プロメシュースの悔恨 ―新エリー都、その記録の外側で―   作:jolend

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The Double Sing 中—②

 地下の通路へ入ると、オペラは義眼の表示を確かめた。

 11号への追加投与が始まるまで、もう時間がない。北側の医療区画に隣接する設備室が目的地だった。

 

 地下は外から見たより広かった。

 剥き出しの配管へ、新しい実験設備が乱暴に継ぎ足されている。オペラは進路に沿って携帯ジャマーを3か所へ設置した。自分たちの中継帯域を残し、警備機の制御周波数へ妨害を絞る。

 増援用ドローンの半数が指示を失い、待機へ移る。

 残る機体には、施設側の誘導灯を使って進路を示した。向かった先には、トリガーの射線が通っている。

 

『援護に感謝します』

「私は北側の投与装置を止める。先に東側の爆薬をお願い。あの連絡通路を使って患者を運び出すわ」

『承知しました。ただし、危険な場合はすぐお知らせください』

「危険ではない状況を探す方が難しいわ」

 

 通信の向こうで、トリガーが短く了解を返した。

 オペラはメンテナンス用の通路を北へ進んだ。東側の連絡通路と交わる地点まで、あと少しだ。

 爆薬の位置も、二人の端末へ送った。

 

 正面から警備ロボが2体現れる。

 

「邪魔しないで!」

 

 手元に残したジャマーの指向性を絞り、片方の視覚を潰す。もう1体の銃口を右義手で押し上げた。

 弾丸が天井を削る。銃身を掴んだまま機体を引き寄せ、肘を短く打ち込んだ。装甲がひしゃげ、姿勢制御が乱れる。

 義足をその足首へ差し込む。

 倒れる角度を固定された警備機は横倒しになり、背後から来た仲間を巻き込んだ。

 

  突き当たりの扉の向こうで、刃と金属が激しく噛み合った。アンビーが戦っている。重い足音が、こちらへ近づいてきた。

 

 オペラが扉を解錠すると、アンビーが後退してきた。そのすぐ後ろから、大型の防衛ロボが扉をくぐろうとしている。

 ガーディアンタイプの改修機らしい。右腕に据えられた重火器が、アンビーを追って動いた。

 アンビーは銃口を避け、機体の左側へ回り込む。防衛ロボもそちらへ向き直り、追いすがろうと左脚を上げた。

 オペラの左眼が、関節の動きと足の着地点を捉える。

 

 一瞬、敵の背後と頭上を巡り、関節へ突き込む小さな光の軌道が視界に重なった。

 昔なら、そこにも手が届いた。

 

 オペラは右手を開き、防衛ロボへ踏み込んだ。

 こちらへ向きかけた銃身を義手で掴み、壁の方へ押しやる。直後に砲口が火を噴き、肩のすぐ横を抜け、壁を砕いた。

 

 反動で銃身が跳ね上がる。その下をくぐり、機体の懐へ入った。

 左脚が床を踏む瞬間を狙い、膝の内側へ義足の踵を叩き込む。

 

 関節は砕けなかった。だが、膝が外へ流れ、足が傾いたまま床に着いた。体重を支えきれず、巨体がぐらつく。

 オペラは銃身から手を離し、そのまま胴体へ肩を押しつけた。崩した姿勢を立て直させないよう、両脚を踏ん張る。

 腰部の駆動音が高くなった。押し返される力に、義足が床を擦って滑り始める。

 

 長くは保たない。

 アンビーには、その一瞬で足りた。

 

 機体の左側から踏み込み、オペラの肩越しに刃を走らせる。胴体の継ぎ目が裂け、火花が散った。

 防衛ロボが、空いている左腕を振り上げる。

 オペラはすぐに肩を離し、身を低くした。頭上を鋼の腕が薙いでいく。その動きに合わせて半歩退き、アンビーの踏み込む場所を空けた。

 二撃目が、先ほど裂いた継ぎ目へ深く入る。

 

 駆動音が途切れる。オペラは傾いてくる胴体を蹴って離れ、アンビーも刃を引き抜いて飛び退いた。二人の間へ防衛ロボが崩れ落ちる。

 

「助かったわ」

「……ええ」

 

 アンビーは機体が動かなくなったのを確かめ、オペラへ顔を向けた。

 

