“上申書
発:闇の魔術に対する防衛術担当教授 日野道広
宛:ホグワーツ魔法魔術学校 校長 アルバス・ダンブルドア閣下
前提として、当職に捜査権はない。当職は当校の被用者である。被用者が帳場を立て、証拠を保全し、生徒から供述を録取している。この一点について、校長の追認を書面で頂きたい。追認がない場合、当職は本日以降、授業のみを行う。
一、構内に生息する特定危険動物の種の推定について。
二、右の事実の公表の要否について。
三、五十年前の同種事案における探索記録の所在について。
各項につき、校長の判断を求める。回答欄は別紙に設けた。”
三晩、書かなかった。
副校長にはそういうことですと言った。種を訊けば報告義務が生じ、報告すれば理事会に回り、翌朝には千人が知る。だから訊かない。あの判断は正しい。種を伏せて狩るのは刑事の本分で、副校長の判断はその本分とも噛み合っていた。
答えた口で、日野は今から校長室に上がる。
矛盾に見えるが違う。知らなければ義務は生じないというのは、あくまで副校長の職務の話だ。日野自身の職務の話は、まだ誰ともしていない。
それだけなら一晩で上がれた。上がらなかった本当の理由は、上げる先にある。
アルバス・ダンブルドアに日野は伺いを三度立てている。着任日に指揮命令系統の確認。回答、良いと思うようにやりなさい。同じ日に緊急時の権限の確認。回答、同じ。十一月に五十年前の件の中間報告。回答、なっておる。
伺いは口頭でも収受される。返ってくれば発出だ。三度、収受があって、発出がない。前任者の死に紙がない。五十年前の生徒の死にも紙がない。合言葉だけが月替わりで、律儀に発出される。
入る紙と出る紙が合わない。合わないことに、本人が疑問を持っている気配がない。
それでも、あの爺さんは決裁権者である。この城に決裁ラインはない。あるのは校長の一存で、一存で回る組織は主が動く時は誰にも止められず、主が動かない時は誰も動けない。
うちの国ではそれを独裁と呼ぶ。貶しているつもりはない。制度の名前だ。
九月から今日まで、被害者は四。校長の名で出た対策は、一件もない。鏡二十一、夜間体制、水回りの調査、鶏。全て日野の名か、副校長の名でやった。
あの爺さんの現状は、拳銃を携行して抜かない巡査に似ている。抜かない間、周りは抜くものとして動く。抜いた時、周りは抜かないものとして立っている。どちらの時も撃たれるのは周りである。
決裁権者が捺さない紙は否決されたのではない。存在しないのだ。日野が上げれば、バジリスクの八文字も同じ道を辿る。副校長の遮断は情報を止めた。あの校長室に上げることは、情報を消すことだ。止めた紙は日野の手元にある。消えた紙は誰の手元にもない。
だから上げなかったし、上げる先として数えていなかった。
数えていなかったと気づいたのは、二月分の月例報告を書いた夜だ。加藤宛の紙の「構内の治安状況」の欄で、ペンが止まった。帳場に倣って、バジリスクと推定す、と書きかけていた。本省にである。東京の役所に、雇い主に一枚も出していない紙を先に出そうとしていた。
役所にはこれに名前がある。越権ではない。越権は上に怒られる。これは脱線という。脱線は、後で誰にも庇われない。
二月分の第五項には、結局こう書いて送った。
『五、構内の治安状況について。
特記事項あり。当地の決裁を経て、次号にて報告する。』
次号までに当地の決裁を取る。その一行が、上申書の締切になった。
そこから三晩、考えた。義務の話なら一晩で済む。考えたのは上げた紙がどこまで行くかである。上げる先は全部知っている顔で全部言わない爺さんで、理事会に回らない保証はどこにもない。
それでも上げる理由は、二つ。
一つは紙だ。日野が伏せたまま五年経った紙を読む人間は、日本から来た教師が独断で握り潰したと読む。読まれた時、日野を庇う紙がない。全十二項の照会を日野は一度受けている。次の照会の項目に「情報の隠匿」が載った時、載せる側が誰かは想像がつく。守る紙が欲しい。動機として綺麗ではないが、否定する欄が様式にない。
もう一つは技術だ。上申とは、上に判断させる手続きではない。上に判を捺させる手続きである。案も所見も起案者が書く。上は捺すか捺さないかを決めるだけだ。二十一年、日野は上に判を捺させて生きてきた。柏木や、柏木の上に、そのさらに上に。捺させるための紙の書き方なら身体が覚えている。
