プロメシュースの悔恨 ―新エリー都、その記録の外側で― 作:jolend
地下の通路へ入ると、オペラは義眼の表示を確かめた。
11号への追加投与が始まるまで、もう時間がない。北側の医療区画に隣接する設備室が目的地だった。
地下は外から見たより広かった。
剥き出しの配管へ、新しい実験設備が乱暴に継ぎ足されている。オペラは進路に沿って携帯ジャマーを3か所へ設置した。自分たちの中継帯域を残し、警備機の制御周波数へ妨害を絞る。
増援用ドローンの半数が指示を失い、待機へ移る。
残る機体には、施設側の誘導灯を使って進路を示した。向かった先には、トリガーの射線が通っている。
『援護に感謝します』
「私は北側の投与装置を止める。先に東側の爆薬をお願い。あの連絡通路を使って患者を運び出すわ」
『承知しました。ただし、危険な場合はすぐお知らせください』
「危険ではない状況を探す方が難しいわ」
通信の向こうで、トリガーが短く了解を返した。
オペラはメンテナンス用の通路を北へ進んだ。東側の連絡通路と交わる地点まで、あと少しだ。
爆薬の位置も、二人の端末へ送った。
正面から警備ロボが2体現れる。
「邪魔しないで!」
手元に残したジャマーの指向性を絞り、片方の視覚を潰す。もう1体の銃口を右義手で押し上げた。
弾丸が天井を削る。銃身を掴んだまま機体を引き寄せ、肘を短く打ち込んだ。装甲がひしゃげ、姿勢制御が乱れる。
義足をその足首へ差し込む。
倒れる角度を固定された警備機は横倒しになり、背後から来た仲間を巻き込んだ。
突き当たりの扉の向こうで、刃と金属が激しく噛み合った。アンビーが戦っている。重い足音が、こちらへ近づいてきた。
オペラが扉を解錠すると、アンビーが後退してきた。そのすぐ後ろから、大型の防衛ロボが扉をくぐろうとしている。
ガーディアンタイプの改修機らしい。右腕に据えられた重火器が、アンビーを追って動いた。
アンビーは銃口を避け、機体の左側へ回り込む。防衛ロボもそちらへ向き直り、追いすがろうと左脚を上げた。
オペラの左眼が、関節の動きと足の着地点を捉える。
一瞬、敵の背後と頭上を巡り、関節へ突き込む小さな光の軌道が視界に重なった。
昔なら、そこにも手が届いた。
オペラは右手を開き、防衛ロボへ踏み込んだ。
こちらへ向きかけた銃身を義手で掴み、壁の方へ押しやる。直後に砲口が火を噴き、肩のすぐ横を抜け、壁を砕いた。
反動で銃身が跳ね上がる。その下をくぐり、機体の懐へ入った。
左脚が床を踏む瞬間を狙い、膝の内側へ義足の踵を叩き込む。
関節は砕けなかった。だが、膝が外へ流れ、足が傾いたまま床に着いた。体重を支えきれず、巨体がぐらつく。
オペラは銃身から手を離し、そのまま胴体へ肩を押しつけた。崩した姿勢を立て直させないよう、両脚を踏ん張る。
腰部の駆動音が高くなった。押し返される力に、義足が床を擦って滑り始める。
長くは保たない。
アンビーには、その一瞬で足りた。
機体の左側から踏み込み、オペラの肩越しに刃を走らせる。胴体の継ぎ目が裂け、火花が散った。
防衛ロボが、空いている左腕を振り上げる。
オペラはすぐに肩を離し、身を低くした。頭上を鋼の腕が薙いでいく。その動きに合わせて半歩退き、アンビーの踏み込む場所を空けた。
二撃目が、先ほど裂いた継ぎ目へ深く入る。
駆動音が途切れる。オペラは傾いてくる胴体を蹴って離れ、アンビーも刃を引き抜いて飛び退いた。二人の間へ防衛ロボが崩れ落ちる。
「助かったわ」
「……ええ」
アンビーは機体が動かなくなったのを確かめ、オペラへ顔を向けた。
「やっぱりあなたと組むと動きやすい。前に一緒に戦った時も、そう思ったわ」
「私は、アナタに斬られないように避けただけよ」
「大丈夫。あなたには当たらないわ」
あまりにも当然のように言われ、オペラは返す言葉を失った。