「やっぱりあなたと組むと動きやすい。前に一緒に戦った時も、そう思ったわ」

「私は、アナタに斬られないように避けただけよ」

「大丈夫。あなたには当たらないわ」

 

 あまりにも当然のように言われ、オペラは返す言葉を失った。

 そこへトリガーが追いついた。残骸の向こうへ銃口を向け、増援が来ないことを確かめてから二人へ声をかける。

 

「お二人とも、お怪我はありませんか?」

「問題ないわ」

 

 オペラは右手を一度握り、開いた。アンビーも刃を下げる。

 

「私も大丈夫」

 オペラは右手を握り直す。義指の応答は正常だった。

 北側区画の警告灯が赤へ変わる。オペラは床下回線へ接続した。

 投与装置の準備は、最終工程へ入っていた。爆薬を積んだドローンも、連絡通路へ近づいている。

 

「私は装置を止める。爆薬をお願い」

「私が行く」

 

 アンビーが駆け出し、トリガーが後ろを守る。

 オペラは設備室へ滑り込み、配電盤を開いた。

 

 投与装置は、ここからの停止命令も受け付けなかった。主電源を切るだけでは、予備電源へ切り替わって投与を続ける。

 監視装置と拘束台の搬送機構は別電源だった。切るべきなのは、薬液を送り込むポンプへの給電だけ。

 

 自身の義手を、配電盤の接続ポートへ線を繋ぐ。

 遠隔からの停止要求は拒まれても、この接続口からはメンテナンス用の設定を呼び出せた。

 オペラは投与装置の電源だけを選び、予備電源への自動切り替えを無効にする処理を始める。

 処理の途中で、接続口の電圧が跳ね上がった。義手に警告が走り、指先の感覚が遠のく。

 

『駄目だ切れ!』

「まだ……!」

『その腕が保たないぞ!』

「知っている!」

 

 設定が書き換わった。

 オペラはケーブルを引き抜き、投与装置用の給電ユニットへ義指を掛けた。

 

 両脚を踏ん張り、固定枠ごと引き剥がす。

 給電線が千切れ、火花が散った。薬の投与準備の表示が止まる。

 

 予備電源は作動しなかった。再開指示が送られてもポンプは応答しない。

 処置台から送られる脈拍の表示だけが、動き続けていた。

 ほぼ同時に、遠くで鈍い爆発音がした。

 

『爆薬は連絡通路から排除した。これで通れるわ』

「了解。クラム、3分よ、間に合ったわ」

『あぁ、確認した、投与装置は止まってるな』

「これで文句はないでしょう」

『帰ってから聞け、まだ11号を連れ出してないだろ』

 

 オペラは焼けたケーブルを収め、設備室の内側から防護シャッターを上げた。

 隣の職員用扉へ回る。

 アンビーが覗いていた窓の向こうに、11号がいた。枕元の椅子には誰もいない。奥の管理階への扉も、今は閉じていた。

 拘束台へ横たえられ、腕や首筋には複数の端子が付けられており、意識はなかった。

 

 オペラが止めたそばの投与装置はしっかりと停止していた。だが、薬液を入れた容器から細い管が11号の腕へ繋がっている。

 職員用扉の脇にある端末へ、試験記録を呼び出す。過去の投与時刻と薬剤番号が並んだ。

 次の一回は止められた。けれど、それまでに何度も試験を繰り返されている。

 

 細胞採取

 

 神経反応試験

 

 生体データの抽出

 

 エーテル適応薬

 

 戦闘波形との同期試験

 

 モニターの末尾に、比較対象の一覧があった。

 古い識別符号が並んでおり、その中の1つをオペラは知っていた。

 自分のものだった。

 

《比較資料不足》

 

《追加採取》

 

《判定保留》

 

 11号の欄にも、完了の表示はない。オペラは画面を保存し、職員用扉の解錠を試した。

 一瞬、解錠の表示が出る。取っ手へ手をかける直前に、それが赤へ戻った。

 

『触らないで。せっかく静かに眠っているんだから』

 

 天井のスピーカーから、ツイッギーの声が聞こえる。

 

「彼女には治療が必要よ! 扉を開けて!」

『ここも治療をする場所よ? 見れば分かるでしょう』

「……拘束を解きなさい!」

『お見舞いに来たわりに、ずいぶん偉そうなのね』

 

 オペラはもう一度、扉の解錠を試した。

 

 拒否

 

 もう1度

 