捺さない人間に捺させる方法は簡単だ。捺すか捺さないかしかない紙を書く。良いと思うようにやりなさい、が書けない欄を作るのだ。
所見、伏せるべし。理由、生徒一名の安全。
捺せば、伏せる決定は校長のものになり、理事会に諮らなかった責任も校長のものになる。捺さなければ、捺さなかったという事実が日野の控えに残る。どちらに転んでも紙は日野を守る。この技術を自分のために使うのは初めてだった。
三項目めは試しである。五十年前の探索記録。あれば出る。出れば、収受と発出が一度は合う。合わなければ、合わなかったことが初めて紙に載る。載せるための欄を日野は作った。
四晩目に書いた。正副二通。一晩寝かせたのは推敲のためではない。上げない理由がもう一つ出てこないかを待つためである。
出てこなかった。
朝、校長室の螺旋階段の前で、日野は合言葉を言った。
「桜餅」
ガーゴイルが退いた。二月は苺大福、一月は花びら餅だった。年が明けてから、発音の確認に毎回三往復かかる。なぜよりによって和菓子なのか、半年経っても誰も説明しない。
ダンブルドアは老眼鏡をかけ直して、一枚目を読んだ。読む速度が、途中で一度だけ落ちた。バジリスクのあたりだ。
「ふむ。見事じゃな」
「中身についてお願いします」
「追認はしよう。喜んで」
羽根ペンが走った。一項目め、済み。副本にも同じ署名をもらった。
「二項目です。公表の要否」
「君の所見は」
「伏せるべきです。種を出せば性質が出るでしょう。蛇であること、蛇と話せる者にしか使えないこと。その二つが同時に出た朝にこの城で何が起きるかは、計算するまでもない。現に一名、衆目に晒されている生徒がいます」
「ハリーじゃな」
「名前は書いていませんが」
「わしに読めるようになっておろう。よい紙は、書いていないことが読める」
「悪い紙も同じですよ。読む側に都合よく読まれる。だから判断は校長にお願いしたいんです。俺が単独で伏せれば、五年後にこの紙を読む人間の読み方は決まりでしょう。日本から来た教師が独断で握り潰したと読みます。そう読める紙を残したくない」
ダンブルドアはしばらく二項目めを見ていた。それから羽根ペンを取り、書いた。
『公表せず。判断者・A・ダンブルドア。理由、当該情報の公表は生徒一名を危険に晒すため。』
署名をした。
「これでよいかね」
「結構です」
日野は副本を受け取り、インクが乾くのを待たずに畳みかけて、やめた。二十一年、急いで畳んで滲ませた紙が三枚ある。三枚とも忘れていない。
「三項目です。五十年前の探索記録」
老人は答えなかった。日野は待った。取り調べで二十一年、待つのは本職だ。校長室の銀の器具が一つ、間の抜けた音を立てて煙を吐いた。
「……五十年前。わしは当時、変身術の教師じゃった」
「ええ、存じています」
「生徒が一人死んだ。犯人として一人が退学になった。わしは、その結論に納得しておらんかった」
「ハグリッドですね」
半月眼鏡の奥で目が一度だけ動いた。この校長がこちらの言葉に反応して視線を合わせるのは、十一月以来である。
「……そこまで辿っておったか」
「辿るほどのことでは。職員名簿の生年で、当時三年生だったと分かる。翌年から、それまでの森番オッグ氏と並んで名前がある。それから杖。この城で杖を持たない大人は二人。一人は理由を自分で怒鳴ってくれました。ハグリッドは言いませんから」
ダンブルドアは日野を見たまま黙った。出てきた声には、また試験の色があった。
「で、お主はハグリッドをどう見る」
「犯人ではないでしょう」
「なぜ、そう思う」
日野は指を折った。
「一つ。凶器です。視線で人を殺すものを、当時十三の子供が使ったとしましょう。しかし、使うには蛇と話せる必要がある。俺はハグリッドが蛇と話しているところを、着任以来見ていない。……見ていないことは証明になりませんね。だから二つ」
二本目。
「五十年です。彼は事件の後、五十年、凶器の横に住んでる。城から徒歩九分。使える者なら、五十年動かなかった理由が要る。動く理由なら、退学の日に一つできたはずなのでね。とてつもなく気が長いやつならそうするでしょうが……まあ、半年の付き合いでもそうは見えません。火蟹とマンティコアを掛け合わせようとした時にはさすがに止めました」