そこへトリガーが追いついた。残骸の向こうへ銃口を向け、増援が来ないことを確かめてから二人へ声をかける。
「お二人とも、お怪我はありませんか?」
「問題ないわ」
オペラは右手を一度握り、開いた。アンビーも刃を下げる。
「私も大丈夫」
オペラは右手を握り直す。義指の応答は正常だった。
北側区画の警告灯が赤へ変わる。オペラは床下回線へ接続した。
投与装置の準備は、最終工程へ入っていた。爆薬を積んだドローンも、連絡通路へ近づいている。
「私は装置を止める。爆薬をお願い」
「私が行く」
アンビーが駆け出し、トリガーが後ろを守る。
オペラは設備室へ滑り込み、配電盤を開いた。
投与装置は、ここからの停止命令も受け付けなかった。主電源を切るだけでは、予備電源へ切り替わって投与を続ける。
監視装置と拘束台の搬送機構は別電源だった。切るべきなのは、薬液を送り込むポンプへの給電だけ。
自身の義手を、配電盤の接続ポートへ線を繋ぐ。
遠隔からの停止要求は拒まれても、この接続口からはメンテナンス用の設定を呼び出せた。
オペラは投与装置の電源だけを選び、予備電源への自動切り替えを無効にする処理を始める。
処理の途中で、接続口の電圧が跳ね上がった。義手に警告が走り、指先の感覚が遠のく。
『駄目だ切れ!』
「まだ……!」
『その腕が保たないぞ!』
「知っている!」
設定が書き換わった。
オペラはケーブルを引き抜き、投与装置用の給電ユニットへ義指を掛けた。
両脚を踏ん張り、固定枠ごと引き剥がす。
給電線が千切れ、火花が散った。薬の投与準備の表示が止まる。
予備電源は作動しなかった。再開指示が送られてもポンプは応答しない。
処置台から送られる脈拍の表示だけが、動き続けていた。
ほぼ同時に、遠くで鈍い爆発音がした。
『爆薬は連絡通路から排除した。これで通れるわ』
「了解。クラム、3分よ、間に合ったわ」
『あぁ、確認した、投与装置は止まってるな』
「これで文句はないでしょう」
『帰ってから聞け、まだ11号を連れ出してないだろ』
オペラは焼けたケーブルを収め、設備室の内側から防護シャッターを上げた。
隣の職員用扉へ回る。
アンビーが覗いていた窓の向こうに、11号がいた。枕元の椅子には誰もいない。奥の管理階への扉も、今は閉じていた。
拘束台へ横たえられ、腕や首筋には複数の端子が付けられており、意識はなかった。
オペラが止めたそばの投与装置はしっかりと停止していた。だが、薬液を入れた容器から細い管が11号の腕へ繋がっている。
職員用扉の脇にある端末へ、試験記録を呼び出す。過去の投与時刻と薬剤番号が並んだ。
次の一回は止められた。けれど、それまでに何度も試験を繰り返されている。
細胞採取
神経反応試験
生体データの抽出
エーテル適応薬
戦闘波形との同期試験
モニターの末尾に、比較対象の一覧があった。
古い識別符号が並んでおり、その中の1つをオペラは知っていた。
自分のものだった。
《比較資料不足》
《追加採取》
《判定保留》
11号の欄にも、完了の表示はない。オペラは画面を保存し、職員用扉の解錠を試した。
一瞬、解錠の表示が出る。取っ手へ手をかける直前に、それが赤へ戻った。
『触らないで。せっかく静かに眠っているんだから』
天井のスピーカーから、ツイッギーの声が聞こえる。
「彼女には治療が必要よ! 扉を開けて!」
『ここも治療をする場所よ? 見れば分かるでしょう』
「……拘束を解きなさい!」
『お見舞いに来たわりに、ずいぶん偉そうなのね』
オペラはもう一度、扉の解錠を試した。
拒否
もう1度
だが扉は管理階から施錠され、オペラの操作を受け付けなかった。
端末にアンビーの携行映像が届く。爆薬を排除した二人は、中央区画へ入っていた。
11号のいる医療区画は、シャッターで閉ざされている。その上の通路から、ツイッギーがアンビーを見下ろしていた。背後には、潜入に気づいた少女もいる。
