プロメシュースの悔恨 ―新エリー都、その記録の外側で― 作:jolend
The Double Sing 上—①
ポートエルピスでの一件から、数カ月が経っていた。
その間には、歌姫アストラ・ヤオのコンサートを襲う騒動もあった。空中に浮かぶ会場、スターループが襲撃を受け、一時は墜落の危機に陥ったのだ。
だが、混乱の中でもアストラは皆を守るため歌い続け、会場は辛くも墜落を免れた。
事件の報道とともに危機のさなかで歌う彼女の姿が話題になった。しばらくは新聞にも街の会話にもその名前が絶えなかった。
その騒ぎもようやく落ち着き、年も明けた新エリー都はひとまず日常を取り戻している。
サラの身柄は今も防衛軍の管理下にあったが、取り調べの進展がクラム達へ伝えられることはなかった。
その夜、11号は新たな任地へ移る前に、六分街へ立ち寄っていた。
六分街の深夜営業も終わりに近づき、店の提灯は半分ほど明かりを落としている。チョップ大将は片づけの手を止めず、客席に残った二人を急かしもしなかった。
11号は背筋を伸ばしたまま、赤いスープへ箸を入れている。
食べているというより、決められた間隔で麺を口へ運んでいた。好物の激辛ラーメンの味を確かめる余裕はないらしい。
「冷めるわ」
オペラが言うと、11号の箸が止まった。
「適温よ。作戦行動中の携行食よりは温かい」
「比較対象が悪いわね」
「あなたは手をつけてすらいないでしょう」
オペラは自分のどんぶりを見た。
食べられないわけではない。ただ、この場では空腹より、11号の持つ封筒の方が気にかかっていた。
「私は味わっているところよ」
「麺を一本も食べずに?」
「静物鑑賞という楽しみ方もあるわ」
「非効率的ね、ラーメンは食べるものよ」
11号はそれきり追及しなかった。
テーブルの端には、細長い封筒が置かれている。防衛軍の印章。その脇には、封を切らずに発令番号を照合するための認証素子が埋め込まれていた。形式だけなら、何の変哲もない命令書だった。
オペラの左眼に近距離信号の識別情報が浮かぶ、文面は読めない。拾えたのは、認証経路を示す短い符号だけだった。
「次の任務は?」
「機密事項よ」
「その書類、見せてもらえる?」
「機密事項だと言ったはずだけど」
「では、質問を変えるわ。命令を受けたのはいつ?」
「四十五分前」
「発令者は?」
「回答を拒否するわ」
「認証経路は……第七系統?」
今度は、11号が答えなかった。
オペラは検出した符号をもう一度確かめた。
現行の防衛軍では使われていない中継符号が混じっている。
廃止される前、それを使っていた部隊をオペラは知っていた。
「受領を保留して」
「理由は?」
「古い中継経路が挟まっている。正規の発令を装って別の相手が命令を流した可能性があるわ」
「署名は照合済みよ」
「署名が通ることとその鍵を誰が使ったかは別でしょう」
11号は封筒を取り、胸元へ収めた。
「正式な命令として届いている。疑う根拠が不十分なら、兵士として従うわ」
「アンビー隊長なら同じ判断はしないわ」
名前を口にした途端、箸の先から赤い雫が落ちた。
11号の顔つきは変わらない。けれど、次の呼吸までに生じた一拍を、オペラは見逃さなかった。
「今でもあの人を隊長と呼ぶのね」
「隊長だった事実は変わらないもの」
「事実ならもう一つあるわ。隊長は私たちを置いて消えた」
「帰らなかったことと、見捨てたことは同じではないわ」
「残された側にとっては同じよ」
「いいえ、アンビー隊長にとっては違う」
11号はまっすぐオペラを見返した。
「じゃあ、本人に聞いたの?」
「聞いていないわ」
「なら、それはあなたの願望よ」
「あなたの結論も同じでしょう」
「……あー、食べる時くらい、楽しそうに話したらどうだ?」
二人の間へ、チョップ大将が口を挟んだ。
11号は残った麺を口へ運び、スープを飲み干した。席を立ち、自分の代金をテーブルへ置く。きっちり一人分、釣り銭が出ない額だった。
「彼女が私たちを見捨てていないなら、なぜ戻らなかったの?」
答えを求める声ではなかった。
「ご馳走様、次は一人で来るわ」
そう言い残して、11号は夜の六分街へ消えていく。