 だが扉は管理階から施錠され、オペラの操作を受け付けなかった。

 端末にアンビーの携行映像が届く。爆薬を排除した二人は、中央区画へ入っていた。

 11号のいる医療区画は、シャッターで閉ざされている。その上の通路から、ツイッギーがアンビーを見下ろしていた。背後には、潜入に気づいた少女もいる。

 

「11号はそのシャッターの奥よ。こちらの扉は開かない。そっちから開けられる?」

『確かめるわ』

 

 アンビーがシャッターへ近づく。トリガーは入口に残り、背後を警戒した。

 

『さすがね隊長……でも、ずいぶん慎重になったのね。昔ならその程度で足を止めなかったでしょう?』

『私は帰らないといけないから』

『ええ、そうでしょうね。今のあなたには帰るところがあるんだものね』

 

 アンビーは答えなかった。

 ツイッギーの指が、手すりを叩く。

 

『いいわね。待っていてくれる人がいて』

 

 少女が彼女の袖へ触れた。

 ツイッギーはその手を払い、またアンビーを見る。

 

『私のことも、少しは思い出した?』

『ごめんなさい、今日始めて知ったの、生きていることが分かったら、もっと早く見つけたかった』

『そう? 私が生き残るなんて思わなかった? 私、戦うのは苦手だったものね』

『あなたには、ほかにできることがあったわ』

 

 手すりを叩いていた指が止まった。

 

『覚えていてくれたのね。……私も、忘れていないわ。あの場所も、みんなの声も。こんな身体になっても、忌まわしいくらいに』

『ツイッギー』

『それで? そんな顔をして、今度は何をやめろと言うつもり?』

『この研究よ、もう11号に手を出さないで』

 

 ツイッギーが笑った。

 

『ああ、やっぱり。その話をしに来たのね』

 

 オペラは11号の脈拍を確認した。

 間隔が乱れ始めている。追加の投与を止めても、それまでに受けた処置の影響まで消えたわけではなかった。

 

「アンビー、11号の状態が悪いわ」

 

 通信へ告げる。

 アンビーが小さく頷いた。

 

『ツイッギー、11号を連れ出す。あなたも一緒に来て』

『ふふっ、帰るところを用意してくれるの? それとも、行き先は牢屋かしら』

『したことを覆すことはできないわ。でも、あなたを捕まえてそれで終わりにはしない』

 

 少女が、ツイッギーを見上げた。

 ツイッギーは動かない。

 

『……まだ、私の面倒を見るつもりなの』

『そう』

 

 短い返事だった。

 ツイッギーの口元が歪む。

 

『遅いのよ。二度と隊長面してお説教なんてしないで』

 

 ツイッギーが操作盤を叩いた。

 医療区画の搬送口で、シャッターが上がり始める。

 壁一枚を隔てた先に、アンビーの姿が見えた。

 

「台がそちらへ出る!」

 

 アンビーが搬送口の正面へ回り込む。拘束台は減速しなかった。

 固定金具が開く。停止位置を越えた拘束台が、中央区画に倒れていた警備ロボの残骸へぶつかった。

 投げ出された11号を、アンビーが受け止めた。

 

 瞼は閉じたままだった。

 アンビーの呼びかけにも、返事はない。

 

「ほらアンビー、大事なお気に入りは返したわ。もういいでしょう?」

 

 オペラは空になった拘束台の横を抜け、同じ搬送口から中央区画へ出た。

 頭上の手すり越しに、ツイッギーが見下ろしている。

 トリガーがアンビーのもとへ寄り、11号の呼吸を確かめた。

 

「搬送できますか」

「私が背負うわ、退路をお願い」

「承知しました」

 

 オペラは膝をつき、固定具を広げた。

 その頭上へ、声が降ってくる。

 

「あなたまで、そうやって隊長を助けるのね」

 

 見上げると、ツイッギーがこちらを見ていた。

 

「11号を運ぶだけよ」

「私が通さないと言ったら?」

「通してもらうわ」

 

 ツイッギーの視線が右腕へ落ちる。

 

 両脚

 

 左眼

 

「身体は替えても動き方は変わらないのね、さっきも戦闘でもそう」

 

 オペラの手が止まった。

 先ほどの戦闘は、監視装置に映っていた、それだけの話かもしれない。

 

「今の身体、誰に用意してもらったの?」

 

 答えず、11号の固定具を締める。

 