「11号はそのシャッターの奥よ。こちらの扉は開かない。そっちから開けられる?」
『確かめるわ』
アンビーがシャッターへ近づく。トリガーは入口に残り、背後を警戒した。
『さすがね隊長……でも、ずいぶん慎重になったのね。昔ならその程度で足を止めなかったでしょう?』
『私は帰らないといけないから』
『ええ、そうでしょうね。今のあなたには帰るところがあるんだものね』
アンビーは答えなかった。
ツイッギーの指が、手すりを叩く。
『いいわね。待っていてくれる人がいて』
少女が彼女の袖へ触れた。
ツイッギーはその手を払い、またアンビーを見る。
『私のことも、少しは思い出した?』
『ごめんなさい、今日始めて知ったの、生きていることが分かったら、もっと早く見つけたかった』
『そう? 私が生き残るなんて思わなかった? 私、戦うのは苦手だったものね』
『あなたには、ほかにできることがあったわ』
手すりを叩いていた指が止まった。
『覚えていてくれたのね。……私も、忘れていないわ。あの場所も、みんなの声も。こんな身体になっても、忌まわしいくらいに』
『ツイッギー』
『それで? そんな顔をして、今度は何をやめろと言うつもり?』
『この研究よ、もう11号に手を出さないで』
ツイッギーが笑った。
『ああ、やっぱり。その話をしに来たのね』
オペラは11号の脈拍を確認した。
間隔が乱れ始めている。追加の投与を止めても、それまでに受けた処置の影響まで消えたわけではなかった。
「アンビー、11号の状態が悪いわ」
通信へ告げる。
アンビーが小さく頷いた。
『ツイッギー、11号を連れ出す。あなたも一緒に来て』
『ふふっ、帰るところを用意してくれるの? それとも、行き先は牢屋かしら』
『したことを覆すことはできないわ。でも、あなたを捕まえてそれで終わりにはしない』
少女が、ツイッギーを見上げた。
ツイッギーは動かない。
『……まだ、私の面倒を見るつもりなの』
『そう』
短い返事だった。
ツイッギーの口元が歪む。
『遅いのよ。二度と隊長面してお説教なんてしないで』
ツイッギーが操作盤を叩いた。
医療区画の搬送口で、シャッターが上がり始める。
壁一枚を隔てた先に、アンビーの姿が見えた。
「台がそちらへ出る!」
アンビーが搬送口の正面へ回り込む。拘束台は減速しなかった。
固定金具が開く。停止位置を越えた拘束台が、中央区画に倒れていた警備ロボの残骸へぶつかった。
投げ出された11号を、アンビーが受け止めた。
瞼は閉じたままだった。
アンビーの呼びかけにも、返事はない。
「ほらアンビー、大事なお気に入りは返したわ。もういいでしょう?」
オペラは空になった拘束台の横を抜け、同じ搬送口から中央区画へ出た。
頭上の手すり越しに、ツイッギーが見下ろしている。
トリガーがアンビーのもとへ寄り、11号の呼吸を確かめた。
「搬送できますか」
「私が背負うわ、退路をお願い」
「承知しました」
オペラは膝をつき、固定具を広げた。
その頭上へ、声が降ってくる。
「あなたまで、そうやって隊長を助けるのね」
見上げると、ツイッギーがこちらを見ていた。
「11号を運ぶだけよ」
「私が通さないと言ったら?」
「通してもらうわ」
ツイッギーの視線が右腕へ落ちる。
両脚
左眼
「身体は替えても動き方は変わらないのね、さっきも戦闘でもそう」
オペラの手が止まった。
先ほどの戦闘は、監視装置に映っていた、それだけの話かもしれない。
「今の身体、誰に用意してもらったの?」
答えず、11号の固定具を締める。
「ずいぶん大事に直してもらったのね。……その人はあなたに何をしてほしかったのかしら?」
赤い非常灯
顔の見えない影
思い出しかけたものを、11号の呼吸が引き戻した。
「……まだ分からないわ」