呼び止めることはできた、命令書を奪うことも、枝を仕込むこともできた。
けれど、オペラはどれもしなかった。
数分後、クラムが近くの公衆トイレから戻ってくる。空いた席と、手つかずのどんぶりを見比べ、丸眼鏡の奥で目を細めた。
「あれ? 11号は?」
「帰ったわ」
「やっぱり……喧嘩した?」
「意見交換しただけよ」
クラムは11号が置いたディニーを数え、それを自分の財布へ入れた。
「何をしているの?」
「俺がまとめて払うから回収してんの。疑うなよ」
「疑っていないわ。確認しただけ」
「同じじゃん。お前はそのつもりでも、こっちには疑われたように聞こえるんだよ」
オペラは言い返しかけ、11号が座っていた席へ目を向けた。
「……そうね。どんなつもりだったかなんて、残された方には分からないものね」
クラムの手が止まった。ほんの短い停止だった。
彼はすぐ硬貨をしまい、何事もなかったようにオペラのどんぶりを自分の前へ移した。
「食わないなら俺がもらうぞ」
「……好きにして」
「んで、何の話をしてたの?」
「帰らなかった人の話よ」
「ふーん……あーあ、伸びちゃってるよ」
スープを吸った麺を見ながら、クラムはそれ以上何も聞かなかった。
☆
あの夜から数日後の昼、R.E.L.I.C.のトラックはルミナスクエアの路肩に停まっていた。
荷台の卓上へ、空箱が置かれる。
側面には、義肢用神経安定剤と書かれており、蓋を開けると、薬瓶を収めていた緩衝材だけが残っていた。
「中身は?」
「既に持ち去られています」
月城柳が、箱の隣へ受領控えを置いた。
「ドラッグストアで軍用の購入許可証が使われました。店の端末は受け付けたのですが、後から帳簿を確認すると、請求先の部隊が見つからなかったそうです」
「引き渡してから気づいたのか」
「その場の認証は通っていますから」
受取人は薬剤だけを別の保冷ケースへ移し、輸送箱を店へ返していた。
店に残されたのはその箱と受領控え、そして、取引記録の保管用として提出された薄いチップだった。
オペラが左眼の波長を切り替える。
箱のラベルの下に古い印字が浮かんだ。
軍用補修資材
何度も使い回された箱らしい。それだけなら、闇市で買った中古品でも説明はつく。
「監視映像は?」
「引き渡しの時間帯だけ欠けています。店員は軍の手配した代理人だと思ったと」
「認証を通してカメラまで止めたのに、箱は返すんだな、変なの」
「持ち歩く方が目立つと思ったのかもしれないわ」
オペラは受領控えを引き寄せた。
許可証にある所属名と、端末が記録した認証経路を、それぞれを見比べ、指が止まる。
第七系統
「……同じね」
「何とですか?」
「11号が受け取った命令書よ」
クラムが椅子を寄せた。
「最後にお前とラーメンを食ってた時の?」
「えぇ、古い経路が混じっていた。本人は署名を照合済みだと言っていたけれど」
同じ認証経路を使っているだけで、同じ相手とは限らない。
それでも、あの夜の違和感を偶然として捨てるには、材料が増えすぎていた。
「11号から連絡は?」
「来てない、お前もか?」
「ええ」
オペラは最後に送ったメッセージを開いた。
返答はない。
柳が二人の顔を見た。
「軍の名義を偽装した取引として、こちらでは調べています。ただ、外部の人間による偽造なのか、内部から正規の認証を流用したのかまでは分かっていません」
「軍への照会は?」
「まだです、許可証が通った以上、確認先にも問題がある可能性を考えました」
「賢明だな、んで、うちに?」
「はい、このチップを外部へ接続せずに調べていただきたいんです」
クラムは受け取りかけ、オペラの手が先に伸びたのを見て止まった。
薄い媒体へ義指が触れる。
義眼の隅へ、旧式の近距離認証を検出したという表示が出る。オペラは応答を返さず、近距離通信を切った。
シルバー小隊の装備で使われていた規格だ。
だが、それだけで持ち主までは分からない。
「何かありましたか?」
「旧規格の認証信号。私の眼が拾っただけよ」
オペラはチップを卓上へ戻した。
「保護機構を確認するまで直接読み出さない方がいいわ」
「記録を消す仕掛けか?」
