決行まで三日かかった。
十八時門限、授業間は教員引率、消灯後は寮監の点呼。城は網の目で、張ったのが誰かをハリーたちはよく知っていた。ヒノ先生の網を抜けて森に行く計画を、習った手順で立てている。皮肉なことだ。
「ハーマイオニーがいたらさ」
計画の穴を三つ目まで数えたところで、ロンが言った。
「あと三十個は穴が見つかってたんだろうな」
「そうだね……それでもっとましにしてくれたと思う」
「穴ごと行くしかないか」
医務室のハーマイオニーは、今日も手鏡と紙を握ったまま眠っている。起きた時に「僕たちは何もしませんでした」では、あんまりだ。それだけが二人の計画書に大きく書かれた最初の一行だ。
金曜の夜、消灯の点呼が終わるのを待って、二人は透明マントを被った。
ファングは小屋で待っていた。餌皿が空で、しかし磨かれたように綺麗だ。水が新しい。誰かが世話をしに来ている。誰かの見当はついたが、考えるのは後だ。ボアハウンドは二人の匂いを確かめると盛大に涎で歓迎し、それから窓の方を見てくうんと鳴いた。
窓の桟の隙間から外へ、蜘蛛が一列で行進していた。小指の先ほどのが数珠つなぎに窓を出て、小屋の壁を降り、草を分けて、森へ。
「……追えって、こういうことかよ」
ロンの声が既に半分裏返っている。ハリーは無言でロンの肩を叩いた。ランタンに火を入れ、二人と一匹は夜の森に入った。
森の入り口近くにはまだ轍が残っていた。九月の夜空から落ちてきた車が刻んだ、獣道ならぬ車道の痕だ。下枝の折られ方に見覚えがある。
「父さんの車、この辺で野生化してるんだよな……」
ロンがぼそりと言った。
「捜索第七回は成果なしって言われたんだ」
「野生化した車って、何を食べるんだろう」
「知らないよ。……燃料はその辺から湧いてないと思うけど」
蜘蛛の行進は森の奥へ続いた。初めは小指の先だった。三十分歩くと、親指大になった。一時間で、鼠くらいのが枝の上を並走し始め、ロンの口数は蜘蛛の体長に反比例して減っていった。
一度、遠くで蹄の音がした。複数の重い蹄。それから弓の弦を確かめる乾いた音。ケンタウルスだ。ハリーはランタンを掲げたが、木立の闇は何も見せなかった。見られているという感覚だけがうなじに残った。蹄の音は二人と付かず離れずの距離を保って、しばらく並走し、やがて消えた。
「……今の」
「見なかったことにしよう」
ロンが即答した。
「今夜の恐怖の枠は、蜘蛛で満員なんだ」
その枠が決壊したのは直後だった。足元の地面が急に柔らかくなり、柔らかいと認識した次の瞬間には、二人とファングは落ち葉ごと窪地の斜面を滑り落ちていた。ランタンが転がり、火が消え、真の闇――の中で、音がした。
かさ。かさかさ。かさかさかさかさかさ。
無数の硬い脚が落ち葉を踏む音。四方からも、頭上からもだ。
ロンの声はもう声の形をしていなかった。
「ハ、ハリー。う、動けない。何かが、僕の――」
ハリーの方は声も出なかった。ハリーの体も持ち上げられていた。硬い毛の生えた太い脚のようなものが数本、体を挟むように掴んでいる。抵抗はできなかった。人間の腕力の桁ではない。二人と一匹は荷物のように闇の奥へ運ばれていった。ファングの悲鳴だけがずっと続いている。
運ばれた先は霧の溜まったすり鉢状の窪地だった。月明かりが霧に散って窪地全体が薄白く光り、光は斜面をふちまで舐めるように照らしている。斜面には木も岩も見えず、代わりに馬ほどもある体が上へ行くほど小さくなりながら、すり鉢のふちまで隙間なく敷き詰められていた。八つずつの目が、一斉に落とされた二人を見た。
すり鉢の底、ドーム状に盛り上がった巣の中から、ひときわ古く巨大な影がゆっくりと這い出してきた。象のような体躯。灰色に濁った八つの目。
「……ハグリッドか」
古い蜘蛛は錆びた蝶番のような声で言った。
「ハグリッドの匂いがする。だが、ハグリッドではないな」