三本目。
「三つ目は当時の処分です。生徒が死んで、犯人が退学。人が死んだ事件の量刑は通常、退学では済まない。それを退学で済ませたということは、当時の学校も彼を殺人犯とは見ていなかった。処分の理由は殺人ではない。何かを飼っていたという告発、その程度でしょう」
四本目を折って、日野は校長を見た。
「最後はあなたです。あなたが雇った。殺人犯だと思っている人間を、千人の子供の隣に五十年置く校長はいない。……あなたがどういう人かは、半年経っても俺にはよく分からない。ただ、これだけは分かります。あなたはハグリッドを疑っていない」
「……それを証拠と呼ぶのかね」
「呼びません。雇用記録と呼びます」
老人は笑わなかった。笑わない代わりに、長いこと日野を見ていた。
「五十年前の処分には、記録がない。記録のない処分は、訂正の申立ができない。様式もない。だから作っています。退学を取り消す申立の、様式から」
「様式とな」
「様式がなければ受け付けもできんでしょう。彼は今も退学のまま、ついでに言えば杖も折れたままだ」
日野は指を開いた。開いてから、本題に戻した。
「あなたは、ハグリッドを疑わなかった。なら、誰を疑ったんです。調べましたか」
「もちろん調べた」
「どこまで」
老人は窓の外を見た。
「――蛇の王までじゃ」
日野の手が、手帳の上で止まった。止まったのは一拍だった。一拍で動かして、書いた。
「……いつからです」
「五十年前の夏に、そこまでは」
「では今、俺が持ってきたものは」
「君の成果じゃよ、ミチヒロ。わしのものではない」
そういう問題ではない、と言いかけてやめた。喧嘩をしに来たのではない。事実を取りに来て、取れた。重い。この老人は五十年前に同じ結論に到達し、壁の中に九百年ものが生きていると承知の上で、この城で子供を教え続けた。
「入口は」
「見つけられなんだ」
「五十年、ですか」
「そうじゃ」
「探した記録は、残ってますか」
沈黙が長かった。
「……ない」
「捜索範囲の図面は」
「ない」
「除外した区画の一覧は。日付と、担当者と、除外した理由の」
「ミチヒロ」
「ないんですね」
「ない」
日野は上申書の三項目めに横線を一本引いた。回答なし、とは書かなかった。書けば、書いた者が責められる紙になる。代わりに備考欄に書いた。
『第三項、先例なし。当職において新規に作成する』
「五十年前の探索を、俺がやり直します。記録から作って、順番に潰す。除外した区画には除外した理由を書く。次に誰かが五十年後に同じことをやる時に、同じ場所を二度探さなくて済むように」
「五十年後に、同じことが起きると思うかね」
「思いません。思いませんが、思わなかった人が五十年前にもいたわけでしょう」
校長室を出る時、背中に声がかかった。
「ミチヒロ。……すまんな」
日野は振り返らなかった。振り返って何を言えばいいのか、思いつかなかった。代わりに階段を降りながら、手帳に一行だけ書いた。
『校長、バジリスクの語に驚かず』
この一行が何を意味するのかを決めるのは、今日の俺ではない。今日の俺の仕事は、書くところまでである。
副校長室に寄った。
マクゴナガルは鏡の増設リストに朱を入れていた。日野が上申書の副本を置くと、副校長は眼鏡越しに読み、読み終えて、眼鏡を外した。
「……先日、私は失礼なことを申しました。校長に報告すれば翌朝には千人が知っている、と。撤回します。校長は漏らしません。漏れるのはその次です。校長には重大事項を理事会に報告する義務があり、理事会は十二名で、そのうち一名は」
「そこまでで結構です」
「言わせてください。私はこの城で三十年教えています。一番不愉快なのは、事実を知っている人間が、事実を伝える相手を選ばなければならないことです」
日野は上申書の二項目めを指した。判断者・A・ダンブルドア。
「校長の名で伏せてあります。俺の独断ではない」
「……私は、種を訊かないと申しましたが」
「校長が判断した以上、副校長が知っても義務は生じません。校長のところで止まってます。止まったから、お見せしている」
「それは、少し安心しました」
「安心はまだ早いですよ。伏せると決めたということは、漏れた時に責任者が明確だということです。役所ではそれを、腹を括ると言います」
