プロメシュースの悔恨 ―新エリー都、その記録の外側で― 作:jolend
「いい加減、この景色にも飽きてきたな」
少年は目の前に広がる異様な地形を眺め、うんざりしたように呟いた。
崩壊した市街地。空中へ浮かび上がった瓦礫。上下の感覚すら狂わせる、アルペジオ大断層特有の歪んだ風景。
何度かエーテリアスと遭遇したものの、安全地帯に残った相方のナビゲートが優秀なのか、出会ったのは反乱軍からはぐれた兵士と小型のエーテリアス程度。
代わり映えのない景色ばかりが延々と続いている。
「『オペラ』、あとどれくらいで第四研究所に着く?」
途中の安全地帯で足を止め、遠隔でナビゲートを続けている相方へ通信を繋ぐ。
『次の裂け目を越えれば目的地よ。随分と深いところまで来たわね』
通信越しの声にも、隠しきれない疲労が滲んでいた。
『私も目を使いすぎて疲れてきたわ。少しくらい身体を動かしたい気分よ』
「義体の故障は仕方ないさ。だけど、俺一人で戦うのは結構な負担なんだよねぇ」
『だから極力戦闘を避けられるルートを選んだのでしょう。厳しいなら、最初から11号の協力を受けるべきだったんじゃない?』
「いや、分かるんだけどさ。ほら、お前ってアイツと一緒にいると気まずそ──」
『黙りなさいピンク髪。私をだしにしないで。別に彼女のことは何とも思っていないわ』
「いやぁ、その言い方は絶対に何か思ってるだろ」
11号は面白いし、悪い人間でもない。
だが、オペラは彼女と積極的に関わろうとしなかった。というより、防衛軍そのものに対する不信感が強いのだろう。
クラムも組織へ所属する個人はともかく、防衛軍の体質まで信用しているわけではない。だから、その感情を咎めるつもりもなかった。
そんなことを考えていると、思考を読まれたのか、通信越しからでも分かるほど冷たい気配が返ってきた。
ちょうど目的の裂け目も見えてきたので、クラムは薄桃色の髪を掻きながら話題を切り替える。
「裂け目へ到着。データポストを設置したら装備を整えて突入する」
背中に担いでいた、鉄パイプほどの大きさの小型データスタンドを地面へ降ろす。
起動させたデータポストが、それまで断層内へ設置してきた端末群との接続を開始した。
『データ転送を確認。周辺の環境情報を取得中──待って。何、これ……』
オペラの声が途切れる。
「どうした?」
『クラム、気をつけて。第四研究所の周辺に大型のエーテリアス反応を確認。恐らく……デッドエンドブッチャーよ』
「はぁ~? おかしいだろ?」
背中の武器──
「なんでデッドエンドブッチャーがアルペジオ大断層にいるんだよ。教えはどうなってんだ教えは!」
『だから、あり得ないと言っているの。一応、防衛軍の記録には零号ホロウでそれらしき姿を見たという報告があるけれど』
アルペジオ大断層は零号ホロウの外周部に位置しているが、厳密には零号ホロウそのものではない。
防衛軍では一括して似たような扱いをされることも多いが、出現するエーテリアスの危険度は、零号ホロウ内部の方が段違いに高い。
『どうする? 反応は第四研究所のすぐ手前にある。引き返すなら今よ』
「冗談かぁ? ここまで時間をかけて、重いデータポストを何本も背負って繋いできたんだぞ」
クラムは眼鏡の位置を直し、小柄な身体を解すように肩を回した。
「それに、ここで見逃して周辺の安全地帯や、あとから来る調査隊に被害が出たら後味が悪い」
通信の向こうから、オペラの深い溜息が聞こえた。
『はぁ……やっぱり、そう言うと思ったわ。相手が本物なら、通常のエーテリアスとは訳が違うのよ』
「うん、問題ないよ。お前が俺の目になってくれれば、それでいい」
クラムは七陽を背中から抜き放つ。
「それじゃ、裂け目へ入るぞ。ナビゲートよろしく」