「私を買った人も私には価値があると言ってくれたわ。あなたもそう言われた?」
返事をせず、固定具の緩みを確かめる。
「助けられたと思っているのは、あなただけかもしれないわよ」
オペラは11号を背負い、立ち上がった。
「その人に聞いてみるわ」
「……へぇ? 聞けるの?」
「今は、11号が先よ」
後ろにいた少女が再びツイッギーの袖を掴んだ。
今度は払われても、離さなかった。
オペラはその手を見た。細い指が、ツイッギーの服を握りしめている。
「アナタも、後ろの子を見てあげて」
ツイッギーの顔から、笑みが消えた。
「……気持ち悪いのよ。そうやって他人を気に掛けるのが」
アンビーは最後まで、上部通路を見ていた。
「ツイッギー、話は終わってないわ」
「やめてって言ったでしょ? できもしない、いらないお節介を焼いてこようとするなんて」
「そんなつもり無いわ、ただ、話がしたいだけよ」
「……もういいわ、早く行って」
ツイッギーは少女を連れ、上部通路の奥へ下がった。管理階を塞ぐ防護シャッターが下り二人の姿を隠す。
トリガーが連絡通路を示した。爆薬を処理した先に地上への出口がある。
オペラは11号を背負い直した。
アンビーが先頭へ回り、トリガーが後衛につく。三人は、確保した連絡通路へ引き返した。
施設を出る直前、オペラは壁の亀裂へ小型の傍受器を差し込んだ。
亀裂から覗く通話用の配線は、設備図面によれば管理階へ繋がっている。ツイッギーが医療区画のスピーカーへ声を送る際にも、同じ設備が使われていた。
オペラは配線の点検箇所へ傍受器を固定した。
「通話回線に枝をつけたわ。拾えた分だけ、あとで送らせる」
『了解』
クラムへ短く伝え、記録の設定を確かめる。
普段は受信と記録だけを行い、設定時刻に1度だけ、短い指向性通信で記録を送る。
送信後は記録領域を消去し、停止する設定にした。
相手が同じ設備を使わなければ、何も拾えない。確かめる時間はなかった。
オペラは11号を背負い直し、出口へ向かった。
☆
「ずいぶん待たせたな」
地上へ出た途端、クラムの声がした。
「結果は持って帰った」
「身体もな、ギリ合格かな?」
「右腕の修理費は?」
「当然お前の報酬から引くぞ?」
「労災を申請するわ」
「命令違反に労災を出す組織があんなら、俺も雇ってほしいね」
11号をトラックの荷台へ運び込み、搬送台へ移す。
トリガーが固定具を確かめ、アンビーも乗り込んだ。後部扉が閉じても、二人の視線は11号から離れなかった。
クラムは運転席で締結表示を確認し、車を出した。
施設から距離を取って数分後、警報が鳴った。
「追跡機、3台」
オペラが車両後方の映像を確認する。
無人の装甲車が、砂塵を上げて迫っていた。中央が追わせ、左右が逃走路を閉じるように広がっている。
「11号を返したのに、今度は追いかけてくるの?」
クラムが追跡機の発する識別信号を拾った。警備命令の更新時刻を確かめ、照合結果をオペラの端末へ送る。
「最後に命令が出たのは、施設の警報が鳴った時だ。それから更新されてない」
「追跡を止めていないのね」
「止め忘れたのか、止める気がなかったのかは知らん。どっちにしても追ってくることに変わりない」
左右の機体が、さらに間隔を広げた。
「しつこいわね……!」
「映画なら、そろそろ後ろの車が派手に爆発する頃だな!」
「こちらまで巻き込まないで!」
「大丈夫! 主演の車は修理代が高いからねぇ!」
クラムが地図を開く。
「前方に整備用の狭路がある。幅は追跡機2台分だ、そこを抜ける」
「11号を乗せたまま?」
「降ろさない。停まる時間はないからな」
狭路の入口には、旧設備の倒壊を防ぐための磁気固定の杭が残っている。
クラムが施設から持ち出した設備図面を開いた。現役ではないが、設備の識別信号には応答がある。予備電源の残量が表示された。
「一回なら動くな」
