりの日かww』
『姫様も見てる』
『大丈夫?』
「追従機、少し右へ」
ドローンを動かす。画面の角度が変わった。
そこで僕にも見えた。
壁と空間の境目に、細い黒い線が浮かんでいる。
「……なに、あれ」
髪の毛ほどの幅。青白い結晶の光を受けても反射せず、黒い根ともつながっていない。
影もない。
壁の傷でも、光の加減でもなかった。
『何』
『あ』
『黒い線?』
『さっきあったっけ?』
『?!』
『一旦まずいか』
左腕の端末を見る。
魔力濃度、正常。空間歪曲値も正常域。
温度も振動も、どれも警告を出していない。
「……機械には、何も出てない」
水滴の音、根の軋み。ドローンの飛行音。
周囲には、いくつもの音がある。
なのに黒線の近くだけ。
しん、と。
そこだけ周囲から切り離されたみたいに、音が薄かった。
リョウが一歩出ようとする。
「近づかないで」
リョウの足が止まる。
端末は、まだ異常を示していない。
それが一番まずい。
そこだけ。
世界が切れていた。
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