ハリーは口の中で引っ付いているようになった舌を懸命に動かした。
「ハ、ハグリッドの、友達です! ハグリッドが、大変なんです! あなたに、アラゴグに、訊けって!」
会見は恐怖の底で行われた。ハリーは話した。石化事件のこと。五十年前の再来と言われていること。そのせいで、ハグリッドがアズカバンへ連れて行かれたこと。アラゴグの濁った八つの目が怒りのような色を帯びた。周囲の蜘蛛たちが脚を鳴らした。
「また、か」
古い蜘蛛は言った。
「五十年前と同じことを。あの時も人間どもはハグリッドを疑った。わしを秘密の部屋の怪物だと思い込んでな」
「ち、違うんですか」
「違う」
錆びた声に初めて、はっきりした熱が乗った。
「わしは城の怪物ではない。わしは遠い国の卵から生まれ、旅人のポケットに入ってこの地に来てハグリッドの手で育った。わしが城の廊下を歩いたことはただの一度もない。教室も、大広間も、知らぬ。わしが知っている城は、箱の内側だけだ」
「で、でも、五十年前に女の子が死んで――」
「死んだのはトイレだそうだ」
ハリーの心臓が一つ、大きく鳴った。
「わしは見ておらん。箱の中だったからな。だがハグリッドがそう言って泣いた。トイレで女の子が死んだ、わしのせいにされる、逃げろと。ハグリッドはわしを箱ごと抱えて、夜の森に放した。自分は退学になると分かっていてだ。わしは彼に命の恩と、この森の全部を負うている」
「じゃあ、本当の怪物は」
ハリーは身を乗り出した。
「何なんですか。城の中にいるものの正体は」
窪地の空気が変わった。何百もの蜘蛛が一斉に脚を縮めたのだ。斜面全体が一段、後ずさった。アラゴグの巨体さえわずかに沈んだ。
「……我らは、その名を、口にせぬ」
錆びた声が低くなった。
「あれは蜘蛛の一族が何よりも恐れる、古き生き物。ハグリッドに何度訊かれても、わしは言わなんだ。名を呼べば寄る。それだけの格の化生よ」
「どこにいるかだけでも――」
「言わぬ……時に、人の子ら。お前たちからは、ハグリッドの匂いのほかに妙な匂いが染みておるな」
濁った八つの目が、すんと動いた気がした。
「遠い国の匂いだ。わしらの恐れるもの――いや、恐れる形をしたものの匂い。だが、案ずるな。我らが名を呼ばぬあれとは違う。あれはただの獣よ。古いだけの、腹が減れば喰い、目が合えば殺す獣。……お前たちに染みておる匂いの主は、獣ではないな。長いこと、たいそう行儀よく縛られておる。獣が檻におるのとはわけが違う」
「な、なんの話……」
「知らぬならそれでよい。知らぬまま、その匂いの主の傍を離れぬことだ。あれの傍らはこの城でいちばん、我らが恐れるものから遠い場所であろうよ」
問答はそこで終わった。アラゴグがゆっくりと巣の奥へ身を引き始めたので、そう分かった。
「ハグリッドの友よ。よくぞ訪ねてくれた。ハグリッドの無実、そなたらが知ってくれたことは良いことだ」
そして、古い蜘蛛はこともなげに付け足した。
「だが、帰すとは言っておらん」
斜面の蜘蛛たちがいっせいに動き出した。
「わしはハグリッドの頼みで人を食わぬ。だが、息子らと娘らは別だ。ここまで自分の脚で歩いてきた新鮮な肉をみすみす帰しては、群れに示しがつかぬでな。その匂いの主がここにおればな。わしとて手心を加えたろう。だが、おらぬ。悪く思うな、人の子ら」
囲みが縮まった。四方から、八方から、脚の壁が。ロンの手がハリーの袖を万力のように掴み、ファングが悲鳴のような遠吠えを上げ、ハリーの手は杖を抜いたが、何百匹を相手の呪文など習っていない。逃げ道が、遮蔽が、大人が、ない。
その時。
森の斜面の上で何かが光った。最初は二つの目だと思った。
闇の斜面を、二つの丸い光が跳ねながら、猛烈な速度で降ってくる。次の瞬間、光の上で赤い閃光が回転を始め――夜の森に、この世のものとも思えない音が炸裂した。
ウーーー、ウーーー、ウーーー!!