「私たちが先に抜ければ、相手は?」
「中央の1機を追わせて左右は狭路へ入る時点で隊列を崩す。固定杭で先頭の車輪を引けば後ろも止まるだろ」
トリガーが11号の固定具を確認した。
「衝撃に備えます……!」
アンビーは後部扉のそばで支持具を掴み、もう片方の手を刃の柄へ添えた。
「追いつかれたら⸺」
「追いつかせない」
クラムの声は冗談を感じせない。トラックが狭路へ滑り込む。
直後、中央の追跡機が後ろへ付いた。左右の機体も速度を落としながら続く。
「今!」
クラムが固定杭を起動した。
入口の壁面から磁気アンカーがせり出す。先頭機の車輪が横へ引かれ、車体が大きく傾いた。回避しようとした後続の機体が互いの進路を塞ぐ。
後方で金属が激しく潰れ、トラックは狭路を抜けた。
「追跡停止。後続も動けないようね」
「よぉし! そのまま動くなよぉ!」
クラムが速度を落とさず、狭路の先へ車を進める。
「修理屋に同情するわ」
「請求書はツイッギー宛てだな!」
その時、傍受器からの受信表示がついた。
短い記録が届き、送信終了の符号を最後に反応が消え、オペラはその記録を再生した。
最初に入っていたのは、何かを引きずる音だった。
続いて、ツイッギーの声が聞こえる。
『繋いで、あの人に』
小さな物音が聞こえる。誰かが近くにいるらしい、おそらくあのマスクの少女だろう。
『―分かってるわよ、危ないことくらい。さっきの警備がどうなったか、あなたも見ていたでしょう? あれじゃ、何も守れないの』
少し間が空き、呼び出し音が鳴った。
『……研究は進んだか』
低い男の声だった。
『欲しがっていた記録なら、用意してあるわ。次はそちらの番よ』
『言ってみろ』
『今の警備じゃ役に立たない。前に話していたもの、まだ出し惜しみするつもりなの?』
『お前の研究を続けるために、か』
『あなたに渡すものも、なくなってしまうわよ。それでもいいの!?』
男が何か答えた。
雑音が重なり、言葉の大半は潰れた。
『前に話した品を渡そう。助手を寄越せ』
『使い方は?』
『一緒に渡す。お前の知る技術と同じだとは思うな』
ツイッギーが黙った。
『……分かったわ』
そこから先は、機械音だけだった。
「どうやら警備システム向上のダシにされたらしいな」
「何を受け取るつもりなのかしら」
「より上位の警備ロボか、武器か。薬かもしれない。音声だけじゃ分からん」
クラムのARで照合処理が始まる。
参照しているのは、公開演説と、彼が保管していた過去の通信記録だった。
「その声に心当たりがあるの?」
「似てるヤツを知ってる……似てるだけなら、いいんだがな」
候補が減っていく。
最後に残った名前を見て、クラムは画面を伏せた。
「あとで話す。まだ一致したわけじゃない」
オペラは追及しなかった。
背後ではトリガーが11号の呼吸を確かめている。アンビーは、その隣から離れない。
今ここで増やすべき不安ではなかった。
オペラは音声を複製し、生データとともに保存した。
ツイッギーには、研究を続けさせるパトロンがいる。
今の警備を失っても、次を用意できる相手だ。
その事実だけで、十分に厄介だった。
☆
11号の状態が落ち着いたのは六分街へ戻る直前で、外はもう暗くなっていた。
アンビーが先に連絡を入れ、Random Playの裏口ではアキラとリンが待っていた。
「こっち! 横になれる場所は空けてあるよ!」
リンが先に立ち、アキラが搬送を手伝った。
オペラは車載の監視装置を持ち込み、11号の呼吸と脈拍を確認する。
数値は安定していた。つい先ほどまでの乱れが嘘のように、一定の範囲へ収まっている。
「落ち着いたのかい?」
「ええ、ただ意識は戻っていないわ」
アキラへ答え、採取されたものと投与記録をまとめる。
トリガーが必要な情報を受け取った。