制止の言葉を待つことなく、クラムは裂け目へ踏み込んだ。
☆
空間が歪む。
直後、大気を震わせる重低音の咆哮が、地響きとなって押し寄せた。
崩れかけた旧都市の建造物を押し退け、ビル群の裂け目の奥から異形の巨人が姿を現す。
全身から濃密なエーテルを撒き散らすその姿は、『デッドエンドブッチャー』そのものだった。
「うっそマジでいるよ」
軽口を叩きながらもクラムの瞳から気の抜けた色は消えている。背中へ回した手が、七陽のメイングリップを掴んだ。
甲高いエネルギーの放出音が鳴る。
剣先の一門と、両刃に配された六門。合計七門の銃口から、炎のように揺らめき、桃色のエーテルブレードが実体化する。
『こちらを認識したわ。来る!』
「はいはい、分かってるって!」
デッドエンドブッチャーが巨体からは想像もつかない速度で踏み込んでくる。
何度も振り回された末に、斧のように変形した道路標識がクラムの頭上へ叩きつけられた。
クラムは身体を極限まで低く伏せ、紙一重でその一撃をかわす。
「もらいっ!」
道路標識が地面を抉った直後、その脇をスライディングで抜けた。
七陽の刃が、斧を握る右腕へ斬り込む。
鋼鉄すら容易に断ち切る刃。
それでも、巨腕へ刻めたのは浅い傷だけだった。
「硬いか!」
斬られたことなど意にも介さず、デッドエンドブッチャーが咆哮する。
地面へ食い込んだ大斧を力任せに引き抜き、そのまま横一文字に振り抜いた。
「うおっ──!」
退く隙はない。
クラムは咄嗟に七陽を構え、大斧の側面へ刀身を滑らせるように接触させた。
金属とエーテルブレードが激しく擦れ合い、火花と眩い結晶片が飛び散る。
直撃は免れた。
だが、規格外の質量が生み出す衝撃までは殺しきれない。
小柄な身体が弾き飛ばされ、数十メートル後方の廃ビルへ突っ込んだ。
壁を突き破る寸前に身を捻り、靴底で床を削りながら着地する。
「えぇい!」
全身に走った痺れを、舌打ちで誤魔化した。
『クラム、エーテル波長の解析が終わったわ』
オペラの声が通信越しに響く。
『そいつは零号ホロウの個体が移動してきたんじゃない。ホロウ内の記憶をもとに形成された、ドッペルゲンガーよ』
電離体の特殊個体であるドッペルゲンガーは、記録された特定の存在を模倣する性質を持つ。
今回、その似姿として選ばれたのがデッドエンドブッチャーなのだろう。
「なるほど。じゃあ、なんでここにいるのかって話へ戻るわけだが!」
『そこまでは分からない。でも、通常個体と同じなら弱点のコアは背部の結晶直下。一気に叩き潰して』
「簡単に言ってくれるなぁ! ならばさぁ!」
デッドエンドブッチャーが廃ビルを叩き潰すより先に、クラムが外へ飛び出す。
同時に周囲の空間が歪み、クラムの姿が背景へ滑らかに溶け込んだ。
光学とエーテル制御を組み合わせた複合迷彩──
標的を見失ったデッドエンドブッチャーが、苛立たしげに大斧を振り回す。
「おい、こっちだ木偶の坊! 聞いてんのか!」
死角から挑発する声。
振り向いた先には、消えたはずのクラムが立っており、巨人は疑うことなく食いつき、咆哮とともに大斧を振り下ろす。
刃がクラムを直撃した。
しかし、押し潰された身体は肉塊にもならず、青い描画ノイズとなって弾け飛ぶ。
「騙されたな?ってな!」
ホログラムへ気を取られ、背中を無防備に晒したデッドエンドブッチャー。
その背へ、廃ビルから迷彩を解除したクラムが飛び乗る。
「照射モード!」
七陽の両刃が変形し、扇状に展開された。
剣先の一門と両刃の六門。合計七門の砲口が、背部のエーテル結晶直下へ寸分違わず固定される。
「ゼロ距離で、最大出力なら──!」
内部へ蓄積されたエーテルエネルギーが臨界へ達し、砲口から眩い光が漏れ出す。