蜘蛛たちが跳ねた。文字通り斜面全体が波打つように跳ねて脚を縮めた。回転する赤い光と増減を繰り返す咆哮を撒き散らしながら、それは窪地に躍り込んできた。泥と苔の装甲をまとった、空色の――
「車ぁ!?」
ロンが絶叫した。
「うちの車ァ!!」
フォード・アングリアは先頭の蜘蛛を撥ね飛ばし、ハンドブレーキターンで泥を扇状に巻き上げ、二人とファングの前に横付けした。扉がばんっ! と音を立てて、ひとりでに開いた。
乗った。考えるより先に体が乗った。ファングが膝に飛び込み、扉が閉まり、車は急発進――するかと思いきや、一瞬消えた。
「え!?」
「透明ブースター!」
ロンが計器盤にしがみついて叫んだ。
「父さんの! 生きてたのか、この機能!」
消えた車は消えたまま数秒走り、蜘蛛の壁の真ん中で再出現して体当たりした。姿の消える鉄塊の突進に、蜘蛛の隊列が恐慌を起こして崩れる。現れては消え、消えては現れ、その間もサイレンは咆哮し、赤い光は回り続け、ワイパーは屋根に取り付いた一匹を執拗に殴打し、開いた助手席の扉が横薙ぎに二匹を払った。
「なんだよこれ! なんなんだよこの装備!」
ハリーはシートにしがみついて叫んだ。
「夏だよ!」
ロンが叫び返した。
「教科書の返金があったろ! あの金でまた改造したんだ! マグルの廃品置き場でパトカーのサイレンとランプを仕入れてきて! ママにバレて死ぬほど怒られてたけど、付けちゃってたんだ! 『ロン、これはロマンだ』って!」
ロマンは禁じられた森で何百匹の大蜘蛛を蹴散らしていた。おじさんの改造癖は、七ヶ月の野生化を経てむしろ手がつけられなくなっている。
車は窪地の斜面を斜めに駆け上がり、若木を二本なぎ倒し、蜘蛛の追撃を透明化で振り切り、月明かりの下の森を九月に自分で刻んだ轍の道へ乗って疾走した。
森の際で車は止まった。扉が開く。降りろということらしい。二人とファングが泥の上に降り立つと、車はヘッドライトを二度瞬かせた。クラクションを短く一つ。礼にも別れにも聞こえる音だ。
空色の車体はゆっくりと向きを変え、サイレンを消し、闇の森へ自分の意思で戻っていった。テールランプの赤が木立の奥に沈んで消えた。
「……あいつ」
ロンが掠れた声で言った。目が潤んでいた。
「迎えに、来てくれたんだ。七ヶ月も逃げ回ってたくせに。……僕らがピンチだって分かって」
ハリーはテールランプの消えた闇を見ながら、場違いなことを考えていた。捜索第七回、成果なし。車のことを先生に報告したら、台帳のどこになんて書くんだろう。パトカー仕様だから騎乗可能とでも書くんだろうか。
答えは思ったより早く分かった。
ハグリッドの小屋の前に、ランタンが一つ灯っていた。意を決して入ると、黒い上着が机の上に向かっていた。灯りは蝋燭一本、傍らに湯気の立つ薬缶。ファングが真っ先に駆け寄った。その先の床に、餌の皿がもう用意されていた。
「やあ、おかえり」
ヒノ先生は羊皮紙から顔も上げずに言った。立ち上がりもせず、怒鳴り声はなかった。
「怪我は。二人とも、両手見せな。……擦り傷、と。ファング、こっち来い。……よし、三名とも軽傷。中入んな。茶を淹れる」
先生が薬缶を取りに立った隙に、ハリーはテーブルの上の羊皮紙を見た。見るつもりはなかったが、目に入った。几帳面な少し角ばった字が、上から三分の一ほどを埋めている。
『身柄拘束に対する異議申立書(第三稿)』
下の方に番号を振った項目が並んでいた。一、逮捕状の不存在について。二、引致根拠:慣例の法的性質について。三、五十年前の処分記録が存在しない件について――
第三稿。ハリーはその三文字を見た。一週間で三回、書き直している。
「……三回目だ」
ハリーに倣って羊皮紙を見たロンがうめき声を出した。
「見たか」
「あ、す、すみません」
「別にいい。隠すもんじゃない」
先生は湯呑みを置いた。
「言っただろ。迎えの算段はこっちでやるって」
声は淡々としている。進捗も、見込みも、何も言わない。そもそもあの場では透明マントを被ってたのに。そこまで考えて、ハリーは思い出した。競技場でブラッジャーを叩きのめしたあの朝も、透明マントの下の僕らにヒノ先生は気づいていた。
小屋の中は暖かかった。暖炉に火が入り、ハグリッドの巨大な椅子はそのままに、テーブルの上だけが綺麗に拭かれている。ロンがおずおずと訊いた。