「命令書の経路が偽装されている疑いがあります。通常の搬送手配へ、今の居場所を載せることは避けます」
彼女は個別の連絡先を開いた。
「信頼できる医療担当へ、まず投与記録と容体を確認してもらいます。移動が必要かどうかも、その判断を待ちましょう」
アンビーは11号のそばに座った。小さく何かを呼びかけるが返事はない。
アンビーが席を立ちかけた時、11号が目を開いた。
「……知らない天井」
トリガーが身を寄せる。
「11号……! 心配しましたよ。私の声が分かりますか」
11号は彼女の方へ顔を向けた。
「あなたは、誰? それに、私は11号なんて名前じゃないわ……」
沈黙が落ちる。
11号の視線が、部屋の中をゆっくりと巡った。
アキラ。リン。オペラ。
最後にアンビーで止まる。
「今は休んで、怪我をしているわ」
11号は何かを思い出そうと眉を寄せたが、ほどなく瞼を閉じる。
呼吸は乱れなかった。オペラは診断画面とその顔を見比べた。
身体の数値だけでは、分からないことがある。
「記憶ね」
アンビーが言った。
「私たちは重傷を負うと、記憶が乱れることがあった」
「回復は、するのですか」
「すぐとは限らない。私も、長く思い出せなかった」
トリガーは11号へ向き直った。
「では、急がせないようにします」
「戦えなくなっても?」
「必要なら、戦わずに済む場所を用意します」
ためらいのない返事だった。
「今は、彼女を休ませることが先です」
「そうだね。お店のことは気にしなくていいよ」
アキラが言い、リンも頷いた。
「アンビーも座って。ずっと立ってると11号まで落ち着かないよ?」
オペラは監視装置の警告値を設定し、椅子を空けた。
しばらくして、11号が再び薄く目を開けた。
「……喉が、渇いたわ」
トリガーがすぐに応じる。
少しずつ言葉が増えた。けれど、さっき聞いたことをもう1度尋ねることもあった。
誰も、先ほども聞いたとは言わなかった。トリガーはそのたびに、同じ調子で答えた。
オペラは監視記録へ、目覚めた時刻と会話の様子を書き留めた。昔のことを思い出せないのか、今交わした言葉が残りにくいのか。今の段階では、どちらも区別がつかなかった。
使用済みの固定具を片づける横で、アンビーがトリガーへ声をかけた。
「あとで、少し話せる?」
「ええ。もちろんです」
11号が眠ったあと、二人は店の方へ出ていった。オペラは追わなかった。
代わりに椅子の背へ身を預けて右手を開く。指先の感覚が鈍い。
損傷診断には、小さな警告が残っていた。足を組み替えた時、義足の固定部にもわずかな引っかかりを感じる。
しばらくして、二人が戻ってくる。
トリガーは再び11号の隣へ座った。アンビーは何かを言いかけるが、それを発することなくオペラを見る。
「またあそこへ行くの?」
オペラが先に聞いた。
「うん、でも、その前に11号と話したい」
「話したことを忘れてしまっても?」
「私が話さない理由にはならないわ」
オペラには、さっき二人が何を話したのか分からない。
それでも、11号を誰に任せるかは決まったらしかった。
個別回線へ医療担当からの返答が届いた。トリガーが投与記録を開き、オペラとともに、観察を続ける項目と容体が変わった際の連絡手順を確認する。
オペラは施設の記録を閉じた。
今夜のうちに決められないことまで、急いで決める必要はない。
ただ、ツイッギーのパトロンが次に何を渡すのか。
それだけは、待ってから確かめるわけにはいかなかった。
☆
『お前は、まず腕を直せ』
個別回線へクラムの声が入った。
彼はトラックに戻り、機材を片づけている。
「留守番とは言わないのね」
『言って聞くなら、修理代は発生してないからな』
「軽微な損傷よ」
『それは修理する側が決めまーす』
オペラは右手を握り、開いた。
応答に、わずかな遅れがある。
「……クラム」
彼女は11号の寝ている部屋から廊下へ出た。