「こいつで!」
七門から極大の照射ビームが一斉に放たれた。
背部の結晶ごと、その直下にあるコアを力任せに穿ち抜く。
巨体が激しく揺らぎ、断末魔の奇声を上げた。
『やったか』
「やったよ! フラグを立てないでいただきたいねぇ!」
クラムの抗議と同時に、巨体が紫黒色の霧となって崩れ始める。
通常の肉体を持つエーテリアスとは異なり、ドッペルゲンガーの身体は急速に解け、空間へ霧散していった。
あとに残されたのは、焦げついたエーテルの臭いと、激しい戦闘の痕跡だけだった。
『完全消滅を確認。周辺に敵影なし』
オペラが安堵するように息を吐く。
『迷彩とホログラムの合わせ技……相変わらず、性格の悪い戦い方ね』
「ハーッハッハッ! 勝てばよかろうなのだ!」
『それじゃあ、研究所内部にも最後のデータポストを設置して。それと、もう一つの目的も忘れないで頂戴』
「分かってるって。今回は『R.E.L.I.C』本来の仕事で来てるんだからな」
クラムは七陽を背負い直す。
デッドエンドブッチャーが塞いでいた裂け目の先には、半ば崩落した巨大な建造物が口を開けていた。
「さて。鬼が出るか、蛇が出るか……」
☆
電子錠を解除した扉の向こうは、静寂と冷気に包まれていた。
十年近い歳月を経ても機能し続ける非常用照明。その淡い緑光が壁面に刻まれた『特殊エーテル研究所』のエンブレムを不気味に浮かび上がらせている。
クラムは七陽のグリップへ手を添えたまま、足音を殺して崩落した廊下を進んだ。
やがて中央制御室へ辿り着き、最後のデータポストを設置する。
「よーし、設置完了。これでホワイトスター学会から押しつけられた『アルペジオ大断層の環境データ収集』って表向きの仕事は終わりだ」
『ご苦労様。学会の連中には、これで十分な成果を持ち帰れるわ──さて、ここからが本題よ。目標は第四研究所の最奥に保管されているはずの、新型サクリファイス化薬剤──その試作品』
それは、讃頌会と呼ばれるカルト集団によって作られた薬剤。
投与された者は人の理を外れ、ホロウの外でも活動可能なエーテリアスに近い異形──『サクリファイス』へ変貌する。
代償として自我を失う欠陥品のはずだが、試作品が残されているのなら、その欠点を解消する研究が行われていた可能性がある。
「数年前にランドンが死んで、ヤヌス区の讃頌会は壊滅したって話なんだけどな。残党らしき連中を何度か消して回ったが……」
『どうも、復活の兆しがあるみたいね。そうでなければ、ブリンガーと讃頌会の繋がりを示す証拠を確保しろ、なんて指令は下らないもの』
「カルト組織との繋がりを証明するために薬を確保しろ? 本当に回りくどいなぁ」
クラムは端末の電子ロックを解除する。
「ブリンガーはほぼクロなんだろ。適当にTOPSとの癒着の証拠でもでっち上げてしょっぴくか、最悪ぶっ殺して終わりでいいじゃん」
『相手が相手だから難しいのでしょう。事実なら、治安局きっての大スキャンダルよ』
金属扉が、軋みながら開いていく。
『上としては、治安局という組織全体の腐敗ではなく、ブリンガー個人の問題として処理したい。それに、表向きは悪事を働いていない人物を、しらを切られたという理由だけで殺すわけにはいかないわ』
「『治安局は中枢から腐敗しているかもしれない』なんて混乱を新エリー都に広げたくないと。よくもまあ、そんなことが言えたもんだよ。何のためのR.E.L.I.Cだか」
愚痴を吐きながら、クラムは指定された保管区画へ入る。
研究設備の多くは、いまだに最低限の機能を保っていた。
だが、輝磁製の保管ストレージに収められているはずのシリンダーケースは、影も形もない。
「設備が生きてるってことは、ここで作ってたのは間違いなさそうだ。だけど……遅かったみたいだな」