「先生……毎晩、ここで?」
「巡回コースに入れただけだよ。ここは書き物には良いからね」
先生は薬缶を傾けながら、なんでもないことのように言った。
「家ってのは、人が出入りしないと三月で死ぬんだ。まず匂いが淀んで、次に水回り。周りに草が生えてきたらもうあっという間だね。しかもそこまで行くのに意外と早い。家を死なせると、帰ってきた奴が悲しむから。……それと、言っとくが」
先生は湯呑みを二つ置いた。
「夜回り中に森の方から、聞いたことのあるサイレンの音がした。ここは英国なのに、なぜか日本の警察車両の音。とすると、心当たりが一つしかない。それで臨時の点呼をしたら、二名不在。だからここで待ってたんだ。マクゴナガル教授には『俺が対処中』と伝えて、騒ぎにはしてないよ。してないが、貸しだぞ、これは」
「……すみません」
「謝罪は後。報告が先。よし」
先生は手帳を開いた。
「最初から、順番に、全部言いなさい」
聴取は一時間かかった。ハリーとロンが喋り、ヒノ先生が書く。話が前後すると時系列に戻され、曖昧な部分は「見たのか、聞いたのか、思ったのか」と切り分けられ、二人の記憶は先生の手の中で、みるみる調書の形になっていった。
アラゴグの証言のくだりで、先生のペンは最も丁寧になった。
「整理するぞ。蜘蛛の証言、四点。一、自分は城の怪物ではない。二、自分は城内を一度も歩いていない。三、五十年前の被害者の死亡場所はトイレ。四、怪物の名を、蜘蛛の一族は恐怖により口にできない。で、確認だ。三番。『トイレで死んだ』ってのは、蜘蛛が見たのか?」
「い、いえ。箱の中にいたから見てないって。ハグリッドがそう言って泣いてた、って」
「つまり伝聞だな。それも五十年前の。……いい、それでいい。伝聞は伝聞と書けば、ちゃんと使える。等級を偽った証拠が一番タチ悪いんだ」
ロンが、おそるおそる訊いた。
「あの……先生。巨大蜘蛛の証言なんて、その、証拠になるんですか」
「なるさ」
先生は、書く手を止めずに言った。
「証人の脚の数を制限する法律はない」
書く手が止まったのは、蜘蛛が変な匂いの話をしたというくだりだ。ここで先生のペンは初めて動かなくなった。
「……そうか」
それだけ言って、先生はそこだけ手帳に書かなかった。一時間の聴取で、書かれなかったのはそれだけ。書き終えた先生はペンを置き、手帳の前の方の頁を繰った。
「……これで、やっと言えるな」
「え?」
「五十年前にこの学校で生徒が一人死んで、もう一人、記録を抜かれて消えた人間がいる。ってのは前に話したか。話してないか。まあいい。消えたもう一人は退学者だ。誰なのかは目星がついてた。当時の職員名簿、年齢、経歴の空白、それと杖を持ってない大人が、フィルチさんの他に一人だけいる。退学者は杖を折られるか取り上げられる決まりだそうだからな」
ハリーとロンは顔を見合わせた。
「……ハグリッド」
「そうだ。だが言えなかった。証拠がゼロだったからだ。ポッター、ウィーズリー、確度の低い名指しってのはな、それ自体が凶器なんだ。五十年前にまさにそれで一人の人生が折られてる。同じことを俺がやってどうする。だから黙って、証拠を待った」
先生は、今夜の調書を指で叩いた。
「飼われていた生き物本人の証言。城内を歩いていない、死亡場所はトイレ、当時ハグリッドは無実を叫んでいた。伝聞込み、証拠能力は満点じゃないが、再捜査を求める書類はこれで書ける。五十年前の退学処分は、冤罪の可能性が高い。様式は三月から作ってあったが、入れる中身がなかった。今夜、初めて入る。紙の上に落とせる」
先生は手帳を閉じ、それから初めて二人をまっすぐ見た。
「で、だ。説教の時間な」
来た、と二人は首をすくめた。
「まず覚えるべき三つの動作。当然覚えてるな。距離、遮蔽――三つ目は」
「……大人を、呼ぶ」
「お前達、今夜大人を呼んだか?」
沈黙。
「理由も、まあ分かるよ」
先生の声は、責める声ではなかった。
「お前ら、見たもんな。大人のせいで校長が辞めさせられて、無実の人間が監獄に引かれていったろう。目の前で。あれ見て『大人を呼ぼう』とは、なかなか思えんよな。大人の側の不始末だ。だからそこは責めない。正直な話、俺にも覚えがあるよ」
実際はそれだけじゃないとハリーは思った。でも、訂正しようと思えない程度には納得した。大人の不始末と大人自身が認めるのを初めて見たからだ。先生はそこで湯呑みを置いた。