「ツイッギーに聞かれたの。私を直した人は、何のためにそうしたのかって」
回線の向こうで、工具を置く音がした。
『何て答えた』
「分からない、と」
返事はなかった。
「直した理由より、その前が分からないのよ」
『その前?』
「あの日、アナタは何をしに来たの?」
短い雑音が入った。
クラムが回線を切り替えたのか、車外を何かが通ったのか。オペラには分からなかった。
『……命令書は見ただろ』
「2つあったわ」
『ああ』
それ以上、彼は付け足さなかった。
オペラは右手を見下ろした。この手を動くようにしたのは、クラムだ。
だが、修理の記録をどれだけ遡っても、彼が最初に何をするつもりだったのかは分からない。
「今なら、聞けると思ったのだけれど」
『今夜は腕を直させろ。話してる間にもそっちの応答が遅れてる』
「便利な故障ね」
『修理する方は不便なんだよ』
オペラは診断結果を送った。
問いへの答えは、受け取らないままだった。
悲鳴
銃声
救命装置の音
あの時の順序を、今の言葉で決めることはできない。
『ツイッギーは、お前が嫌がるところを探ってる。知ってることと反応を見て言ってることを分けろ』
「分かっているわ」
『それと、さっきの声だ』
端末へ照合画面が届いた。
ハルトマン
その名前の下に、72.6パーセントと表示されている。
『加工が強い。残ってる特徴は似てるが、本人とは言い切れない』
「ハルトマンって……レイヴンロック家の?」
『ああ、だが名前を出すのはまだ早い。ソイツが聞かせたい声を使ってるだけの可能性もある』
オペラは原音と処理後の記録を分けて保存した。
「サラたちの件と関係があると思う?」
『調べる価値はある。ただそれは次の仕事だ。この録音から口座番号まで喋り出してくれりゃ楽なんだけどねぇ』
「それなら、随分と親切なパトロンね」
『ぜぇひ取引したいよ。録音だけで済む範囲で』
クラムが照合画面を閉じる。
『今分かってるのは、ツイッギーが追加の支援を求めたこと。相手が応じたこと。それだけだ』
「受け取るものが薬なら、また誰かに使うかもしれない」
『だから、次はそっちも見張る』
回線の向こうで、さらにクラムが名を呼んだ。
『オペラ、例の照会に続きが来てる』
「軍の記録?」
『その回答先に追加されてた。誰が書いたかは分からん』
クラムはトラックに残した照会端末を、ほかの機材から切り離して接続していた。
取得した続報を保存し、再び回線を落とす。添付されたプログラムは実行せず、隔離した端末に残した。
文面と座標だけを新しいデータへ書き出し、それをオペラへ送る。
オペラの左眼に表示が開く。
昨日の照会番号の下に、見覚えのある旧識別符号が見える。自分のものだった。
「私宛て?」
『対象欄にお前の符号がある。届いたのは、俺が照会に使った方だ』
「向こうは、私がここにいると知っているのかしら」
『この文面だけじゃ分からん。知ってるように見せたいのかもしれない』
オペラは表示を読み直した。現在の名前も所属もない。
それでも、自分を指す文字列だと分かってしまう。
続いて、地図が開いた。
新エリー都内のある地点を起点に、経路が1本引かれている。最後の区間だけが欠けていた。
「途中までしかないわ」
『続きが欲しけりゃ来い、ってことだろうな。ずいぶん勿体つけた道案内だ』
「行けば、誰かが待っている?」
『待ってるのが人間なら、まだ話は早い』
オペラは地図を閉じなかった。これは今届けられた誘いだ。
あの日、クラムがどちらの命令に従ったのかを教えるものではない。
それでも、同じ識別符号が、過去の記録と現在の道を結んでいる。
『返事はするなよ』
「していないわ」
画面の末尾へ目を落とす。
命令を出した者の名はない。
赤い文字だけが、帰る場所を知っているかのように灯っていた。
《真実を知る者より》