マクゴナガルは少しだけ笑った。笑ってから、笑ったことを恥じるような顔をして、朱筆を取り直した。
「追加の鏡は、九箇所で足りますか」
「足りませんが、盆と大皿はもう尽きました。追加の予算は」
「……正直、厳しいかと」
「ですよね」
鶏の話をする。十一月に六羽を殺されてから、日野は二度発注をかけている。第二次は十二月の中旬、四羽。届いた夜のうちに死んだ。第三次は十二月の末、休暇中で残留生徒が十六名しかいない時期を選んだ。二羽。同じ死に方をした。
残留者十六名と、教職員。範囲はそこまで狭まって、そこで止まった。
三度潰されて、発想を変えることを検討した。検討した結果、時間を置いた。三月の頭、二羽ずつ二組。一組は飼育届を出して受理簿に載せ、ハグリッドの小屋の脇に置いた。もう一組は届けを出さず、地下の空き教室に置いた。誰にも言っていない。毎朝、両方を見に行った。七日、両方生きた。十四日、両方生きた。
第四次発注は届出の有無に関係なく潰されていない。つまり、潰す手が止まっている。一月と二月は鶏を置かなかった。だから、止まった時期は確定できない。届出経由の仮説も検証できない。複数の目的を一度にやっつけようとした自分の迂闊を、一行、記帳した。
鶏鳴の実地検証は、三月九日の夜明け前にやった。ハグリッドに巻尺の端を持たせ、校庭の霜を踏んで、言った通りに歩かせた。
「あんた、鶏の声が聞こえる距離を測っとるのか」
「そうです」
「……何のために」
「効くかどうかの前に、届くかどうかを調べておかないと、効かなかった時に理由が二つになる。理由は一つずつ潰すもんです」
一番鶏が鳴いた。ハグリッドが手を挙げた位置で巻尺を止めた。二百米。風のない朝でこの数字である。
見取り図の上に、鶏小屋を中心とした円を描いた。城の外壁の三分の一にも届かない。城は三百米四方で七階建てで、怪物は壁の中を通る。石壁の内側に朝の校庭の音がどれだけ入るかは、測るまでもない。
屋内への到達は期待できない。鶏は怪物の所在が判明して初めて武器になる。所在が判明しているなら、鶏より先に打つ手がいくらでもある。
結論。鶏は武器ではない。囮である。以後、そのように運用する。
なお代金は第一次以降すべて私費である。教材費に鶏の費目は、三月になっても存在しない。十六羽分の領収書は、綴りの一番後ろに挟んである。本省の経理がこれを見た時の顔を一瞬だけ想像して、やめた。楽しくなってしまう。
鏡は三十箇所になった。フィルチが磨き、マクゴナガルが曲率をつける。
管理人は最近、磨いた鏡を見せる時にわずかに顎を上げる癖がついた。褒めろ、という顔である。日野は毎回褒めている。褒めると次の仕上がりが良くなる。
三十箇所目を掛け終えた夜、フィルチが梯子を降りながら言った。
「……これ、効いとるのか」
「効いてるよ」
「本当か。結局、増えてるだろう。石にされるガキが」
「増やしてるんだ、俺が」
言葉は自然に出て、フィルチが黙った。
いつからか敬語も落ちていた同盟が、今切れるかもしれない。日野はそれを承知の上で、フィルチの目を見て言った。
「凶器は視線だ。まっすぐ見れば死ぬ。反射を見れば石になる。この二つの間に、治るか治らないかの境がある。石化はマンドレイクで治る。五月の末に全員起きられる。だが、死は治らない。だから角に鏡を置いて、直視する前に反射を見るようにしてあるんだ。死ぬはずだった人間が、石になって助かる。副作用として、何も起きなかったはずの人間まで反射を拾って石になる。増えるのを承知でやってるんだ」
「そりゃあ、あんた」
フィルチは言葉を探し、見つからなかったらしく、鼻を鳴らした。
「……ひどい商売だな」
「役所は昔からそういう商売だよ」
目的は被害の減少ではなく、被害の質の振替だ。石化件数は増加する。承知の上である。この方針は、マンドレイクの回復薬が五月末に完成する前提に依存する。前提が崩れた場合、取り返しのつかない判断をしたことになる。
念のため、日誌に書いておく。
書いておくというのは、日野の流儀では覚悟の別名である。
対策というのは要するに消耗品である。鶏は殺された。鏡は割ろうと思えば割れる。夜間体制は寮監の手で回っていて、伸ばせる手には限りがある。こちらが一つ置けば、向こうが一つ潰す。潰す側には媒介がいて、媒介は城の中を自由に歩いている。今は手を止めている。止めている手は、いつでも動かせる手だ。