「責めない代わりに、考えてもらおうか。俺に言えなかった理由の中で、一番デカかったのは何だ?」
ハリーはロンと目を見交わした。答えは考えるまでもなく喉元にある。半年間、ずっとそこにあった。
「……言うなら、全部、言わなきゃいけない気がして」
ハリーは絞り出した。
「森のことだけじゃなくて。その前のことも、そのまた前のことも、全部つながってて。どこから話せばいいか――全部話したら、どうなるのか、わからなくて」
先生は頷いた。驚いた様子はなかった。
「だろうな。……いいか、二人とも。一個だけ役所の知恵を教える」
先生は、指を一本立てた。
「報告ってのはな。全部を一度に吐く必要はない。言える一枚から、出せ」
「……一枚から」
「そうだ。証言っていうのは役所の書類と同じだ」
その言葉に淀みはなかった。
「完璧に揃えてから出そうとする奴は、一生出せない。まず一枚出すんだ。そうすれば二枚目は軽くなる。次の三枚目はもっと軽い」
ヒノ先生はハリーを見、それからロンを見た。
「ウィーズリーは親父さんが役人だから分かるよな? 役人っていうのは書くことでも、書かないことでも人を守れるんだ。そして、進んで書かせに来てくれるやつを役人は拒まない。拒むやつは自分の思惑ばっかり強くて、役人としては二流三流だ」
ロンは飛び上がった。いつ父さんの話をしたんだっけ、と顔に書いてある。たぶん九月の夜の調書で調べたんだろうな、とハリーは思った。
「今夜、お前らは森の話を全部吐いた。よく喋れた。な? 一枚出したら、喋れたろ。残りの枚数のことは今夜は訊かない。だが覚えとけ。俺の受付は、一枚からやってる」
ハリーは湯呑みの中の茶を見つめた。
残りの枚数は四つだ。自分だけに声が聞こえる。ドビーはハリーを学校に行かせまいとしている。五十年前の死者の血筋はマグル生まれだった。そして何より日記だ。先生は、枚数があること自体はとっくに見抜いている。見抜いた上で、数えないでいてくれている。
「よく生きて戻った」
先生は立ち上がり、暖炉の火に薬缶の残りを掛け直しながら言った。
「証言は事件を動かす。今夜の一枚はデカかった。……ただし、次だ。次に何か分かったら、まず俺に言え。いいか――」
先生は二人を振り返った。
「次は俺が行く」
反省文は翌日、二枚提出された。ロンの下書きは三行だった。『森に入ったことを反省しています。危険でした。もうしません』。
夕方、朱筆で返ってきた。
『事実と違う。反省していないだろう。書き直し』
欄外に続きがあった。
『立入の判断は誤りだったが、得られた証言は有益だった。こんな感じに両方書け。反省文だからといって、全部を反省で塗るな。紙は、正直に書くもんだ』
「……反省文の書き直しで、反省が足りないんじゃなくて反省しすぎを直されたの、史上初じゃないか?」
ロンは羊皮紙を睨みながら、うんうん唸って書き直しを始めた。ハリーも自分の下書きを広げた。書き直しながら頭の隅で、昨夜からずっと何かが引っかかっていた。
五十年前の少女はトイレで死んだ。
トイレ。水の場所。マートルの……あの、水浸しの床。日記を拾った場所。マートルは五十年前と同じだと言っていた。五十年前に、トイレで――
思考が何かの輪郭に触れかけた。触れかけたところで消灯前の鐘が鳴り、監督生の点呼の声が階段を上ってきて、羽根ペンのインクが切れた。輪郭はそれきり霧に戻った。
翌朝、談話室に一枚の掲示が貼り出された。
『全寮所持品検査の実施について
一、実施日時 四月十二日(月)午前九時より
二、対象 全寮の私物及び共用部
三、捜索物件 黒色小型書籍一冊(一月上旬、二階女子トイレに投棄されたもの)
四、本検査は、三月八日付の校長追認及び副校長の承認に基づき、当校教員の職務として行う。
五、当該物件を所持する者、又は所在を知る者は、実施日までに申し出ること。申し出た者の責任は問わない。
闇の魔術に対する防衛術担当 ミチヒロ・ヒノ』
二階女子トイレ。黒色小型書籍。先生は、やはりあの日記のことを知っていたんだ。
ロンが隣で言った。
「……盗った奴、これで見つかるじゃん」
そうだ。月曜になれば見つかる。盗った誰かも、日記も。そう思ったのに胸の底が冷えたまま温まらなかった。
月曜まで、あと一日ある。