「ずいぶん大事に直してもらったのね。……その人はあなたに何をしてほしかったのかしら?」

 

 赤い非常灯

 

 顔の見えない影

 

 思い出しかけたものを、11号の呼吸が引き戻した。

 

「……まだ分からないわ」

「私を買った人も私には価値があると言ってくれたわ。あなたもそう言われた?」

 

 返事をせず、固定具の緩みを確かめる。

 

「助けられたと思っているのは、あなただけかもしれないわよ」

 

 オペラは11号を背負い、立ち上がった。

 

「その人に聞いてみるわ」

「……へぇ? 聞けるの?」

「今は、11号が先よ」

 

 後ろにいた少女が再びツイッギーの袖を掴んだ。

 今度は払われても、離さなかった。

 オペラはその手を見た。細い指が、ツイッギーの服を握りしめている。

 

「アナタも、後ろの子を見てあげて」

 

 ツイッギーの顔から、笑みが消えた。

 

「……気持ち悪いのよ。そうやって他人を気に掛けるのが」

 

 アンビーは最後まで、上部通路を見ていた。

 

「ツイッギー、話は終わってないわ」

「やめてって言ったでしょ? できもしない、いらないお節介を焼いてこようとするなんて」

「そんなつもり無いわ、ただ、話がしたいだけよ」

「……もういいわ、早く行って」

 

 ツイッギーは少女を連れ、上部通路の奥へ下がった。管理階を塞ぐ防護シャッターが下り二人の姿を隠す。

 トリガーが連絡通路を示した。爆薬を処理した先に地上への出口がある。

 

 オペラは11号を背負い直した。

 アンビーが先頭へ回り、トリガーが後衛につく。三人は、確保した連絡通路へ引き返した。

 施設を出る直前、オペラは壁の亀裂へ小型の傍受器を差し込んだ。

 

 亀裂から覗く通話用の配線は、設備図面によれば管理階へ繋がっている。ツイッギーが医療区画のスピーカーへ声を送る際にも、同じ設備が使われていた。

 オペラは配線の点検箇所へ傍受器を固定した。

 

「通話回線に枝をつけたわ。拾えた分だけ、あとで送らせる」

『了解』

 

 クラムへ短く伝え、記録の設定を確かめる。

 普段は受信と記録だけを行い、設定時刻に1度だけ、短い指向性通信で記録を送る。

 送信後は記録領域を消去し、停止する設定にした。

 

 相手が同じ設備を使わなければ、何も拾えない。確かめる時間はなかった。

 オペラは11号を背負い直し、出口へ向かった。

 

 ☆

 

「ずいぶん待たせたな」

 

 地上へ出た途端、クラムの声がした。

 

「結果は持って帰った」

「身体もな、ギリ合格かな?」

「右腕の修理費は?」

「当然お前の報酬から引くぞ?」

「労災を申請するわ」

「命令違反に労災を出す組織があんなら、俺も雇ってほしいね」

 

 11号をトラックの荷台へ運び込み、搬送台へ移す。

 トリガーが固定具を確かめ、アンビーも乗り込んだ。後部扉が閉じても、二人の視線は11号から離れなかった。

 クラムは運転席で締結表示を確認し、車を出した。

 

 施設から距離を取って数分後、警報が鳴った。

 

「追跡機、3台」

 

 オペラが車両後方の映像を確認する。

 無人の装甲車が、砂塵を上げて迫っていた。中央が追わせ、左右が逃走路を閉じるように広がっている。

 

「11号を返したのに、今度は追いかけてくるの?」

 

 クラムが追跡機の発する識別信号を拾った。警備命令の更新時刻を確かめ、照合結果をオペラの端末へ送る。

 

「最後に命令が出たのは、施設の警報が鳴った時だ。それから更新されてない」

「追跡を止めていないのね」

「止め忘れたのか、止める気がなかったのかは知らん。どっちにしても追ってくることに変わりない」

 

 左右の機体が、さらに間隔を広げた。

 

「しつこいわね……!」

「映画なら、そろそろ後ろの車が派手に爆発する頃だな!」

「こちらまで巻き込まないで!」

「大丈夫! 主演の車は修理代が高いからねぇ!」

 

 クラムが地図を開く。

 

「前方に整備用の狭路がある。幅は追跡機2台分だ、そこを抜ける」

「11号を乗せたまま?」

「降ろさない。停まる時間はないからな」

 