置き続ける限り、こちらは減り続ける。対策を厚くする話と、犯人を挙げる話は、どちらを優先するかという話ではない。対策は時間を買う手段で、犯人を挙げるのは時間を買うのをやめる手段だ。買い続けられる金がないから、挙げる。
三月十五日現在。被害者、四(猫一、幽霊一、生徒二)。死者、ゼロ。
猫は五十センチ横に水があった。カメラの少年はファインダー越しだった。幽霊は幽霊だった。マグル生まれの少年は、たまたま前を半透明の首無し騎士が横切っていた。四件とも偶然である。鏡が効いたのは一件もない。三十箇所掛けて、一件もだ。
帳場の紙の余白に書いた。
『死者ゼロ。ただし対策の成果ではない。四件すべて、遮蔽物が偶然存在した。運を対策と呼ぶな。呼んだ時点で、次の一件で人が死ぬ。』
三月二十四日の朝、地下の空き教室の扉を開けた。
二羽とも死んでいた。首を絞められ、爪の跡はない。同じ絞め方だ。
城を横切って校庭に出た。ハグリッドの小屋の脇も同じだった。届けを出した二羽と、出していない二羽。同じ朝に、同じ死に方で。森番が後ろから来て囲いの中を見て、何も言わなかった。十一月とずっと同じ、何か言いかけてやめる顔だ。今度も日野は訊かなかった。
居室に戻り、帳場の紙を開いた。生存日数の欄の数字は二十二で止まった。
日付が取れた。
犯人の名前は分からない。怪物の居場所も分からない。分かったのは媒介が一度手を止め、そしてまた動き始めたことである。止まったのは十二月末から三月頭までのどこか。殺したのは、三月二十三日の夜から二十四日の未明。動けるようになったのは、それより前かもしれない。
この半年で手に入れた一番新しい情報が、これだ。止めた理由があったはずで、動かした理由もあったはずだ。理由のある人間は、理由の側から辿れる。
日野は面談記録の綴りを開いた。G・ウィーズリー。経過観察、優先度・中。三月の面談では、全項目快方と書いてある。
中の字に横線を引いて、横に書いた。高。
理由の欄は今度も空けた。書ける言葉がまだない。書ける言葉がないまま優先度だけを上げるのは、様式違反である。違反を承知で、上げた。
それから第五次発注の手配をした。六羽。地下と小屋ともう一箇所。もう一箇所は誰にも言わない。
囮は、補充して初めて囮である。
月例報告の三月分は次のように書き始めた。
『一、勤務状況について。
概ね良好である。』
概ねの中身は上申書の三項目めと、二百米と、三十箇所の鏡と、増やすと承知で増やしている石化と、三月二十四日の四羽である。それを圧縮して本省に送る。
『五、構内の治安状況について。
前号特記事項の件。構内に特定危険動物一件の存在を確認した。種名は当地校長の三月八日付判断により、当地限りの扱いとする。当職はこれに従う。』
種名は書かなかった。代わりに書かない理由と、書かないと決めた者の名と、日付を書く。東京で読む者には、名前を伏せなければならない何かがこの城にいることだけが伝わる。読み解ける者が本省に一人でもいれば読むだろう。日野はその一人に心当たりがある。
報告のうち当地の業務に関わる項は、抄本にして今月も校長室に回した。
始めたのは十二月分からである。あの爺さんは、俺が本国に紙を出していることを知っている。知っていて囲わず、検閲もしない。知られている以上、中身を伏せれば伏せていること自体が意味を持ち始める。本国に何を書いているかを雇い主に伏せれば、報告ではなく諜報になる。抄本の当地提出は、一月に本省の了解を取ってある。
もっとも、抄本であって写しではない。本省の人事や予算に関わる事項は除く。第四項「校長との意思疎通について」も、除いている。除く理由は言うまでもない。
この学校には書類を受け付ける窓口も、受付印も、収受簿もない。回したという事実を証明する方法が存在しないので、日野は校長室の暖炉の前の卓に抄本を置き、置いた日付を自分の控えに書くことにしている。それがホグワーツにおける提出である。
提出、三月分。四通目だ。読まれた形跡は一度もない。読まれていなくてもいい。記録だけは残してある。
上申書の副本を、綴りの一番上に置いた。第一項、追認あり。第二項、判断あり。
第三項。