「その可能性はある。受領控えなら中身は店側の記録と同じはずでしょう。それなのに認証を要求する理由が分からない」
クラムが薄い遮蔽ケースを取り出した。
「じゃ、詳しい人に見てもらうか」
「ええ。ちょうど約束しているの。機械を見せると食事も睡眠も道徳も忘れる人と」
「……グレースさんを危険人物みたいに言うなよ」
「違うの?」
「うーん反論しづらいなぁ」
柳が受領控えをまとめる。
「解析をお願いします。店側には、追加の問い合わせがあるかもしれないと伝えておきます」
「うちは薄給なんだ、請求先は六課でいいんだよな?」
「はい」
「聞いたかオペラ! 話の早い依頼人だぞ!」
「普段の交渉を長引かせているのは誰かしら」
☆
グレースはケースの中を覗くなり、サンドイッチを工具箱の上へ置いた。
「この端子懐かしい形だね、どこで見つけたの?」
「ドラッグストアの受領控え」
「ずいぶん変わったものを扱う薬屋さんなんだね」
白祇重工の事務所前に停めたトラックへ解析器具を持ち込み、グレースはチップの外装を調べていた。
クラムの作業端末は外部回線から切り離してある。オペラも義眼の近距離通信を止めたままだった。
「やっぱり、普通の伝票用じゃないよ」
拡大された基板には、軍用機材の管理番号が残っていた。
「元は補修部品の受領や、整備履歴を記録する媒体だね。表の領域は店で読めるようにしてあるけど、古い保守領域が残ってる」
「そこを開くと?」
「認証を間違えると消去に入るみたいだ、何度も試さなくてよかったね」
オペラはクラムを見た。
「聞いた?」
「まだ何もしてないだろ、信用がないなぁ」
グレースが消去を作動させる回路を切り離す。読み出しに必要な回路が生きていることを確かめてから、クラムは内容を別の記録媒体へ複製した。
元のチップを外し、解析用の画面へ複製した記録を開く。
表の領域にあったのは薬剤の数量と取引番号で、薬局の受領控えと一致した。
古い領域から出てきたのは、過去の部品発注記録だった。
人工神経用の接続材
軍用義肢の補修部品
生体スキャン装置の交換部品
発注は複数回に分かれている。だが、要求する寸法と補正条件はどの注文でもほとんど変わらなかった。
「共通規格の義肢?」
「それだけなら珍しくないよ、でもここを見て」
グレースが条件欄を拡大する。
「部品の寸法だけじゃなく、使う側の身体条件まで指定されてる。普通は合わない部分を調整するのに、調整する余地をほとんど残していないの」
「同じ人の予備を、まとめて作ったんじゃないのか?」
「その可能性もあるね。でも、これだけじゃ人数までは分からない」
オペラは数量を見た。
予備
そう呼ぶには、少し多い気がした。
「機械だけならこんな回りくどい制御は要らないはずだよ。合わせようとしているのは生きた神経の方だね。もし複数人に使うなら一人の計測値をほかの全員にも当てはめることになるけどそれだと補正が──」
グレースの説明が続く傍らで、クラムは仕入先の番号を、保存していた業者一覧と照合した。
候補の中に一つ、見覚えのある店名が現れる。
「近いな」
「灯台下暗し、というやつね」
背後から説明を続けていたグレースが、画面を指そうと腕を伸ばした。
オペラの右腕が、防御動作を取ろうとわずかに持ち上がる。持ち主が振り返るより早い反応だった。
グレースの目が輝く。
「今の応答もう一度見せてよ!」
「嫌よ」
「大丈夫触らないから!」
「信用できないわ」
「挙動を観察するだけだから!」
「それを世間では分解の第一段階って言うんだゾ」
クラムがチップをケースへ戻し、オペラの肩を抱いて手の届かない方へ引き寄せた。
「はーいうちの相棒は非売品でーす。見学も試乗も禁止でーす」
「じゃあ、今度はその腕を──」
「──サンドイッチが工具箱の上に乗ったままだ」
「……おっと、そうだった」
グレースの視線が、食べかけの昼食へ戻った。
その隙にクラムが端末を閉じる。
保存した情報を確認し、元のチップは封印した。以後の照合には複製した記録だけを使う。
クラムが機材を荷台へ固定している間に、グレースがオペラへ小声で尋ねた。