 狭路の入口には、旧設備の倒壊を防ぐための磁気固定の杭が残っている。

 クラムが施設から持ち出した設備図面を開いた。現役ではないが、設備の識別信号には応答がある。予備電源の残量が表示された。

 

「一回なら動くな」

「私たちが先に抜ければ、相手は?」

「中央の1機を追わせて左右は狭路へ入る時点で隊列を崩す。固定杭で先頭の車輪を引けば後ろも止まるだろ」

 

 トリガーが11号の固定具を確認した。

 

「衝撃に備えます……!」

 

 アンビーは後部扉のそばで支持具を掴み、もう片方の手を刃の柄へ添えた。

 

「追いつかれたら⸺」

「追いつかせない」

 

 クラムの声は冗談を感じせない。トラックが狭路へ滑り込む。

 直後、中央の追跡機が後ろへ付いた。左右の機体も速度を落としながら続く。

 

「今!」

 

 クラムが固定杭を起動した。

 入口の壁面から磁気アンカーがせり出す。先頭機の車輪が横へ引かれ、車体が大きく傾いた。回避しようとした後続の機体が互いの進路を塞ぐ。

 後方で金属が激しく潰れ、トラックは狭路を抜けた。

 

「追跡停止。後続も動けないようね」

「よぉし! そのまま動くなよぉ!」

 

 クラムが速度を落とさず、狭路の先へ車を進める。

 

「修理屋に同情するわ」

「請求書はツイッギー宛てだな!」

 

 その時、傍受器からの受信表示がついた。

 短い記録が届き、送信終了の符号を最後に反応が消え、オペラはその記録を再生した。

 最初に入っていたのは、何かを引きずる音だった。

 続いて、ツイッギーの声が聞こえる。

 

『繋いで、あの人に』

 

 小さな物音が聞こえる。誰かが近くにいるらしい、おそらくあのマスクの少女だろう。

 

『―分かってるわよ、危ないことくらい。さっきの警備がどうなったか、あなたも見ていたでしょう? あれじゃ、何も守れないの』

 

 少し間が空き、呼び出し音が鳴った。

 

『……研究は進んだか』

 

 低い男の声だった。

 

『欲しがっていた記録なら、用意してあるわ。次はそちらの番よ』

『言ってみろ』

『今の警備じゃ役に立たない。前に話していたもの、まだ出し惜しみするつもりなの?』

『お前の研究を続けるために、か』

『あなたに渡すものも、なくなってしまうわよ。それでもいいの!?』

 

 男が何か答えた。

 雑音が重なり、言葉の大半は潰れた。

 

『前に話した品を渡そう。助手を寄越せ』

 

『使い方は?』

 

『一緒に渡す。お前の知る技術と同じだとは思うな』

 

 ツイッギーが黙った。

 

『……分かったわ』

 

 そこから先は、機械音だけだった。

 

「どうやら警備システム向上のダシにされたらしいな」

「何を受け取るつもりなのかしら」

「より上位の警備ロボか、武器か。薬かもしれない。音声だけじゃ分からん」

 

 クラムのARで照合処理が始まる。

 参照しているのは、公開演説と、彼が保管していた過去の通信記録だった。

 

「その声に心当たりがあるの?」

「似てるヤツを知ってる……似てるだけなら、いいんだがな」

 

 候補が減っていく。

 最後に残った名前を見て、クラムは画面を伏せた。

 

「あとで話す。まだ一致したわけじゃない」

 

 オペラは追及しなかった。

 背後ではトリガーが11号の呼吸を確かめている。アンビーは、その隣から離れない。

 今ここで増やすべき不安ではなかった。

 

 オペラは音声を複製し、生データとともに保存した。

 ツイッギーには、研究を続けさせるパトロンがいる。

 今の警備を失っても、次を用意できる相手だ。

 その事実だけで、十分に厄介だった。

 

 ☆

 

 11号の状態が落ち着いたのは六分街へ戻る直前で、外はもう暗くなっていた。

 アンビーが先に連絡を入れ、Random Playの裏口ではアキラとリンが待っていた。

 

「こっち! 横になれる場所は空けてあるよ!」

 

 リンが先に立ち、アキラが搬送を手伝った。

 オペラは車載の監視装置を持ち込み、11号の呼吸と脈拍を確認する。

 

 数値は安定していた。つい先ほどまでの乱れが嘘のように、一定の範囲へ収まっている。

 