『嘘でしょ。先を越された?』
オペラが残留データのスキャンを始める。
『……反応なし。保管されていた薬剤は、すべて持ち出されているわ』
「見れば分かるよ。断層の探索は突発的に決まったんだ。運が悪かったんだろう」
『痕跡は新しい。最近になって誰かが研究所へ侵入し、薬を持ち去ったようね』
「クソ。完全に無駄足じゃねぇか……いや、まだやれることはあるな……」
クラムは天井付近に残された監視カメラへ目を向けた。
「設備が生きてるなら、監視記録も残ってるかもしれない。最悪、データだけでも持ち帰るぞ。制御室へ戻ろう」
☆
埃に覆われた中央制御室。
クラムは液晶の割れたメインコンソールの前へ立ち、うなじから伸ばしたデータジャックを端末へ接続した。
青い光が視界を明滅し、膨大なデータが脳内を駆け抜ける。
数秒のノイズを挟み、過去の監視映像がAR上へ浮かび上がった。
「防壁に動作なし。ウイルスも罠もなさそうだ。連中もそこまで手を回す時間がなかったのか?」
保存された記録を順番に開く。
「映像は……よし、生きてる。そっちにも共有するぞ」
大半の映像に映っていたのは、研究所内へ迷い込んだ小型エーテリアスだけだった。
しかし、一つだけ明らかに異なる記録がある。
タイムスタンプは数日前。
「クソ。本当にタイミングが噛み合わなかったみたいだな」
画質は酷く、レンズには埃とエーテル結晶がこびりつき映像全体が歪んでいる。
それでも、無人の研究所へ数人の集団が入ってくる姿は確認できた。
入口の電子ロックを瞬時に破り、室内へ侵入する影。
全員が頭から深くフードを被っており、大半は白いスーツに似た服装だったが、先頭に立つ人物だけが異様なほど目立っていた。
僅かな非常灯の下でも鮮烈に浮かび上がる、真紅の服。
フードの隙間から、黒い髪が僅かに覗いている。
「服装からして、反乱軍でも治安局でもなさそうだ。まあ、大方は讃頌会だろうな」
クラムは映像の人物を睨み、顎へ手を当てる。
「手際がいいな、コイツら。ここまで辿り着くのも、そう楽じゃないのに」
赤服の人物を拡大する。
「オペラ、こいつに見覚えは? 讃頌会の残党リストに載ってなかったか?」
『……いいえ。顔が見えないことには、データベースでも照合できないわ。ただ……』
「ただ?」
返答までに、妙な間があった。
『この赤い服……どこかで見たことがあるような気がするの』
「いつ?」
『分からない。ただの既視感かもしれない。昔、ニュースかインターノットで見かけただけなのかも……』
「ふーん、でもお前のカンは結構あてにしてるから」
クラムはそれ以上深く追及せず、映像へ復元処理をかける。
だが、元の解像度が低すぎて、輪郭以上の情報は引き出せなかった。
「この古いカメラじゃ限界か。復元処理もまともに走らない」
クラムは監視映像の生データをそのまま保存した。
「ここでの調査は打ち止めだ。映像を持ち帰って、うちの解析環境でノイズ除去と顔認証を回そう。何か引っかかるかもしれない」
『ええ、賛成よ。これ以上長居しても成果は増えそうにないわ』
オペラが周辺の地形データをスキャンする。
『最低限の情報は確保できたと判断して、撤収ルートを割り出すわ』
「助かる~」
クラムはデータジャックを引き抜き、七陽を背中に戻した。
研究所を出ると、オペラの案内に従って裂け目の闇へ足を踏み入れる。
讃頌会の陰謀
ブリンガーの企み
そして、薬剤を持ち去った赤い服の人物
そのすべてが、いまだ濃い霧の向こうにある。
「面倒なことになりそうだけど──まあ、なるようになるでしょ。多分」
やる気を失わないようにある程度までストックしているので、#5ぐらいから面白くなる…かも…