「預かった図面の方は、調整が済んだらキミに連絡すればいい?」
「ええ、受け取りには私が来るわ」
グレースは頷いた。作業台の脇に伏せてあった別の端末には触れず、解析器具を片づけ始める。
「んで、約束って何だったの?」
荷台からクラムが顔を出した。
「……秘密」
☆
エンゾウは発注番号を見て、作業台の奥から帳簿を引っ張り出した。
「これなら覚えてるぞ、妙な注文だったからな」
該当する取引は数週間前で、チップに残っていた部品の種類も数量も一致している。
「どんな客だった?」
「受け取りに来たのは代理だ。注文した本人とは通話で話した。女の声だったが、ひどく音が割れてたよ」
エンゾウは注文欄を太い指で叩いた。
「同じ部品を揃えるところまでは普通だ。妙なのは、調整の相談を全部断ったことだな」
「寸法を変えていない?」
「ああ、使う側を合わせるとさ」
オペラの右手が止まる。
「義肢を?」
「そこまでは言ってねえ。ただ俺が『身体に負担がかかるぞ』って言っても、構わないの一点張りだった」
クラムが帳簿の余白へ目を向けた。
受取場所の指定がある。
六分街の雑貨店、その受取用ロッカーだった。
「店頭で渡したんじゃないのか?」
「最初の分はな、追加の細かい部品はそっちへ入れろと言われた」
エンゾウが受取済みの通知を探し、時刻を控える。
「先に店へ話を通してやる。客の荷物を勝手に嗅ぎ回ってると思われたら俺まで面倒だからな」
「助かるよ」
「ちゃんと面倒になる前に言えよ、お前らは」
☆
ロッカーの記録から分かったのは、受け取りに使われた番号と時刻だけだった。
登録名は偽名らしく、連絡先も既に使えない。
ただ、その時間に近くのティンズコーヒーで友人と休憩していたエレンが、荷物を持ち出す人物を見ていた。
「フードを被った女の子、箱を取って、すぐ帰ったよ」
「顔は?」
「うーん、マスクしてたからよく見てない。かわいい服だったけど、ずっとぶつぶつ何か呟いてた」
エレンは眠そうに目を細めた。
「あと、歩き方が変だった」
「変?」
「脚が動いてから身体がついてくる感じ。人を避ける時とか、ちょっとずれてた」
オペラは右手を握った。
現在の彼女は、生身と区別のつかないが、義足で歩く感覚を覚えた頃はクラムと何度も調整を重ねた。
最初からできたわけではない。
動かしたい距離と、実際に進む距離。その小さな違いに、何度も躓いた。
「両脚が義体かもしれないわね」
「たぶん、アンタの歩き方とは違ったけど」
クラムが店へ頼み、通りを映した監視記録を確認する。
エレンの証言と同じ時刻に、箱を抱えた人物が映っていた。
フードの奥に、横顔がわずかに見える。
オペラの義眼が照合を始めた。
アンビー・デマラ
11号
オペラ
三つの候補が並ぶ。映像が粗すぎて、どれも本人と判断できる精度ではない。
「……似てるな」
クラムが呟いた。
オペラは映していた照合結果を閉じる。
「続きは?」
「画面の外、だが、徒歩で帰ったわけじゃなさそうだ」
通りの端で荷物を持った人物が立ち止まっている。
ほどなく停まった配送車へ箱を積み、そのまま助手席へ乗り込んだ。
車体には、配送業者の名前が残っていた。
☆
借りた車だということは、業者への確認ですぐ分かった。
貸出先の名義は架空だったが、返却時の点検記録は残っていた。車体の傷と走行距離、そして運転手が精算のために提出した郊外の通行控えをクラムがARの地図へ落とす。
「零号ホロウの外縁か」
「入口までは絞れる?」
「この車で通った道ならな、ホロウの中まで走行記録が残ってると思うなよ」
薬剤の認証媒体に残っていた部品発注
エンゾウの帳簿
ロッカーの受取時刻
エレンが見た義体の少女と、彼女を乗せた車
それぞれは小さな記録だった。繋いで初めて市街地の外へ続く道になった。
オペラは11号への通信履歴を開いたが、返答はまだない。
「前哨基地に確認しましょう」
「レイに?」
「ええ、11号の行方について、何か知っているかもしれないわ」
クラムが地図に前哨基地までの経路を重ねた。オペラは返答のない通信画面を閉じ、助手席へ移る。
あの夜は、11号の背中を見送った。
今度はこちらから会いに行く。