「落ち着いたのかい?」

「ええ、ただ意識は戻っていないわ」

 

 アキラへ答え、採取されたものと投与記録をまとめる。

 トリガーが必要な情報を受け取った。

 

「命令書の経路が偽装されている疑いがあります。通常の搬送手配へ、今の居場所を載せることは避けます」

 

 彼女は個別の連絡先を開いた。

 

「信頼できる医療担当へ、まず投与記録と容体を確認してもらいます。移動が必要かどうかも、その判断を待ちましょう」

 

 アンビーは11号のそばに座った。小さく何かを呼びかけるが返事はない。

 アンビーが席を立ちかけた時、11号が目を開いた。

 

「……知らない天井」

 

 トリガーが身を寄せる。

 

「11号……! 心配しましたよ。私の声が分かりますか」

 

 11号は彼女の方へ顔を向けた。

 

「あなたは、誰? それに、私は11号なんて名前じゃないわ……」

 

 沈黙が落ちる。

 11号の視線が、部屋の中をゆっくりと巡った。

 アキラ。リン。オペラ。

 最後にアンビーで止まる。

 

「今は休んで、怪我をしているわ」

 

 11号は何かを思い出そうと眉を寄せたが、ほどなく瞼を閉じる。

 呼吸は乱れなかった。オペラは診断画面とその顔を見比べた。

 身体の数値だけでは、分からないことがある。

 

「記憶ね」

 

 アンビーが言った。

 

「私たちは重傷を負うと、記憶が乱れることがあった」

「回復は、するのですか」

「すぐとは限らない。私も、長く思い出せなかった」

 

 トリガーは11号へ向き直った。

 

「では、急がせないようにします」

「戦えなくなっても?」

「必要なら、戦わずに済む場所を用意します」

 

 ためらいのない返事だった。

 

「今は、彼女を休ませることが先です」

「そうだね。お店のことは気にしなくていいよ」

 

 アキラが言い、リンも頷いた。

 

「アンビーも座って。ずっと立ってると11号まで落ち着かないよ?」

 

 オペラは監視装置の警告値を設定し、椅子を空けた。

 しばらくして、11号が再び薄く目を開けた。

 

「……喉が、渇いたわ」

 

 トリガーがすぐに応じる。

 少しずつ言葉が増えた。けれど、さっき聞いたことをもう1度尋ねることもあった。

 誰も、先ほども聞いたとは言わなかった。トリガーはそのたびに、同じ調子で答えた。

 

 オペラは監視記録へ、目覚めた時刻と会話の様子を書き留めた。昔のことを思い出せないのか、今交わした言葉が残りにくいのか。今の段階では、どちらも区別がつかなかった。

 使用済みの固定具を片づける横で、アンビーがトリガーへ声をかけた。

 

「あとで、少し話せる?」

「ええ。もちろんです」

 

 11号が眠ったあと、二人は店の方へ出ていった。オペラは追わなかった。

 代わりに椅子の背へ身を預けて右手を開く。指先の感覚が鈍い。

 

 損傷診断には、小さな警告が残っていた。足を組み替えた時、義足の固定部にもわずかな引っかかりを感じる。

 しばらくして、二人が戻ってくる。

 トリガーは再び11号の隣へ座った。アンビーは何かを言いかけるが、それを発することなくオペラを見る。

 

「またあそこへ行くの?」

 

 オペラが先に聞いた。

 

「うん、でも、その前に11号と話したい」

「話したことを忘れてしまっても?」

「私が話さない理由にはならないわ」

 

 オペラには、さっき二人が何を話したのか分からない。

 それでも、11号を誰に任せるかは決まったらしかった。

 

 個別回線へ医療担当からの返答が届いた。トリガーが投与記録を開き、オペラとともに、観察を続ける項目と容体が変わった際の連絡手順を確認する。

 オペラは施設の記録を閉じた。

 今夜のうちに決められないことまで、急いで決める必要はない。

 ただ、ツイッギーのパトロンが次に何を渡すのか。

 それだけは、待ってから確かめるわけにはいかなかった。

 

 ☆

 

『お前は、まず腕を直せ』

 

 個別回線へクラムの声が入った。

 彼はトラックに戻り、機材を片づけている。

 

「留守番とは言わないのね」

『言って聞くなら、修理代は発生してないからな』

「軽微な損傷よ」

『それは修理する側が決めまーす』

 

 オペラは右手を握り、開いた。

 応答に、わずかな遅れがある。

 

「……クラム」

 

 彼女は11号の寝ている部屋から廊下へ出た。

 

「ツイッギーに聞かれたの。私を直した人は、何のためにそうしたのかって」

 

 回線の向こうで、工具を置く音がした。

 

『何て答えた』

「分からない、と」

 

 返事はなかった。

 

「直した理由より、その前が分からないのよ」

『その前?』

「あの日、アナタは何をしに来たの?」

 

 短い雑音が入った。

 クラムが回線を切り替えたのか、車外を何かが通ったのか。オペラには分からなかった。

 

『……命令書は見ただろ』

「2つあったわ」

『ああ』

 

 それ以上、彼は付け足さなかった。

 

 オペラは右手を見下ろした。この手を動くようにしたのは、クラムだ。

 だが、修理の記録をどれだけ遡っても、彼が最初に何をするつもりだったのかは分からない。

 

「今なら、聞けると思ったのだけれど」

『今夜は腕を直させろ。話してる間にもそっちの応答が遅れてる』

「便利な故障ね」

『修理する方は不便なんだよ』

 

 オペラは診断結果を送った。

 問いへの答えは、受け取らないままだった。

 

 悲鳴

 

 銃声

 

 救命装置の音

 

 あの時の順序を、今の言葉で決めることはできない。

『ツイッギーは、お前が嫌がるところを探ってる。知ってることと反応を見て言ってることを分けろ』

「分かっているわ」

『それと、さっきの声だ』

 

 端末へ照合画面が届いた。

 

 ハルトマン

 

 その名前の下に、72.6パーセントと表示されている。

 

『加工が強い。残ってる特徴は似てるが、本人とは言い切れない』

「ハルトマンって……レイヴンロック家の?」

『ああ、だが名前を出すのはまだ早い。ソイツが聞かせたい声を使ってるだけの可能性もある』

 

 オペラは原音と処理後の記録を分けて保存した。

 

「サラたちの件と関係があると思う?」

『調べる価値はある。ただそれは次の仕事だ。この録音から口座番号まで喋り出してくれりゃ楽なんだけどねぇ』

「それなら、随分と親切なパトロンね」

『ぜぇひ取引したいよ。録音だけで済む範囲で』

 

 クラムが照合画面を閉じる。

 

『今分かってるのは、ツイッギーが追加の支援を求めたこと。相手が応じたこと。それだけだ』

「受け取るものが薬なら、また誰かに使うかもしれない」

『だから、次はそっちも見張る』

 

 回線の向こうで、さらにクラムが名を呼んだ。

 

『オペラ、例の照会に続きが来てる』

「軍の記録?」

『その回答先に追加されてた。誰が書いたかは分からん』

 

 クラムはトラックに残した照会端末を、ほかの機材から切り離して接続していた。

 取得した続報を保存し、再び回線を落とす。添付されたプログラムは実行せず、隔離した端末に残した。

 文面と座標だけを新しいデータへ書き出し、それをオペラへ送る。

 オペラの左眼に表示が開く。

 

 昨日の照会番号の下に、見覚えのある旧識別符号が見える。自分のものだった。

 

「私宛て?」

『対象欄にお前の符号がある。届いたのは、俺が照会に使った方だ』

「向こうは、私がここにいると知っているのかしら」

『この文面だけじゃ分からん。知ってるように見せたいのかもしれない』

 

 オペラは表示を読み直した。現在の名前も所属もない。

 それでも、自分を指す文字列だと分かってしまう。

 

 続いて、地図が開いた。

 新エリー都内のある地点を起点に、経路が1本引かれている。最後の区間だけが欠けていた。

 

「途中までしかないわ」

『続きが欲しけりゃ来い、ってことだろうな。ずいぶん勿体つけた道案内だ』

「行けば、誰かが待っている?」

『待ってるのが人間なら、まだ話は早い』

 

 オペラは地図を閉じなかった。これは今届けられた誘いだ。

 あの日、クラムがどちらの命令に従ったのかを教えるものではない。

 

 それでも、同じ識別符号が、過去の記録と現在の道を結んでいる。

 

『返事はするなよ』

「していないわ」

 

 画面の末尾へ目を落とす。

 命令を出した者の名はない。

 赤い文字だけが、帰る場所を知っているかのように灯っていた。

 

《真実を知る者より》

 

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